ラベル 北朝鮮 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 北朝鮮 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年3月18日日曜日

【銀河3号】 南西諸島上空通過

航空自衛隊

西部航空方面隊隷下西部航空警戒管制団
第9警戒隊  下甑J/FPS-5). 約700km

南西航空警戒管制隊
第56警戒群 与座岳J/FPS-5). 約1450km

2009年 日本海;こんごう、ちょうかい 3月28日佐世保基地を出航
      太平洋;きりしま       3月28日横須賀基地を出航



北朝鮮

テポドン1号 1998年8月31日 光明星1号衛星

テポドン2号 2006年7月04日

テポドン2号 2009年4月05日 光明星2号 東北上空通過 イージス護衛艦3隻配備

銀河(ウンハ)3号 2012年4月12-16日 光明星(クァンミョンソン)3号衛星を打上げ 南西諸島上空通過



北朝鮮

 銀河3号(テポドン2号改良型)三段式ロケット

衛星の打ち上げに関し国際海事機関(IMO)などに軌道など関連情報を事前通報

ロケットの1段目は韓国の西方沖
2段目は発射地点から約3千キロ南方のフィリピン東方沖に落下

日本国 沖縄など南西諸島上空を飛び越える



海上自衛隊 こんごう級護衛艦3隻以上を配備
航空自衛隊 空自下甑で監視 がメラレーダー


〇_SM-3 搭載艦
DDG-173 こんごう 20年目艦 第1護衛隊群第5護衛隊
DDG-174 きりしま 18年目艦 第4護衛隊群第8護衛隊
DDG-175 みょうこう 17年目艦 第3護衛隊群第7護衛隊
DDG-176 ちょうかい 15年目艦 第2護衛隊群第6護衛隊

2012年3月10日土曜日

【クウェート】 中国企業が北朝鮮人を雇用

【長江日報】2012年3月9日

中国企業が、北朝鮮人労働者約4百人を雇いクウェートの砂漠で一大プロジェクト(別荘1475棟や公共施設99棟の建設を含む)を進めている。

プロジェクトの責任者、李鋼(リー・ガン)氏によると、北朝鮮人労働者を雇い始めて1年。「中国人労働者が4~6人で1日かかる仕事を、北朝鮮人労働者は2人で終わらせてしまう。残業を無理にさせる必要もない。仕事が終わらなければ、誰も現場を離れない」と絶賛する。

クウェートでは約1千人の北朝鮮人労働者が働いているという。1人当たりの日当も100元(約1300円)で、中国人労働者の3分の1程度。仕事ぶりも真面目で協調性もある。遅刻をする人は1人もなく、納期が遅れる心配もない。現場監督が英語を話せるので意思の疎通も問題ない。

ボーナスは現金より、豚肉や牛肉、野菜、果物など現物支給した方が喜ばれる。

昨年12月に金正日総書記が亡くなった時、北朝鮮労働者たちに食堂を開放したところ、全員がスーツに着替えて同総書記の写真の前で追悼したという。

2012年2月29日水曜日

【北朝鮮】 南浦港へ米艦船が到着

2月28日、米上院軍事委員会の公聴会で米太平洋軍司令官ウィラードは、

平壌の南西に位置する南浦市へ、朝鮮戦争の際、北朝鮮で行方不明となった米兵の遺骨発掘事業を支援するための機材を積んだ米艦船が到着したことを明かした

3月には米国から先遣隊が発掘事業の準備のため平壌入りする予定

米国防総省によると、北朝鮮で行方不明になった米兵は約5500人と推定される。遺骨発掘事業は2005年、北朝鮮の核保有宣言などを受け中断されたが、昨年10月に両国が再開で合意した

2012年2月22日水曜日

【北朝鮮軍】、射程が170~200キロの誘導システムを備えた多連装ロケット砲を開発

【中央日報】2012年2月22日

韓国政府高官の話

北朝鮮が最近、車両運搬可能で、射程が170~200キロの誘導システムを備えた多連装ロケット砲を開発した。

 南北軍事境界線の直近から発射すれば在韓米軍司令部を含む米軍基地が移転予定の京畿道平沢や忠清南道鶏竜台の韓国軍基地を射程圏内に収めるため、米韓軍の脅威になる。

 新ロケット砲が既に前線配備されたとの情報もある。

 北朝鮮はこれまで、ソウルを攻撃できる射程約90キロのロケット砲を配備してきた。

2012年1月25日水曜日

金正恩の軍視察の度に登場、随行の「3人衆」は誰?

人民軍作戦局長・金明国(72・大将)
 軍総政治局組織担当副局長・金元弘(66・大将)
             李ドゥソン中将(韓国の少将に該当)

 金正恩の視察
 1月19日(木) 人民軍第169軍部隊
   20日(金) 空軍第354軍部隊と人民軍第3870軍部隊
   22日(日) 第671大連合部隊


【東亜日報】JANUARY 25, 2012 06:44
 金正恩の軍視察の度に登場、随行の「3人衆」は誰?

 朝鮮労働党中央軍事委副委員長・金正恩が活発に軍部隊を現地指導(視察)している中、金正恩に随行する軍部「3人衆」が注目されている。

 金明国局長は、10年3月の哨戒艦「天安」沈没事件の背後の1人とされる人物だ。09年11月の大青海戦で敗北したために上将に降格されたが、10年4月に大将に復帰した。当時、天安艦沈没の功労を認められて昇進したと分析された。また、10年11月の延坪島挑発直前、金正日、金正恩親子が黄海南道一帯を視察した時も、金明国局長が随行したと伝えられている。

金元弘副局長は、正恩の後継作業が始まった直後の09年2月、軍人事を担当する総政治局組織担当副局長に任命され、正恩の軍掌握を助けているという。金副局長は、09年4月に人民軍大将に昇進し、10年に労働党代表者会で党中央軍事委員に任命されるなど、金正恩時代を迎え、勢いをつけている。

李ドゥソン中将の正確な職位や経歴は分かっていないが、情報当局は、李ドゥソン中将が正恩の宣伝・広報を担っていると推定する。10年9月、正恩氏が大将の称号を受けた時、李ドゥソン中将も少将(韓国の准将)から中将に昇進したことから、正恩氏の護衛のために抜擢された可能性が高いと分析されている。

