2011年5月27日金曜日

【空自松島救難隊】 国民のために飛ぶ

被災した救難隊「一緒に飛ばせてください!」

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」
2011.05.27

 震災が起きた日から、多くの被災者を救うことになったのは、空からの救助だった。

その主体となるはずだったのが、航空自衛隊松島基地に所在する松島救難隊である。 

しかし、救難ヘリUH-60Jなどが水没したため、1機たりとも飛び立つことができなかった。

 「今、すぐに向かわなければ間に合わない…」 

生存者を救出できるタイムリミットを考えると、ヘリさえあれば…。

その思いで気は焦るばかりだった。 

自分たちの愛機が目の前で流され、壁にたたきつけられたショック、自家用車も押しつぶした津波の恐怖がまだまぶたに残っている。家族の安否さえ分からないままだ。

 しかし、彼らには

「こんな時に飛べないなんて」

「今まで何のために厳しい訓練を重ねてきたんだ」という、やりきれない思いしかなかった。

 その時、他基地から救援のヘリがたどり着いた。

 「来てくれた!」 

佐々野真救難隊長は隊員を集合させた。 

「家族が被災してない者、独身者、電話がつながった者を中心にクルーを編成する!」 移動手段さえあれば、どこかの救難隊に臨時編入させることができると考えついたのだ。

隊員たちがざわめいた。

 「隊長! 私も行かせてください」 

隊長は胸が熱くなった。

意気消沈している者などいなかった。

「助けたい」という気持ちが何にも勝っていた。

 「われわれを乗せていってくれ!」 

救援物資輸送で基地に降りたCH-47(チヌーク)を引きとめた。

このヘリに便乗し、まずは、航空救難団本部がある入間基地まで運んでもらおうという算段だ。

突然の要請に司令部との調整は混乱した。

 「そんなニーズはあるのか?」と言われたが、必死の説得に、それ以上は問われなかった。 

他の救難ヘリは夜通し飛んでいるのだ。

今、細かい手続きや説明をしている余裕はない。 

半ば力ずくで80人の隊員のうち12人を向かわせた。

12人の松島救難隊員は、入間からさらに百里基地に移動し、翌朝から百里救難隊に臨時勤務する形で活動することになった。 

「よく来てくれた…」 彼らの姿を見て、百里基地では驚愕していたが、快く受け入れてくれた。

 「一緒に飛ばせてください! 燃料が続く限り」 

それから不休の救出作戦が始まった。

 一方、陸上自衛隊の航空部隊も壮絶な救出劇を繰り広げていた。

【隠れ巨乳】 小郷知子アナ(32)

05/07 17:00
NHK女子アナに大変化! 美人度重視“隠れ巨乳”も

井上あさひアナ(写真提供 産経新聞社)

 NHKの女性アナウンサーの容姿が知らず知らずのうちに、変わっているのをご存じだろうか。
 民放の30代男性アナが、こう明かす。
 「最近は民放よりも美人が多いし、化粧も派手になっている。NHKでは教養よりも美人度重視に移行しているように思えてなりません」
 確かに4月の改編あたりを機に美人が増えた。

 「ニュースウオッチ9」の大越健介キャスター(49)の隣に座って4月からニュースを読む井上あさひアナ(29)=お茶の水女子大卒=は、髪の毛を肩まで伸ばし、女優と間違えるほどの端正な顔立ち。同番組のスポーツキャスター、廣瀬智美アナ(29)=津田塾大卒=は健康美人だ。与田剛氏(野球解説者)と「サンデースポーツ」の司会を2年間担当した後、平日のゴールデンタイムに“昇格”した形だ。

 「おはよう日本」で、さわやかな笑顔を見せる鈴木奈穂子アナ(29)=法政大卒=には、アイドル的要素も。「毎日、髪の毛をアップにしておしゃれなお嬢さん風。ちょっと太目の脚も愛嬌がある」(女子アナウオッチャー)

 「NHKニュース7」も大きく変わった。月曜から金曜までは、メーンキャスターを主婦層に人気のイケメン、武田真一アナ(43)が務め、その隣ではサブキャスターを久保田祐佳アナ(28)=慶応大卒=と守本奈実アナ(30)=学習院大卒=の両美人が交代で受け持つ。久保田アナは、初任地の静岡放送局時代に入局2年目で知的バラエティー番組「解体新ショー」の司会に抜擢されたほどのホープだ。

