2011年12月28日水曜日

無人機パイロットは過酷任務

http://sankei.jp.msn.com/world/news/111228/amr11122811090001-n1.htm

【産経】2011.12.28 11:03
 無人機パイロットは過酷任務

 地上部隊の護衛からテロリストの追跡・攻撃、核施設の監視まで、米軍の無人機が世界で縦横無尽の働きをしている。操縦者は米国内の基地におり、安全な場所でゲーム感覚で仕事をしているような印象があるが、“戦場”と日常との行き来や人員不足による長時間勤務で、ストレスを抱え込む者が少なくないという。

 今年9月、テロリストの大物、アンワル・アウラキ(40)をイエメンで殺害したのは、米無人機のミサイル攻撃だった。今月初め、イランで米無人機が“捕獲”されたが、この無人機はイランの核施設を偵察していた可能性がある。無人機はいってみれば高性能ラジコン飛行機。誘導ミサイルを発射できるものや、高高度の上空に姿を隠し地上を監視できるものがある。

 テロリスト掃討戦に有用である上、操縦者は安全で、有人の戦闘機、爆撃機などより1機がはるかに安価であることから、ここ数年、出動回数が激増した。かつては飛行経験者が無人機の操縦にあたっていたが、最近は“空”を知らない操縦者も現れ始めた。

従来の操縦士と溝

米公共ラジオ(NPR)がニューメキシコ州にあるホローマン空軍基地で、無人機操縦者養成の様子を取材している。シミュレーション・ルームでは、装置にアフガニスタンの風景を読み込ませ、味方車両の進路に潜んだ敵を発見するといった課題が与えられる。基地の駐機場に出て、無人機を見ながら操縦する訓練もある。操縦者が実物を見るのは本番を含めてこのときだけだ。

訓練中の空軍兵士ケリー(46)は、パイロット志望だったが、視力が条件を満たさなかったため断念した。無人機とはいえようやく、戦闘機を操縦するという希望がかなう。ケリーはしかし、空軍には無人機の操縦者を下に見る雰囲気があるという。

 空軍は従来の戦闘機などの操縦士と、無人機の操縦者との間に溝ができないよう、ともに「パイロット」と呼び、同じ戦闘服を用意した。だが、これが逆効果で、実際に空を飛ぶパイロットからは「無人機の操縦者に戦闘服は必要ない」との声が出ているという。

人員不足で長時間勤務

 空軍は先ごろ、無人機の操縦者のストレスの度合いに関する調査結果を発表した。それによると、操縦者の29%が、努力したのに報われないとの思いから、不満や徒労感を覚える「燃え尽き症候群」の症状を示していた。危険というほどの状態ではないが、17%は医師にかかる必要があるという。ちなみに、イラク帰還兵では「燃え尽き症候群」で医師にかかる必要があるのは28%だという。

 無人機の操縦者は勤務中、戦場でのストレスを感じながら、終わると今度は、交通渋滞など日常的なストレスに直面する。“戦場”と日常との行き来を強いられるのが心労の一因だ。だが、最大の要因は人員不足であるという。勤務が長時間できついのだ。

 ロイター通信によると、2007年、一度に飛行している米無人機は世界中で最大15機だった。それがいったん60機にまで増え、現在は57機を上限としている。米軍はイラクから撤収し、アフガン駐留軍も縮小している。だが、地上部隊が少なくなった分、空から監視する必要性が高まったのだという。

 一方、悲惨なシーンを目撃した現場の兵士らと同様の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされる無人機の操縦士もいるという。自分が殺害することになる標的をずっと見続けるせいであるらしい。現場にいるわけではないから、それ以外の風景を見ることができない。無人機の「パイロット」はつらい任務なのだ。なのに、無人機は残酷だといって同情されることはまずないのである。

【陸自西方普通科連隊】 サンクレメンテ島で米軍第1海兵機動展開部隊などと共同訓練

平成23年度米国における米海兵隊との実動訓練の概要について
23.12.16 陸幕広報室

平成23年度米国における米海兵隊との実動訓練の概要について

陸上自衛隊は、次のとおり平成23年度米国における米海兵隊との実動訓練を実施することとなりましたので、お知らせ致します。

期 間 平成24年1月16日(月)~2月23日(木)
場 所 米合衆国カリフォルニア州キャンプ・ペンデルトン等
担任官 西部方面総監 陸将 宮下 寿広

実施部隊
(1)陸 自:西部方面総監部、西部方面普通科連隊等
(2)米 軍:第1海兵機動展開部隊
規模等
(1)人 員 約180名
(2)装 備
  ア 火 器
    89式5.56mm小銃、5.56mm機関銃MINIMI、
    9mm拳銃、9mm機関拳銃、対人狙撃銃、84mm無反動砲、
    87式対戦車誘導弾発射装置、81mm迫撃砲L16等
  イ 車 両
    1/2tトラック、73式小型トラック、高機動車、73式中型トラック、
    73式大型トラック等