2012年1月23日月曜日

北朝鮮公安機関の幹部4人が連続で殺害される事件が発生

【デイリーNK(ノースコリア)】北朝鮮専門メディア 2012年1月20日

 昨年12月末ごろに公安機関の幹部4人が連続で殺害される事件が発生した。

 咸鏡北道のある消息筋は、「将軍様(金正日)哀悼期間に咸鏡北道清津で道国家安全保衛部の幹部1人、道検察所の幹部1人、道人民保安局の幹部2人の4人が殺害された。保衛部幹部の遺体のそばからは『人民の名で処断する』という内容のメッセージまで発見された」と伝えた。

北朝鮮当局は住民の動揺を懸念して被害者の身元など事件情報を伏せる中で、反体制勢力を中心に主導者検挙に向け公安機関の組織力を総動員しているという。 北朝鮮の現職幹部が連続で殺害されたのは今回が初めてとされている

2012年1月15日日曜日

正恩の妻(30)

【週刊ポスト】2012年1月27日号

金正恩 2010年9月前に結婚

正恩の妻(30)清津市出身
父親は大学教授、母親は病院の看護師長

張成沢が夫人選びに関与し、夫人候補と推薦

金日成総合大学を卒業
同大における党の政治指導員的な立場で大学院に在籍

2012年1月9日月曜日

【北朝鮮】 漂流者、大連へ送る

12月12日 北朝鮮 出航 小型木造船(全長7メートル) 従事中に船のエンジンが故障し漂流

 1月06日
午後     島根県隠岐の島町那久岬の西約1キロの海上で、いかりをおろして停泊中、巡視船「きそ」に保護

       鳥取県境港市沖の美保湾で「だいせん」に移乗


       第8管区海上保安本部(京都府舞鶴市)が事情聴取

 1月09日
午前6時     起床
午前11時30分 鳥取県境港市沖に停泊中の巡視船だいせんから、海上保安庁のヘリ
午後0時35分 美保航空基地 海上保安庁の航空機

午後2時前  福岡空港 到着

午後3時10分 共同運行;全日空
  4時10分 大連

2012年1月7日土曜日

高英姫 97年と00年、日本に極秘入国

金正恩の母高英姫(04年死亡)が97年と00年、日本に極秘入国していた

張成沢北朝鮮国防副委員長も80年前後に2回、偽名で入国していた

高英姫は大阪生まれの在日朝鮮人で、1960年代に北朝鮮に帰国した。

高は97年末と00年、乳がんの治療をフランスで受けた後、平壌に戻る前に日本に立ち寄ったとされる。

 2度とも東京都内の外資系高級ホテルに宿泊し、銀座でショッピングを楽しんだという。

00年には大阪にも出向いたが、旧友との接触はなかった。その前後に京都に立ち寄り、嵐山の「美空ひばり館」(現・京都嵐山美空ひばり座)も参観したという。衣服が全てブランド品でボディーガードらしき複数の付添人もいたといい、警察当局は「かなり上位の北朝鮮高官の親族」とみて行動を確認していたという。

 高氏が来日した翌年の01年には、正男が偽造旅券での入国を図って摘発されている。当時、正男氏は男児を伴っており、当局は息子の金ハンソル氏の可能性が高いとみて確認を急いでいる。

 一方、張氏は1980年前後に2回、氏名や肩書を偽装し、芸術関係の代表団に紛れて日本に入国していたという。80年前後は北朝鮮による日本人拉致事件が続発した時期と重なるが、張氏来日との関連は不明だ。

正恩氏や正哲氏が91年に偽造旅券で入国し、東京ディズニーランドなどを訪れていたことが既に判明。この際、2人はオーストリアの日本大使館でビザを申請し、「自分たちはブラジル人である」と語っていたことが新たに分かった。ポルトガル旅券を持った付添人がいたという。

情報関係者の間では、金総書記自身もかつて極秘入国したことがあるという未確認情報も流れている。【石原聖】

毎日新聞 2012年1月7日 15時00分

2012年1月6日金曜日

【北朝鮮】 偵察機「Nー78 飛雲」

北朝鮮

史上最も反伝統的な色彩の偵察機N−78「飛雲」

・ジェットエンジン4基
・外殻には発泡スチロールを使用。
・3回目の飛行時に「飛雲」は本物の雲の中に消え、2度と姿をあらわさなかったという。

2012年1月5日木曜日

【ギリシャ政府】 シリア向けの船舶から国連制裁決議に違反物を押収/09年11月

国連外交筋は、2009年11月

ギリシャ政府が、北朝鮮からシリアに向かっていた船舶が寄港した折、化学防護服1万4千着と化学兵器に使われる化学物質を検出できる試薬が見つかり、押収していた。

防護服や試薬は化学兵器の開発・実験に使用できる。

2011年9月、ギリシャは北朝鮮によるすべての武器輸出を禁じた国連制裁決議に違反すると判断。国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会に報告した。

一部理事国からは「北朝鮮とシリアが軍事協力を緊密化させている証拠」として、国連としての調査を急ぐべきだとの声も出ている。

2012年1月3日火曜日

【北朝鮮】 脱北監視を強化




 〇_近衛ソウル柳京守第105戦車師団 視察
 2010年1月05日 金正日
   12年1月01日 金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長
                12月30日付け=朝鮮人民軍(北朝鮮軍)最高司令官
            張成沢・国防委員会副委員長
            李英鎬・党中央軍事委員会副委員長
            金正角・軍総政治局第1副局長


 〇_金正恩・新体制(七人組)12月28日付け

金正恩 党中央軍事委員会副委員長(27)

張成沢(チャン・ソンテク)国防委副委員長(65)
金基南(キム・ギナム)  党秘書(82)
崔泰福(チェ・テボク)  党秘書兼最高人民会議議長(81)
李英浩(リ・ヨンホ)   党中央軍事委副委員長兼軍総参謀長(69)
金英春(キム・ヨンチュン)人民武力部長(75)
金正覚(キム・ジョンガク)軍総政治局第1副局長(70)
禹東則(ウ・ドンチュク) 国家安全保衛部第1副部長(69)




【共同通信】2012.1.3 01:25
 北朝鮮、脱出防止で国境地帯に地雷埋設か

 2日、韓国の対北朝鮮短波ラジオ「自由北韓放送」(電子版)は北朝鮮・両江道の消息筋の話として、北朝鮮が住民の国外脱出(脱北)を全面的に防止しようとして、中国との国境地帯で地雷の埋設作業を行っていると報じた。

 同放送によると、金正日が死去して後継指導者の金正恩氏体制が始動したのを受け、脱北者対策が一段と強化され、中国へ脱出するルートとなっている地域を中心に軍が地雷の埋設を急いでいる。

