2011年9月16日金曜日

【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険

ロスチャイルド (Rothschild)

ドイツ系ユダヤ人の一族、18世紀からヨーロッパの各地で銀行を設立し、現在に至っている。現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である。
 
ロスチャイルド家の紋章、五本の矢はロスチャイルド五兄弟を示す

初代のアシュケナージ(アシュケナジム)・タルムードのユダヤ系ドイツ人であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812年)がドイツフランクフルト・アム・マインで開いた古銭商・両替商に端を発し、ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世との結びつきで経営の基礎を築いた。ヨーロッパに支店網を築き、彼の5人の息子がフランクフルトロンドンパリウィーンナポリの各支店を担当、相互に助け合いながら現在のロスチャイルドの基盤を築いた。
特にロンドンのネイサン(1777-1836年)とパリのジェームスが成功を収めた。ネイサンはナポレオンが欧州を席巻する中で金融取引で活躍し、各国に戦争の資金を融通した。また、ワーテルローの戦いでナポレオン敗退の報をいち早く知ると、英国債の空売りによる暴落を誘導後に一転買占めた取引で巨額の利益を得て、英国金融界での地位を確固たるものにした。一方、ジェームスは当時の成長産業だった鉄道に着目し、パリ~ブリュッセル間の北東鉄道を基盤に事業を拡大していった。
パリのロスチャイルドは、1870年に資金難にあえぐバチカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたバチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」、Instituto per le Opere di Religioni/IOR)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている。
ロンドンのロスチャイルドは、政府にスエズ運河買収の資金を提供したり、第一次世界大戦の際にパレスチナでのユダヤ人居住地の建国を約束させる(バルフォア宣言:後のイスラエル建国につながる)など、政治にも多大な影響力を持った。特に保守党トーリー党)のディズレーリとの政商関係が有名。

日露戦争
日本日露戦争を行う際、膨大な戦費をまかなうため日英同盟を根拠にして外貨建て国債をロンドンで発行した。当時世界最大の石油産出量を誇っていたカスピ海バクー油田の利権を持つロスチャイルド家は購入を断わったが、ニューヨークのクーン=レーブ商会の銀行家でユダヤ人のジェイコブ・シフを紹介した。そして、ジェイコブ・シフが支援を申し出たため、外債募集に成功した。日本は戦争に勝ったがロシアから賠償金を獲得できず、ジェイコブ・シフに金利を払い続けた。この為に、「日露戦争で最も利益を得たのはジェイコブ・シフ」と言われ、一時はジョン・モルガンモルガン財閥と並立する存在になった。

バクー油田
日露戦争の一方で、ロスチャイルド家はロシア石油開発に巨額の投資を行っていた。バクーで大掛かりに油井が掘削されたのは1846年である。1872年にロシアが石油産業の国家独占を廃止し、油井を売却すると、ロスチャイルド家など欧米諸国から石油資本が流入して急速に発展を遂げ、未だペルシア湾の油田が開発されていなかった20世紀初頭には、世界の石油生産の過半を占めた。この時代のバクーは石油産業から近代的工業都市へと発展を遂げ、流入してきたアゼルバイジャン人アルメニア人の政治・経済・文化活動の中心となった。アルフレッド・ノーベルは、二人の兄と1878年に『ノーベル兄弟石油会社』を設立して油田開発、ナフサ精製、輸送などを受け持って巨万の富を築いた。この活況は1920年ボリシェヴィキのバクー制圧まで続いた。

その他
ロスチャイルド家は多くの企業の設立や資本家の支援を行ってきたことでも知られる。世界最大のダイヤモンド採掘量を誇るデビアス、鉱物メジャー大手のリオ・ティント、イギリスの生命保険最大手のRSA・インシュアランス・グループJPモルガン・チェースモルガン・スタンレーの前身であるジョージ・ピーボディ&カンパニーの創始者であるジョージ・ピーボディなどがある。

