2011年7月20日水曜日

「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹

「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く
2011年5月15日12時3分

放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影

4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影
 震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
 岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。
 翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。
 コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。
 3月11日午後2時46分。
 瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」
 家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」
 体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。
 親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」

市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。
 「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
 29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
 「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。
 2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。
 身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。
 最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。
 「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」
 参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。
 将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」
 コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)


「負けないで」岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
2011年5月20日22時40分

【動画】岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
「負けないで」を吹き終え、会場の拍手に涙する佐々木瑠璃さん=20日午後8時31分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
トランペットを持ちながら、会場にいる家族を紹介する佐々木瑠璃さん。左はコンサート進行役の加藤タキさん=20日午後8時12分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
 東日本大震災から1カ月後、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってトランペットを吹いていた少女がいた。震災から70日たった20日、少女は東京オペラシティの舞台に立った。聴衆約1500人に披露したのは、あの時、天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
 被災地で演奏する姿が朝日新聞(東京本社発行)に掲載された縁で招待された慈善コンサート「故郷(ふるさと)」。被災地出身のプロの音楽家らが企画した。
 制服姿で舞台に立った岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さん(17)は「負けないで」の後に「威風堂々」、そしてアンコールの「故郷」を吹いた。
 父の隆道(たかみち)さん(48)、弟の証道(しょうどう)さん(15)も見守った舞台。「故郷」では演奏に聴衆の合唱が加わり、被災地や天国へ届ける歌が会場を包み込んだ。

「秋以降もやるつもりか」に首相、険しい表情

読売新聞 - 07月19日 21:08)

衆議院・予算委員会7月19日
「2011年度・第2次補正予算案」の基本的質疑

自民党は東日本大震災の復旧・復興策が遅れているとして、菅首相らを厳しく追及した。 政府側には対策の遅れや、調整不足を認める場面が相次ぎ、本格的な復興策を盛り込む第3次補正予算案の編成に向け、政府の態勢立て直しが急務となっていることが浮き彫りとなった。

 「『復興プラン』などと言う前に、当然やるべき当たり前の作業が遅れている」
 自民党の茂木敏充氏は、政府の震災対応の現状を強い口調で非難した。

 茂木氏がまず指摘したのは、5月に成立した第1次補正予算に盛り込まれながら、予算の執行が進んでいない事業の存在だ。

茂木氏によると、1次補正にはがれき処理に3500億円超、壊れた公立学校施設の補修費に950億円超が計上されたが、すでに被災自治体に予算が付けられたのは、がれき処理費が208億円、補修費が9億7000万円にとどまっているという。

 さらに茂木氏は、がれき処理では16市町村からの要望に対し、11件が差し戻されていたことを指摘し、「請求の乱発を防ぐための意図的な措置ではないか」とただした。

政府は、枝野官房長官が「事務処理の扱いとして適切ではない」と陳謝したほか、首相も「執行が進むように強く指示したい」と答弁するなど、対応の遅れを認めざるを得なかった。

 政府内の調整不足は、被災地のがれき置き場などで大量発生しているハエや蚊などの害虫駆除で露呈した。

 5月24日に松本環境相(当時)は、害虫駆除対策を、災害廃棄物処理事業の補助対象にする意向を示したが、茂木氏は「3日後に(補助事業の)対象外とも取れる課長通達が出されていた」と、江田環境相を追及。江田氏は「就任したばかりで事情はつまびらかでない」と答弁に窮し、善処を約束した。

 さらに、茂木氏は、河川・道路・下水道、全半壊した学校や病院などの復旧を列挙し、「なぜ2次補正に計上しないのか」と迫った。

首相は「本格復興は3次補正での対応になる」と答えたが、「あなたから3次補正の話は聞きたくない。秋以降も首相をやるつもりか」と切り返され、険しい表情を浮かべた。