 一方、韓国の北朝鮮専門インターネット新聞「デイリーNK」などによると、北朝鮮当局が最近、金総書記の「遺訓」を貫徹するとして、市場で米ドルと中国の人民元を含む外貨を流通させた場合、麻薬犯罪よりも厳しい処罰を科すよう指示を出した。


【朝鮮日報】2012/01/02 11:04
 北新体制:金正恩、第105戦車師団を訪問
 韓国への警告を意図か

 金正恩が金正日の葬儀を終え、朝鮮人民軍最高司令官として、1日に「近衛ソウル柳京守第105戦車師団」を真っ先に訪問したことは、韓国に対する警告の意味合いが濃い。同師団は北朝鮮が韓国戦争(朝鮮戦争)当時、3日間でソウルに突入し、西大門刑務所を解放。さらに中央庁舎に北朝鮮国旗を掲げ、放送局を占領したと宣伝している部隊。

 2010年1月5日、金正日が第105戦車師団を訪問した際には、同師団に所属する戦車が韓国への南侵を想定した機動演習を行う場面が朝鮮中央テレビで放送された。映像には北朝鮮軍の戦車が走行する雪道の脇に「中央高速道路・春川-釜山374キロ」「金海」「昌原」といった韓国の地名が次々に登場した。画面に映った戦車に白いジャンパー姿で乗っている人物が金正恩だという情報もある。

 韓国の安全保障当局者は「金正日総書記が第105戦車師団を訪問してから2カ月後に当たる10年3月26日に、北朝鮮は哨戒艦「天安」爆沈事件を起こした。金正恩氏の今回の訪問がどんな結果につながるかを注視しなければならない」と指摘した。

 北朝鮮の朝鮮中央通信は同日「第105戦車師団の軍人たちは、民族の前に大逆罪を犯した逆賊一味に対する憎悪と復讐心を抱いている」と伝え、韓国政府が金正日総書記に対する弔問を制限したことへの不満を表明した。


 金正恩氏が「先軍(軍事優先)政治」の象徴となる部隊を訪問することで「先軍政治路線に変わりはない」というメッセージを内外に発したのではないかとの見方もある。金正日総書記も生前、この部隊をしばしば訪問した。北朝鮮は、金正日総書記が1960年にこの部隊を初めて現地指導してから50年目に当たる2010年8月25日に「先軍革命領導50周年」を大々的に祝った。


 金正恩氏が軍部隊視察を通じ、体制が安定していることを誇示したとの見方もある。韓国統一部(省に相当)当局者は「経験がなく、カリスマも不足しているという世間の懸念を払拭する意図が垣間見える」と述べた。

 金正恩の同日の訪問には、張成沢国防委員会副委員長、李英鎬党中央軍事委員会副委員長、金正角軍総政治局第1副局長ら金正日総書記の葬儀で霊きゅう車を護衛した7人のうち3人が同行した。


2012/01/02 10:56
北新体制:金正恩、初仕事は戦車部隊の視察
軍最高司令官として初の単独公開活動
故・金正日総書記が毎年最初に訪れた部隊

先月30日に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)最高司令官となった金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長は1日、新年最初の視察地として、北朝鮮先軍政治の起源となった「近衛ソウル柳京洙第105戦車師団」を訪問した。朝鮮中央通信が報じた。父の葬儀を終えた金正恩氏にとって、初の単独の公開活動だ。


 北朝鮮は故・金総書記がこの部隊を最初に訪問した1960年8月25日を「先軍革命の領導」が始まった日として宣伝してきた。第105戦車師団は韓国戦争(朝鮮戦争)の際に最初にソウルに到達した部隊で、金総書記は生前、毎年1月1日を前後した時期にこの部隊を訪問していた。


 韓国政府の安全保障担当部処(省庁)の当局者は、金正恩氏による今回の視察について「金総書記の遺訓を貫徹し、先軍政治の路線をそのまま踏襲するとの強い意志だ」とコメントした。金正恩氏のこのような意向は、北朝鮮が1日付けの労働新聞、朝鮮人民軍、青年前衛の3紙を通じて発表した新年共同社説(新年辞に相当)にも表れている。共同社説は「将軍様(金総書記)の先軍革命領導史を続けなければならない」など「先軍」という言葉を16回使用した。

2011年12月29日木曜日

北朝鮮の看板アナ、金正日が外国車・豪邸支援

【中央日報】2011年12月28日16時00分
 北朝鮮の看板アナ、金正日が外国車・豪邸支援

 脱北者らから現地の状況を聞いた。 朝鮮中央放送で約20年間にわたり政治部記者として活動したチャン・ヘソン氏(66)、清津医科大哲学教授出身のヒョン・インエ氏(54)、シンガポール東北アジア銀行代表として外貨稼ぎを担当したキム・グァンジン氏(44)だ。

--張成沢の摂政が始まったという分析もあるが。

キム・グァンジン氏=摂政は始まった。 金正恩の権威は祖父や父とは違う。 統治力も社会凝集力も差が大きい。 金正日までは絶対権力だった。 今は力の空白状態だ。 金正恩が張成沢、金敬姫、李英浩と協議するしかない。

ヒョン・インエ氏=中国式の集体的協議体と考えてはならない。 昔は金正日が一人でしたが、今は数人の側近に依存するということだ。 張成沢は民主主義者ではない。 権力を掌握しようとする。

キム・グァンジン氏=金正恩と党・軍幹部の橋渡し役を張成沢が引き受ければ摂政だ。 唯一支配体制なので集団討論は許容されない。 幹部も慣れていない。 張成沢が握ればそれが摂政だ。

チャン・ヘソン氏=住民に尋ねれば「正恩がしようと誰がしようと関係ない。 一食を解決するのが大変なのに」と話す。 庶民は全く考えがない。

キム・グァンジン氏=金日成が死去して金正日が継承する時は、呼称を使うにしても精巧にした。 今の金正恩には付けられるあらゆる表現を付けている。 ‘尊敬する’から始まり、‘偉大な’‘伝説的な’など、すべての表現を使っている。 準備ができなかったのだ。

--携帯電話80万台が普及している。 民心動揺の一つの要素になるのでは。

キム・グァンジン氏=政権としては負担になるはずだ。 北朝鮮は現在、あまりにも厳しい状態なので、張成沢がエリート層や国民の支持を引き出すためにも、外にもっと手を出すのではないかと前向きに考える。

