2011年12月9日金曜日

【海軍中佐】 淵田美津雄




【SAPIO】2011年12月28日号

 日本海軍
 1941年12月08日(日本国時間)

 6隻の空母中心に計37隻からなる大機動部隊
 ・第一航空戦隊 - 空母「赤城」「加賀」
 ・第二航空戦隊 - 空母「蒼龍」「飛龍」
 ・第五航空戦隊 - 空母「瑞鶴」「翔鶴」

 〇_第1波空中攻撃隊 183機
  総隊長 海軍中佐 淵田美津雄(39)
  「ト・ト・ト」(全軍突撃せよ)
  「トラトラトラ」(奇襲ニ成功セリ)の電文を打電

  水平爆撃隊49機、雷撃隊40機、降下爆撃隊51機、制空隊43機


 1951年にキリスト教の洗礼
 1952年から15年ほどの間、伝道団体から招かれてたびたび米国を訪れ、各地で伝道に努めた

 戦後、公職追放され、故郷奈良で農業に勤しんでいた時、「父よ、彼らを赦し給へ、その為す処を知らざればなり」という聖書に記されたイエスの言葉に出合い、啓示を受けたことが入信のきっかけだ。

 この言葉に従えば争いはなくなる、と淵田は信じた。

 何度もの渡米の機会に、終戦時の大統領だったトルーマン、最初の東京空襲を指揮したドゥーリットル、太平洋艦隊司令長官だったニミッツ、そしてマッカーサーといった、因縁深い多くの重要人物に会っている。

 死去したのは1976年。葬儀は2度行なわれた。1度目は身内によるキリスト教式のもの。2度目は多数の海軍関係者が参列した神式によるもので、軍歌『海ゆかば』が流れた。淵田は最後まで「真珠湾攻撃の英雄」だった。

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