2011年5月25日水曜日

ビンラディン殺害、軍と情報機関の関係強化が成功導く

2011年 5月 25日 16:18 JST

今年1月、米軍の精鋭特殊部隊を率いるウィリアム・マクレイブン大将は異例の呼び出しを受け、米中央情報局(CIA)本部を訪れた。そこで初めて、世界一重要な指名手配者の居所を示す写真と地図を見せられた。

今回の作戦につながったCIAによるウサマ・ビンラディン容疑者の捜索に軍高官として早い時期から関わっていた同大将は、率直な判断を示した――ビンラディンの隠れ家を襲撃することはある程度容易だがパキスタンへの対処は困難だろうと。

 ウォール・ストリート・ジャーナルが再現した作戦計画の経過から、この会合が、米国の対テロ戦争で根本的に新しい戦略が形作られるきっかけになったことが分かる。つまり、軍事的な諜報活動に支えられた、秘密の、米国単独で行う作戦の採用である。この新戦略は、情報機関と軍という、歴史的に警戒し合ってきた二つの組織間に信頼関係が芽生えたことを意味するものだ。

 ある米当局者は、ビンラディン殺害はこの戦略の「概念実証」だったと語っている。
 米当局者らはすでに、今回の米軍によるパキスタン国内でのビンラディン急襲作戦を、同国を含め他のテロリストをかくまっていると思われる国々への交渉ツールとして使っている。「あんなことをまた我々にやらせるなよ」と言っているようなものだ。当局者らによると、イエメンやソマリアでも地元政府の協力が十分に得られなかった場合、同様の作戦が展開される可能性があるという。

 米国のこの新戦略は、レオン・パネッタCIA長官とマクレイブン大将の緊密な関係から生まれた。2人は2009年、合同ミッションの規則を定めた秘密の合意文書に署名した。ビンラディン殺害の前にも、この合意を基にアフガニスタン戦争で数十の作戦が展開された。

 オバマ政権の国家安全保障チームの人事刷新により、情報機関と軍幹部の関係は一層強まりそうだ。今夏、国防長官に就任する予定のパネッタ長官は、国防総省の特殊作戦能力を十分把握している。またCIA長官に就任予定のデービッド・ペトレアス・アフガニスタン駐留米軍司令官は、同国やイラクの戦争で特殊作戦の指揮を何度も経験している。

 本稿では、政権、諜報、軍、議会当局者ら十数人へのインタビューを基に、パキスタン・アボタバードでのビンラディン邸急襲作戦の経緯を追った。

 当局者や専門家らは、米国のこの新たな手法は今後、限定的にしか用いられないだろうと述べている。ある当局者は、「昔はこのようなことを実現可能と考えたのは映画と同じように思っている人だけで、政府関係者は誰も実現可能とは考えていなかった」と語る。

 オバマ大統領は22日、英BBCでのインタビューで、今後も同様の急襲作戦を承認することを厭わないとした上で、「我々の仕事は米国を守ることだ」と述べた。

 パキスタンのサルマン・バシール外務次官は今月のインタビューで、ビンラディン急襲と同様の作戦が再び行われた場合、「恐ろしい結果」を招く可能性があると語った。パキスタンの他の当局者らも、同様の攻撃があった場合は諜報活動における米国との協力関係を縮小するとしている。

 より伝統的な手法を用いるのであれば、ステルス航空機を使い、場合によってはパキスタン軍と協力して、単純にビンラディンの邸宅を爆撃すればよかった。しかし、オバマ大統領ははじめからパキスタンを関与させないと決めていた。

 パキスタンは米国にとり、緊密ながらも不安定な同盟国だ。米当局者の一部、とりわけゲーツ国防長官は、パキスタンを蚊帳の外に置くことが両国関係にどう影響するかを懸念した。しかし、そうした懸念よりパキスタンへの不信の方が勝っていた。

 結局、米政府内の数百人が急襲作戦のことを事前に知っていたが、情報が漏れることはなかった。

 米当局者らは互いに暗号を用いて話すなど、情報漏洩を防ぐために特別な対策をとった。ある者はうっかり同僚に漏らしてしまわないよう、作戦のことを「アトランティックシティーへの旅行」と呼ぶことにしていた。