現在
現在、ロスチャイルド家が営む主な金融グループは3つあり、それぞれ別れて事業を営んでいる。
一つ目はThe Rothschild Groupである。The Rothschild Groupはフランスのパリに本拠を置くParis Orléansを金融持ち株会社とし、その傘下にイギリスの投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズやフランスの投資銀行Rothschild & Cie Banqueやスイスを中心に活動するプライベートバンクRothschild Bank AGなどをもつ。[1]ヨーロッパを中心に45カ国にオフィスを持ち、事業はM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である。特にM&Aでは取り扱い件数がヨーロッパで一番多い。The Rothschild Groupの金融持ち株会社であるParis Orléansはパリ証券取引所に上場しており、2011年においてその総資産は86.2億ユーロである。[2]
二つ目はEdmond de Rothschild Groupである。Edmond de Rothschild Groupはスイスに本拠を置く金融グループであり、傘下に、スイスを中心に世界中で富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行うBanque privée Edmond de Rothschildや、フランスを中心に世界中でワイナリーを営むCompagnie Vinicole Baron Edmond de Rothschildなどがある。傘下のBanque privée Edmond de Rothschildはスイス証券取引所に上場しており、2010年においてその総資産は123億スイスフランである。[3]
三つ目はRIT Capital Patnersである。RIT Capital Patnersは1980年に設立された、ロンドンのスペンサーハウスに本拠を置くInvestment Trustであり、アメリカやイギリスを中心として世界中の会社に投資を行っている。RIT Capital Patnersはロンドン証券取引所に上場しており、2011年において総資産は23.8億ポンドである。[4]
現在のロスチャイルド家を代表する人物として、The Rothschild Groupを統括するダヴィッド・レネ・ロスチャイルド(David René de Rothschild)、Edmond de Rothschild Groupを統括するベンジャミン・ロスチャイルド、RIT Capital Patnersを統括するジェイコブ・ロスチャイルド(Lord Jacob Rothschild)らがいる。

ロスチャイルド家とワイン
ボルドーの赤ワイン生産者として、最高の格付けを得ている「5大シャトー」と呼ばれるブドウ園のうち2つが、ロスチャイルド家の所有となっている。そのうちシャトー・ムートン・ロートシルトは、ネイサン・ロスチャイルドの3男ナサニエルが1853年に購入したものであり、シャトー・ラフィット・ロートシルトはマイヤー・ロスチャイルドの5男ジェームスが1868年に購入したものである。1855年の格付けではラフィットが1級の評価を得たものの、ムートンは2級に甘んじた。だが、ナサニエルの曾孫のフィリップの努力により、1973年、異例の格付け見直しによりムートンも1級の地位を獲得する。
その後もフィリップとその一族は、カリフォルニアの「オーパス・ワン」、チリの「アルマヴィーヴァ」などのワインを手がけ、いずれも高い評価を獲得している。



【この連載小説の説明】

 今年は投資銀行、NMロスチャイルド&サンズの創業200周年です。NMロスチャイルドはこの記念すべき年にロンドンのニューコートにある本社社屋を新築し、この超モダンなビルへの引っ越しが今まさに始まろうとしているところです。折から欧州市場はギリシャ問題で大荒れですが、実はNMロスチャイルドこそ欧州の国債市場を考案した先駆的な投資銀行だったのです。

 ジョージ・ソロスに代表されるグローバル・マクロ・トレーディングは今でこそ誰でもやっていますが、18世紀末から19世紀初頭にかけての欧州各国政府の財政危機に際して国債のトレーディングでガンガン儲けたグローバル・マクロ・トレーディングの「元祖」がこのNMロスチャイルドなのです。

 Market Hackも今日からホームページをリニューアルしました。今後も今まで以上に面白いコンテンツを載せてゆく所存ですが、新しい試みのひとつとして不定期の連載小説にチャレンジしたいと思います。

【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第一章 フランクフルト
2011年09月13日12:09

 私はボルンハイム通りのユダヤ教会の前を通りかかったとき、家から家へと移動する三つの黒い影に気がついた。地面にまで届く黒いマントを羽織った男達は棍棒で乱暴に扉を叩くと挨拶もせず家の中に飛び込んでいった。(税吏だ)私は踵を返し今来た道を全速力で駆け出した。薄暗い路地は馬車がすれ違うことも出来ないほど狭い。その路地の両側には間口の狭いひょろ長い家屋がぴったりと寄り添うように並んでいる。それらの家はすべて四階建てで、上の階に行くほど表の路地にせり出すような格好で建てられている。このためただでさえ狭い路地は昼間でも陽がささない。日が暮れるとこのユダヤ人街の3つの門は閉じられ、その中の住人は自由に外のフランクフルトの町を歩くことはできない。門限の前に用事を片づけようとする人たちでボンハイム通りは雑踏していた。