ヒョン・インエ氏=私は反対だ。 北朝鮮住民は、金正日が核実験をすれば米国も韓国もみんな譲歩するというような考えをしている。 金正日が死去したとたん、周辺国から支援がなくなれば、張成沢の威信が崩れる。 より強く出てくるはずだ。

キム・グァンジン氏=張成沢が自分の存在感を表した。

ヒョン・インエ氏=24日に張成沢が大将軍服を着て登場した日が、金正日の生母・金貞淑(キム・ジョンスク)の誕生日であり、金正日の最高司令官推戴日だった。

キム・グァンジン氏=その日、党中央軍事委員会を開いたようだ。 張成沢が‘大将称号’を付けて自分の地位を対内外に誇示したようだ。

ヒョン・インエ氏=張成沢が金正日の脳卒中後、核心人物に浮上したが、昨年9月の党代表者会では力を失ったという。 この会議に出席した人が「金正恩派と張成沢派が争うのが見えた。 各自が生きる道を探さなければいけない」は話したと聞いた。

--2カ月も姿を消していたアナウンサーのリ・チュンヒが金正日の訃告を伝えたが。

チャン・ヘソン氏=もともと人民軍演劇組にいたが、脚が短くてアナウンサーのほうに来た。 60歳を超えてからは家で遊びながら、必要な時に出てくる。 キャディラックと平壌の豪華な家を受けた。 金正日が支援した。 90年代初めに浮気をして見つかった時は「リ・チュンヒの文書をすべて消せ」と言った。 金正日が死去した時、リ・チュンヒは本当に悲しかったはずだ。

2011年12月28日水曜日

1994年の金日成主席の死「金正日による父親暗殺説」

【SAPIO】2012年1月11・18日号

萩原遼は、1994年の金日成主席の死「金正日による父親暗殺説」を唱える一人。

「金日成の暗殺と1995年から始まった大飢饉には密接な関係がある。大飢饉で300万人の餓死者を出したとされるが、これは金正日が民衆反乱の温床となっていた咸鏡南北道の敵対階層を殲滅するための大量殺人だった。その計画を実行するうえで最大の障害になっていたのが金日成で、金正日によって除去されたのです」

農業を立て直し、食糧供給の安定化で政権維持を主張する金日成と、核開発による脅し外交を主張する金正日の間には、激しい政策的対立があったと言う。

「金日成は別荘で心臓発作を起こして亡くなりましたが、ソウルの脱北者団体が入手した資料によれば、金日成が発作を起こした時、待機していたのは新米の耳鼻科医師だけで、心臓病の医師はいなかった。そんな状態にさせることができるのは金正日しかいません。しかも、金正日は真夜中に別荘の金日成に電話をかけ、耐えがたいほどの暴言を吐き、金日成に強いショックを与えて心臓発作を起こさせたと見られています」

金正日が鬼籍に入った今となっては真相は闇の中だが、父親殺しの嫌疑をかけられている金正日自身も、生前は何度も暗殺の危機にさらされてきた。それこそ、金日成の死後、金正日体制が安定期に入るまでは、ほぼ毎年のように繰り返された。

表に出た事件の中で最も有名なのが、2004年4月の列車爆破テロ。金正日が乗った専用列車が平安北道の龍川駅を通過した30分後に爆発し、金正日は無事だったが161人が死亡、1350人以上が負傷する大惨事となった。内部テロとの見方が有力である。

2011年12月26日月曜日

金正日一家の名前のつけ方は、韓国・朝鮮の伝統から大きく逸脱している




金 正日 

三番目の妻・高英姫(コ・ヨンヒ)在日同胞舞踊家出身との間に2男1女をもうける。2004年死亡
第1子 正哲(ジョンチョル)(30) 次男
第2子 正恩(キム・ジョンウン)(27)三男
第3子 ヨジョン(24)

金 正男(40)長男
 マカオのコロアン(路環)島住宅街アパート。1階は車庫、2-4階の住居地。家1軒の価格が5000万香港ドル(約5億円)にのぼるマカオの最高級住宅地。 母は映画俳優だった成恵琳(ソン・ヘリム、02年死去)。


正男の息子 キム・ハンソル、16歳
 ボスニア・ヘルツェゴビナ南部にあるモスタル。小さな街のインターナショナルスクール校「ユナイテッド・ワールド・カレッジ・モスタル校(UWCiM)」


正日の異母兄弟・現在ポーランド大使の金平日(キム・ピョンイル)氏(57)



http://sankei.jp.msn.com/world/news/111226/kor11122608020004-n1.htm


【産経】2011年12月26日

金正日一家の名前のつけ方は、韓国朝鮮の伝統から大きく逸脱している。
それは親子で共通の漢字をつけていること。

 日本では共通の漢字を親子、兄弟、一族で共有することが多く、共有することで、一族であることを認識し、結束を図るという慣習がある。この共通漢字を「家字」という。

しかし、韓国朝鮮では、原則として、子孫が祖先と同じ漢字を名前につけることはない。
絶対儒教の国である韓国朝鮮では、同じ漢字をつけることは「不敬」「不遜(ふそん)」に当たる。

 ではどうするか。

原則として「木火土金水」のついた漢字を順番につけていく。ある人が「木」とすれば「柱」「桂」「根」などの木偏の漢字をつける。その子の世代は「火」となるので、「煥」「煕」など火に関連する漢字をつける。さらにその子の世代は「土」だから、「培」や「基」など「土」が入った漢字をつけるという具合である。しかもつける位置は、2字の名前の上下を常に逆にしてつけていく。残りの1字が個人を表す。

011.12.26 08:02 (2/2ページ)
 これは、木は火によって燃やされ、火は土によって消され、土器は金属に勝てず、金属は水によって錆(さ)び、水は木に吸収されるという、5つのじゃんけんのような関係から、常に前の世代を超える存在になるという陰陽五行説の考えからきている。したがって同じジェネレーションは同じ漢字が1字ついていることになる。

金日成(本名は金成柱)の子である金正日は、父と同じ「日」の字をつけた。さらにその子は3人とも「正男」「正哲」「正恩」と父と同じ「正」の字をつけている。これは韓国朝鮮ではあり得ないつけ方。

 なぜ、あり得ない名前のつけ方をしたのだろう。

 おそらく、正日は父を超える存在を意味する陰陽五行説を嫌い、父と同じ字をつけることで、一体化を目指したのだろう。正日の息子3人も同じ理由だろう。そして、この一家は、韓国朝鮮の従来の一家とは全く異なる「神聖家族」であることを人々に認識させる狙いがあったのだろう。