 極めつけは、「ニュース7」の土日担当メーンキャスター、小郷知子アナ(32)=早大卒=で、「美人度は局内でもトップクラスの新・おやじキラー。トチることも少ない正統派でありながら、『YAHOO!知恵袋』で“隠れ巨乳”の指摘もある。同時間帯の視聴率を2~3%上げたのでは、とも言われている」(先の女子アナウオッチャー)。

 NHKで女性がメーンキャスターを務めるのは森田美由紀アナ(51)以来12年ぶりというから、期待の大きさがわかる。

 こうした変化のワケを芸能評論家の肥留間正明氏が解説する。

 「小じわやシミまでズバリ映してしまう地上波デジタル時代の本格的な到来と無縁ではないでしょう。抜擢された美人アナの中には、民放の美人アナと肩を並べて“地デジ大使”を務めた人物も多い。かつてNHKといえば、森田美由紀アナ(北海道大卒)や渡邊あゆみアナ(東大卒)のように国立大卒の堅実で個性的な人が多かった。今は私大が圧倒していて、基準が民放並みになりつつある」

 もっとも、美人が反感を買いそうな主婦層の視聴者が多い「あさイチ」には、「V6」井ノ原快彦(34)と、愛きょうのある有働由美子アナ(42)を配して、ワイドショー的な色彩へのチェンジに成功。冒頭の民放アナは、「これじゃ“民業圧迫”ですよ」とボヤくことしきりだ。

日本の自彊不息力が弱まっていないか?

【日経ビジネス】

日本の自彊不息力が弱まっていないか?
「自ら努め励んで休まない」ことの大切さ
宮田 秀明

 私の研究室は、普通の大学の研究室、東大の他の研究室とは違うところがある。私の研究室は独立した建物の中にあるのだ。日本海軍の外郭団体である海防義会の寄付によって、1936年(昭和11年)に船型試験水槽が建設された。長さ86mのプールのような水槽で、精密な船の実験ができる。翌1937年にその実験施設に連結して建設したのが研究棟である。昭和10年代に建設された本郷構内のたくさんの建物と統一して設計されているので、ゴシック風の趣のある建物だ。

 このゴシック風の2階建研究棟の2階に学生がいて、私は1階にいる。私はこの1200平方メートルばかりの研究室を30年以上管理運営してきた。あまりに古い施設なので、大学が面倒を見てくれるのは建物の外装くらい。このため、この広い施設の管理運営を一研究室の予算で賄うのはけっこう大変なことだ。私がたくさんの産学連携プロジェクトをずっと行っている理由の一つはここにある。民間企業から継続的に寄付を頂いてこの施設を維持することが、東大のほかの教員にはない使命になっている。

 船型試験水槽の建設を主導したのは、当時の工学部長、平賀譲教授だった。海軍から来た人で、軍艦設計で有名な方だった。当時の工学部船舶工学科は海軍と密接につながっていた。学科の成績優秀なトップ5人は、3年生の時から海軍から奨学金をもらって学び、海軍技術将校への道を選んだ。戦艦大和に至るまで、日本の軍艦技術を支えていたのは彼らだった。

 アメリカズカップのプロジェクトを行った時も、ここが中心になった。船体形状の設計は、2階でコンピューター・シミュレーションを行い、1階で実験を行う。これを3年以上繰り返した。

近年まれな、真面目な学生たち

 今はここで環境プロジェクトと小売流通業のプロジェクトを行っている。ちょうど50%ずつくらいの力の入れようだ。
 研究棟の2階の入口に、6つのデスクを向かい合わせに置いている。2010年度は、そこに4年生が6人居た。このうち3人の研究テーマが環境プロジェクトに関連していて、残りの3人が小売流通業の進化プロジェクトに関連していた。

 最近の学生は大学に居ないことが多い。パソコンとネットワークがあるので、自宅でできることが多いからだ。ところが、この4年生6人は、毎日午後からだが、仲良くそろって研究していることが多かった。夕食も6人そろって食べに行くので、まだ時間に余裕のあるころは、私が食事に誘いたくなることもあった。

 つまりこの4年生6人はそろって、近年稀に見る真面目な学生だったのである。真面目に勉強を続ける、これは人が成長するための基本だと思う。大学も、職業も、年齢も、国も問わない。真面目に勉強を続ける人が成長し、企業を支え、国を支える。
自ら努め励んで休まない

