2011年10月30日日曜日

【政論】「自衛官の倅」と言うならば

【産経】2011.10.30 22:44
【政論】「自衛官の倅」と言うならば

 「自衛官の倅(せがれ)として生まれ育った。有事に備えて厳しい訓練に明け暮れている隊員の姿をたくさん見てきた。自衛隊をこの国の誇りだと思ってきた…」

 16日に航空自衛隊百里基地(茨城県小美玉市)で行われた航空観閲式で、野田佳彦首相は用意した原稿に目を落とすことなく自衛官に切々とこう語りかけた。

 おそらくこの言葉に感銘を受けなかった自衛官はいないだろう。首相は著書でも「自衛官の倅」であることを誇らしげに強調しており親近感を覚えた自衛官も少なくないはずだ。

 実は記者も「自衛官の倅」の一人である。父は仕事について多くを語らなかったが、鍛えられたその肉体から日々の訓練の過酷さを悟った。早朝に家を出て終電で帰る日々。米国への長期出張も多かったため、ほとんど顔を合わせない時期もあった。

 転勤も多く、駐屯地に近い官舎は掘っ立て小屋のように粗末なところもあった。決して恵まれた環境とは言えず、自衛隊への世間の偏見も根強かったが、家族があまり文句を言わないのは「国を守る」という父親の職務に誇りを感じていたからだ。多くの自衛官の家族も同様だろう。

首相も私と同じ思いで父親を見つめてきたのではないか。首相の「国の守り」への思いに期待したいのだが、実は最近になって「首相は本当に自衛隊を尊重しているのか」と疑問を感じ始めた。南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊施設部隊派遣である。

 首相は11月1日、派遣を決定し、年明けにも部隊派遣する方針だが、現地の治安情勢にどれほど関心を払っているのか。

 ロイター通信などによると南スーダンでは29日も北部マヨムで反政府武装組織が町を襲撃、政府軍と交戦し、武装組織60人、市民ら15人が死亡したという。まだ内戦は続いているのだ。

 自衛隊の活動拠点となる首都ジュバについて政府は「平穏だ」(石田勝之内閣府副大臣)と強調するが、あくまでジュバ周辺だけの話。陸路をとらざるを得ない自衛隊部隊が内陸地のジュバにたどり着くことは容易ではない。

 にもかかわらず部隊の武器使用基準は緩和されず、緊急避難や正当防衛の場合に限られる。一緒にいる他国部隊が襲撃されても、住民がゲリラなどに襲撃される場面に遭遇しても救援のための武器使用は認められない。いざ事が起きれば、現地司令官は処分覚悟で「超法規措置」を迫られることになる。

自民党が武器使用権限を拡充する法案を提出するなど与野党の垣根を越えた基準緩和の動きがないわけではないが、肝心の首相は「派遣ありき」で基準緩和に消極的だとされる。

 ある幹部自衛官はこう漏らした。

 「これまでのPKOでは指揮官の知恵と判断で何とか危機を回避してきたのだが、政治は現場の実態を知ろうとしない。不謹慎だが、誰かが犠牲にならないと分からないのか…」

 もう一つ気になったことがある。防衛省で15日に営まれた自衛隊殉職隊員追悼式のことだった。

 一川保夫防衛相は「ご遺族にはできる限りのお力添えをさせていただく」と述べたが、これは最高指揮官である首相が言うべき台詞(せりふ)ではないのか。

 首相は、自衛隊員が入隊時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務を完遂する」と宣誓することをご存じのはずだ。南スーダンに派遣される隊員も「万が一」を覚悟し、家族の将来を案じている。首相が「自衛官の倅」を自負するならば、米国の顔色をうかがうよりも先に隊員の安否を気遣い、法整備などで万全を尽くすべきではないか。そうでなければ「正心誠意」のスローガンは使うべきではない。(峯匡孝)

【小松島市】 広域防災訓練

【朝日】2011年10月30日
 西日本9府県が津波訓練 沖合の補給艦で治療も

 30日、徳島県小松島市で南海地震による津波被害を想定した広域防災訓練があった。

 津波で海に流された負傷者を救助し、3キロ沖合で待機する病院船に見立てた補給艦おうみ(基準排水1万3500トン)の艦上で治療する訓練もあった。7府県が加わる関西広域連合も参加した。

 訓練は、1995年から近畿2府4県と福井、三重、徳島の計9府県が毎年実施。

今回は、和歌山県潮岬沖でマグニチュード8.6の南海地震が発生し、6メートルの津波が襲ったとの想定で行われた。自治体の訓練では初めて、手術室や集中治療室を備えた海上自衛隊の補給艦おうみが病院船として参加した。