世襲の正当化にも役立つと考えたのに違いない。異常さは体制だけではなかったのである。=敬称略(編集委員 大野敏明)

CIAも「お手上げ」の北朝鮮の秘密主義 菅原 出

●_北朝鮮の動き

 10月08日

 北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、「金正恩党中央軍事委員会副委員長を心から奉じなければならない」と述べ、正恩氏への忠誠を求めていたとする記事を掲載。

 記事は「12月の誓い」と題した随筆。ほかに金総書記が「幹部らは党の周囲で心を一つにして仕事を立派に行っていかなければならない」と語ったことも紹介している。


 10月19日午後9時以降 朝鮮中央テレビ 名物女性アナが姿を消す


北朝鮮と約1300キロメートルを接する中国。北朝鮮の安定は、中国にとっても気がかりである

この菅原出(42)の肩書きは、国際政治アナリストだそーだが、諜報機関の活動、及び、北朝鮮の内情に就いては、以下の記事内容を読む限り、あまり明るくない様子だ。知っていても、出さないことがある。

CIAや中国諜報機関は

金正日の死亡時刻は、12月16日(金)午前1時30分~2時で、CIAは隠密に動いている

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20111222/225562/?mlh2&rt=nocnt


【日経ビジネス】2011年12月26日(月)
 CIAも「お手上げ」の北朝鮮の秘密主義 菅原 出

 金正日総書記の死去にともない、北朝鮮が「新しい顔」を立ててイメージ・チェンジをはかり、米中韓から援助を獲得して息を吹き返す可能性がある。米国、中国、韓国そして日本は、北朝鮮に対してそれぞれ政策上の優先順位が異なっている。各国がそれぞれ自国の国益を優先させて北朝鮮と取引をすれば、金正恩新体制の基盤固めに貢献するだけでなく、日本にとって重要な懸念事項が取り除かれないまま、北朝鮮が息を吹き返す可能性がある。2012年は、日本の北朝鮮外交にとって正念場になりそうだ。

CIAも「お手上げ」の北朝鮮の秘密主義

 12月17日正午に北朝鮮の朝鮮中央テレビが特別放送で伝えた「金正日総書記死去」は、日本国民だけでなく、世界各国の政府の中枢にいる指導者たちにとっても寝耳に水の衝撃的なニュースだった。

 北朝鮮指導部の動向に最も敏感なはずの韓国では、李明博大統領が自身の誕生パーティーを開催していた。しかも北朝鮮情報の収集・分析を担う国家情報院の元世勲院長が、「テレビを見て金総書記死去の事実を知った」と証言したことで、韓国では李政権や国家情報院を非難する声が強まっている。

 また世界最大の諜報機関・米中央情報局(CIA)もこの事実を事前に察知することが出来なかった。ただし、米国の諜報機関が北朝鮮絡みの重要事件を察知できなかったのは何も今に始まったことではない。

 2007年にイスラエルが空爆したシリアの核施設は北朝鮮の協力によって建設されたものだったが、米国はイスラエルの情報機関にその事実を知らされるまで知らなかったと言われている。また、2010年にはスタンフォード大学の科学者たちが北朝鮮に招待され、新しいウラン濃縮施設を見せられるまで、米国の諜報機関はその施設に気がつかなかった。

 過去にこれだけ重要な事実を米諜報機関がまったく察知できなかったこともあって、北朝鮮については「あの国の内部事情は分からない。もうお手上げ」という一種の諦めが米国内で支配的になっているのかもしれない。今回の「インテリジェンスの失敗」でオバマ政権やCIAを非難する声は米国ではあまり聞こえてこない。

北朝鮮の内部権力闘争はすでに決着済みか?

 北朝鮮の新しい指導者となる金正恩氏に関しても、米メディアでは「われわれはこの人物についてほとんど何も知らない(米タイム誌)」といった自信の無い書きぶりの記事が多く、「実績のない」「未知の」といった表現が数多く使われている。

 一般的に「未知のもの」「知らないもの」に対して人は不安や懸念を抱くが、米メディアの論調を見ても、「この若い後継者は国をまとめていけるのか」「軍部をコントロール下に置くことが出来るのか」「北朝鮮は内部対立から混乱に陥るのではないか」といった見方が多く紹介されている。

 日本でも「北朝鮮暴発」「国内権力闘争激化による崩壊」といったセンセーショナルな記事が一部のメディアで報じられている。もちろん金正恩新体制が権力基盤の確立に失敗し、内部崩壊する可能性がないとは言えない。金日成から金正日への権力移譲が20年かけてじっくり行われたのに対し、金正恩が表に姿を現わしたのはわずか一年前のことであり、まだ20代の正恩は見るからに心許ない。

 しかし、北朝鮮では少なくとも過去2年以上かけて、金正恩体制へ移行するための基盤固めと思われる軍部の人事や、不満分子の粛清が行われてきており、国内の権力闘争には一定の決着がついたのではないか、との分析も成り立つ。

 目立った動きだけを見ても、2010年4月15日に、金正日は太陽節を契機に「大将」4人を含む軍の将軍100人を大挙昇進させており、同年9月の労働党代表者会の前日には、金正恩、金慶喜をはじめとする6人に人民軍大将の称号を付与した。またこの時、上将1人、中将6人、少将27人の昇任人事も断行されている。さらに今年の4月15日の太陽節の2日前には、上将2人、中将5人、少将38人に対して、軍最高司令官(金正日)名義で昇任措置がなされた。2010年4月から2011年4月までの1年間で、実に185人の階級章に星が追加されたという。

 これらの動きを伝えた韓国の北朝鮮情報専門サイト『デイリーNK』は、こうした措置の裏には、人民軍を「金正恩の軍隊」として再編する過程で、「若手の新進軍部グループを浮上させ、後継安定化を図る目的がある」と分析していた。

 同様に反対派や不満分子の弾圧や粛清も相当激しく行われたようである。北朝鮮の人権状況をモニターしているアムネスティ・インターナショナルは12月20日に、「過去1年間にわたる情報収集の結果、金正恩とその支持勢力が後継体制の足場固めのため、粛清を強化している」と発表している。粛清された政府当局者は数百人に上り、処刑されたり、政治犯収容所に送り込まれたりしているという。

