2011年12月8日木曜日
日本海軍の暗号方式 真珠湾前に解読 米軍史料発見で新説
「真珠湾攻撃前に日本海軍の暗号を解読した」と明記した米軍史料の写し
【東京新聞】2011年12月8日 05時41分
ハワイで真珠湾70年式典 第1波攻撃に黙とう
【ホノルル共同】1941年12月に日本軍が米ハワイの真珠湾を攻撃して70年となった7日、真珠湾を臨む公園で戦没者を追悼し、攻撃を生き延びた米退役軍人らをたたえる式典が行われた。第1波の攻撃が始まった午前7時55分(日本時間8日午前2時55分)に合わせ、約3500人の出席者が黙とうをささげた。
米国立公園局と海軍が主催。メイバス海軍長官やウォルシュ太平洋艦隊司令官ら海軍幹部のほか、ハワイ州政府関係者や「真珠湾生存者協会」の退役軍人らが出席した。
70年の節目となった今年は、公園局などが真珠湾攻撃を振り返るシンポジウムを開催。
【東京新聞】2011年12月8日 07時03分
日本海軍の暗号方式 真珠湾前に解読 米軍史料発見で新説
1941(昭和16)年12月8日、太平洋戦争が開戦したハワイ・真珠湾攻撃の前に、米側が日本海軍が作戦指示に使った暗号をほぼ解読していたとする報告書が、米軍の史料から初めて見つかった。
42年6月のミッドウェー海戦前に解読され、米軍の大勝につながったというのが定説だった。米側が開戦前に、日本海軍の動きをかなり把握していた可能性もでてきた。
報告書は「日本から奪った文書が暗号解読にどう役立ったか」との題で47年3月、米海軍通信機密保全課内で作成された。戦史研究家の原勝洋氏(69)が三年前に米国立公文書館で見つけ、本紙に初めて公開した。
百七ページ、全七章にわたり、太平洋戦争で日本海軍から傍受、収集した各種暗号の解読に至る経過を検証している。第一章の冒頭二ページで、開戦前の解読成功に触れていた。
開戦当時、日本海軍が作戦指示に使った暗号は、まず暗号書で例えば「連合艦隊司令長官旗艦」なら「00867」と、言葉を五桁の数字に変換。その数字を「乱数表」を使って、別の数字に置き換える二段階方式だった。
報告書や原氏によれば、暗号解読の作業を一九三九(昭和十四)年夏から開始。二〇年代初頭、軍や警察のチームがニューヨーク日本総領事館に忍び込み、撮影した古い海軍暗号の法則をヒントに進められた。暗号書と乱数表は、旧海軍が随時、更新していたが、報告書には暗号方式を「真珠湾攻撃の前に解読できていた」と明記している。
ただ当時は米軍も対ドイツの情報収集に忙しい時期だった。報告書では、真珠湾攻撃について「十分な人員さえあれば、奇襲にはならなかっただろう」との注釈を付けている。
このため乱数表の解読で、第一段階となる言葉を数字に直した状態まではつかんでいても、数字に当てはまる旧海軍の専門用語を完全に割り出していなかった可能性もある。ただ原氏は「開戦前に解読していたと明記した史料はこれが初めて。どこまで旧海軍の指示が明らかにできていたかは、検証する必要がある」と話している。
米側は開戦前、日本の外務省が使用する外交暗号の解読に成功したが、より複雑な旧海軍の暗号解読は遅れたという見解が一般的だった。専門家の中には「米国は開戦前の解読で真珠湾攻撃を察知していたが、ルーズベルト大統領の謀略で日本を戦争に誘い込んだ」との主張もあるが、決定的な証拠がなく、論争が続いている。
【東京新聞】2011年12月7日
【コラム】筆洗
太平洋戦争の分岐点になったガダルカナル島の攻防戦では、約三万人の日本の将兵のうち二万人が犠牲になった。七割が餓死や病死である。一九四三年二月、大本営は敗北した事実を隠して、所期の目的を達して転進した、と発表した
これ以降、日本軍が太平洋の拠点から撤退した時に、新聞では「転進」が使われるようになる。部隊が全滅した時は「玉砕」に。軍部と新聞は言葉を言い換え、国民の目をそらした
同じようなことが今、政府や東京電力の記者会見で起きている。事故やトラブルの危険性を小さく見せるために「事象」という言葉を連発。記者が原発の「老朽化」に言及すると「高経年化」と言い直すと、本紙記事が報じていた
原子力建屋の中にたまった高濃度の放射能汚染水は「滞留水」。これでは危険性は伝わるわけがない。極め付きは、正常な原子炉を定期検査で止める時などに使う「冷温停止」に「状態」を付けた「冷温停止状態」だろう
事故が収束に向かっていると強調したい政府の常套句(じょうとうく)であるが、圧力容器から格納容器に溶け落ちた核燃料の状態が十分把握できていないのに、その言葉を平然と口に出せる感覚を疑う
かつて、新聞は軍部と一体になって、国民に本当のことを伝えなかった。もう過ちは繰り返したくない。事故が風化するのを待っている原子力ムラとの根比べでもある。
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