2011年12月18日日曜日

『琥珀の眼の兎』 エドマンド・ドゥ・ヴァール著

【読売】2011年12月5日
『琥珀の眼の兎』 エドマンド・ドゥ・ヴァール著

評・河合香織(ノンフィクション作家)
流転する根付のドラマ

 ルノワールの有名な絵画「舟遊びをする人々の昼食」には、夏の日差しに場違いなシルクハットに黒いスーツを着た人物が描かれている。その男はルノワールのパトロンであり、プルースト『失われた時を求めて』の登場人物のモデルでもあり、さらに本書で描かれる、さまよう「根付(ねつけ)」の最初の持ち主でもある。

 根付とは主に江戸時代に作られた小型の細工物を指す。イギリス人の著者は東京に暮らす貿易商の大叔父から264の根付を相続したことをきっかけに、その来歴について調べ始める。一族の祖、ユダヤ系のエフルッシ家は19世紀後半、ロスチャイルド家に比肩する富を築き、日本からパリに渡った根付のコレクションを買い取った。その後、ウィーンに暮らすいとこの結婚祝いに贈られたコレクションは、一族の没落とナチスによるユダヤ人迫害の悲劇に見舞われる。その歴史を追った本書は、イギリスで40万部のベストセラーになった。

 ナチスに全財産が奪われた時、コレクションは使用人に奇跡的に救い出された。子供たちが母の化粧室に置かれていた根付でいつも遊んでいるのを知っていた使用人は、大切なおもちゃを、その一つ一つの記憶が奪われることへの抵抗として、そして失うわけにはいかない未来への希望として運び出したのだ。

 第2次世界大戦後、コレクションは日本に戻った。著者によれば、根付は手にとって語る相手を必要とする。それらは運ばれ、売られ、壊され、盗まれ、また取り戻されてきた。根付がたどった数奇な運命は、喪失の記憶である。だが、何かをなくすことは悲しいことばかりではなく、生きていくスペースを新たに生むことにもつながる。そもそも根付は小さく硬く、世を転々としてもいいように作られた。国家に帰属しないユダヤ人の歴史が重なり、なぜ根付がそれほどまでに人々を魅了してきたのか、その理由が鮮やかに浮かび上がる。佐々田雅子訳。

 ◇Edmund de Waal=1964年、イギリス生まれ。陶芸家。91~93年、日本に滞在して陶芸を学ぶ。

 早川書房 2300円

『The Hare with Amber Eyes』。
2010年度のコスタ伝記文学賞受賞作。

ロンドンに住む30歳の陶芸家(本書の著者)が、泉岳寺に住む大叔父から『琥珀(こはく)の目をした野ウサギ』をふくむ264個の根付けを遺贈された。

 264個の根付けは、文明開化の横浜から異人さんに連れられてマルセイユに上陸し、パリでプルーストやルノワールにめでられ、ウィーンから英国経由敗戦後の東京へもどってきた。

先祖伝来の根付けの旅を追いかける形で語られる本書は、オデッサで富をなしパリとウィーンで小帝国を築いたユダヤ人金融富豪エフルッシ家の没落記でもある。

ロスチャイルド家と並び称された同家の栄華は1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合で途絶する。

同家の名は登記簿から抹消され家伝の美術品は略奪された。でもそこにあった根付けは?

そうそう、そこで消えてしまっては東京までたどりつけない。

野ウサギたちがどうやってナチの魔の手をのがれたか、本書中一番すてきな美談なので、そこだけは隠しておこう。






【週刊ポスト】2011年12月23日号

【書評】『琥珀の眼の兎』(エドマンド・ドゥ・ヴァール著/佐々田雅子訳/早川書房/2415円)

【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)

著者エドマンド・ドゥ・ヴァールは二十年ほど前、日本の陶芸を学ぶために来日した。終戦直後からずっと東京に住む大叔父は、このとき、あるコレクションを見せてくれた。

二百六十四点の「根付」である。根付とは、きんちゃく袋の小さな留め具として江戸時代に流行したが、古美術界では根強いファンを持つ彫刻品でもある。
お面をつけて遊ぶ子どもたち、鼠、花梨、裸女と蛸、性交する男女――。

大叔父は、ウィーンとパリを拠点に栄華を誇ったユダヤ人銀行家、エフルッシ一族の継嗣であった。
しかしその経歴とは不釣り合いなことに、東京のささやかなマンションで生涯を閉じた。

著者は、この小さな美術品たちを相続した。
そして戸惑う。
いったいこれらはどうやって、日本から遠いヨーロッパへとたどりつき、時を経て、またふたたび日本へと戻ってきたのだろうか。
根付たちが放浪してきた旅は、同じく、放浪の歴史をもつ一族につながる旅でもある、と。

十九世紀末、ペリーの開国によって海の外へと持ち出された日本の美術品は、西欧の芸術家と、そして彼らのパトロンである大富豪たちに「新しい風合い、新しい物の感じかた」を与え、熱狂させた。ジャポニズムである。

エフルッシ家の子どもたちは、東洋からやってきたこの小さな美術品を「ながめ、いじり、さする」玩具として、繁栄の時代を、肌の記憶にしみ込ませていった。

だが一族が、ロシアの穀物商からヨーロッパ中枢の大富豪へといっきに駆けのぼった時代は、同時に、彼らユダヤ人を「成り上がり者」として排斥する気運を育てた時代でもあった。

ナチス・ヒトラーの狂気を、なぜあの時代は受け入れたのか。
一族の隆盛と没落の物語が、その理由を克明に再現するのである。

やがて手元に残されたのは、確かな感触をもって握りしめることのできる根付だけだった。
それは、一族の平和だった時代が「よみがえる物語であり、手放すわけにはいかない未来」でもあったのだ。

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