 また、過去2カ月間、北朝鮮国内で不正摘発を名目に、地方の党幹部や情報機関の高位幹部が多数逮捕されている。『デイリーNK』は、10月以降「金正恩氏主導の粛清作業」を繰り返し伝えており、「一連の綱紀粛正は金正恩氏が主導しているといわれているが、そのあまりの厳しさに『金正恩氏は普通ではない』とささやかれている」(10月31日付)などと報じていた。


 CIAや韓国の情報機関が分からないくらいなのだから、北朝鮮内部で何が起きているのかは想像の域を出ない。この分析も、断片的な情報を繋ぎ合わせて得た仮説に過ぎないが、この仮説が正しいとすれば、少なくとも当面は内部崩壊の蓋然性は低いということになるだろう。

 当面内部崩壊の可能性が低いとしても、新体制を確立して持続させるには、外国から援助を獲得する必要がある。

北朝鮮の「安定」に利益を見出す米中韓
 では北朝鮮情勢に大きな影響を及ぼし得る外部勢力は、金正恩新体制に対してどのような影響を与える可能性があるのだろうか。

 この国に最も影響力の強い中国は、いち早く北朝鮮の新体制を支持する姿勢を見せている。20日には胡錦濤国家主席や習近平国家副主席が、21日には温家宝首相や李克強・筆頭副首相ら共産党政治局常務委員5人が北京の北朝鮮大使館を弔問し、中朝の友好関係を重視している姿勢を内外に示した。

 また中国外務省のスポークスマンは、「中国と北朝鮮は常に高いレベルの相互訪問を維持してきており、両国にとって都合のよい機会に北朝鮮の指導者たちが中国を訪問することを歓迎する」との声明を発表し、金正恩の名前は出さないものの、新しい北朝鮮の「指導者たち」を支持する姿勢を鮮明にしている。

 一方韓国も不必要に北朝鮮の新体制を刺激することを避け、不安定化を防ごうと気を遣っている様子がみてとれる。韓国国防省は20日、宗教団体の要請により南北軍事境界線付近の3か所で23日から予定していたクリスマスの電飾を、今年は取りやめるとの決定を発表した。このクリスマス電飾に対しては、これまで北朝鮮が「キリスト教徒による悪質なプロパガンダで心理謀略戦である」と反発してきたのだが、韓国政府は金正日総書記の死去を受け、北朝鮮への刺激を避けるために、今年は電飾を行わない方針を決めたのだという。

 北朝鮮の不安定化を避けたいと考える近隣諸国は、北朝鮮を無用に刺激したり不安定にさせるような行動は出来る限り避けようとしている。ここで近隣諸国が「北朝鮮の新政権を改革の方向に導くため」などと考えて援助でも与えれば北朝鮮の思うつぼである。すでに北朝鮮はこの機会に新たな援助を受けるための積極外交に出ている。朝鮮通信は23日、北朝鮮の対韓国窓口機関である「祖国平和統一委員会」が韓国からの全ての弔問団を「同胞愛の情で丁重に受け入れる」と表明したと伝えている(24日付『読売新聞』)。

 さらに米国のオバマ政権も、朝鮮半島の安定を重視しつつ、北朝鮮との対話を継続する意志のある姿勢を見せている。米国務省のヌーランド報道官は20日、北朝鮮と食糧支援問題についてニューヨークのチャンネルを通じて協議を行ったことを明らかにした。同報道官によれば米政府は19日にニューヨークで北朝鮮側と技術的な協議を行ったという。金正日総書記の死去が発表されてからわずか2日後に、米朝が早くも公式に接触したのである。

 米国と北朝鮮は「金正日死去」発表の直前まで食糧支援をめぐる協議を行っていた。米国は食糧支援を人道問題と位置づけ、北朝鮮の核問題とは切り離して交渉していると表向きは説明しているが、同時に北朝鮮にウラン濃縮の停止など非核化に向けた行動を要求しており、実質的に食糧支援と引き換えに核問題での譲歩を迫る交渉を進めていた。米AP通信が伝えたところによると、米国は北朝鮮に対する食糧支援を発表し、その数日後には北朝鮮がウラン濃縮プログラムの停止を発表することで両国は合意に達していたという。

 米朝協議は今年の夏ころからニューヨーク、ジュネーブや北京で重ねられ、北朝鮮が核や弾道ミサイルのテストを停止し、2009年に追放した国際原子力機関(IAEA)の査察官を受け入れることでもすでに合意しており、最後まで残っていたウラン濃縮停止について最終的な協議が進められ、そこでも基本合意に至っていた。これに対して米国はビスケットなどの栄養補助食品を毎月2万トン、計24万トン北朝鮮に支援することになっていたという。

 オバマ政権が、金正日死去後早々に北朝鮮との接触を開始したということは、この食糧支援と核問題の合意を、金正恩新体制とも継続して進めていきたいという意図の表れではないかと思われる。

 こうして見てみると北朝鮮と大きな利害関係を有する中国、韓国、米国はいずれも北朝鮮が不安定化するのを望んでおらず、それゆえ北朝鮮が生き残ってこられたという国際的な基本構図に変化が見られないことが分かるであろう。

息を吹き返す北朝鮮

 このままいくと、中国が金正恩新体制を支持し支援を与えるだけでなく、韓国も弔問外交を通じて新体制へ援助を与えそうである。そして、米国も新政権との取引を前進させるつもりである。大統領選挙を前にしてオバマ大統領は北朝鮮核問題で外交的成果を上げたいと考えているはずである。米国が功を焦って食糧援助に踏み切れば、金正恩新政権の体制固めへ米国が加担することにもなりかねない。オバマ政権は「北朝鮮の核問題で一定の成果をあげた」と宣伝し、金正恩新体制も「米帝国が貢物を持参した」と宣伝して国内の権力基盤固めに大いに利用することだろう。

 北朝鮮にとって、最近自ら公開したウラン濃縮施設の停止など痛くも痒くもない。北朝鮮の核兵器関連活動は多岐にわたっている。そのさまざまな活動のもっとも重要でない部分から「やめてもいい」と言ってその引き換えに援助を獲得していけばいい。米国は核問題で北朝鮮に対して「やめて欲しい」と思っていることがたくさんある。北朝鮮としてはその一つ一つを「切り売り」して米国から援助を獲得したい。こういう交渉になれば「外交カード」の多い北朝鮮に有利となる。

