2011年10月1日土曜日

軍政から民政に移行、ミャンマーのいま

日テレNEWS24 - 10月01日 22:20)

仏教国・ミャンマー。

20年以上にわたって軍が政権を握り、民主化勢力を弾圧してきたが、総選挙を経て今年3月に大統領を国家元首とする「民政」に移行した。

新政権は、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんと話し合いを始めるなど、変化の兆しが見え始めている。 

ミャンマーの最大都市・ヤンゴンの路上で売られているいくつかの新聞の一面にスー・チーさんの写真が掲載されている。軍政の下、去年まで7年半軟禁されていたスー・チーさんが紙面に載ることなど軍政時代は考えられなかった。

また、反政府活動にネットを利用されることを恐れた軍政は、チャットや動画サイトの利用をきびしく規制していたが、今ではネットでスー・チーさんの演説動画を見ることができる。 

雑誌やネットの規制緩和が顕著に見られるようになったのは8月下旬以降で、新政権のテイン・セイン大統領がスー・チーさんと就任後初めて会談した時期と重なる。


地元の雑誌記者は「政府は新しい方針を出そうとしている。メディアもより自由になるだろう」と述べ、一連の動きを新政権による「改革の兆し」と期待している。 

一方で、政府の姿勢に懐疑的な目を向ける人もいる。


ヤンゴン在住の元ヒップホップミージシャン、ザヤトーさんは、民主化活動に参加したため、今年春まで3年間、政治犯として投獄されていた。釈放後の8月にはチャリティーコンサートを企画したが、ザヤトーさんだけが当局から参加を許可されなかった。 


ザヤトーさん「普通の生活を送りたいだけです。君たちのように、自分が思うことを自由にやりたい。『変化があった』と言う人は多い。でも、私はそうは思いません。これは本当の変化ではない」 民主化運動のシンボルであるスー・チーさんは、今の状況をどのように感じているのだろうか。


本人がNNNの取材に応じた。 スー・チーさん「より多くの若者が政治・社会に関与するようになりました。これは大きな変化です。希望を実現するためには待っているだけではいけません。実現に向けて懸命に取り組むことが大切なのです」 新政権が打ち出す「ソフト路線」には、民主化への取り組みを国際社会にアピールする狙いがあるとみられている。

しかし、急激に民主化を進めると新政権にとって、自らの足をすくわれる事態にもなりかねない。改革に対してどこまで本気なのか。スー・チーさんたち民主化勢力は政権側の姿勢を見定めながら、政治犯の釈放などを求めて政権との駆け引きを続けている。

【9月期】 7319PV

9月 7319PV

【総計】3万8977PV/2011年9月30日まで

与那国島沿岸監視隊

島内から見た「北牧場」






海から見た「北牧場」


2016年3月発足予定
与那国島沿岸監視隊 部隊員約百名

2011年予算 調査費  三千万円
  12年予算 用地取得費 15億円

任務;沿岸を航行する船舶や航空機、通信、電波の監視

施設

・用地 15ヘクタール
・沿岸レーダー装置等
・勤務庁舎
・家族宿舎
・隊員居住施設など

用地候補
北牧場、南牧場
個人有地1箇所



【八重山毎日】10月5日2011
陸自部隊は北牧場に 防衛省の概算要求を「歓迎」

与那国町の外間守吉町長は4日午後、石垣市内のホテルで取材に応じ、防衛省が来年度予算の概算要求で同町に陸上自衛隊の「沿岸監視部隊」を配置するための用地取得費15億円を盛り込んだことに「歓迎する」と述べ、用地選定に町として協力する考えを示した。
 用地の規模について防衛省から15ヘクタール程度との説明を受けているという。 候補地として挙がっている町内の北牧場、南牧場について「出来れば北牧場にしてほしい」との意向を示した。南牧場については「台湾と向かい合うことになり、リゾート地として将来残したい」と述べた。
 また、今月中に防衛省と住民説明会を開き、用地やインフラ整備などについて住民の意見を聴き、優先順位を付けて防衛省に要望することにしている。 


具体的なインフラ整備については、現在、焼却施設の整備を要望。このほかに公認グラウンド整備などが考えられている、という。 配備に反対する住民への対応については「ヒザを交えて話しが出来ればと思う。配置が決定したからには引き下がれない。説得に向け話をしたい」と述べた。

【ミサイル巡洋艦ワリャーグ】 日程を予想

 これからのミサイル巡洋艦ヴァリャ-グのスケジュールに就いて予想してみる

現時点で判明しているのは、9月29日に海上自衛隊と救難捜索合同訓練後に、グアム島へ寄港(ロシア海軍としては二回目)。そのあと、グアム島南西海域で、米海軍との合同演習に参加し、カナダ西海岸のバンクーバーを非公式訪問し、12月上旬に母港のウラジオストックへ帰港だけである

