2011年6月7日火曜日

【山口もえ夫】 尾関茂雄(36)を逮捕

 池田萌美(32)、大塚一良両容疑者(52)を無許可で高級キャバクラを営業していたとして逮捕。

 風営法違反(無許可営業)の現行犯で、

 東京都港区西麻布の飲食店「NERO」(ネロ)の経営者、池田萌美容疑者(渋谷区猿楽町)と

 近隣ビルに入る「Birth NISHIAZABU」(バース ニシアザブ)の経営者、大塚一良容疑者(港区西麻布)ら男女3人を逮捕した。

 ネロは歌舞伎俳優、市川海老蔵さん事件が起きた店と同じビルにある。

 池田萌美(32)、大塚一良両容疑者(52)は、今月許可を得ずに、池田萌美、大塚一良両容疑者の店内で接待をさせたとしている。

 池田萌美容疑者のネロは今年1月、大塚一良容疑者のバースニシアザブは3月に開店し、これまでに各約1600万円の売り上げがあった。

 それぞれホステス役として10人以上の従業員が在籍し、中にはモデルや有名大学の女子学生もいたという。

 池田萌美、大塚一良両容疑者の店とも会員制で、出入り口にカメラ付きインターフォンを設置し、来店客をチェック。客には芸能人もいたという。摘発を免れるため、客をチェックする無許可のキャバクラが増えているとみている。

【共同通信】2011年6月7日17時53分 
 山口もえ夫を逮捕!風営法違反も否認

山口もえの夫で、風営法違反容疑で逮捕された尾関容疑者  

 無許可で酒食の接待をする風俗営業をしたとして、警視庁保安課は7日、風営法違反(無許可営業)の疑いで東京都渋谷区広尾4丁目、会社社長尾関茂雄容疑者(36)を逮捕した。

 保安課によると、尾関容疑者はタレント山口もえ(33)の夫。「お金はもらっていたが、経営者ではない」と容疑を否認している。

 逮捕容疑は5月26日夜、港区西麻布2丁目の会員制飲食店「バースニシアザブ」で、風俗営業の許可を取らずに、女性従業員を客に同席させ、酒を提供するなどの接待行為をさせた疑い。

 保安課によると、同店は尾関容疑者が2004年に開店した後、知人の男(52)=同法違反容疑で逮捕=に営業権を売却。しかし、その後も尾関容疑者が店の経営を指示していたほか、毎月数百万円を店側から受け取っていたことから、保安課は実質経営者だったとみている。

【5月期PV】 5856PV

5月期 5856PV

【鳴子温泉】 3億1500万円

南三陸町民、約700人が避難する鳴子温泉の宿泊施設には国から1人1泊5千円

350万が支給されている

月 1億500万円
三ヶ月 3億1500万円 日本国民の税金

東日本大震災:当選後も仮設未入居多く 食料打ち切り不安か--宮城・南三陸

【産経】
仮設住宅当選も避難所居残り
2011.6.5 11:51

 宮城県南三陸町の被災者の多くが避難する鳴子温泉では、食べきれないほどの食事が毎日3食出る。この日は豚バラの串焼き、カツオの刺し身、グレープフルーツにキャベツのお浸し、茶碗蒸しまで付いていた=3日、宮城県大崎市(荒船清太撮影)

 東日本大震災で家に住めなくなった被災者のうち、仮設住宅の抽選に当たっても避難所に残る人がいる。仮設住宅では食事や飲用水、通院などに支障をきたすというのだ。一方、「早く仮設に入りたい」と切望する多くの落選者もいる。さまざまな住民の「住まい」への思い。板挟みにあった宮城県南三陸町は仮設住宅への入居期限に締め切りを設けるなど、対策を強化し始めた。(荒船清太)

