2011年5月27日金曜日

日本の自彊不息力が弱まっていないか?

【日経ビジネス】

日本の自彊不息力が弱まっていないか?
「自ら努め励んで休まない」ことの大切さ
宮田 秀明

 私の研究室は、普通の大学の研究室、東大の他の研究室とは違うところがある。私の研究室は独立した建物の中にあるのだ。日本海軍の外郭団体である海防義会の寄付によって、1936年(昭和11年)に船型試験水槽が建設された。長さ86mのプールのような水槽で、精密な船の実験ができる。翌1937年にその実験施設に連結して建設したのが研究棟である。昭和10年代に建設された本郷構内のたくさんの建物と統一して設計されているので、ゴシック風の趣のある建物だ。

 このゴシック風の2階建研究棟の2階に学生がいて、私は1階にいる。私はこの1200平方メートルばかりの研究室を30年以上管理運営してきた。あまりに古い施設なので、大学が面倒を見てくれるのは建物の外装くらい。このため、この広い施設の管理運営を一研究室の予算で賄うのはけっこう大変なことだ。私がたくさんの産学連携プロジェクトをずっと行っている理由の一つはここにある。民間企業から継続的に寄付を頂いてこの施設を維持することが、東大のほかの教員にはない使命になっている。

 船型試験水槽の建設を主導したのは、当時の工学部長、平賀譲教授だった。海軍から来た人で、軍艦設計で有名な方だった。当時の工学部船舶工学科は海軍と密接につながっていた。学科の成績優秀なトップ5人は、3年生の時から海軍から奨学金をもらって学び、海軍技術将校への道を選んだ。戦艦大和に至るまで、日本の軍艦技術を支えていたのは彼らだった。

 アメリカズカップのプロジェクトを行った時も、ここが中心になった。船体形状の設計は、2階でコンピューター・シミュレーションを行い、1階で実験を行う。これを3年以上繰り返した。

近年まれな、真面目な学生たち

 今はここで環境プロジェクトと小売流通業のプロジェクトを行っている。ちょうど50%ずつくらいの力の入れようだ。
 研究棟の2階の入口に、6つのデスクを向かい合わせに置いている。2010年度は、そこに4年生が6人居た。このうち3人の研究テーマが環境プロジェクトに関連していて、残りの3人が小売流通業の進化プロジェクトに関連していた。

 最近の学生は大学に居ないことが多い。パソコンとネットワークがあるので、自宅でできることが多いからだ。ところが、この4年生6人は、毎日午後からだが、仲良くそろって研究していることが多かった。夕食も6人そろって食べに行くので、まだ時間に余裕のあるころは、私が食事に誘いたくなることもあった。

 つまりこの4年生6人はそろって、近年稀に見る真面目な学生だったのである。真面目に勉強を続ける、これは人が成長するための基本だと思う。大学も、職業も、年齢も、国も問わない。真面目に勉強を続ける人が成長し、企業を支え、国を支える。
自ら努め励んで休まない

 私が松山の実家で中高時代の学生生活を送っていた時、勉強机の上に徳富健次郎(蘆花)の扇面を表装した額があった。「自彊不息」と書かれている。為書があって、楠正雄君為とある。徳富蘆花が、明治大学の弁論部員だった私の母方の祖父のために書いたものである。祖父は社会人になって横浜正金銀行に勤務したのだが、この時は学生だったのだと思う。徳富蘆花は相手が学生だったから、こんな言葉を贈ったのだろう。

 「自彊不息」とは、自ら努め励んで休まないという意味である。易経が出典のようだ。ある分野をマスターするために努力する場合も、プロジェクトの創造に挑戦し続ける場合も、このことが共通して大切だ。

 もし私が色々なプロジェクトで成果を出したとすれば、最大の秘訣は「自彊不息」をモットーにしていたからかもしれない。大きな成果を生み出すための素質とかDNAを、生まれながらに持っていたかと言うと、それは絶対に違うと思う。

 中学校に入ってから2年間は、成績が振るわなかった。ところが、中学3年になった時、英語に対してだけだが「自彊不息」を実行した。毎日4~5時間、英語の勉強をした。英会話を習い、英単語を覚え、英文法の例文を覚え、英語の小説を読んだ。こうして東大へ入学するための能力の一つを養った。

 大学院修士課程では、1年半の間に5000時間集中して研究し、ほとんど博士論文のような修士論文が完成した。5000時間は1日10時間で1年半集中するということだ。この修士論文の発表を聞いた隣の研究室の乾崇夫先生が、卒業後5年目に私を東大に誘ってくれた。修士課程で実行した1年半の「自彊不息」が、今から思えば素晴らしい人生の入口を拓いてくれたのだ。

 それ以後も同じことの連続だった。「自彊不息」は私が仕事に向かう時の習慣的な姿勢になった。アメリカズカップのプロジェクトでも同じだった。環境エネルギープロジェクトに挑戦している今も全く変わらない気持ちでいる。

国の力は、国民の“自彊不息力”の積分値

 「自彊不息」は私だけではなく、日本人の優れた特性だ。国民の「自彊不息」の姿勢の強さを積分したものが、国力の重要な部分を占めるのではないだろうか。たいへん失礼かもしれないが、低開発国が貧しい国から脱出できない理由の一つは、この力が不十分だからではないだろうか。明治時代に日本が急成長した理由の一つも「自彊不息」ではないだろうか。

 しかし、昨今この優れた特性が少し弱くなっているような気がする。ネットを使ったカンニング事件は特殊な例かもしれないが、最小の努力で成果を出そうというような「自彊不息」の気持ちとは逆の気持ちの人が増えていないだろうか。中国や韓国の人々が、学校教育や社会人になってからの教育の中で、日本人以上または日本人に近い「自彊不息」の気持ちを強めてきているとすれば、日本にとっては厳しい闘いになるだろう。
 冒頭の6人の4年生に「自彊不息」の姿を見た。人生に曲がり角を迎えた時、国の成長が曲がり角にさしかかった時、一つの有力な戦略は「自彊不息」の気持ちを強めることではないだろうか。

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