 私は何度も通行人にぶつかり、縦にかぶった二角帽子を取り落としそうになりながら転げるように家に戻った。「とうちゃん、税吏だ!」

 私の父、メイヤー・アムシェルはテーブルの前に座って母と歓談していたが、私の声を聞くと飛び上がるようにして家族に命令した。「いつものように落ち着いて!」家の中は子供で溢れていたが、各自、やるべき事は言われなくてもわかっている。父はまずテーブルの前に広げていた帳簿を閉じるとそれを奥に仕舞った。そして代わりの帳簿を持ち出して来て最後の記帳がしてあるページを開いた。母はストーブの上で煮えていたシチューを火から降ろすとそれを食器戸棚の奥へ隠した。私はテーブルの上のコインや手形を木箱に入れ、床の跳ね上げ戸を引き上げ、地下部屋に降りて行った。そしてワインの樽をずらすと、その後ろにある隠し金庫にそれを仕舞った。

 私の二人の兄、アムシェルとソロモンは地下部屋に残った。私は階上に戻ると跳ね上げ戸を閉めた。カールとイザベラはストーブの近くに座った。父と母は上着を脱ぐとクロゼットの中からいちばんボロの上着を出し、それを羽織った。父は母に向かって言った。「ガトル、窓を開けなさい。」母は裏手の窓を開けた。ひんやりとした空気とともに開溝式の下水道から鼻を突く悪臭が部屋の中に入ってきた。

 ユダヤ人街を南北に走っている開溝式下水道の上には各家々の四角いトイレが設置されており、この下水道はそのままマイン川に流れ込む仕組みになっていた。その時、税吏がどんどんと扉を叩いた。「これはこれは税吏さま。」父は慇懃な態度で税吏たちを迎え入れた。「ロスチャイルド、台帳を改めさせてもらおうか。」

 父は帳簿を渡しながら「このところの商売はまったくダメでして」と哀しい表情をしてみせた。「なにを言う、ロスチャイルド。お前の商売が繁盛していることはフランクフルト中の知るところだ。嘘をついてもだめだぞ。」

 税吏の二人の部下は上の階を探索しに行った。税吏は床の跳ね上げ戸に気付き「ここをあけなさい」と命令した。私は跳ね上げ戸を開け、税吏の後から地下部屋に降りて行った。二つのワイン樽に気付いた税吏はカップを持ってその樽のうちのひとつからワインを注ごうとした。私は「それは、、、」と言って制止するしぐさをした。

 税吏はそんな私にお構いなくワインを注ぐとぐいっと呑んだ。しかしすぐにそれをブッと吐きだした。「なんだ、このまずいワインは!」「これは私ども家族が普段飲んでいるワインでございます。実は来客用はこちらの樽でして、、、お口直しにこちらをどうぞ。」そう言って私はもうひとつのワイン樽からワインを注ぐと税吏に手渡した。

「なるほど、こちらは良い味だな。」税吏は機嫌を良くして父に言った。「お前の息子は気のきく坊主だ。こいつに免じて今年の税金は二万グルデンということにしておこう。」父は「税吏さま、それは殺生です。何とか二千グルデンでお許しを」と嘆願した。「よし、それでは徴税台帳には二千グルデンと記帳しておこう。その代わり、わしに五千グルデンの袖の下をよこせ。」税吏が部下を連れて去ってゆくと父は子供達を集めて言った。「お前達、よくやった。ネイサン、いい機転だったぞ。税吏をごまかすところをお前達に見せるのは親として恥ずかしい。しかしユダヤ人だけに重税が課せられるのは不公平だ。彼らはユダヤ人をゲットーに閉じ込め、我々の生活を制限している。だから我々は金儲けで見返すしか無いのだ!」


【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第二章 メッセンジャー
2011年09月14日14:03

私の父は12歳のときハノーヴァーのウォルフ・ジャコブ・オッペンハイムに丁稚奉公した。WJオッペンハイムは所謂、宮廷ユダヤ人と呼ばれる貴族のパーソナル・バンカーだ。父はこの奉公先で珍しいコインの鑑定の仕方や貨幣に関する知識を学んだ。