 2010年8月、米国人3000人近くを殺害した男を10年間追い続けてきたCIAにようやくチャンスが巡ってきた。ビンラディンの連絡係とみられる人物を追跡した結果、パキスタンの首都から約64キロのアボタバードにある1軒の邸宅にたどり着いたのだ。CIAは数カ月観測した末、この邸宅に住む3家族のうち一つはビンラディンの家族である可能性がきわめて高いとの最終判断に至った。

 12月、パネッタ長官はオバマ大統領にCIAとして最善の情報根拠を示し、確実とは言えないが、その邸宅にビンラディンが潜んでいる可能性が高いと伝えた。大統領は計画策定を開始するようパネッタ長官に指示した。

 パネッタ長官はマクレイブン大将を呼んだ。関係者らによれば、同大将が1月にCIA本部を訪れ、メリットとデメリットを素早く分析したことで、2人の関係は確固としたものになったという。

 2人のきずなは歴史的転換を意味する。冷戦時代、国防総省とCIAの間にはほとんど交流がなく、軍はソ連との地上戦を計画することに専念し、情報機関は分析に没頭していた。状況は1990年代に変わり始めたが、CIAと軍が本当に緊密に協力するようになったのはここ数年のことだ。

 マクレイブン大将は、「アボタバード邸宅1(AC1)」と名付けられた作戦の担当者に、ある特殊作戦部隊幹部を抜てきした。最強特殊部隊ユニットの一つ、海軍特殊部隊(SEALs)チーム6の海軍大佐だ。同大佐は毎日、バージニア州ラングレーのCIA敷地内の人里離れた安全な施設でCIAのチームとともに作業に当たった。

 2月25日夕、数台の黒い「シボレー・サバーバン」がバージニア州ラングレーのCIA本部前に止まった。会合は、人目につきにくい金曜日の日暮れ後を選んで設定されていた。マクレイブン大将とパネッタ長官とともに、国防総省のマイケル・ビッカーズ・テロ対策首席補佐官、米軍統合参謀本部のカートライト副議長、CIA高官らが、窓のないCIA長官の会議室で大きな木製テーブルを囲んだ。

 テーブルの中央には、邸宅の縮尺模型が置かれていた。約1.2メートル四方のこの模型は、国家地球空間情報局(NGA)が衛星写真を基に作成したもので、木の1本1本まで正確に再現されていた。

 分析官らは、この邸宅に「重要な」テロリストが住んでいるとの情報は信頼性が高く、その人物がビンラディンである「可能性は大きい」と説明した。

 計画策定者らは自分たちが考えたオプションを検討した。一つ目はB-2ステルス爆撃機による爆撃で、邸宅と地下トンネルすべてを破壊する作戦だ。二つ目は米特殊部隊によるヘリコプター攻撃だが、この作戦はソマリアで米軍ヘリが撃墜され米兵19人が死亡した悲惨なモガディシュの戦闘を描いた映画、『ブラックホーク・ダウン』の場面を連想させた。
 三つ目は、パキスタン側に支援の機会を与える作戦で、例えば米軍が妨害を受けずに作戦を遂行できるよう邸宅の周囲を警備させることが考えられた。

 計画策定を本格化させるべく、3月14日の国家安全保障会議の会合でオバマ大統領がこれらのオプションを検討した。大統領が最初に下した決断の一つは、ビンラディンが確実にそこにいることを確認するためにさらなる情報を集めるという考えを捨て去ることだった。得られる利点より、計画が暴露するリスクの方が大きいとの判断だ。

 関係者らによると、オバマ大統領はパキスタンとの合同作戦も否定した。ある政権当局者によれば、機密保護が求められたため、合同作戦の見込みが真剣に検討されることはなかったという。

パキスタンで拘束されたCIA契約要員のレイモンド・デービス氏(写真中央、今年1月)

 数人の当局者は、当時パキスタン・ラホールの刑務所に拘束されていたCIA契約要員のレイモンド・デービス氏の身の上を案じた。デービス氏はパキスタン人2人を射殺したために拘束されたのだが、殺害時の状況を巡り論争が起きていた。パネッタ長官は、もしビンラディン急襲の前に釈放させることができなければ同氏は殺されるかもしれないと考え、釈放を強く求めていた。

