2011年5月29日日曜日

【エジプト】 【海外事件簿】

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110529/mds11052907000002-n1.htm

【海外事件簿】
宗教対立の引き金 改宗女性の「家庭の事情」とは
2011.5.29 07:00

9日、カイロの国営放送局の前で、キリストの肖像を手にコプト教徒襲撃事件に抗議するコプト教徒ら(AP)

 ムバラク前大統領の退陣後のエジプトで、急進的なイスラム教徒と、人口の約1割を占めるとされるキリスト教の一派コプト教徒との衝突が相次いでいる。

5月上旬に首都カイロの貧民街インババ地区で起きたコプト教会襲撃事件では、イスラム教に改宗したとされるコプト女性が教会に幽閉されているとの噂が引き金となり12人の死者を出す惨事に発展した。事件後、女性はテレビの電話インタビューに応じるなどして「改宗」にまつわる事情を語り始めたが、果たして彼女の言葉はどこまでが真実なのか。(カイロ 大内清)

家庭の事情

 「夫が暴力を振るうので逃げ出したのです。しかし家族に連れ戻され、教会の施設に閉じ込められていました」

 エジプトのかつての過激派「イスラム集団」系ウェブサイトに掲載された動画で、一人の女性が語り始めた。

 女性の名はアビール・タラアト・ファクリーさん。イスラム教の預言者ムハンマドの時代への回帰を目指す急進的な「サラフィー主義者」らが、インババの教会に「幽閉」されていたところを「救出」したとしている女性だ。

 話の内容を総合すると、中部アシュートのコプト教徒の家庭に生まれ育ったアビールさんは、同じコプト教徒の男性と結婚し、一女をもうけた。

 しかし、結婚後しばらくすると夫は彼女に暴力を振るったり暴言を吐いたりし始めた上、子供が望んでいた男児ではなかったことから家にも寄りつかなくなった。

 こうした生活に耐えきれなくなったアビールさんは子供を連れて実家に戻り、その後、イスラム教徒の男性ヤシーン・サーベトさんと恋仲となって家出、改宗を決意したという。

ここでポイントとなるのが、コプト教の夫婦は離婚が認められていないことだ。

アビールさんらは、2人が結ばれるためには、アビールさんが改宗することで婚姻関係を無効にするしかない-と考えたとみられる。

 アビールさんはその後、家族によって連れ戻され、「インババの教会施設に閉じ込められた」。そして今年5月の事件当日、サーベトさんに電話をかけて居場所を知らせ、サーベトさんからその情報を得たサラフィー主義者らによって助け出されたのだという。
 本来ならば「家庭内の不和」で片づけられるはずの問題が、宗教が絡み、噂が独り歩きを始めることで暴動にまで発展する-。ここにエジプトの抱える病巣がある。
棒読み 
 事件後、いくつかのテレビ番組に電話出演したアビールさんとされる女性は、判で押したように同じ言葉で、事件にいたる経緯を説明した。

 だが、それを聞いても、いくつもの疑問が浮かぶ。

 あるテレビ番組の司会者が、「幽閉されているのにどうやってサーベトさんに電話がかけられたのか?」と聞くと、アビールさんは「とにかくかけたの!」と怒ってインタビューを打ち切ってしまった。

 イスラム集団系サイトに掲載されたアビールさんとされる女性の映像では、女性がしきりに横目で何かを読んでいるような仕草をみせながら事件のあらましを説明している。あるエジプト人ジャーナリストは「台本があってそれを棒読みしている感じ」だと指摘する。

そもそも事件当夜、インババの教会施設にアビールさんはいたのか?

 エジプトの治安当局は事件直後、「インババにアビールなる女性はいなかった」とする声明を発表し、事件につながる噂を流布したなどとして恋人のサーベトさんを拘束。その後、アビールさん自身も拘束を受け、現在はカイロの女性刑務所で拘留中だ。事件前後の正確な事実関係は、まだはっきりしていない。

宗教対立が先鋭化 

 噂が原因で大規模な衝突につながった例はほかにもある。

カイロのコプト教徒が多く住む地区で3月、13人が死亡した暴動では、近隣地区に「イスラム教徒の女性がコプトに拉致された」とのデマが広がり、これに怒った多くのイスラム教徒の若者が暴動に参加した。

 この事件で経営する工場が破壊されたコプト教徒の男性は「イスラム教の女性を拉致するなんてあり得ない。けど、コプトをエジプトから排除しようという連中からすれば、噂が本当かどうかは関係ないんだ」と怒りをぶちまけた。

 「噂に踊らされていては、宗教対立を煽ろうとする一部のサラフィー主義者の思うつぼなのに…」。前出のジャーナリストはこう嘆き、イスラム教徒とコプト教徒の対立がさらに先鋭化しかねない現状に警告を発している。

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