そして21歳のときにフランクフルトに戻り自分の商売を開業した。当時はコインの蒐集が貴族の間で流行っていた。父は貴族のために希少なコインを探し、鑑定した。父の最初の顧客はウィルヘルム10世だった。

そして25歳で宮廷ユダヤ人としての正式な認証を受けると、直ぐに私の母、ガトルと結婚した。私の母は宮廷ユダヤ人、ウォルフ・ソロモン・シナッパーの娘で、2400グルデンの持参金とともに父に嫁いだ。二人はこの持参金を元手として希少なコインを売ったり買ったりしながらお金を増やしていった。父はお得意様の貴族のために買い付け代金を立て替えることもした。つまり知らず知らずのうちに金貸し業にも足を突っ込んだというわけだ。当時の欧州大陸では実にたくさんの通貨が出回っており、遠来の商人は商取引の際、見慣れない貨幣をユダヤ人街に持ち込んだ。そんなとき父は両替商として通貨の交換に応じた。父はハンブルグ、ブレーメン、ライプチヒ、ウィーン、アムステルダム、パリなどの商人とも貨幣、商品、証書を取引した。

それらの遠方の取引先と貨幣や証書をやりとりするのは常に大きなリスクを伴った。父のメッセンジャーが追剥に遭ったことも一度や二度ではない。メッセンジャーには信用のおける男を起用しなければいけない。父が使っていたメッセンジャーの中でも最も年長で、信頼できる男がマックスだった。マックスはいつも父の大事な貨幣や証書を帯びて都市から都市へと旅していた。マックスはまるで危険を事前に察知する特別な能力を備えているかの如くリスクを避けるのが上手かった。また道中で見聞きする些細な変化や噂を細大漏らさず父に報告した。私はマックスが帰って来るたびに遠い土地の話を聞いた。

「フランスは疲弊しています。小麦が不作でパンの値段が高騰しています。これに腹を立てた庶民がパン屋を襲撃したという話が後を絶ちません。庶民の暮らしは厳しいです。年貢が重く、そのうえ労働賦役にも駆り出されます。一方、貴族はサロンに集まってむずかしい議論に明け暮れています。啓蒙思想が流行しています。」「啓蒙思想?」「私のような無学な者にはよくわかりませんが、啓蒙思想とは既成秩序や固定観念を鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ、そして何でも試しにやってみろ、ということを奨励する新しい学問のことだと思います。」「国王は庶民が困っていても何もしないのか?」「国王はむしろ新大陸の方に関心を抱いておられるようです。フランスはアメリカの独立運動を支援し、軍隊を新大陸に派遣しています。

 今度こそイギリスを打ち負かそうという魂胆でしょう。この戦争には莫大な経費がかかるのでフランスは大きな負債を抱えています。」「マックス、お前はイギリスに渡ったことがあるのか?」「ございます。イギリスでは発明ブームが起こっています。」「発明ブーム?」「つまり機械です。アークライトという男が水力紡績機というもので成功したので誰もが発明熱に取りつかれています。

 英国製のショールやガーゼ、モスリンなどの品々を見かけたことがあるでしょう?機械による布地の量産で英国の北部のマンチェスターにはお金が集まりはじめています。」「お金ならこのヘッセン・カッセルにだって沢山あるだろう?」「フランクフルトの富と英国の富はちょっと異なると思います。ヘッセン・カッセルは徴兵した兵隊を外国の政府に貸して儲けているのです。つまり傭兵です。フランクフルトに貸付に回せる余資があるのはこのお陰です。でも傭兵は所詮数が限られています。

 大きなビジネスにはなりません。そこへゆくと英国は機械による大量生産で安い製品を輸出して稼いでいるので、勢いが違います。」「そのマンチェスターという町をこの目で見てみたいものだな。」「イギリスにはもうひとつ特別なことがございます。かの地ではユダヤ教徒が比較的自由に動き回る事が出来ます。ゲットーの中に押し込められる事も無いし、どの職に就いてはいけないという規制も少ないです。」



【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第三章 ユダヤ人街の大火
2011年09月16日08:09

私が19歳のとき、フランクフルトのユダヤ人街にも変化の波が押し寄せてきた。ある日、いつものようにテーブルで帳簿に向かっている父のところにマックスが飛び込んできた。「ご主人様、大変です。フランス軍が大砲40門とともにフランクフルトに向かって来ています。」