 ■ここは3食出る

 宮城県大崎市の鳴子温泉の宿泊施設に避難している南三陸町の佐々木とし江さん(79)は、4月29日に南三陸町内の仮設住宅に当選した。

 しかし、当選後の説明会で、仮設住宅からは病院への無料送迎車が出ないことや食事の配布がないことを知り、今も鳴子温泉に残っている。

 腰と肩とひざを痛め、ふくらはぎもむくみ、歩行補助車を使って歩くのがやっと。震災前は介護ヘルパーに買い物をしてもらっていたが、今はそれもない。「足腰もろくに立たないのに3食作れというのか」と、ベッドで体の痛みに顔をゆがませた。

 知的障害を抱えた孫の賢さん(26)と2人暮らし。町には6月中の移動を促されている。頼りにしていた兄は津波で流された。

 「どう食べて、通院すればいいのか。このまま移れば、仮設で死ぬだけだ」と訴える。
 母親(74)と妻(45)、1歳から18歳の子供4人で鳴子温泉に避難している大工の男性(45)も仮設住宅に当選しながら“残留組”だ。

「いつかは避難所を出なくてはいけない」と応募したが、中学3年の次女(14)が「友達と離れたくない」と反対。さらに、仮設住宅では津波の影響で水道水の塩分が高くて飲めないと知った。移れば、給水車に頼る生活になる。男性は「ここは3食出る。当面、この施設にいたい」と希望している。

 ■入居期限を設定

 仮設住宅に当選しても移らない被災者に対し、南三陸町も対策を取らざるを得ない。町民約700人が避難する鳴子温泉の宿泊施設には国から1人1泊5千円が支給されている。仮設住宅への入居が決定している人には、支給は続けられないという理由だ。

 同町建設課によると、仮設住宅の鍵の受け渡し後も入居していない世帯は数十戸。4月22日の第1回抽選の当選者にも未入居者がいる。

 これまでは個別に説得していたが、「待っている落選者もいる」として、5月下旬から鍵を渡す際に1週間以内の入居を要請するようにした。6月中には仮設住宅を一度見回り、未入居の場合、入居を取り消して補欠当選の被災者や次の抽選に回すことも検討しているという。

 ■いつまで待てば

 一方で、多くの被災者は一日も早い仮設住宅への入居を望んでいる。
 南三陸町のホテル「南三陸ホテル観洋」に避難している主婦、菅原美穂さん(37)はいまだに仮設住宅に当選していない。

 高校1年の長女、ひなたさん(15)は周りの友人が弁当持参で登校するなか、避難所から配給されたパンを持っていく毎日。菅原さんは「水なんかなくていい。一日も早く、娘に弁当を持たせてやりたい」と話す。

 いつでも仮設住宅に移れるよう、服や生活用品は段ボールに入れたままだ。「住まいが落ち着かなければ仕事先も決められない。欲しい人に当たらず、当たった人は入らない。いつまで待てばいいのか」とため息をつく。


【毎日】
 東日本大震災:当選後も仮設未入居多く 食料打ち切り不安か--宮城・南三陸

仮設住宅の入居者らを対象に開かれた説明会=宮城県南三陸町戸倉坂本で2011年6月5日午前10時4分、村尾哲撮影

 宮城県南三陸町で、被災者が仮設住宅の抽選に当たりながら入居していないケースが多発している。入居した場合、食料の支給を打ち切られることなどへの不安が背景にあるとみられる。

 仮設住宅への当選を待望して避難所暮らしを続ける被災者も多いため、町は5日の住民説明会で、1週間後の今月12日までに入居しない場合には明け渡しを求める対策を明らかにした。

 町内の仮設住宅申込件数は2025件で、町は希望者全員を入居させる方針。ただ、5日時点の工事進捗(しんちょく)率は約50%にとどまっており、これまでに抽選に当たって鍵の引き渡しを受けたのは約450世帯という。

 一方、被災者から「入居していない部屋があるのはなぜか」などの問い合わせが相次ぎ、町がガスメーターや夜間の照明などを確認したところ、かなりの数が未入居だったことがわかった。入居率が高いとみられる場所でも6~8割という。

