【SAPIO】2012年1月11・18日号
萩原遼は、1994年の金日成主席の死「金正日による父親暗殺説」を唱える一人。
「金日成の暗殺と1995年から始まった大飢饉には密接な関係がある。大飢饉で300万人の餓死者を出したとされるが、これは金正日が民衆反乱の温床となっていた咸鏡南北道の敵対階層を殲滅するための大量殺人だった。その計画を実行するうえで最大の障害になっていたのが金日成で、金正日によって除去されたのです」
農業を立て直し、食糧供給の安定化で政権維持を主張する金日成と、核開発による脅し外交を主張する金正日の間には、激しい政策的対立があったと言う。
「金日成は別荘で心臓発作を起こして亡くなりましたが、ソウルの脱北者団体が入手した資料によれば、金日成が発作を起こした時、待機していたのは新米の耳鼻科医師だけで、心臓病の医師はいなかった。そんな状態にさせることができるのは金正日しかいません。しかも、金正日は真夜中に別荘の金日成に電話をかけ、耐えがたいほどの暴言を吐き、金日成に強いショックを与えて心臓発作を起こさせたと見られています」
金正日が鬼籍に入った今となっては真相は闇の中だが、父親殺しの嫌疑をかけられている金正日自身も、生前は何度も暗殺の危機にさらされてきた。それこそ、金日成の死後、金正日体制が安定期に入るまでは、ほぼ毎年のように繰り返された。
表に出た事件の中で最も有名なのが、2004年4月の列車爆破テロ。金正日が乗った専用列車が平安北道の龍川駅を通過した30分後に爆発し、金正日は無事だったが161人が死亡、1350人以上が負傷する大惨事となった。内部テロとの見方が有力である。
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