【時事】2011/12/28-15:35
 米離島で海兵隊と共同訓練

 陸上自衛隊西部方面普通科連隊(長崎県佐世保市)を中心とした約180人は、来年1月16日から約1ヶ月間、米海軍基地やロサンゼルス沖合にあり米海軍が管理するサンクレメンテ島で、米軍第1海兵機動展開部隊などと共同訓練を行う。工作員が紛れ込んでいる海岸へのボートを使った上陸訓練を盛り込むなど、島しょ部防衛を想定した内容になっている。

 陸自は演習場の一部を島に見立てた訓練を行ったことはあったが、実際に離島を舞台にするのは初めて。陸自部隊がボートで海岸に接近し、既に上陸している工作員を排除するほか、ヘリによる救出訓練などを行う予定。訓練計画の作成や実践を日米が共同して行う指揮所演習も実施する。

大阪府市統合本部 特別顧問

大阪府市統合本部

2011年12月27日付け
2012年3月31日まで

日当 1~2万円

特別顧問

上山信一(54)京都大法卒、元運輸省官僚 慶応大教授
古賀茂明(56)東京大法学部 元経済産業省官僚
堺屋太一(池口 小太郎 76)東京大経済卒、元通産省官僚 作家、元経済企画庁長官
原英史(46)東京大法学部卒、元経済産業省官僚(古賀茂明派) 政策工房社長


大阪市
人事改革のための特別顧問
関西学院大大学院教授の山中俊之(43)

1968年3月 兵庫県西宮市生まれ。 実家は零細鉄工所経営。
         肉体労働や集金・納税の大変さを間近に見て育つ。
1986年    東京大学文一(法学部)入学。
         大学時代は、障害者とのキャンプ・日中学生会議・ 東海道徒歩旅行・北海道自転車旅
         行など多様な経験を積む。
1990年    外務省入省。 対中東外交、地球環境問題等を担当。首相通訳、国連総会を経験。
         エジプト、英国、サウジアラビアに赴任。
         王宮での晩餐会を経験する他、世界の農村や貧民街を回る。
1995年    阪神大震災で実家が全壊。大学生だった妹を亡くす。
         見ず知らずの人々が、互いに助け合う姿を見て、
         人生観が変わるほどの感動を覚える。
1997年    硬直化した霞が関に限界を感じ退職。
1999年    ケンブリッジ大学で開発学修士号取得(留学は93-94年)。
2000年    日本総研入社。
         組織人事コンサルタント・トレーナーとして、 100近い団体(企業・自治体)の改革、
         累計2万人の研修、2,000人のインタビューを経験。
2005年    大阪大学で国際公共政策博士号取得(テーマ:組織人事マネジメントの効果測定)。 2009年    イナモリ(稲盛)フェローに選抜され、AILA・CSIS(戦略国際問題研究所)インターナショ
         ナルフ ェローとして渡米(2010年にも渡米)。
2010年3月 日本総研退職。
2010年4月 大局観と情熱ある経営人材の育成支援を目指して独立。
         株式会社グローバルダイナミクスを設立して、代表取締役に就任。
         同時に、関西学院大学・経営戦略研究科教授に就任。

1994年の金日成主席の死「金正日による父親暗殺説」

【SAPIO】2012年1月11・18日号

萩原遼は、1994年の金日成主席の死「金正日による父親暗殺説」を唱える一人。

「金日成の暗殺と1995年から始まった大飢饉には密接な関係がある。大飢饉で300万人の餓死者を出したとされるが、これは金正日が民衆反乱の温床となっていた咸鏡南北道の敵対階層を殲滅するための大量殺人だった。その計画を実行するうえで最大の障害になっていたのが金日成で、金正日によって除去されたのです」

農業を立て直し、食糧供給の安定化で政権維持を主張する金日成と、核開発による脅し外交を主張する金正日の間には、激しい政策的対立があったと言う。

「金日成は別荘で心臓発作を起こして亡くなりましたが、ソウルの脱北者団体が入手した資料によれば、金日成が発作を起こした時、待機していたのは新米の耳鼻科医師だけで、心臓病の医師はいなかった。そんな状態にさせることができるのは金正日しかいません。しかも、金正日は真夜中に別荘の金日成に電話をかけ、耐えがたいほどの暴言を吐き、金日成に強いショックを与えて心臓発作を起こさせたと見られています」

金正日が鬼籍に入った今となっては真相は闇の中だが、父親殺しの嫌疑をかけられている金正日自身も、生前は何度も暗殺の危機にさらされてきた。それこそ、金日成の死後、金正日体制が安定期に入るまでは、ほぼ毎年のように繰り返された。

表に出た事件の中で最も有名なのが、2004年4月の列車爆破テロ。金正日が乗った専用列車が平安北道の龍川駅を通過した30分後に爆発し、金正日は無事だったが161人が死亡、1350人以上が負傷する大惨事となった。内部テロとの見方が有力である。