2011年9月5日月曜日

【防衛副大臣】 渡辺 周

1961年12月11日(49歳)
静岡県沼津市
早稲田大学政治経済学部
読売新聞社記者静岡県議会議員
静岡6区5回

総務副大臣鳩山由紀夫内閣菅内閣)、民主党選挙対策委員長

2009年9月に発足した鳩山由紀夫内閣において、原口一博総務大臣の下で副大臣に就任し、2010年6月発足の菅内閣でも再任された。同年9月の菅改造内閣に伴い、総務副大臣を退任。党の新執行部では選挙対策委員長に就任した。
平成23年(2011年)1月 - 民主党国民運動委員長 厚生労働委員会筆頭理事[1]

政策・主張
民主党内では中堅・若手の保守派の代表格として知られ、民主党の有志議員連盟である慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会の会長を務める。

民主党らしからぬ保守色の強さから、選出選挙区である静岡6区では保守層からの支持も根強く、民主党に逆風が吹いた第44回衆議院議員総選挙でも、比例復活こそ許したものの自由民主党倉田雅年を凌駕した。

米下院121号決議の全面撤回を求める7月13日付けの米大使館への抗議書(チャンネル桜主導)に賛同者として名を連ねた。[2]

民主党内の、外国人参政権に反対する中堅・若手議員の代表格でもある。小沢一郎鳩山由紀夫菅直人岡田克也前原誠司ら、外国人参政権に賛成している党幹部、歴代党代表に対抗するため、民主党内の保守系議員約30名を集め、党内の保守派の重鎮である渡部恒三西岡武夫、中堅・若手の保守派の代表格である松原仁笠浩史松野頼久らと共に永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会を結成した。[3]
静岡空港の建設に強く反対していた。
前原誠司とは、次の内閣で前原が安全保障大臣を務めていた当時、副大臣として補佐した間柄で、渡辺は凌雲会(前原グループ)に所属している。なお前原の父親、渡辺の父親はともに鳥取県境港市の出身である。

2011年3月20日の『新報道2001』(フジテレビ系)において、東北地方太平洋沖地震福島第一原子力発電所の放射線漏れ事故のデマによる風評被害に関連して「自衛隊が到着したときには医者が避難して重篤な患者だけが取り残されている怪しからん例があった」と発言。

3月17日にそのような報道があったのは事実だが、翌日に自衛隊が到着したときには院長を含むスタッフが現地にいたとの訂正報道がなされている[4]。尚、この件について民主党本部の渡辺周宛に抗議文が内容証明で送られ受理されたが、その後も訂正・謝罪などは行われていない。[5]

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