 背景には▽避難所から仮設住宅に移った場合、食料や物資の支給がなくなり、光熱費も自己負担になる▽働き口など生活基盤がほぼすべて流された中で自活を求められることへの不安が強い--などが挙げられる。
 西城彰・町建設課長は5日の説明会で「待機者を早く入れるべきだという声が強い」と理解を求めた。【村尾哲】
【関連記事】
東日本大震災:仮設住宅当選者入居にためらい 生活不安で
東日本大震災:越前焼で仮設住宅にぬくもり…陸前高田
東日本大震災:「集会所を」仮設住宅入居者の孤独死防止で
東日本大震災:福祉避難所閉鎖、不安抱え移動 岩手・山田
毎日新聞 2011年6月6日 東京朝刊

【山口もえの夫】 尾関茂雄

1974年11月6日  36歳

東京都出身。、専修大学法学部卒業。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程修了。

株式会社サイバーエージェント、株式会社ネットエイジに勤務した後、独立。

1999年10月、株式会社アクシブドットコム(現ECナビ)創業。
2003年に、同社を売却。
2004年1月、株式会社Zeel創業。
2004年6月、ラウンジダイニングバー西麻布Birth開店。
2005年6月、Mc2創業。
2005年11月6日、タレントの山口もえと結婚。妻との間に1男1女

【東電】 清水社長 謎の行動 /3月11日 奈良旅行

東電社長謎の夫人同伴奈良旅行 
出張の中身すら言わぬ「隠ぺい体質」
2011/6/ 7 11:49

奈良からタクシーでなぜ神戸空港を目指したのか

震災発生後の清水社長の行動は、様々な汚点を残した。

清水社長は奈良からタクシーで神戸空港を目指したと伝えられているが、このルートも不可解だ。なぜ最寄りの関西国際空港や伊丹空港から帰京せず、最も遠い神戸空港に向かったのか。

結果的に清水社長は愛知県の航空自衛隊小牧基地から輸送機で東京の東電本店に戻ろうとしたが、離陸直後に「被災地救援を優先すべきだ」との防衛省の指示で輸送機が途中で引き返したため、その日は帰京できなかったのは周知の事実。

翌12日午前に民間のヘリで東京に戻り、初期対応の悪さの一例として国会などでも問題にされた。

電力会社は原発事故など有事に備えてヘリを保有している。それなら、清水社長は関西電力のヘリで帰京することだって可能ではなかったか。

もしも、そうしていたのなら、福島第1原発のベントや海水投入など、社長判断でもっとスムーズに危機管理ができていたのではないか。

しかし、関電にヘリを要請した事実はない。そもそも、関電は当時、東電社長の関西入り自体、知らされていなかったという。

清水社長の奈良行きに限らず、東電の「隠ぺい体質」は目立つ。事故調査委員会などでの徹底した真相解明

<北京女人天下>月収75万円の23歳マッサージ師・趙暁瑞

コラム2011/06/07(火) 11:07

暗く仕切られた四畳半ほどの部屋に、清朝皇帝風の豪華な紅色ベッドが据え置かれている。その上に、ゴロンと寝転ぶ「肉塊」。そう、暁瑞にとっては、相手はどれも、大きな「肉塊」でしかない。

一時間から一時間半ほど、まるで粘土を捏ねるように、暁瑞は巧みに「肉塊」を捏ね上げていく。脚の爪先から始めて、踝、膝、腿、腰、背、肩、腕、首、頭へと上がっていく。暁瑞にとっては、まさに琴でも奏でている感覚である。

その間、多くの「肉塊」は鼾をかき、極楽浄土の上を彷徨っている。最後は、肩を揺するように揉んで、「完了!」(終わりました)と掛け声をかける。一丁上がりだ。

暁瑞は、このチェーン店が抱える約1万5000人のマッサージ師の中で、わずか3人だけに与えられた「超特級」の称号の持ち主である。

大方のマッサージ師は、一日に3~4人の相手をするが、暁瑞の場合、10人を下ることはない。午前11時から深夜2時まで、指名の予約がビッシリ入っていて、休む間もなく「肉塊との格闘」が続く。