 これから推測すると、航洋曳船MB-61が随伴しているので巡航は10kt程度だろう



 9月29日(木)午後 舞鶴出航

10月01日(土)午前2時、上対馬東方60km
          対馬海峡を通過

   04日(火)ウラジオストック 訪問していたDDG-62が出航→北マリアナ諸島海域へ向かう

   09日(日) マリアナ諸島のエリアに到着
   11日(火) 10月01日  対馬海峡通過
   09日(日) アプラ港(グアム島中西)に到着

 13-15(土)グアム島南西海域
         Mariana Islands, 「Pacific Eagle 2011」

         Varyag

        ・第15駆逐艦隊
         USS Fitzgerald (DDG 62)
           マッキンベル        ←10月02日韓国・平沢港を出航

     15(土)共同訓練終了後、バンクーバーへ向かう
         
          9100km 21日間

11月07日(月)24日目 カナダ海軍ホスト艦HMCS Algonquin283

   08日     バンクーバー
   09日(水)
   10日(木)


           16日間程度

           7100km 

11月30日ごろ 宗谷海峡を通過

12月02日 ウラジオストック 帰港 約三ヶ月ぶり

行けレインボーマン

今から、約40年前の日本国のテレビでは「レインボーマン」と云うアニメを実写した番組がテレビ朝日系で放映されていた


行けレインボーマン「レインボーマン」昭和47年10月6日
川内康範 作詞北原じゅん 作曲安永憲自、ヤング・フレッシュ 唄
レインボー セブン
インドの山奥で 修行をしてダイバダッタの 魂宿し空に掛けたる 虹の夢今さら後へは引けないぞだから行くのだ レインボーマンダッシュ ワン ツゥ スリー
人間だれでも みな同じ肌や言葉の 違いを除きゃみんな仲間だ そうなのだそいつを壊す者があるだから行くのだ レインボーマンダッシュ フォー ファイブ シックス
たとえこの身が どうなろうと愛と正義の 命じるままに海も越えよう どこまでも今さら止めてはだめなのだだから行くのだ レインボーマンダッシュ セブン


提婆達多(だいばだった、Skt:Devadatta、デーヴァダッタ、音写:提婆、調婆達、調達、訳:天授、天熱)は、釈迦仏の弟子であったが、後に違背したとされる人である。

名前の由来
諸天は、彼が生まれて、後に三逆罪を犯すことを予知していたが、心に熱悩を生じるような極悪人の姿を示したので、彼を「天熱」と名づけたといわれる。

人物・来歴
釈迦の弟子の一人で釈迦の従兄弟に当たるといわれ、多聞第一で有名な阿難の兄とする説が一般的である。
彼の親族及び身辺はいくつかの説がある。
Mah.II,Mah.Tika.p.86によると、Suppabaddhaの子にして、Bhaddakaccanaの弟とする。Mah.II.22では、釈迦族のSuppabuddaとAmita女との間に生まれ、釈迦の妃Bhaddakaccanaaの弟。Dap.A.III.p44には、Suppabuddaの子でYasodharaaの兄弟とする。
甘露飯(アムリトダーナ)王の子で、阿難の兄とされる。
斛飯(ドロノダーナ)王の子で、阿難の兄。五通を得て驕り、阿闍世アジャータサットゥ)王を唆して、釈迦仏を殺さんとした。富蘭那迦葉と親交があるという(大智度論)の説。これが一般的に多用されている。
など、多くの説がある。
彼は釈迦族の諸王子たちと共に釈迦仏の弟子となったが、その後は釈迦に「五事の戒律」を提案するも受け入れられなかったので、分派して新しい教団をつくったという。彼が釈迦に提唱した「五事の戒律」は以下の通り。
人里離れた森林に住し、村邑に入れば罪となす。
乞食(托鉢)をして、家人から招待されて家に入れば罪となす。
ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着て、俗人の着物を着れば罪となす。
樹下に座して瞑想すべきで、屋内に入れば罪となす。
魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。
ちなみに、これら提婆達多が提示した五事の戒律が厳しいことや、釈迦仏が入滅の直前に純陀からスーカラマッタヴァという豚肉(あるいは豚が探すトリュフのようなキノコとも)という供養を受けて食した事などから、仏教学においては、初期の釈迦仏教教団の戒律はそれほど厳しいものではなかったという指摘がされている。
また、彼は三逆罪(さんぎゃくざい)を犯したため、生きながら無間地獄に落ちたといわれている。なお彼が犯したとされる三つの逆罪とは以下の通りである。
破和合僧(はわごうそう)、釈迦教団を出て分派活動を行った。
出仏身血(すいぶつしんけつ)、山頂から大石を落として釈迦仏の足の指から出血させた。
殺阿羅漢(さつあらかん)、釈迦仏を殺さんとしていた所を蓮華色比丘尼にとがめられ、彼女を鉄拳で殺した。
しかし近年の仏教学では、提婆達多は釈迦に戒律を厳格に整備して教団の改革を進言したが、拒否されたために釈迦教団から去り独自の教団をつくっただけで、教団を分った以外は史実になく、これはスケープゴートされただけともいわれている[要出典]。

