2011年8月29日月曜日

【福井県】 若狭 初の県総合防災訓練


 〇_多用途支援艦「ひうち」ASM-4301(満排1400トン)

【朝日】
若狭 初の県総合防災訓練
2011年08月29日

訓練中に毛布と棒を使った簡易担架の作り方を、三方消防署員が住民に指導した=若狭町小川
海岸近くの自宅から標高約9メートルの集会所へ。避難訓練に参加した住民たち=若狭町小川
集落に取り残された住民を救助する海上自衛隊の訓練=若狭町沖

 若狭町で28日に実施された県の総合防災訓練。県や同町、海上自衛隊、海上保安庁など80機関からの約1千人に加え、町民の3割近い約4400人が参加する大規模な訓練だった。東日本大震災を受け、初めて取り組んだ津波の避難訓練には、沿岸の町内7地区から約300人が参加した。

 「津波警報が発令されました。津波が来る恐れが非常に高いので、高台に避難してください」

 午前8時半、沿岸部の同町小川の集落で、屋外に設置されたスピーカーを通じて警報の発令を知らせる連絡が流れた。直後、民家から一斉に住民たちが出て、高台への避難を始めた。

 自分がいる高さを意識してもらおうと、県は「標高2メートル」「標高4メートル」と記した表示板を路地に設置。小さな子どもがいる家族連れや手押し車の高齢者らは表示板を横目に、避難所に指定された標高約9メートルの集会所を目指して歩いた。

 訓練では消防署員らが消防車から住民に避難を呼びかけたり、警察官がけが人を担架などを使って高台まで運んだりもした。

 今回は秋田県沖でマグニチュード7・7の地震が発生。県沿岸部に津波警報が発令され、見直しが進められる県防災計画の最大想定津波(2・5メートル)と同じ高さの津波が到達した――との想定。

 海上自衛隊と海上保安庁は海中を漂流している人を救助し、ヘリで搬送する訓練に取り組んだ。さらに、地震と津波で孤立した住民約10人を海上自衛隊の作業艇で救助する訓練もした。

 漁業で民宿を営む安原正年さん(61)は孫で小学校1年の好誠君(6)の手を引いて集会所に向かった。「東日本大震災があったので初めて訓練に参加した。もし津波が来ても、この高さだったら大丈夫」と話していた。(高橋孝二)


【福井新聞】
津波想定し住民高台へ避難、救助 県防災訓練5400人参加
(2011年8月28日午後8時20分)

海上自衛隊の多用途支援艦「ひうち」の作業船で漁港から避難する住民たち=28日午前11時10分ごろ、若狭町小川
集団災害救出訓練で、バスから負傷者を助け出しトリアージを行う救助隊員や看護師ら=若狭町麻生野

 東日本大震災を踏まえた福井県の本年度総合防災訓練が28日、若狭町麻生野と小川の2会場を中心に行われた。大震災で多数の犠牲者を出した津波の対応に力を入れた点が特徴で、沿岸全7区の住民が高台の避難所までスムーズに移動できるか確認。海上自衛隊や敦賀海上保安部は津波でさらわれた人の救助や、道路が寸断され孤立した集落の住民を船で移送する手順を点検した。 

県と若狭町が主催した。沿岸7区を含め町内全92区の住民と、警察や消防、医療・交通関係団体など80機関の計約5400人が参加した。 津波の想定は、スマトラ沖地震を受け実施した2006年度以来5年ぶりで、初めて住民の避難訓練を盛り込んだ。秋田県沖を震源とするマグニチュード(M)7・7の地震が発生、高さ2・5メートルの津波が到達した―との想定。 同町小川の会場では午前8時半過ぎから、屋外スピーカーで津波警報の発令を知らされた住民が、足早に標高9メートルにある集落センターへ移動。随所に設置された標高を知らせる看板を見て、想定外の大津波にも備えた。

 海上では、海上自衛隊が多用途支援艦「ひうち」を出し、小型の作業船で漁港から住民を搬送する訓練を実施。敦賀海上保安部はヘリや巡視船で海上漂流者を救助した。 また内陸部の同町麻生野の会場でも、三方断層を震源とするM7・2の直下型地震が発生した―との想定で、けが人のトリアージなどについて、関係機関が連携を確認した。 県の総合防災訓練は毎年9月1日の防災の日に合わせ行っている。これとは別に、原発事故を想定した原子力防災訓練も国の防災指針の見直しを踏まえ今後実施される。

【読売】
「若狭に2.5メートル津波」初訓練 県や町 標高示す標識 避難路に置く

訓練で海上自衛隊の船で救出される住民(若狭町の小川漁港で)

津波を想定して高台に向けて避難する高齢者ら(若狭町小川で)

 県の総合防災訓練が28日、若狭町で行われた。東日本大震災を踏まえ、地震で高さ2・5メートルの津波が若狭湾に押し寄せたとの設定で、沿岸部の7集落の住民が高台に逃げた。津波を想定した本格的な住民の避難訓練は初という。
 訓練には県、若狭町、自衛隊など80機関の関係者や住民ら約5400人が参加。集落内の高さを意識することで、津波から身を守ってもらおうと、標高を記した標識をあちこちに置いた。

 常神半島の小川地区(53世帯)では午前8時半過ぎ、避難を呼びかける放送が流れ、住民約100人が標高9メートルの高台にある集落センターまで避難。民家の玄関に、逃げ遅れた人がいないことを示す白い手ぬぐいがかけられた。逃げ遅れた住民10人を海上自衛隊の多用途支援艦「ひうち」の作業艇で、海側から救出する訓練もあった。
 同地区の漁師松本喜太郎さん(82)によると、小川地区の東側にあった久留見という集落が江戸時代、大津波で全滅したとの伝承が残っている。訓練に参加した主婦(44)は「地区内には年寄りが多いので逃げる間がない。10メートルを超す津波が来たら、どうしたらいいのか」と不安そうに話していた。

 松本真人区長(52)は「若狭も三陸地方とよく似た(リアス式海岸の)地形で、津波が来れば多くの犠牲者が出る。訓練のようにスムーズに避難できるかどうか」と心配していた。
(2011年8月29日 読売新聞)

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