 しかも米国が「核」を最重要視しているのに対し、日本にとっては「拉致問題の解決」が最重要課題であり、日本の領土に届くミサイルの脅威を取り除くことが大事である。しかし中国や韓国が北朝鮮の不安定化を避けるために北朝鮮に援助を与え、米国が核活動の一部の停止と引き換えに援助を与えるのであれば、北朝鮮が日本に妥協しようというインセンティブは低くなる。さらに米国や韓国が北朝鮮の核兵器活動の一部の停止と引き換えに、例えば軽水炉原発を北朝鮮に提供するなどという取引に合意してしまい、日本がそうした「国際的な取り組み」への協力を要請されたならば、日本にとっては最悪のシナリオとなるであろう。

 もし北朝鮮が金正恩という新しい顔を前面に立てて、見せかけの「協調外交」「平和外交」を仕掛けてくるとすれば、大統領選挙を前にして外交的成果を上げたいと願っている米国と韓国の大統領は、目先の利益を優先させて乗せられてしまうかもしれない。各国がそれぞれ自国の国益を優先させて北朝鮮と取引をしていけば、金正恩新体制の基盤固めに貢献するだけでなく、日本にとって重要な懸念事項が取り除かれないまま、北朝鮮が息を吹き返す可能性があることにわれわれは十分に注意する必要がある。

 今こそ、日本は対北朝鮮外交の目標を明確に定め、上述した新たな戦略環境の中で、米国や韓国などの主要アクターがどのように動くかを予測し、様々な事態のシミュレーションを行い、日本の国益を守るための政策を打ち出していかなければならない。2012年は、日本の北朝鮮外交にとって正念場になりそうだ。

2011年12月25日日曜日

金正日の娘、ヨジョン

【朝鮮日報】2011/12/25 09:34
【萬物相】金総書記の娘

「君、アウトバーン(高速道路)が閉鎖されたという話を聞いたか」
「いや。アウトバーンがなぜ閉鎖されるんだ」
「そんなことも知らないのか。エッダ・ゲーリングが歩き始めたからだ」。

1939年ごろ、ナチス政権下のドイツで流行したジョークだ。
ヒトラーの後継者とされていたヘルマン・ゲーリングが、娘をどれだけかわいがっていたかということを風刺したものだ。

ゲーリングが歩き始めたばかりの娘の安全を図るため、車道を通行禁止にするほどだったという意味だ。
父親に溺愛されたゲーリングの娘は生まれながらにしてスターだった。
当時、ドイツ全域の文房具店で、ゲーリングの娘をモチーフにしたはがきが売られた。


ナチスの権力者たちも、ほとんどは家に帰れば優しい父親だった。
「ナチスの中のナチス」として悪名を轟かせた親衛隊(SS)の大将ハインリヒ・ヒムラーは、欧州各地にユダヤ人強制収容所を設け、ガス処刑や生体実験によって数百万人のユダヤ人の命を奪った張本人だ。

ところが、娘と一緒にダッハウ強制収容所を訪問した際には、娘にハーブ畑を見せ、詳しく説明するなど、家庭的な一面を見せた。娘が「鉄条網の内側にいる人たちは誰なのか」と尋ねたところ、ヒムラーは「政治犯や凶悪犯だ」と答えたという。

1千万人以上を虐殺した旧ソ連の独裁者スターリンもまた、一人娘のスベトラーナを「小さなスズメ」と呼んで溺愛した。自宅でパーティーが開かれると、スベトラーナはいつも女主人のような扱いを受けた。ソ連の国民はスベトラーナを「姫」と呼び、自分の娘に「スベトラーナ」と命名する人たちも続出した。さらに「スベトラーナ」という名前の香水も登場し、人気を博した。

金正日の娘、ヨジョン氏とみられる女性が正恩の後ろに黒い喪服姿で立ち、弔問客を迎える様子が、22日朝の新聞に掲載された。金総書記は、3人目の妻・高英姫(故人)の間に生まれたヨジョン氏を、食事の際に自分の左隣に座らせ「ヨジョン姫」と呼んでかわいがった。


 ヒトラーは子どもがいなかったためか、犬に愛情を注いだ。「ブロンディ」という名のシェパードと一緒に食事したり、寝たりしていた。独裁者たちが国民の生命や幸福には見向きもしない一方、娘やペットに愛情を注ぐ精神状態を、どう説明すればよいだろうか。スターリンの娘スベトラーナは後に米国へ亡命し、父親を否定する人生を送り、最近死去した。

ゲーリングの娘エッダは「ほかの人たちが悪人だっただけで、私の父はまともだった」と語った。金総書記の娘ヨジョン氏は、自分の父親が世界に類例を見ない共産主義世襲独裁を実行に移し、数百万人の人民を飢え死にさせた事実を知ったら、果たしてどう答えるのだろうか。

北新体制:金正恩氏の後見役、張成沢氏の素顔





【朝鮮日報】2011/12/24 13:00
 北新体制:金正恩氏の後見役、張成沢氏の素顔

「側近とのパーティーで、酔った金正日が理由は分からないが、張成沢のほおを殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ、足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私の方を見て笑った。度胸があり、カリスマもある」

 韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は「北朝鮮で金正日のほかに自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■二度の粛清と復活

 金正日総書記の妹、金敬姫労働党軽工業部長の夫である張成沢氏は、自分の側近を固めようとして、金総書記に2回も「粛清」された経験を持つ。金総書記の義理のおいに当たる李韓永氏(1997年に暗殺)の自伝などによれば、張氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回、自分の側近たちとパーティーを開いていたことから、保衛部に摘発された。報告を受けた金総書記は「お前(張氏)はなぜ私のまねをするのか」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。当時、張氏を救ったのは、金総書記の妻で、長男・金正男(キム・ジョンナム)氏の母に当たる成恵琳氏だ。成氏は80年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼び、金総書記の前に立たせ、「張成沢を許してほしい」と頼んだという。


 張氏が金総書記の信頼を取り戻したのは、1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は、全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。金総書記は「努力英雄」として張氏を称賛し、三大革命小組部長(1989年)、党組織指導部第1副部長(1995年)などに抜てきした。当時、張氏の長兄、張成禹次帥(2009年死去)は、平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄の張成吉中将(06年死去)中将は、戦車軍団政治委員として活動するなど、張氏3兄弟は順調に出世した。