父はにっこりと笑うとマックスにこう答えた。「危機はチャンスじゃよ。」

父、メイヤー・アムシェルに長く仕えたマックスは、そういう父の返答を半ば予想していた。「たしかに。しかし今度のフランス軍は以前の弱いフランス軍とは違います。新しい内国総司令官のナポレオンという男が軍隊を徹底的に作り変えておるのです。」「ほほう。」「ご主人様は去年フランスの王党派がパリの国民公会に押し寄せたとき、ナポレオンがこれをたちどころに鎮圧した話をご存じでしょう?ナポレオンはパリのど真ん中で平民に向かって大砲をぶっ放したのです。」「その後、ナポレオンはイタリアに遠征し、ロディでオーストリア軍を蹴散らしました。敵の待ち構える対岸にむけて捨て身の渡橋攻撃をかけ、オーストリア軍はその気迫に押されて総崩れになったのだそうです。この戦勝を祝って各地のフランス軍は気勢を上げる意味で総攻撃に転じておるのです。いまフランクフルトに向かって来ているフランス軍もその流れです。」

その日の砲撃は私がいままでに経験したことのない恐ろしいものだった。

フランス軍は昼も夜も砲撃を加えた。フランクフルトの町では各地で火の手が上がり、それはユダヤ人街にも迫ってきた。普通ユダヤ人街では夜になると重い鎖の網で三つのゲートが閉じられる。しかし火災はユダヤ人街の中にも燃え広がっており、火を消そうとする者、逃げまどう人々、家財道具を持ち出そうとする者、はぐれた家族を探し求める者などで大混乱に陥った。端から端まで歩いてもたかだか300メートルくらいのゲットーに200軒の家と4000人の住人が住んでいる。ひとつの家に20人が暮らすことも珍しくなかった。しかも密集した家々はすべて材木で作られていたので大火になると次々に延焼していった。

兎に角、ユダヤ人街に残っていると丸焼けになってしまう。その夜はとうとうユダヤ人街のゲートは解放されたままになった。夜が明けて見るとユダヤ人街の建物の半分が焼けていた。幸い私の家は難を逃れた。

しかし2000人近いユダヤ人が家を失った。数日後、フランクフルトの議会はユダヤ人の居住規定を当分の間緩和することを決めた。父は火災の後片付けを我々兄妹に任せるとオーストリア陸軍省に出掛けて行った。その日、陸軍省から帰った父は兄妹を集めてこう言った。「今日陸軍省に行ってきた。仕事を貰ったぞ。陸軍に資金を用立てる仕事だ。それから穀物の買い付けとそれを各駐屯地に届ける仕事もだ。今日から手分けして皆で働いて欲しい。」陸軍に戦費の貸付を行い、前線に作戦のための軍資金を送る仕事は普段の父の仕事の延長と言っても良かった。父には既に貨幣や貴重品を移送する飛脚網があったからだ。「ネイサン、戦争は儲かるぞ。世の中が混乱し、皆が右往左往しているときに冷静さを失わない奴はこういうときにこそガツンと儲けるのだ。」

私は得意顔になっている父に向ってこう言った。「父上、確かに戦争は儲かるかも知れません。でも今度という今度はわがロスチャイルド商会も危機一髪でした。家が燃えていたら大事な証書やコインを失っていたかも知れません。」「ネイサン、お前は賢いな。実はわしもその事を考えておったところじゃ。財産を分散することで戦火が来ても全てを失わないようにする必要がありそうじゃな。」「実は父上、私には考えがあります。イギリスに渡りたいのです。」「うむ。お前がそう言いだすだろうと思っておったのじゃ。わしがイギリスから布地を買う時に使う保険会社のソロモン・ソロモンズ&ハーマンに紹介状を書いてもらう事にしよう。」こうして私のイギリス行きは決まり、1年余りの準備の末に私はアルビヨンを目指して旅立った。私の懐中には父から授かった2万ポンドの資金が隠されていた。これは旅立ちの前に父が借りてきた金も含まれていたのでロスチャイルド商会の純資産の2倍に相当する金額だった。



「【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険」
【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第三章 ユダヤ人街の大火
【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第二章 メッセンジャー
【連載小説】ネイサン・ロスチャイルドの冒険 第一章 フランクフルト
「マーケット情報」カテゴリの最新記事

0 件のコメント: