中南米の乱:第3部・グアテマラ、エルサルバドル編/4止 弾圧批判の大司教暗殺
2012年08月28日
「とても真面目な方でした。笑った写真は珍しい」。ロメロ大司教の写真を前に証言するクエバさん
拡大写真 ◇軍・ゲリラ内戦、憎悪深く
中米・エルサルバドルで軍の市民弾圧を批判したカトリック教会のオスカル・ロメロ大司教は1980年、首都サンサルバドル市にある神の摂理病院教会でミサを執り行っている最中に狙撃され、暗殺された。
「放たれたのは1発でした。祈りを終え、ぶどう酒を満たした聖杯を天に向かって差し出したときです」。修道女マリアデラルス・クエバさん(89)が証言する。ロメロ大司教と一緒に暮らした6人の修道女のうち唯一の生存者だ。
大司教は死を覚悟していたようだった。兵士には「弾圧をやめなさい。神の意にそむく命令に従う必要はない」と説教し、エルサルバドルへの軍事援助を停止するよう米国政府に手紙も書いた。
暗殺当日、大司教は「私が天に召される順番ならば、受け入れましょう」と言った。だから銃声が響いたとき、クエバさんは「ああ、神は今日、ぶどう酒でなく彼の命を望まれたのだ」と感じたという。凶弾は胸からのどを貫通した。
暗殺者はつかまらず、国民的な人気を誇った大司教暗殺に国連が動き、93年、真相究明委員会はアメリカ陸軍米州学校(SOA)出の陸軍少佐が率いた反共主義の暗殺グループ「死の部隊」の仕業と結論づけた。
大司教暗殺を機に、右派軍政と左派ゲリラの内戦が本格化し80年から12年間で約7万5000人が死んだ。にもかかわらず、暗殺部隊を率いた少佐が後に創設した親米右派政党・民族主義共和同盟(ARENA)は89年に政権を獲得。09年まで20年も国を支配した。
教会は末期がん患者のためのホスピスの中にある。マリア・ガルシア病院長(58)は「我々にとってはロメロ大司教は貧しい民衆のために死んだ聖人です。国際的にも有名です。でもこの国では右派のプロパガンダのせいで、扇動者とみなされている」。ガルシア病院長の口調から激しい怒気が伝わる。内戦の記憶は生々しく、右派と左派はいまも憎しみあっている。
11年3月、エルサルバドルを訪問したオバマ米大統領はロメロ大司教の遺体が安置された市内中心部の教会で、「我々は同じ(南北)アメリカ人」と演説した。だが、元左派ゲリラのカルロス・ディマスさん(53)は「和解を演出したかったんだろう」と冷めた感想をもらす。
元ゲリラたちは遺族・傷病者年金の支給を政府に訴えて教会を占拠していた。「09年に初めて左派政権になり、希望がかなうと思ったのに、何も変わらない」と肩を落とす。教会を訪れる外国人観光客から受け取る「心付け」で、細々と暮らす毎日だ。
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