提婆達多派の仏教と位置づけ
七世紀にインドを訪れた玄奘三蔵の『大唐西域記・巻十』には、提婆達多が生きながら地獄に堕していった穴がインドに残っていたこと、またベンガル地方では後期まで提婆達多派の教団が存在しており、三伽藍を要して乳酪を口にせず提婆達多の遺訓を遵奉し、過去七仏の中でも釈迦仏を除いた賢劫の三仏を信奉していた事などが記されている。

また法顕三蔵も五世紀にネパール国境近くで提婆達多派の教団に遭遇したと報告している。

したがって、この記述から推察されるに提婆達多派では釈迦を仏として認めず、多少なりとも対立していた事がうかがえる。

増一阿含経』には、提婆達多が逆罪を犯した様子が描かれている。しかし増一は、阿含経の中でも最も後期の部派仏教による成立であり、堤婆達多が釈尊に逆心し大罪を犯したとする内容は現在の仏教学においては疑問視されている。
なお同経には、彼の末路が詳細に述べられている。彼は三逆罪を犯した後、自身の爪に毒を塗り釈迦を殺さんとするも、地中から炎の暴風が巻き起こり巻き込まれる。この刹那に提婆達多は悔いて「南無仏」と言おうとしたが焼き尽くされ、地獄の最下層である阿鼻地獄へと堕ちていった。彼は現在、賢劫中は阿鼻地獄に堕しているが、その後四天王に生まれ、幾度か転生を繰り返し天界を次第に昇り、最後に人間界に戻って、釈迦を殺そうとして地獄に堕ちる直前に絶句した所以から「南無」という名の辟支仏(びゃくしぶつ=縁覚)になるといわれる。

また『法華経』提婆達多品第十二では、提婆達多は天王如来となるという未来成仏が説かれている。
これを反逆者、大悪人、ひいては一闡提の成仏と解釈する向きも多い。しかし、あくまでも経典上では釈迦が前世において法華経を教えてくれた師匠こそ提婆達多その人だった、と書かれているだけである。法華経の提婆品には、彼が三逆罪を犯した大悪人とは断言しておらず、また、そのような大悪人も法華経によって成仏するという記述もない(ただし、この提婆達多品第十二が女性や畜生など他の経典では成仏することができないとされている存在の成仏を保証している章であることに注目すれば、成仏できないとされていた悪人の代表として提婆達多を登場させていると考えるのが自然である)。
これについて、渡辺照宏氏は『日本の仏教』(岩波新書)において、法華経(少なくとも提婆達多品第十二)は、正統派の仏教とは別の方面で成長し、後々になってそれが法華経本編に編入されたものである、と推察している。

また涅槃経においても、釈尊が提婆達多を罵辱したこともなければ彼が地獄に堕したこともなく、提婆達多は一闡提ではない、また声聞縁覚でもなく、ただ諸仏のみが知見できる所である、とあり、彼を一闡提と見る傾向を否定し、涅槃経でも法華経の記述内容と同じく提婆達多及び彼以降の部派仏教が微妙な存在だった事がうかがえる。
したがって、仏教の歴史からいえば、釈迦入滅後の根本分裂により多くの部派が分裂し、一切衆生の済度を目標に掲げる大乗仏教が成立すると、長きに渡って反逆者、大悪人などとされてきた提婆達多をどう捉えるかが問題となった。また提婆達多派の存在を認知して、それらの分派した仏教部派をどう包摂するか、などが大乗の観点から大きなテーマとなり、それが経典という形で表されたものであると推察されている。

【外務省】 首脳外交

 米国
 ・国務長官 ヒラリー・クリントン

 英国
10月
 ・首相キャメロン

 ドイツ連邦
10月23-28日 6日間 日独交流150周年事業関連
 ・大統領ウルフ

 フランス共和国
10月
 ・首相フィヨン

【外務省】9月30日付け
平成24年度予算一般会計の概算要求

総額は23年度当初予算比で6・1%減の5879億円。
政府開発援助(ODA)は同比8・2%減の3830億円で、2年ぶりに減少

要望枠(605億円)や東日本大震災の復旧・復興枠(209億円)を含めると総額4644億円となり、満額認められれば前年度比で11・3%増となる

11月3、4日 主要20カ国・地域(G20)首脳会議/フランス・カンヌ


 民主党の前原誠司政調会長が30日発売の外務省発行の雑誌「外交」のインタビューで、将来の日米同盟の在り方について「米国の相対的な力が落ちていくのであれば、日本が双務的な役割を果たせるようになればよい。非対称的な同盟関係は徐々に解消していくべきだ」と訴えている

前原は9月07日にワシントンで行った講演でも、集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈の見直しに言及した。野田佳彦首相や一川保夫防衛相は見直しに否定的な考えを示している。