マッサージの料金は、暁瑞を指名すれば、1時間あたり500元(約6300円)である。うち半額が、暁瑞の取り分だ。このためひと月の収入は、6万元(約75万円)を下らない。平均的北京市民の約2年分の年収に匹敵する額だ。

このマッサージ・チェーン店「優子」は、中国北部を中心に、中国最大の約1000店舗を展開している。

マッサージ師や従業員の大半が、河南省出身者というのが特徴だ。それは、オーナーが河南省出身だからで、多くの中国人の特性として、同郷の者しか信用しないからである。

鄭州郊外の一工員から叩き上げ、わずか15年で、中国北部の各都市に、巨大なマッサージ店網を築き上げた。「優子」という店名は、オーナーがかつて恋をしていた日本人女性の名前から取った。実らぬ恋ではあったが、いまや中国北部では、日本人女性の代名詞となっている。

この会社の本社は鄭州にあるが、本店は約10年前に北京に移した。「北三環」(第三環状線北路)と「北四環」(第四環状線北路)の間、かつてモンゴル人が元代に築いた城壁跡のすぐ隣に、3階建ての「宮殿風店舗」が鎮座する。

1階は北京地区の全支店を統括するオフィスとレストランになっており、2階は「2級」と「1級」のマッサージ師200人ほどが、客にマッサージを行う。3階は、高級なカフェバーとサウナ、浴室、マッサージ室から成っていて、ここに控えるのは「特級」のマッサージ師10人と、「超特級」の3人である。その最上階の一番奥、「皇帝の寝所」と名付けられた一室が、暁瑞の「仕事場」というわけだ。

趙暁瑞は、1988年に、河南省洛陽郊外の貧民地区の長屋で生まれた。父親は、暁瑞が知る限り、目まぐるしく職業を変えていた。近くの小学校の警備員をしていたかと思えば、旅館の宴会場の給仕をやっていたりする。印刷所に出入りし、海賊版の本を売っていた時期もあったし、明らかに盗品と思える中古自転車を転売していた時期もある。だが万事飽きっぽく、怠け者の性格のため、いつまで経っても一家が貧民地区を抜け出すことはなかった。

母親の職業も、長らく不明だった。午前中はたいてい寝ていて、午後の遅い時間や夜になると、派手な口紅をつけて、どこかへ出掛けていった。父親とは、家庭内別居のような状態が永く続き、顔を見合わせては罵り合っていた。暁瑞は母親と一緒に寝ていたが、たいていは放っぽらかしにされた。そんな母親は、暁瑞が小学校を卒業する直前に姿を消し、二度と帰ってこなかった。人民解放軍の軍人と駆け落ちしたという噂が長屋内に広まったが、真相は杳として知れない。

暁瑞はそんな母親とは気が合わなかったが、父親とはもっと合わなかった。母親が使っていた狭い部屋をそのまま使い、中学を卒業すると、村で唯一つの大通りに面した、床屋の掃除婦となった。日給は一日1元(約12.5円)だった。

 なぜ床屋に「就職」したかと言えば、近所で一番、輝いて見えたからである。昼間は普通の床屋だったが、日が暮れると、原色のネオンを灯し、鄙びた通りに一片のアクセントを添えていた。

 この店の「営業内容」は、掃除婦になって初めて知った。暁瑞は朝9時の開店前に床屋へ行き、日中は、店員が切り落とした髪を掃き、その合い間に、裏手でタオル類の洗濯と整理を行う。夕刻になって客がいなければ、1元の駄賃をもらって帰る。

 暁瑞と入れ違うように、夕刻になると「マッサージ師」と呼ばれる若い女性たちが、ドヤドヤと入店してくる。彼女たちは派手な口紅を付け、肌を露出させたケバケバしい服装をしていて、店で暁瑞と挨拶を交わすことはなかった。

 暁瑞は、中学生の時から、深刻な容姿コンプレックスを持っていた。貌から足元に至るまで、自分のすべてが醜いと感じていた。貌は浅黒く、サルのようだった。骨格はごっつくて豚のようだし、脚は凹脚で、熊の肢のように太かった。

