1947年1月 - )54歳
六代目山口組若頭補佐。極心連合会会長。
1963年頃に大阪の独立組織であった南一家吉田組に加入したが、吉田組が程なく解散したため、自ら橋本組を結成した。
暫く橋本組で活動していたが、1976年山健組に加入した。山本健一組長が死去すると、橋本組を極心連合会と改め、直後に勃発した山一抗争では武闘派として抗争に参加するなど次第に頭角を現した。
1988年に山健組組長の渡辺芳則が山口組五代目組長となると、桑田兼吉組長の元で若頭に就任した。1997年に桑田兼吉が逮捕されると、2003年組長不在のとなった山健組において組長代行に就任し当時山口組最大勢力であった組織の土台を支えた。
平成17年(2005年)4月、五代目山口組・渡辺芳則組長は、橋本弘文に盃を与え、山口組直参にした
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