2011年5月21日土曜日

爆発リスク覚悟、陸自ヘリが緊迫の放水作戦





作戦指揮 隊長 加藤憲司2陸佐(39) 第104飛行隊長

1番機長     伊藤輝記3陸佐(41)

2番機長     前原 敬徳1陸尉(37)


【読売】爆発リスク覚悟、陸自ヘリが緊迫の放水作戦

ヘリから放水した(左から)加藤隊長、伊藤機長、前原機長(19日、千葉県木更津市で)


 福島第一原子力発電所で自衛隊ヘリが3月17日に実施した空中からの放水作戦で、ヘリの機長らが、緊迫した機内の様子を振り返った。


 ヘリ2機は、陸自第一ヘリ団(千葉県木更津市)に所属。17日午前、3号機の使用済み核燃料プールに対し、交互に計4回にわたって海水を投下した。


 1番機で作戦を指揮した加藤憲司隊長(39)に最終的な出動命令が下ったのは当日早朝。前日に別のヘリが放水を試みた際には放射線量が高く断念し、この日は、被曝線量を抑えるため、300フィート(約90メートル)の高度を20ノット(時速37キロ)で通過しながら水を投下する作戦を立てた。


 機体には放射線を防ぐタングステンのシートと鉛板を敷き詰め、隊員は防護服の上に鉛板が入ったチョッキを着用、体内被曝を防ぐヨウ素剤を服用した。


 当時、露出した核燃料に水を掛ければ水蒸気爆発が起きる危険もあった。


 「多少のリスクは覚悟していた。いかに正確に飛行するかに集中した」と1番機の伊藤輝紀機長(41)は振り返る。
(2011年5月21日08時01分 読売新聞)



【共同通信】

陸自放水ヘリ部隊が状況語る 原発上空「不安よぎった」
 
 福島第1原発3号機に水を投下した陸上自衛隊第1ヘリコプター団の飛行隊長らが20日までに、共同通信などの取材に初めて応じ、当時の状況を語った。


 放射線への恐怖心はなかったとしながらも「原発上空では不安がよぎった」「全員に異常がなくほっとした」との心情も吐露。隊長らの話から“決死の任務”を再現した。


 取材に応じたのは、CH47ヘリ2機による水投下を指揮した第104飛行隊隊長の加藤憲司2佐(39)、ヘリの機長を務めた伊藤輝紀3佐(41)、前原敬徳1尉(37)ら。


 3号機の使用済み燃料プール冷却のため、3月17日午前、4回にわたり計約30トンの水を投下した。


 第104飛行隊に「命令」が出たのは放水当日の早朝。加藤隊長は隊員らに「何か不具合があれば無線で連絡をくれ。しっかりやろう」と伝え、自らもヘリの1番機に乗り込んだ。健康診断を済ませた隊員は、ヨウ素剤を服用して搭乗。


 1番機の伊藤機長は「恐怖はなかったが、防護マスクに防護衣、鉛のスーツも着て動きづらく、しっかり放水できるのか不安はあった」。


 ヘリ2機が霞目駐屯地(仙台市)を離陸したのは午前8時56分。約80キロ南の3号機は折れ曲がった建屋の鉄骨をさらけ出していたが、2番機の前原機長は「建屋から煙が見えても動揺はなかった」。


 ヘリ2機は高さ100メートル弱、時速約37キロで3号機に近づく。整備員がヘリ底部のハッチに取り付けたアクリル板越しに水の投下位置を確認する。9時48分。「放水用意―。放水」。伊藤機長の指示で別の整備員がボタンを押し、3号機に向けて水を浴びせた。
 前原機長は「達成感でいっぱいだが、あまり思い返したくない。原発上空で実際に(水を)まくところまで行くと、少し不安がよぎった」と語った。


 午前10時に放水4回を終え、除染後にヘリ2機が霞目駐屯地に戻ったのは午後2時9分。加藤隊長は「全員に異常がなかったのを確認して初めてほっとした」と振り返った。

2011/05/21 00:37 【共同通信】

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