 だから夕方になると、華やかな女性たちに引け目を感じて、そそくさと帰っていた。だが、勤め出して半年ほど経った頃、腹の出た店長が、「深夜まで勤務すれば一日2元やるぞ」というので、夜まで延長して掃除係をやることにした。

 夜の仕事場は、1階ではなく2階だった。

 客は1階の床屋椅子に座り、5~6人いる女性の中から、お気に入りのコを指名する。そして、手を繋いでいそいそと2階へ上がっていく。2階は仕切られた狭い個室が4部屋あって、それぞれの部屋の中には、汚らしいベッドが一台置いてあるだけだ。2階の「喘ぎ声」が止んで、客と「マッサージ師」が降りてくると、暁瑞は2階へ上がり、部屋を片付ける。その繰り返しだった。

 2階の部屋はオンボロだったため、ドアにカギさえ付いていなかった。そのため、何度か部屋の中を盗み見してしまったことがある。女が寝台に仰臥し、男たちは恍惚の表情で身体を揺すっていた。暁瑞は自分の容姿にとんと自信がなかったので、あそこまで男体を酔わせる「マッサージ師」が羨ましく思えた。

 暁瑞が18歳になった年に、洛陽にマッサージ師の養成学校ができたという話を聞いて、居ても立ってもいられなくなった。ある時、初めて休みをもらって、バスを乗り継いで洛陽まで出掛けていった。かつて13の王朝の都だったというだけあって、洛陽の街は雄大だった。そこここに咲き誇る牡丹の花も美しく、夢を見ているようだった。

「優子マッサージ研修センター」という看板をようやく見つけ、中へ入って行くと、受付の女性が、懇切丁寧に説明してくれた。研修は半年コースであること、研修費は他の専門学校よりかなり割安なこと、優秀な卒業生は北京の直営店で就職できることなどである。これまで3年間コツコツと貯めた金をはたけば、学費はギリギリ何とかなった。そこで暁瑞は早速、来月からの研修を申し込んだ。家へ戻る途中で床屋へ寄り、中年太りの店長に、暇を告げた。

 半年間の研修は、いま思い出しても、まるで軍隊に入隊したかのような辛い日々だった。日課は、朝9時から腕立て伏せ100回、続いて指立て伏せ100回。その後、サンドバッグを使って、ひたすら揉む練習を、一時間半行う。

 午後は人体のツボの暗記。人骨模型を前にして、頭から爪先まで、通天、天柱、大椎、大木予、附分、肺兪、心兪、肝兪、脾兪、腎兪、上骨寥、秩辺、会陽、承扶、委陽、委中、合陽、承筋、承山、飛揚、崑崙、人ト参、申脈、至陰……と、覚えていく。人体とは、ツボの集積なのだ。その後、講師の男性を客に見立てたマッサージの実践を、2時間以上にわたって行う。

 毎日が、この単調なコースの繰り返しだった。100人以上いた「同期生」は、一週間で半分以下に減った。1カ月経つと20人以下になり、前の月のグループと合併された。

 研修期間中、暁瑞は毎晩深夜バスの席に腰掛け、饅頭のように膨れ上がった両手を眺めては、一人悦に入った。講師の男性たちは、研修生たちを汚い言葉で罵ったが、暁瑞は誉められこそすれ、一度も叱られたことがなかった。自分は確かに、他人よりはこの分野で才能があるようだった。何よりマッサージをしていると、自分の肉体コンプレックスを忘れられるのが嬉しかった。

 半年間の研修が終わった時、暁瑞は最優秀賞を授与された。学費は返納され、北京の本店での勤務を命じられた。

「優子」の社員やマッサージ師など20名ほどで連れ立って、北京西駅に降り立った。北京西駅は、洛陽駅よりも数倍大きく、目が眩むほどだった。そのままバスに揺られて巨大な首都を北上し、「優子本店」に辿り着いた。