 私が松山の実家で中高時代の学生生活を送っていた時、勉強机の上に徳富健次郎(蘆花)の扇面を表装した額があった。「自彊不息」と書かれている。為書があって、楠正雄君為とある。徳富蘆花が、明治大学の弁論部員だった私の母方の祖父のために書いたものである。祖父は社会人になって横浜正金銀行に勤務したのだが、この時は学生だったのだと思う。徳富蘆花は相手が学生だったから、こんな言葉を贈ったのだろう。

 「自彊不息」とは、自ら努め励んで休まないという意味である。易経が出典のようだ。ある分野をマスターするために努力する場合も、プロジェクトの創造に挑戦し続ける場合も、このことが共通して大切だ。

 もし私が色々なプロジェクトで成果を出したとすれば、最大の秘訣は「自彊不息」をモットーにしていたからかもしれない。大きな成果を生み出すための素質とかDNAを、生まれながらに持っていたかと言うと、それは絶対に違うと思う。

 中学校に入ってから2年間は、成績が振るわなかった。ところが、中学3年になった時、英語に対してだけだが「自彊不息」を実行した。毎日4~5時間、英語の勉強をした。英会話を習い、英単語を覚え、英文法の例文を覚え、英語の小説を読んだ。こうして東大へ入学するための能力の一つを養った。

 大学院修士課程では、1年半の間に5000時間集中して研究し、ほとんど博士論文のような修士論文が完成した。5000時間は1日10時間で1年半集中するということだ。この修士論文の発表を聞いた隣の研究室の乾崇夫先生が、卒業後5年目に私を東大に誘ってくれた。修士課程で実行した1年半の「自彊不息」が、今から思えば素晴らしい人生の入口を拓いてくれたのだ。

 それ以後も同じことの連続だった。「自彊不息」は私が仕事に向かう時の習慣的な姿勢になった。アメリカズカップのプロジェクトでも同じだった。環境エネルギープロジェクトに挑戦している今も全く変わらない気持ちでいる。

国の力は、国民の“自彊不息力”の積分値

 「自彊不息」は私だけではなく、日本人の優れた特性だ。国民の「自彊不息」の姿勢の強さを積分したものが、国力の重要な部分を占めるのではないだろうか。たいへん失礼かもしれないが、低開発国が貧しい国から脱出できない理由の一つは、この力が不十分だからではないだろうか。明治時代に日本が急成長した理由の一つも「自彊不息」ではないだろうか。

 しかし、昨今この優れた特性が少し弱くなっているような気がする。ネットを使ったカンニング事件は特殊な例かもしれないが、最小の努力で成果を出そうというような「自彊不息」の気持ちとは逆の気持ちの人が増えていないだろうか。中国や韓国の人々が、学校教育や社会人になってからの教育の中で、日本人以上または日本人に近い「自彊不息」の気持ちを強めてきているとすれば、日本にとっては厳しい闘いになるだろう。
 冒頭の6人の4年生に「自彊不息」の姿を見た。人生に曲がり角を迎えた時、国の成長が曲がり角にさしかかった時、一つの有力な戦略は「自彊不息」の気持ちを強めることではないだろうか。

【東京電力】 福島第一原子力発電所長 吉田昌郎

海水注入独断継続の吉田所長はこんな人

 海水注入の継続を独断で決めた吉田昌郎所長は、東京工業大大学院で原子核工学を修めて、東電に入社以来、一貫して原子力畑を歩んできた。

 所長就任前の本店・原子力設備管理部長時代には、新潟県中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発の復旧に取り組んだ。

 4回目の赴任となる福島第一原発を知り尽くしており、細野豪志首相補佐官は「人を引っ張っていく人。事故対応に欠かせない」とそのリーダーシップを評価する。

 4月22日、福島第一原発で陣頭指揮をする吉田所長に会った、原子力委員会専門委員で独立総合研究所の青山繁晴社長も「現場の作業に細かく目配りし、上手に統率していた」と語る。

 東電関係者によると、本店などとのテレビ会議では、現場の状況を無視した指示に対し、「現場を見てから判断しろ」などと、厳しい口調で主張することが多いという。

 現場を大切にする指揮官像が浮かび上がるが、その一方で「本店の言うことを聞かない。自信家」との声もある。
(2011年5月27日07時07分 読売新聞)

東京工業大学大学院 原子核工学修士
東京電力株式会社
本店・原子力設備管理部長
福島第一原子力発電所長/福島第一原発4回目の赴任