 しかし、張氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は70年代末とは異なり、地方には追放されなかったが、全ての職位を​​失った。2年間の公の場から姿を消した張氏は06年、党第1副部長として復帰したのに続き、07年末には党行政部長に昇進し、司法・公安機関を統括した。治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は「金総書記が張氏をけん制しながらも、右腕として使ったのは、同じ母親を持つ妹の金敬姫の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚のほか、金日成主席の側近の子孫に当たる革命第2世代を重用する傾向を見せた」と分析した。

■ナンバー2か、権力奪取か

 金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張氏には二度も警告しながらも、「金正恩氏の後見役」を任せた。対北朝鮮消息筋は「義弟である張氏の能力を知っていたため、妹の金敬姫氏とともに若い後継者を守ってほしいという意味だ」と分析した。

 しかし、張氏が金総書記の遺志を最後まで貫くかどうかは分からないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼党行政部長として、公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にある。

 張氏は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英浩総参謀長、金永春人民武力部長ら軍の実力者らにも近い。02年には経済視察団の一員として、ソウルを訪れたこともあるほか、中国にも人脈があるとされる。張氏は改革開放に積極的だとの見方もある。こうした理由から、「(張氏が)首陽大君になることにあり得る」(情報当局者)という分析も聞かれる。首陽大君は15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位に就いた。2001年まで13年間、金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は「2000年ごろ張氏の役職が組織指導部第1副部長から(平の)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことができず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」と話した。


 張氏の性格についての評価は分かれる。張氏と一緒に労働党内で働いたことある脱北者は「ユーモアのセンスに優れ、ソフトなほうだ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」と語った。しかし、ある幹部出身の脱北者は「冷たい」と証言した。張氏のライバルだった李済剛組織指導部第1副部長は昨年5月末、張氏が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡した。


【朝鮮日報】2011/12/24 15:02
北新体制:張成沢氏の側近、「社労青の4人組」とは

崔竜海・党書記…崔玄・元人民武力部長の息子、金正恩氏と共に人民軍大将に
文京徳・平壌市党責任書記…政治局の最年少候補委員、張成沢氏と共に来韓も
李英洙・党勤労団体部長…32歳で社労青のトップに、張成沢氏と共に失脚・復権を経験
池在竜・駐中北朝鮮大使…労働党員より200万人も多い社労青で成長


社労青の4人組
 北朝鮮の張成沢労働党行政部長は、1982年に朝鮮労働党青少年事業部の副部長となり、中央の舞台に登場した。現在「張成沢派」に分類される人脈の中には、80―90年代に張成沢氏が朝鮮労働党の青年事業に携わっていたころから近い関係にある顔ぶれが多い。これらの人物は昨年9月、朝鮮労働党代表者会で金正恩氏が金正日総書記の後継者に内定し公の場に登場した際、同じタイミングで一斉に躍進した。


 昨年、金正恩氏と共に人民軍大将の称号を受け、党書記・党中央軍事委員に昇格した崔竜海氏や、政治局の最年少候補委員(54)にして平壌市党責任書記を務める文京徳氏、李英洙党勤労団体部長、池在竜駐中北朝鮮大使などは、80年代に張成沢氏が管轄していた社会主義労働青年同盟(社労青)の出身だ。これらの人物は「社労青の4人組」と呼ばれる。社労青は朝鮮労働党の青年組織で、組織員数は労働党の党員(最大300万人)よりも多い500万人と推定されている。


 崔竜海書記は、崔玄元人民武力部長(1907―82)の息子で、86年に社労青中央委員長を務めた。文京徳書記はかつて社労青副委員長を務め、04年に張成沢氏が「分派助長」の嫌疑で失脚した際、ほかの社労青出身者と共に地方に左遷された。しかし、「ボス」の張成沢氏が07年に党行政部長に昇進すると、09年に行政部副部長のポストに電撃的に登用された。また、文京徳氏は02年10月、張成沢氏に随行して経済視察団の一員として韓国を訪れた際、常に張成沢氏の傍らに付き添い、指示事項を忠実に履行する姿を見せた。李英洙部長は、78年に32歳という若さで社労青のトップの座に就き、86年に崔竜海書記に委員長職を譲るまで、8年にわたり在職した。その後04年に張成沢氏が失脚した時、地方に追いやられたが、張成沢氏が復権した06年、党行政部の副部長として復帰を果たした。


 池在竜・駐中北朝鮮大使も、社労青で成長した。高官出身のある脱北者は「金養建党統一戦線部長や金永日党国際部長も、70年代に張成沢氏が党国際部で勤務していたころ、一緒に働いていた」と話した。

日本でプロレス界の大物として認められた力道山(本名:金信洛)の娘婿、朴明哲体育相は、張成沢氏の古くからの側近だ。朴明哲氏は04年、張成沢氏と共に表舞台から姿を消したが、昨年6月に体育相に起用された。朴明哲氏の父、パク・チョンホは、金日成国家主席(かつては首相)から韓国にスパイとして派遣されたが逮捕され、59年に死刑になった。こうした理由から、金日成主席は朴明哲氏を重用したという。また朴明哲氏は02年の釜山アジア大会の時、朝鮮体育指導委員長として北朝鮮選手団を率い、韓国を訪れた。北朝鮮に詳しい消息筋は「昨年9月の党代表者会より3カ月早く朴明哲氏が復帰した時、“張成沢ライン”の完全復活を予想した」と語った。朴明哲氏は、体育相への登用に先立ち、09年に国防委員会参事として復帰した。


 張成沢氏の軍部での人脈はまだ明確になっていないが、北朝鮮軍の次帥と中将を務めた2人の兄のおかげで「軍部でも、張成沢氏と親交のある人物は少なくないだろう」(対北消息筋)という分析が多い。特に張成沢氏は、08年8月に金正日総書記が脳血管疾患で倒れて以降、非常事態に陥った政局を収拾する過程で、朝鮮労働党だけでなく軍にも自分の側近を多数配置したとの見方が出ている。また、金正恩体制の「新軍部」の中心人物として浮上した李英鎬総参謀長も、張成沢氏と親しい間柄にあるという話も聞かれる。

 これに対し、白承周国防研究院安保戦略研究センター長は「軍部内に(は)、張成沢氏に反対するグループがある。張成沢氏によって排除されたと推定される李済剛組織指導部第1副部長(2010年に不審な交通事故により死亡と親しかった軍関係者らが、“反張成沢グループ”とみられる」と語った。

2011年9月4日日曜日

【金正日】 8月23・24日



ロシア ウラン・ウデ駅 北朝鮮特別列車「太陽」号 17両+4両編成