公明党書記長を約20年務めた矢野絢也が、1990年代に国税庁と創価学会(以下、学会)の間で起きた熾烈な税務調査の攻防と、その舞台裏を綴った『乱脈経理 創価学会 vs 国税庁の暗闘ドキュメント』(講談社)を上梓した。
矢野と講談社といえば、池田大作名誉会長の実像に迫った前作『私が愛した池田大作』(同)が話題となった。
本サイトでも「池田大作ミイラ化計画もあった!? 元公明党委員長が綴る『虚飾の王』との50年」(※記事参照)と題する記事で報じたところ、大きな反響を呼んだ。
今回出版された本の内容は、学会にまつわる数あるスキャンダルの中から、「税務調査つぶし」という極めて悪質な事案に焦点を絞り、舞台裏の詳細を赤裸々に綴ったもの。
ありていに言えば、党の要職にいた矢野氏本人が、政治力を駆使して国税庁へ働きかけ、学会と池田氏個人の脱税スキャンダルを握りつぶしたという話である。「犯罪的とも言える不本意な行為」と自ら断罪する一件を、今この時期に暴露した理由はなんなのか。執筆決断の理由と今の思いを本人に聞いた。(聞き手/浮島さとし)
――ご自身が「犯罪的」と言い切る事件を自ら世に出す決断をした理由は?
矢野絢也氏(以下、矢野) 縁あって党の書記長・委員長として政治と学会の中枢に関わった人生でしたが、とにかく自分が知る歴史的事実を後世に残すことで、自らの犯罪的な行為を忘れないようにとの自戒の意味もあります。同時に、当時の池田名誉会長の見苦しいまでの狼狽ぶりや、学会首脳のなりふりかまわぬ組織防衛の実態を、後世に残しておかなければとの思いもありました。学会の乱脈経理と国税調査についてここまで全容が表に出るのは初めてですが、これでも事実の一部なんですよ。ですから、今後も継続してこの件については書き続けていこうと考えています。
――そもそも税務調査のメスが入ったきっかけは何だったのでしょうか。
矢野 直接のきっかけは1989年に起きた「捨て金庫事件」でしょうか。聖教新聞社の本社倉庫にあった古金庫がごみ処分場に誤って捨てられ、金庫の中から1億7,000万円が見つかったという事件で、学会の金満体質が注目されるきっかけとなりました。
――その後もいわゆる「ルノワール事件」が発覚するなど、「学会と金」にまつわる事件が続きました。
矢野 当時は学会の不動産関連の多くを三菱商事のディベロッパー事業部が担当していまして、ルノワール事件はその絡みで起きたのでしょう。89年に三菱商事がルノワールの絵を36億円で購入し、それを学会系の東京富士美術館に運びこみ、翌年の秋に同美術館が三菱商事から41億円で購入した。金と絵画の不自然な流れの中で、結局3億円が消えたとされています。これを国税が調べ上げ、全国紙が報じて話題となったわけです。要するに、学会の裏金作りに三菱商事が加担したのではないかと注目された事件ですね。
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こうした一連の事件を受け、国税局資料調査課が査察を開始。このときの池田名誉会長の激しい狼狽ぶりについて、矢野氏は著書に次のように記している。
「この他にも証券会社による学会への巨額の損失補填事件など、学会の金絡みのスキャンダルが同時期に相次いで発覚し、学会は世論の集中砲火を浴びて大きな打撃を受けた。(略)『私を守れ、学会を守れ!』税務調査と相次ぐスキャンダルの発覚に池田氏は激しく動転し、まるで悲鳴をあげるように学会と公明党首脳にわめき散らし、叱りつけた。池田氏がパニックになったのは他でもない、池田氏自身が国税庁のターゲットになっていたからだ。国税庁は池田氏の個人所得を洗い出し、法に基づき厳格な課税を実施する構えをみせていた」(本書まえがきより)
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――厳格な調査対象のひとつに学会の墓苑事業がありました。墓石の売り上げ金は学会の会計ではどういう扱いになっていたのですか?
矢野 私も当時、学会首脳のY氏(著書では実名)にそれを尋ねたところ、「他の宗教団体では墓石の売り上げは収益事業として扱っているが、学会では(非課税の)公益会計になっている。問題になる」と非常に動揺していました。当時の学会は全国に6カ所の巨大墓苑を開発していて、墓の数は実に約24万。主な造成費用は学会員の寄付金でまかない、墓が完成すると永代使用料と墓石代などをセットで一基40万円から90万円で学会員に販売するわけです。
――投資費用を一般会員に出させて、完成したら付加価値を付けて売り返すわけですか。学会は丸儲けですね。
矢野 金のなる木ですよ。しかも、池田名誉会長が「墓を持つほど偉い」と墓地の購入を推奨したため、いくつもの墓を購入する会員もたくさんいました。かくいう私も、いくつか墓を持っていますが(苦笑)。遠くて一度も行ったことがない墓もあります。そういう実態がありました。
――当然ながら国税の厳しい調査が開始され、矢野さんも政治力でこれに対抗します。
矢野 当時の資料調査課長だったY氏(著書では実名)が、「竹下(登元総理)さんや小沢(一郎幹事長・当時)さんに頼んでもムリだよ」と私に言ったものです。私が竹下さんと党を越えた盟友関係にあったことを知っていたんでしょう。他の宗教団体もそれぞれパイプのある政治家を通じて国税に圧力をかけていたのかもしれません。私が与党を通じて働きかけをすることを牽制してきたわけです。
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国税の「牽制」にも関わらず、矢野氏の頼みで動いた竹下元首相の政治力が、国税の動きを徐々に鈍らせていく。以下は竹下氏が、当時の国税庁長官と部長を、あだ名と呼び捨てで名指しする著書の中からのシーンである。
「私が竹下氏に(略)調査の事情を説明すると、竹下氏は既に承知していたようだった。いつもの柔らかい口調で『二七日にOとM(ともに著書では実名)が話し合い、私のところに報告にくるようにしておいたから』と、既に手を打ってあることを明かした。(略)私と竹下氏は損得勘定抜きの友人だった。このときも一切の見返りなしに動いてくれた。(第五章 「竹下登か小沢一郎か」より)
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――脱税を握りつぶすための権棒術数や党内幹部の裏切りなど、かなりドロドロした暗部にまで踏み込んで書かれています。詳細は読者に読んでいただくとして、いま振り返ってあの闘いをどうご覧になりますか。
矢野 (沈黙)......。まぁ、教団の調査は難しいんですよ、非課税の壁がありますから。国税をかばうわけではありませんけどね。先ほど墓石販売についても触れましたけど、「信教の自由」と「公益会計の非課税」との関係性を、もう一度徹底的に検証すべきだと私は思いますよ。同時に、創価学会に対する大局的な検証も必要でしょう。学会の是非はともかく、その存在自体が昭和から続く大きな物語です。私の知る限り、その物語についてのまっとうな論評があまりに少ない。大手メディアも何を恐れているのか。私は怠慢だと思うんです。ですから、せめて自分の関わった事実に関しては、これからも記録として残しておきたいというのが率直な思いです。
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