(日刊SPA! - 09月05日 12:10)
8月6日、ロンドン市内は暴力と略奪の渦に巻き込まれた。そもそもの発端は、ロンドン北部で8月4日に黒人のマーク・ダガン(29歳)が警察官に射殺されたこと。
その後、17時頃よりマーク・ダガンの遺族や知人、地元住民、市民団体などによる追悼・抗議デモがトッテナムの警察署前で行われたが、これが暴動に発展。警察車両やバスの破壊、放火され、次第に周囲の店舗や建物への略奪へとエスカレートした。
青木文鷹にロンドン暴動で何が起きていたのか聞いた。
――逮捕者が1600人を超える騒ぎになりましたが、なぜこのような大規模なものになったのでしょうか?
青木 この事件について、メディアでは移民や人種、宗教問題などさまざまな説が取りざたされていますが、実際には組織的な陽動によるれっきとした犯罪行為であり、問題の根底には「欧州経済の変調と経済不安」が深く関与しています。
暴動のきっかけが警察による黒人の射殺だということ、またそれに対する抗議を込めた警察との衝突がきっかけであったことは報道が伝えるところです。
最初の暴動はこれらの関係者によるものですが、警察の対応が後手かつ弱腰だったのを見て破壊行動から略奪と移行しました。
――暴動が略奪という犯罪行為へと移行したきっかけは何だったのでしょうか?
青木 暴動を「略奪という犯罪行為」に変化させたのは現地のギャングです。彼らは英国の伝統的な地下社会とは異なる集団で、英国の多数の報道でもギャングの跳梁について報じています。これは推定ですが、デモが暴動になりつつあった段階で警察の対応が通信情報端末のブラックベリーが持つメッセンジャー機能を通じてギャング組織に伝播。ギャングは暴動でカモフラージュして略奪をすれば成功するとみて行動したのだと思います。
その後、暴動と略奪に引き寄せられた移民貧困層の若者が集結してくると、ギャングは一部を意図的にブラックベリーメッセンジャーへ参加させ、情報を共有します。先頭に立って略奪を行い、その後を移民貧困層の若者が引き継ぐ形で暴動が継続したのです。略奪が広がる間にギャングは撤退し、別の場所で略奪を繰り返す。残された暴徒はしばらくの間熱狂に浮かされた形で暴動と略奪を続け、その騒ぎを見て世間に不満を持つ人達があとから参加する。
しかし、政治的な主張がない雑多な集まりであるため、時間の経過と共に我に返り、警察の増員によって徐々に沈静化していったのです。
――実際に、略奪の写真を見ると組織だった略奪は金目の物中心、暴動の流れに乗った貧困若年層は無秩序に食品やクスリなど比較的低価格の日常品を略奪している傾向が見られます。
青木 前者の多くが顔を隠し、後者は顔をさらしていることからもプロとアマの差が見てとれます。各地の略奪初期に撮られた写真で襲われている店舗は、両替商や貴金属店と言った「現金のある店」、美容院やレストランといった「日銭商売」の店が多く、放火や暴動が進むにつれてスーパーや家電店、衣料品店といった「換金しにくい物を扱う店」が襲われていることがわかります。
略奪対象の遷移は、略奪側の意識変化が反映されます。つまり、初期は犯罪経験者か常習者が中心を占め、その後、素行の悪い移民貧困層の若者へバトンタッチしたと推定されるのです。
場合によってはギャングから指示が出ていた可能性もあります。またインタビューなどで見られる「政府が悪い」「税金を取り戻している」といった暴徒の発言は、「ギャングが不満を抱える移民貧困層の若者を引き込んだ」際の誘い言葉だと考えるのが妥当だと思います。
率先して略奪を行った人間達が「政府が悪いから何をやっても正しい」というもっともらしいいい訳を与え、実行してみせたことで暴動が過熱化したのです。では、なぜギャングがこのような大胆な行動に走ったのだろうか?
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