 船上では、ヘリで海上から救助した負傷者役の潜水士3人が運ばれ、医療チームが治療にあたった。東日本大震災の被災地にも派遣された和歌山県の医師(39)は「被災地では日頃の訓練以上のことは出来ないと実感した。リアルな訓練を重ねたい」と話した。

【チベット自治区】 10人目の自殺。政府施設を爆破

 焼身自殺10件5人死亡 爆破1件


2011年

 3月16日      アバ県 キルティ僧院僧侶プンツォが抗議の焼身自殺

8月29日

四川省ンガバ・チベット族チャン族自治州ンガバ県マルカムの人民中級法院
3月16日に焼身自殺を計ったキルティ僧院僧侶プンツォを僧院に11時間隠し、緊急治療を妨害し、彼を死に至らしめたとして同じキルティ僧院の僧侶ロブサン・ツンドゥ(46)に「故意殺人罪」で11年の懲役刑、2年の政治的権利剥奪を言い渡した。仲間の僧侶3人に殺人罪

9月26日午前 アバ・チベット族チャン族自治州 キルティ寺院チベット僧2人(18)(19)が焼身自殺を図る


10月15日(土)昼 8人目 四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県中心部の市場、元僧侶の青年が「チベットに自由を」などと叫んで焼身自殺を図った。


   17日(月)9人目 アバ県 尼僧が焼身自殺

   25日正午 10人目 カンゼ県 チベット仏教寺院の僧侶(38)が焼身自殺
   26日早朝 政府の施設で爆発


【朝日】2011年10月29日
 チベット自治区の役所で爆発 米ラジオ局報道

 米放送局ラジオ・フリー・アジアなどによると、中国チベット自治区東部の昌都県嘎瑪郷の郷政府の建物で26日、爆発が起きた。壁には「チベット独立」などと書かれ、現場にはチベットの自由を求めるチラシがまかれていたという。

 3月以降、チベット族による抗議の焼身自殺が相次いでいるが、爆破事件は初めて。けが人は出ていない模様だ。

 インド・ダラムサラの亡命政府筋は同局に対し、地元当局は同郷に通じる道を封鎖し、現場から車で1時間半余りの場所にあるチベット仏教僧院に治安部隊を送り込んだと話した。



英BBC放送(中国語電子版)

10月26日(水)早朝、中国チベット自治区チャムド地区の地方政府施設で爆発があったと伝えた。死者やけが人は出ていないという。

 政府施設の壁に「チベット独立」と書かれていたことなどから、チベット族関係者による犯行の疑いが持たれているが、容疑者は不明という。当局はチベット仏教寺院の僧侶らへの警戒を強めている。

 同地区では2009年1月、地方政府庁舎で爆発があった。


【産経】2011.10.25 22:55
 チベット僧が焼身自殺図る 中国四川省

 亡命チベット人向けのラジオ局「チベットの声」(本部オスロ)によると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県で25日、チベット仏教寺院の僧侶(38)が宗教の自由などを求め焼身自殺を図った。僧侶は病院で治療を受けた後、寺院に運ばれたが、容体は不明。警官隊が出動し、寺院側に僧侶の引き渡しを求めている。

 僧侶は25日正午ごろ、儀式の最中に自身にガソリンをかけ火を付けた。チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世の帰還などを求めていた。同自治州に隣接する四川省アバ・チベット族チャン族自治州では、僧侶の自殺が相次いでいる。(共同)


20歳のチベット人尼僧が抗議の焼身自殺、中国
2011年10月18日 17:51 発信地:北京/中国

【10月18日 AFP】中国四川省アバ県で、チベット仏教の尼僧が中国政府の抑圧に抗議して焼身自殺した。人権団体「フリー・チベット(Free Tibet)」が18日、明らかにした。

 AFPが接触した地元住民は、20歳の尼僧が17日、自らの体に火をつけて焼死したと聞いたと話した。「フリー・チベット」によると、この尼僧はチベットでの信仰の自由と、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの帰還を訴えて焼身自殺したという。

 アバ県ではことし3月、当局の抑圧に抗議して、若い僧侶が僧院で焼身自殺した。3月以降アバ県で焼身自殺した僧侶はこれで9人目だが、尼僧は初めて。3月以降、チベット人の間では抗議の機運が高まっており、当局の取り締まりも厳しさを増している。

 ロンドンに本部のある「フリー・チベット」は、さらに多くのチベット人が「宗教弾圧」に抗議するため、進んで命を投げうつ覚悟を固めているとみている。また、地元住民たちが、19日に一斉行動を呼びかける書簡が配布されているとの報道もある。

