2011年8月1日月曜日

【金浦空港】 日本国国会議員が座り込み抗議

金浦空港

韓国入国が拒否

3人が「私生活を侵害された」として日本行き飛行機への搭乗を拒否

金浦空港で‘座り込み’

新藤義孝衆院議員、稲田朋美衆院議員、佐藤正久参院議員

1日午前11時10分、到着

3人は入国手続きを踏もうとしたが、法務部出入国事務所の関係者らが来る前に送還待機室に案内され、入国禁止の通報を受けた。

金浦空港に設置された臨時再待機室で日本への強制送還を拒否

午後4時25分の全日本空輸NH1164便、
午後7時35分の日本航空JL94便



ハン・ヒョグン仁川空港出入国管理事務所長は「入国禁止された人は議員3人。 残りの補佐官や記者は対象でない。 したがって議員がいる臨時再審待機質には入れない」と話した。

議員は空港ですぐに日本行き飛行機に送り、日本補佐官と記者らはひとまず入国手続きを踏んだ後、また出国手続きを踏んでこそ日本へ帰ることができる

日本拓殖大学の下條正男教授
31日午後9時30分、仁川空港を通じて密かに入ろうとしたが、入国審査で摘発され、1日午前1時40分に日本に戻った。

ライト兄弟の復元複葉機が墜落、愛好家の米パイロット2人死亡

 ライト兄弟が開発した「ライトBフライヤー」(複葉機)の復元機が試験飛行中に墜落し、70代と60代のテストパイロット2人が死亡した


事故機は墜落前に不規則なエンジン音を立てながら超低空飛行しているのが目撃されている。同機は現代のエンジンや機器類を搭載しており、今年6月に初の試験飛行をしていた。

 オハイオ州デートンで自転車店を経営していたライト兄弟は1903年12月、米ノースカロライナ州の砂丘で複葉機「フライヤー」で人類初の有人動力飛行に成功。約7年後には「ライトBフライヤー」を開発して量産した。


 7月30日

ライト兄弟が開発した「ライトBフライヤー」の復元機が墜落

米中西部オハイオ州スプリングフィールド近郊

ライト兄弟が開発した「ライトBフライヤー」(複葉機)の復元機が墜落

73歳と64歳のパイロット2人が死亡した。

 スプリングフィールド・ベックリー市営空港の責任者

現地時間午前10時45分ごろ、同空港の南5─6キロに墜落した。

愛好家団体「ライトBフライヤー」が所有。
パイロット2人も同団体に所属


ライト兄弟の模造飛行機が墜落、2人死亡 米オハイオ

2011.07.31 Sun posted at: 15:05 JST

(CNN) 米東部オハイオ州の高速警察隊は30日、同州スプリングフィールド近くの野原に、1903年に世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟の飛行機を模造した複葉機が墜落し、乗っていた2人が死亡したと発表した。

高速警察隊の声明によると、同機は現地時間の同日午前11時前、スプリングフィールドの空港を離陸していた。乗っていたのはオハイオ州居住の73歳と65歳の男性。

墜落機は、オハイオ州デイトンで活動する非営利のボランティア組織、ライト・B・フライヤーの所有で、最初の有人動力飛行の成功の7年後に製造されたライト・モデルB型機を模造したものだった。