 暁瑞は、「158番」という番号札を渡され、それが店での呼び名になった。店の裏手の寮は8人部屋で、二段ベッドが4つ詰め込まれただけの狭い部屋だった。

 毎朝10時半過ぎに店に行き、「2級マッサージ師」の制服に着替え、「158番」の名札を付けて、控え室で待つ。フロア・マネージャーに「158番!」と呼ばれると、1時間ほど客にマッサージを施し、終わるとまた、控え室に戻る。その繰り返しで、深夜1時になって客がいなければ、寮に帰ってよい。休日は月に二日間だけだった。

 入って3カ月もすると、自分への指名が付き始めた。半年後には、「1級マッサージ師」に昇格された。さらに一年後には、「特級マッサージ師」に格上げになり、3階へ異動した。まさに、同僚たちが羨む異例のスピード出世だった。

 だが暁瑞は、別に特別なことをしているつもりはなく、「自分流」は最初だけだった。まず客をうつ伏せにして、脚の爪先から頭のてっぺんまで、両の掌を広げて静かに触ってみるのだ。それだけで、客の身体が、暁瑞の10本の指に鋭敏に「訴えかけ」を行ってくる。そこでその「声」に誠実に、1時間かけて揉んでいくだけのことだった。客から身体の具合を聞かれれば、ありのままに話したし、特に緊急を要する客に対しては、「一刻も早く胃の精密検査をしてください」などと忠言をした。

 特級マッサージ師になると、給料が倍増するだけでなく、制服も高級になり、寮では個室が与えられ、控え室も見違えるように清潔だった。社員食堂での食事も「残飯」ではなく、一般客が注文するものを自由に注文して構わなかった。

 2階から3階に異動して、一番ホッとしたのは、煩わしい人間関係が減ったことだった。内向的な性格の暁瑞は、2階の控え室の大部屋にいる時が、一番居心地が悪かった。皆、河南省の同郷者なので、通常の中国の「職場」より和気藹々としているのだが、暁瑞は一年経っても、一人の友達もできなかった。寮の8人部屋でも、7対1という状態だったし、2週に一度の休日には、独りでブラブラと北京の街を歩くだけだった。言ってみれば暁瑞にとって、客にマッサージを施している刹那だけが、存分に自己表現できる「聖域」だったのだ。

 3階に来て、初めて友達ができた。

 それは、50歳になるオカマの「三助」だった。彼は、男性の大浴場が「仕事場」で、客の垢を擦っては、一人当たり15元(約190円)の報酬を得ていた。店内では誰もがこの男をバカにしていたが、暁瑞は不思議と気が合った。この男はある時、毎日垢擦りをしながら、さりげなく男性客の急所を触っては興奮していると、暁瑞に告白した。暁瑞は、自分は男の身体を揉んでも興奮はしないが、幸福な気分になると返した。雲南省の少数民族の出身というこの男は、帰京した春節明けに、暁瑞にルビーのネックレスをプレゼントした。それは、暁瑞が生まれて初めて人からもらった贈り物だった。

「優子」へ入って、瞬く間に3年が過ぎた。暁瑞の人気は高まる一方で、毎月の指名の数でトップに立ったこの春、全店を通じて3人目の「超特級マッサージ師」に昇格した。他の二人は開店以来、10数年勤めているベテランで、わすか3年での「超特級」昇格は前代未聞だった。だが規定に従い、指名数トップの暁瑞に、一番奥の「皇帝の寝所」があてがわれた。

「皇帝の寝所」でマッサージを受けるのは、北京の富裕層や、香港、台湾から出張で来た経営者などだ。そんな上客たちから暁瑞は何度か、給料に糸目はつけないから、自分専用のマッサージ師になってほしいと頼まれたことがある。そのたびに逡巡したが、結局は未だに「優子」に身を置いている。

 他の同僚たちは、寄ると男の話をしているが、暁瑞は彼氏が欲しいと思ったこともない。この薄暗い「皇帝の寝所」があれば十分だ。

 人間の身体は、十人十色どころか、千人千色だとつくづく思う。新しい身体に触れるたびに、新たな発見がある。相手がどんな金持ちだろうが、地位のある人間だろうが、この1時間だけは自分が独占し、自由自在に揉みほぐし、開発し、昇天させる。これに勝る快楽があるだろうか?
(執筆者:近藤大介・前明治大学講師(東アジア共同体論)、北京在住)