 B-2機による作戦は軍関係者を中心に多くの支持を集めた。爆撃は邸宅に住む者を確実に殺害でき、米側の人的リスクが比較的小さい。ただゲーツ国防長官は、ビンラディンが邸宅にいるとの情報の論拠に懐疑的だった。

 この会合の終盤にはオバマ大統領も爆撃作戦を支持していた、と関係者らは考えている。カートライト統合参謀本部副議長は、空軍高官2人にこの計画を具体化するよう要請した。

 しかし、すぐに問題にぶち当たった。CIAの分析官らは邸宅の下にトンネル網があるかどうかを確認できなかった。計画策定者らはトンネルがあると仮定せざるをえず、それはB-2爆撃機が大量の爆弾を投下せねばならないことを意味した。しかし、大規模な爆撃をすれば罪のない近隣住民をも殺害してしまう可能性が高い。

 近隣住民を守るため、より規模の小さい爆弾を用いるという選択肢もあるが、それではトンネルがあった場合に破壊することができない。

 カートライト副議長は何の進言もしなかった。しかし、大統領との会合直後に作成されたパワーポイントのプレゼン資料には、大規模爆撃を行った場合のデメリットだけが羅列されていた。そこには明らかに爆発範囲に入る近隣住居が1軒示され、最大十数人の民間人が死亡する可能性があると推計されていた。ビンラディンが死亡した証拠を回収するのも難しく、パキスタン領空を侵犯した理由すら示せそうになかった。

 国家安全保障会議の次の会合が行われた3月29日には、大統領も爆撃オプションに慎重になっていた。ある当局者は、「(大統領は)その計画を棚上げした」と話す。

 代わりに大統領はマクレイブン大将に対し、ヘリコプターによる急襲作戦を検討するよう指示した。同大将はSEALsチーム6を構成する4戦隊の一つ、「赤色戦隊」からチームを招集した。赤色戦隊はアフガニスタンから帰還することになっており、軍内部でほとんど気づかれることなく再配置が可能だった。

 このチームは、アフガニスタン・パキスタン国境上での任務の経験があり、語学力もあったため都合がよかった。チームは米国内のある場所で2度リハーサルを行った。

 計画策定者らは起こりうるさまざま事態を検証した。ビンラディンが降伏したらどうするか?(ある軍高官によると、バグラム空軍基地付近に拘束された可能性が高い)。米部隊が急襲作戦中にパキスタン側に見つかったらどうするか?(米高官がパキスタン軍の高官に電話して何とか切り抜けることにする)。

 米側はパキスタン側に警戒されることなく現場に出入りできることに相当の自信を持っていた。関係者らによると、急襲に使われたヘリコプターはレーダーに感知されにくく、できる限り音が出ないよう設計されていた。

 さらに、米国はパキスタン軍を設備や訓練の面で支援しており、アフガニスタン国境沿いに設置されているレーダーシステムの感度から、イスラマバードやアボタバードの内部・周辺のパキスタン軍の警戒体制まで、同国の能力を十分把握していた。

 もしパキスタン側が調査のためにF-16戦闘機を発進させれば、米側は同機がどのくらいの時間で現場に到達するかわかるという。ウィキリークスが入手し、ウォール・ストリート・ジャーナルが精査した外交公電によると、F16機は米国による常時監視の下、パキスタン軍基地に置かれることを条件に、米国がパキスタンに提供している。

 4月11日、パネッタ長官はパキスタン軍統合情報局(ISI)のパシャ長官とラングレーで重要な会談を行った。ラホールで拘束されたCIA契約要員のデービス氏の問題もあり、両国の関係は冷え切っていた。しかし、同氏はその後釈放されており、この会談では両国の関係改善が意図された。

 会談でパシャ長官はパネッタ長官に、CIAがパキスタン国内で行っている活動をもっと公開するよう求めた。さらにパシャ長官は、CIAが自分に隠れてパキスタン国内で活動していることへのいら立ちを訴えた。もちろん同長官はビンラディン急襲計画のことは何も知らなかった。