ライト・B・フライヤーのサイトによると、今年の6月に試験飛行を開始

死亡した2人は同組織の運営委員で、ライト・モデルB型機や他の実験用飛行機の操縦経験は豊富だったという。

 同団体のフィル・ボードイン

アシアナ貨物機墜落:電池爆発説に疑問、深まる謎











アシアナ貨物機墜落:電池爆発説に疑問、深まる謎

【郭彰烈記者】 28日早朝、済州島南西沖で墜落したアシアナ航空の中国行き貨物機の事故原因をめぐり謎が深まっている。貨物室に積まれていたリチウムイオン電池が爆発したことが原因との見方が出ていることについて、専門家は「確率は低い」と反論している。
 国土海洋部とアシアナ航空によると、事故機にはリチウムイオン電池約40.6キロが積まれていた。この電池は、関西空港から日本の飛行機で韓国に到着し、アシアナ航空の貨物機で上海に運ばれる途中だった。
 リチウムイオン電池の内部にある電解液は、強い衝撃や熱によって爆発、発火する可能性があるとされる。
 しかし、事故機に積まれていたリチウムイオン電池は、過去に米国機などで火災を起こしたリチウム電池とは異なるもので、リチウムイオン電池はリチウム電池に比べ爆発の可能性が非常に低いとされる。
 韓国電気研究院の関係者は「リチウムイオン電池が(事故機の)火災の原因になったという説は、リチウム電池とリチウムイオン電池の違いを知らないことによる錯覚ではないか」と指摘した。
 最近の航空事故を見ると、2009年には米ミネアポリス空港に着陸しようとしていた航空機の貨物室でリチウム電池が爆発し火災を起こした。また、昨年9月に米UPSの貨物機がアラブ首長国連邦ドバイで墜落した事故では、離陸直後にリチウム電池が爆発した可能性が指摘されている。



リチウム電池は内部のリチウムが水と反応し、発火する可能性がある。これに対し、リチウムイオン電池は、リチウムが液体に溶け、イオン状態となっているため、周辺に火気がない限り、爆発や火災を起こす可能性は極めて低いとされる。



このため、今回の事故では、その他の危険物の積載に問題がなかったか、疑いの目が向けられている。墜落した飛行機は58トンの貨物を積んでおり、中には国際航空運送協会(IATA)と国際民間航空機関(ICAO)の危険物質に指定された塗料、合成樹脂、アミノ酸溶液も含まれていた。



引火性物質の塗料0.23リットルは、米サンフランシスコ空港から仁川空港を経由して上海に運ばれる予定だった。このほか、合成樹脂溶液144キロや、腐食性溶液のアミノ酸溶液5リットルもリチウムイオン電池と共に積まれていた。



専門家はこうした危険物質が混載されていたとすれば、問題を引き起こす可能性があると指摘している。しかし、アシアナ航空は「IATAなどが定めたマニュアルを徹底している上、厳格に二重、三重の措置を施しており、(問題を起こすことは)あり得ない」と説明している。



リチウムイオン電池は、リチウムまたはリチウム混合物を主な材料とする使い捨て電池だ。リチウムは液体状態より金属状態の方が不安定で、化学反応を起こし、爆発や火災が発生する可能性がある。リチウムを液体に溶かしたイオン状態で利用するリチウムイオン電池は、再充電が可能な二次電池で、リチウム電池に比べ安定性ははるかに高い。



2011/08/01 10:59:06
アシアナ貨物機墜落:3分前に「どうにもならない」と交信



 先月28日早朝に済州島南西沖129キロの海上で墜落したアシアナ航空の貨物機(機種・ボーイング747)が、事故直前の交信で操縦士が「どうにもならない」という言葉を残していたことが分かった。
 国土海洋部(省に相当)関係者によると、事故機は28日午前4時9分ごろ、済州空港管制所との交信で「どうにもならない」との言葉を残し、それから3分後にレーダーから消えたという。
 事故機は午前3時55分、中国・上海管制所に「貨物室で火災が発生した」との交信を行い、済州空港に引き返している途中、午前4時12分に行方不明となった。「どうにもならない」との交信は、火災発生を伝える交信の14分後だった。
 交信内容からみて、実際に火災が発生していたとすれば、操縦士が14分間に火災の鎮火と機体の安全な着陸のため、死闘を繰り広げていたことになる。
 アシアナ航空関係者によると、貨物機の操縦士は、貨物室で火災が発生した場合、貨物室への酸素供給を遮断し、飛行高度を約7000フィート(2134メートル)まで落とした後、最寄りの空港に向かうか、それが困難な場合は、海上に不時着するよう訓練を受けている。
 事故機は合計で57.8トンの貨物を載せ、午前3時5分に仁川空港を離陸し、目的地の上海浦東空港に向かっていた。




これまで有力な事故原因として挙がっているのは、やはり貨物火災だ。貨物には、リチウムイオン電池40.6キロ、塗料0.23リットル、アミノ酸溶液5リットルなどいわゆる「注意貨物」が含まれていた。このうち、リチウムイオン電池が発火した可能性が指摘されている。問題のリチウムイオン電池は、関西空港から日本の航空会社便で仁川空港に到着し、上海に向かう事故機に積み替えられた。
 アシアナ航空は「日本から空輸されたものを、外観検査を行った上で事故機に積み替えた」と説明。国土海洋部は「規定上、包装を開封せずに外観確認だけを行っても問題はない」としている。もしリチウムイオン電池が火災原因と判明すれば、貨物を発送した日本側にも一定の責任が生じる可能性がある。
 これについて、電池の専門家は「これまで航空機で起きた火災事故の大半はリチウム電池(リチウムが電池内部に固体状態で使われている電池)が原因で起きたが、今回墜落したアシアナ機に積まれたリチウムイオン電池(リチウム電解液が使われた電池)は、リチウム電池とは異なり、自然発火する可能性が極めて低い」と述べた。外部から大きな力が加わるか、直接火を付けない限り、火災が起きにくいとの指摘だ。
 また、事故機が空中爆発を起こしたのか、海に墜落したのかについても、まだ明らかになっていない。事故機は仁川空港から上海空港まで2時間の飛行を予定しており、離陸後1時間で事故を起こしたため、燃料が相当量残っていたとみられる。専門家は「火災が原因だとすれば、空中爆発した可能性がある」とみている。
 行方不明者と残がいの捜索を行っている海洋警察庁の関係者は「事故機の残がいが最初に発見された場所は、行方不明になった地点から東にやや離れた場所だ。残がいはあちこちに分散している」と語った。




入力 : 2011/08/01 10:39:33
アシアナ貨物機墜落:機長の保険加入めぐり疑問の声
20日間で最大32億ウォンの保険に加入
アシアナ航空
【孫振碩(ソン・ジンソク)記者】 「正確な事故原因が解明されなければならないが、保険に加入した際の過程だけを見ると、保険詐欺のようなパターンが見られることも事実だ」(A保険会社の関係者)
 先月28日に済州道の近海で墜落した、アシアナ航空の貨物機の機長チェ・サンギ氏(52)は、20日間に相次いで保険に加入し、その保険金は最大で32億ウォン(約2億3450万円)に達することが分かった。これについて保険業界では「こんなに短期間に、数十億ウォン(10億ウォン=約7300万円)もの保険を掛けたのは極めて異例だ」と疑問を呈している。
■疑問1:20日間に集中的に加入
 保険業界では、チェ氏が20日間に六つの保険会社の商品に加入し、それからわずか2カ月後に事故が発生したことを根拠に疑問を呈している。
 保険業界の関係者たちは「32億ウォンの保険金を受け取るためには、毎月の保険料として100万‐200万ウォン(約7万4000‐14万8000円)を支払わなければならない」と推定している。チェ氏は保険に加入した後、1カ月目の保険料を払っただけだった。B保険会社の関係者は「毎月100万‐200万ウォンもの保険金を、向こう5‐10年も払い続けようとしていたのか疑問だ。通常、このような形で保険に加入するのは困難だ」と主張した。
■疑問2:大部分が損害保険
 保険業界では、チェ氏が加入した保険商品のうち、一つを除いて全て損害保険だったという点に着目している。損害保険は生命保険に比べ、保険料が相対的に安く、加入のための手続きも簡素だ。がん保険などの生命保険に加入するには、現在の健康状態に関する病院の診断書を提出しなければならず、加入のための手続きは複雑だ。これに対し損害保険は、予測できない事故や災害に備えるための保険で、保険料を1回支払えば効力が発生する。金融監督院の関係者は「チェ氏が早く簡単に加入しなければならない事情があったと考える余地もある」と話した。
■疑問3:大部分が保障性保険
 金融監督院によると、チェ氏が加入した保険商品の大部分が保障性保険だったという。生命保険の商品の中には、貯蓄としての性格を持つものがあるが、チェ氏が集中的に加入していた損害保険は、事故や災害に遭わなければ、毎月納付した保険料を1銭も受け取れない保障性保険だ。保険業界のある関係者は「チェ氏は、一部でも保険金を受け取れる貯蓄性保険にはほとんど加入せず、事故や災害にあった場合にまとまった保険金を受け取れる保障性保険ばかり集中的に加入していたという点も釈然としない」と話している。