【NATO】 リビア攻撃 6月06日付

06 Jun. 2011

NATO strike pro-Qadhafi intelligence headquarters in TripoliEarly on 6 June 2011

NATO aircraft struck a command and control target in Tripoli,

specifically a key Qadhafi regime intelligence headquarters building. In a coordinated deliberate strike on the Qadhafi national intelligence centre,

NATO aircraft delivered precision-guided weapons as part of a campaign which continues to degrade Qadhafi’s ability to commit crimes on his own people.

The combined air operation was achieved by NATO aircraft working together in the skies above Libya to complete the mission.

Every day fast jets deliver precision-guided weapons on selected targets and each mission is a culmination of extensive planning.

Other aircraft on this mission included a NATO air-to-air refueling platform,

which delivered aviation fuel to the jets both before and after the mission and a NATO E3A Airborne Warning and Control System aircraft provided control for the aircraft above Tripoli. Prior to the mission,

NATO intelligence, Surveillance and Reconnaissance aircraft were collecting information activity across Libya,

whilst other aircraft provided suppression of enemy air defences to protect NATO asset.

“As long as Qadhafi continues to threaten civilians,

NATO will maintain the pressure upon his regime and will continue to degrade his ability to attack the population of Libya,” said Lieutenant-General Charles Bouchard, Commander of Operation Unified Protector.

NATO’s Operation Unified Protector is being conducted under United Nations Security Council Resolution 1973. This mandate authorizes NATO to use all necessary measures to protect the civilian population of Libya.


2011年6月6日

トリポリのNATOストプロカダフィインテリジェンス本社 初期の段階では

2011年6月6日、NATOの航空機は、特にトリポリのコマンドと制御対象を、キーカダフィ政権インテリジェンス本社ビル打った。

カダフィ国家情報センターの調整故意のストライキでは、NATOの航空機は彼自身の人々の犯罪を犯すカダフィの能力を低下し続けてキャンペーンの一環として、精密誘導兵器を伝えた。

複合空気操作はNATOの航空機は、ミッションを完了するには、リビア上空で一緒に働くことによって達成された。

毎日高速ジェットは、選択したターゲット上で精密誘導兵器を提供する各ミッションは、広範な計画の集大成です。

このミッションの他の航空機が前後と使命とNATO E3A空中警戒管制システムの航空機がトリポリ上記の航空機の制御を提供した後機に航空燃料を配信プラットフォームを、給油NATOの空対空が含まれています。

前のミッションは、NATOインテリジェンス、監視および偵察機はリビア間での情報活動を収集していたし、一方、他の航空機は、NATOの資産を保護するために、敵の防空の抑制を提供する。

"としてカダフィは、民間人を脅かし続けて、NATOは、彼の政権に圧力を維持するリビアの人口を攻撃する彼の能力が低下していきます限り、"中尉総長チャールズバウチャードは、操作ユニファイドプロテクターの司令官と述べた。

NATOの操作ユニファイドProtectorは、国連安全保障理事会決議1973の下で実施されています。この任務は、リビアの民間人を保護するために必要なすべての措置を使用してNATOが承認します。

三菱自、バングラでSUV生産

 バングラデシュ 面積(日本国の4割)

 首都 ダッカ 
 人口 1億4,660万人(2009年7月、暫定値 バングラデシュ統計局)
 宗教 イスラム教徒89.7%、ヒンズー教徒9.2%、


【日経】2011年6月07日
三菱自、バングラでSUV生産

 三菱自動車はバングラデシュでの事業を拡充する。

 現地の提携先の国営企業が今夏にも多目的スポーツ車(SUV)「パジェロスポーツ」を現地生産する。セダンの生産も検討する。

 同国の新車市場はまだ小さいが、人口は1億5000万人を超え、将来は有望市場。早期に自社ブランド車の現地生産体制を整える。