 パシャ長官は、この会合では怒鳴り合う場面もあったと話しているが、米関係者らは否定している。米当局者らによると、パネッタ長官はパシャ長官の懸念について調査すると約束したという。パネッタ長官の目的は、ビンラディン急襲作戦の実行時に両国関係が最悪の状態に陥っていることを避けるため、関係の改善を図ることであった。

 8日後、国家安全保障会議の会合が再び開かれ、オバマ大統領がヘリコプター急襲作戦を暫定的に承認した。だが、大統領はパキスタンへの対応計画が甘すぎないかと心配していた。

 米側は、米部隊員がパキスタン側に捕まった場合、簡単に帰国させることはできないと予想していた。デービス氏の一件では交渉が難航し、問題解決までに2カ月以上を要したことを考えれば、「領空に200キロ以上侵入したことをどうやって認めてもらうのか」(ある米当局者)という話になる。

オバマ大統領はマクレイブン大将に、より強固な脱出計画を策定するよう指示した。作戦実行チームが自力で脱出できるよう装備を施し、非常時に備えてヘリコプター2機を待機させることになった。

 ビンラディン急襲作戦を数日後に控えた4月28日、オバマ大統領はホワイトハウスのイーストルームで新たな国家安全保障人事を発表した。その後、大統領とパネッタ長官は危機管理室に移動し、国家安全保障会議のメンバーとともにマレン統合参謀本部議長から最終作戦計画の説明を受けた。

 ビンラディンが邸宅にいるとの情報に懐疑的だったゲーツ国防長官は、この会合でようやく作戦への全面支持を表明した。

 オバマ大統領は補佐官らに対し、作戦開始前にマクレイブン大将と直接話がしたいと言った。同大将はアフガニスタンで作戦実行チームの準備に当たっていた。
 電話はワシントン時間の4月30日午後、安全な回線を使ってかけられた。オバマ大統領は同大将に、最終準備段階での最新情報を求めた。また、アフガニスタンに着いてから任務への確信に変化をもたらすような新たな情報が入っていないか尋ねた。

 マクレイブン大将は、チームは準備万端であり、自身の状況評価に変更はないと大統領に告げた。

全期間のページビュー履歴 8500PV越える

全期間のページビュー履歴 8500PV越える

インド女児数が急激に減少、10年間で800万人の女児が堕胎

サーチナ - 05月25日 09:24)

 5月23日BBCによると、インドの2011年国勢調査の結果から、インドでは過去10年間で7歳以下の女児の人数が急激に減少、約800万人の女児が堕胎されたことになる。

国勢調査のデータによると、1961年、7歳以下のインド男女児童の割合は1000:976だったが、現在は1000:914に下がっている。堕胎された女児の数は約800万人に達した。

インドの首都ニューデリーではもっと厳しく、男女児童の比例はすでに1000:866になっている。 女性の人数は寿命の延長など要素で改善されるが、インド若者の男女の割合は依然として世界で最大の格差がある。女児人数が急激に減少する原因は出産前の性別測定だと考える人は多い。 

インドでは女児は家庭の厄介者と見なされる。結婚前に実家は大量に嫁入り道具を用意する必要があり、大部分の人は男児が産みたいと望む。30年前、超音波スキャンで性別判別することがインドの女性で盛んに行われ、政府は女児の堕胎を急速に増加する人口を抑制する有効な手段として採用していた。

今インドには約4万社の超音波検査治療所が経営されている。 インドのマンモハン・シン首相が、女児の流産と堕胎は国の恥で、罪のない女児を救うように呼びかけた。有名な人権活動家サブー・ジョージ(Sabu George)氏が、政府はこれまでの女児を殺害する悪習慣を根絶する決心をはっきりと示していないと非難した。 

ほとんどの超音波検査治療所は不法な性別検査・測定はしていないというが、女性はどこで女児の検査や堕胎が出来るか知っている。5つ星ランクの診療所で、性別測定と女児の堕胎はあわせて1万ルピー(約18万円)、安いところならわずか数百ルピーで可能だ。 インド国勢調査活動の責任者VarshaJoshi氏は、「現在、性別測定行為に有効な措置を採用しなければならない。さもなくばインドの未来がどのようになるのか想像できない」という。