2011/08/01 11:00:01
アシアナ貨物機墜落:故意の事故との見方も
機長が巨額の保険に加入
アシアナ航空
【クァク・レゴン記者/ハン・サンヒョク記者】 先月28日に韓国・済州島南西沖で墜落したアシアナ航空貨物機のチェ・サンギ機長(52)は、大田出身で空軍第2士官学校を卒業し、1991年にアシアナ航空に入社した。飛行時間が1万4123時間を超えるベテラン操縦士だ。空軍第2士官学校は75年に設立され、84年に廃校になった空軍の2年制士官学校で、航空機の操縦・整備・管制などに関わる初級将校を育成していた。
 チェ機長が事故前に巨額の保険に加入しており、「故意の事故」との見方が出ていることに対し、家族らは「事実無根」とこれを否定している。家族らは、アシアナ航空からの事故に関する報告を待っている状態だ。
 チェ機長の夫人は本紙の電話取材に対し「まだ死亡さえ確認されていないのに、夫が事故前に巨額の保険に加入していたことが知られ、とてもつらい。今は何も話したくない」と語った。
 別の家族は「チェ機長は日ごろから人の頼みを断れない性格だった。正確には分からないが、親しい人から加入を勧められたら、断れずに突然多額の保険に入ることもあるのでは。生死も分かっていないのにさまざまな誤解が生まれて悔しい」と述べた。チェ機長の家族は、アシアナ航空の関係者と共に済州島沖合の事故海域での調査に参加した。
 チェ機長は4人家族で、忠清南道牙山市の韓国高速鉄道(KTX)駅から約1キロ離れたマンション(分譲価格約2億2000万ウォン=約1600万円)に暮らしている。韓国土地住宅公社(LH)が建設し、昨年10月に入居した99平方メートルの部屋で、現在はLHの名義になっている。債務関係などは明らかになっていない。チェ機長は、仕事の際にはKTXなどで仁川国際空港に出勤していた。

菅直人と朝日新聞社

朝日新聞

主筆;若宮啓文「菅首相よ、ゲリラに戻れ」
論説委員;松下秀雄「菅降ろしに違和感」

原子力発電に対するスタンス
朝日は震災前は原発推進派だったにもかかわらず、菅氏が「脱原発宣言」をするや、紙面で「原発ゼロ社会」をぶち上げた。

興味深い証言がある。
「菅さんの『脱原発』は付け焼き刃の政策。焚きつけたのは辻元清美さんです。6月15日に孫正義氏やNPOが参加した『再生可能エネルギー促進法案成立!緊急集会』に熱心に誘った(辻元事務所は否定)。菅さんは大して興味はなかったが、実際に脱原発をいうと国民のウケが良かったので、一気にのめり込んだ」(民主党中間派議員)

「運動」の正体である。
「脱原発を謳う団体、集会には、菅政権を裏で支援する新左翼などの人脈が根を張っている。実現性を無視して脱原発を煽る運動は要注意だ」(政府の情報担当スタッフ)

菅首相は東工大時代に学生運動で名を馳せた。後には、旧ソ連からの資金提供で活動していたとされる「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」に伸子夫人と共に参加していたといわれている(菅氏自身がそれについて語ったことはない)。

麻生太郎が演説で、「菅直人はベ平連、仙谷由人は全共闘」と批判したこともある。

「菅さんは学生時代から既存の新左翼を嫌い、自分で新たなセクトを作ることに熱心だった。ベ平連も“新・新左翼”という意味では菅さん好みといえる。政治を志してからも、伸子夫人が各地の学園祭に『やきそば屋台』を出店して独自の活動資金と活動家を集めてきた。共産党や社会党のような政治組織化した左翼ではなく、ゲリラ的な団体を足場にしてきた政治家ではある」(学生時代からの知人)

ベ平連の創設者は、菅氏を「脱原発」に導いたという辻元氏が主宰した「ピースボート」の運営に関わった。そのグループには「赤軍派」の元大物もいた。
そこに朝日人脈との接点もあるという。

「菅の朝日人脈の最初は、筑紫哲也とされる。筑紫はピースボートの支援者で、船上講師を務めたり、辻元に政界進出を促したりした。筑紫氏に限らず、朝日の幹部世代には、新左翼運動と深い関係を持つ者が多い。そこに総理が取り込まれてしまうことは危険だ」(前出・情報担当スタッフ)
※週刊ポスト2011年8月12日号