2011年8月29日月曜日

松下政経塾に学ぶ「人間磨き」

松下政経塾に学ぶ「人間磨き」
怠ることなく続ける駅頭演説、「10年続けることは偉大なり…」
2008年3月31日 (衆議院議員 野田佳彦)

初めて駅前でマイクを握ったのは、1986年10月1日でした。場所はJR津田沼駅北口のコンコース。友人がつくってくれた手書きのノボリを1本立てて、ハンドマイクを持つスタイルでした。緊張してガチガチでした。第一声を発した瞬間、「ああ、一歩踏み出してしまった。もう後戻りはできない」と思いました。

以来、ウィークデイは毎朝続けています。月曜日は津田沼、火曜日は船橋、水木金曜日は船橋市内の各駅をローテーションで回ります。時間帯は6時〜9時または6時半〜8時半。今年で22年目に入りました。

幸之助氏の言葉、「ワシなら駅前で皿回しをするわ」

きっかけは松下幸之助塾長の言葉でした。松下政経塾に在塾中、知名度のない新人が選挙に勝つにはどうしたらいいかと質問したとき、塾長は明快に答えました。「ワシなら駅前で皿回しでも何でもやるわ」と。

1987年4月の県議選に無所属で初挑戦しようとしたとき、塾長のこの言葉を思い出しました。「地盤、看板、カバンなし。されど正義あり、良き友あり」がスローガンだった私にとって、駅前に立ち続けるしか方法はないと。「県政を新鮮な目で見つめ直そう」という主旨の下、「船橋新鮮組」を名乗り、本当に新選組の羽織を着て立ちました。その姿は、大道芸人みたいだったでしょう。

活動を始めたばかりのころ、道行く人々の反応は極めて冷淡でした。通勤・通学で急いでいるので、誰も立ち止まって聴いてはくれません。一瞬目を向けてくれたとしても、一瞥(いちべつ)を投げるだけでした。「取り返しのつかないことを始めてしまったな」と後悔しながらも、ただひたすらに駅前で訴え続けました。雨の日も雪の日も。孤立無援の近藤勇の如く。

一か八かの賭け、13時間のマラソン辻説法

厳寒の季節を迎えると反応が出てきました。携帯用カイロやのど飴をプレゼントしてくれる人が現れ始めました。少しずつ手応えを感じながら、選挙直前に大博打に出ました。これまたJR津田沼駅で、7時から22時まで、1人で13時間訴え続けるという「マラソン辻説法」に挑んだのです。私がマイクを握っている傍らに、「8時間経過、あと5時間」という表示を出し、イベント化しました。
夜になると帰宅途中の人々の足が止まり、私の周りに人だかりができてきました。「教育はどう思う」「下水道はどうするんだ」といった質問も飛んできました。最終場面では、数百人規模の屋外市民集会の様相を呈してきました。箱物に人を動員する力がなかった私のイチかバチかの賭けは、大成功に終わりました。

ねり歩き辻説法で、体重が10kg減

1987年に県議選に初挑戦したときには、街宣車を買うおカネがなくて、朝から晩までハンドマイクをかついで喋り続ける「ねり歩き辻説法」に挑んだこともありました。これは荒業でした。歩きながら話し続けると、相当に体力が消耗します。選挙期間中に10キロも体重が減りました。足はまさに棒のよう。ウグイス嬢の力を借りることもなく、1人で訴え続けるのですから声も涸れます。でも、一度つぶれた喉が復活したときこそ、ジョン・レノンのビロードのような声になるのです。

ちょっとした上り坂でも息が切れる苦しい活動でしたが、思わぬ効果もありました。街宣車が入れないような路地裏の裏まで、きめ細かな辻説法が可能になりました。公園のすべり台のてっぺんに登って、団地の1棟1棟にバズーカ砲のようにスピーカーを向けて訴えもしました。

また、日常的に街宣活動を継続してきたお陰で、衆院本会議においても原稿なしで質疑に立てるようになりました。審議を遅延させる目的で「フィリバスター」という長時間演説を行うことがあります。一度私に、13時間くらいやらせてほしいものです。

当選した翌日も、落選した翌日も、駅頭に立つ

「マラソン」「ねり歩き」など、街頭演説の応用篇を語り出したらきりがありません。やはり、毎朝駅頭に立ち続けることこそ最も重要だと思います。風邪をひいて体調が悪くても、前の晩に飲み過ぎて二日酔いで苦しくても、必ず5時に起きます。そして、6時にはまだ暗くても駅頭に立ちます。

春夏秋冬を文字通り体感できる活動です。何といってもいちばん辛い季節は真冬です。長時間活動していると、体内の血液まで凍るのではないかと思うときすらあります。マイクを握る手もビラを配る手も、ちぎれるような痛みを感じます。しかし、ビラを受け取るためにわざわざポケットから手を出してくださる方がいたときには、「凍る手に差し出す手の温かさ」を感じます。

当選した翌朝はもちろん、落選した翌朝も一睡もしないで駅頭に立ちました。順風のとはもちろん、逆風のときこそ逃げないで説明責任を果たさなければなりません。「駅前留学はNOVA、駅前演説はNODA」と自称しています。かつては300枚しかビラを配れなかった駅で、今では3500枚も配れるようになりました。

中国では、古くから次のような言葉があるそうです。「どんな事でも10年続けることは偉大なり。20年続けば恐るべし。30年にして歴史になる」。この言葉を胸に刻み、これからも立ち続ける決意です。

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