 尼僧の自殺の前日には、四川省の別の地域で、チベット人の抗議デモに治安部隊が発砲し、チベット人2人が負傷したという。四川省には多くのチベット人が住んでいる。

 アバ県の行政当局者は、AFPの電話取材に対し、焼身自殺の件は何も聞いていないと話し、ある警察官は、この件についてコメントする立場にないと語った。

 一方、地元ホテルに勤務する女性は、尼僧が焼身自殺したことは聞いたと話したが、これ以上の詳細については語らなかった。

国分良成

慶應大学教授、政治学略歴

氏名
 国分 良成(こくぶん りょうせい)

 1953年11月1日 東京生まれ

現職
 慶應義塾大学東アジア研究所所長兼同大学法学部教授(法学博士)

専門
 現代中国政治・外交、東アジア国際関係

学歴
年 学歴
1976(昭和51)年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
1981(昭和56)年 慶應義塾大学大学院政治学専攻博士課程修了

職歴
年 職歴
1981(昭和56)年 慶應義塾大学法学部専任講師
1985(昭和60)年  慶應義塾大学法学部助教授
1992(平成4) 年 慶應義塾大学法学部教授(現在に至る)
1999(平成11)年 慶應義塾大学地域研究センター所長
2003(平成15)年 慶應義塾大学東アジア研究所所長(現在に至る)

留学
年 留学
1982(昭和57)年 ハーバード大学フェアバンクセンター客員研究員
1983(昭和58)年 ミシガン大学中国研究センター客員研究員
1987(昭和62)年 中国・復旦大学国際政治学部客員研究員
1997(平成9)年 北京大学政治学・行政管理学部客員研究員
1998(平成10)年 台湾大学法学院客員研究員

学界・社会活動
 財団法人日本国際政治学会副理事長
 財団法人アジア政経学会常務理事(研究担当)
 日本比較政治学会理事、日本現代中国学会理事
 『中央日報』(韓国)海外コラムニスト
 The China Quarterly編集委員、The Journal of East Asian Studies編集委員

主要編著書
<主要著書>
 『現代中国の政治と官僚制』 慶應義塾大学出版会 2004年(2004年度サントリー学芸賞)
 『中華人民共和国』 ちくま新書 1999年
 『アジア時代の検証 中国の視点から』 朝日選書 1996年(1997年度アジア・太平洋賞特別賞)
 『中国政治と民主化-改革・開放政策の実証分析』 サイマル出版会 1992年

<主要編著>
 『中国政治と東アジア』 慶應義塾大学出版会 2004年
 『中国文化大革命再論』 慶應義塾大学出版会 2003年
 『グローバル化時代の中国』 日本国際問題研究所 2002年
 『日本・アメリカ・中国-協調へのシナリオ』 TBSブリタニカ 1997年
 『原典中国現代史』第1巻<政治・上> 岩波書店 1994年
 The Rise of China and a Changing East Asian Order(eds.), Japan Center for International Exchange(JCIE), 2004.

【防衛大学校】 新学校長に国分良成を内定

 〇_五百旗頭 真(67)
 2006年8月01-2012年3月31日 5年8ヶ月


 防衛大学校学長
1 槇智雄  1952.8.19 - 1965.1.16  元・慶應義塾大学教授 ●
2 大森寛  1965.1.16 - 1970.7.1   陸上幕僚長(陸将)
3 猪木正道 1970.7.16 - 1978.7.15  元・京都大学法学部教授
4 土田國保 1978.9.29 - 1987.3.24  元・警視総監
5 夏目晴雄 1987.3.24 - 1993.9.30  元・防衛事務次官
6 松本三郎 1993.10.1 - 2000.3.31  元・慶應義塾大学教授 ●
7 西原正  2000.4.1 - 2006.3.31   防衛大学校教授から昇任
- 馬場順昭 2006.4.1 - 2006.7.31   本務・防衛大学校副校長(教育担当) 事務代理
8 五百旗頭真 2006.8.1 -2012,3.31  元・神戸大学大学院教授
9 国分良成 2012.4.01-       元・慶應義塾大学教授 ●


【共同】2011/10/30 02:02
 防大校長に国分慶大教授 来春、五百旗頭氏退任へ

 政府は29日、来年3月に退任する五百旗頭真学校長(67)の後任に、慶応大法学部の国分良成教授(現代中国政治・外交 57歳)を起用する人事を内定した。

 国分氏は中国を中心に東アジアの政治・外交に精通する論客として知られ、日中両政府の合意で設立された「新日中友好21世紀委員会」の日本側委員や日本国際政治学会理事長を務めた。

 政府は軍備増強を進めて存在感を増す中国の専門知識も起用の判断にしたとみられる。

 五百旗頭氏は2006年8月に就任。09年3月末に65歳の定年を迎えたが、1年ずつ3回までの勤務延長を続けていた。