東京電力福島第1原発1号機で、地震からわずか16時間後の3月12日早朝には、燃料の大部分が溶け落ちていた可能性が強まった。
東電の解析によると、燃料の溶融は従来考えられていた以上の速度で進行。外部から冷却水を入れるため、弁を開いて炉内の圧力を下げる「ベント」作業を始めた時には、炉内は既に水位が燃料の下端を下回る「空だき」状態で、燃料の大部分が溶融していたことになる。今後、ベントの作業や外からの注水のタイミングが適切だったかが問われることになりそうだ。【酒造唯、八田浩輔】
東電のこれまでの発表では、福島第1原発で原子炉が空だき状態になったのは2号機(14日)が最初。1号機は、空だきになっていたことすら公表されていなかった。
今回の解析結果が正しければ、1号機の空だき状態は11日午後7時半ごろから、淡水の注入開始(12日午前5時50分ごろ)まで10時間以上続き、ベント開始はさらに5時間近く後になってからだったことになる。
小出裕章・京都大原子炉実験所助教は「電源喪失で原子炉が冷やせなくなれば、早い時期に炉心溶融に至ることは想定できていたはずだ。燃料の損傷が限定的だとしてきた東電の説明は完全に誤っていたことになる。データの公表も遅すぎる」と指摘する。
東電は今回の解析で「圧力容器の損傷は大規模ではない」と説明するが、小出助教は「圧力容器は完全に破損し、溶けた燃料が格納容器の底に穴を開け、原子炉建屋の地下に大量の汚染水が漏れ出す原因になっている」と推定する。
吉川栄和・京都大名誉教授(原子炉安全工学)も「溶融した燃料の一部は格納容器に落ちているだろう」と指摘、東電の解析に否定的な見解を示した。
さらに「燃料は格納容器のクラック(損傷部)から水と一緒に漏れている可能性もある」と述べ、地震の揺れや炉心溶融、水素爆発などさまざまな原因で格納容器が損傷している可能性を指摘した。
工程表への影響について吉川名誉教授は「初めに描いた絵と状況が異なり、収束までの時期は確実に延びるだろう。むき出しの燃料の回収は相当困難な作業になる。廃炉の工程にたどり着くのも難航するだろう」と厳しい見通しを示した。
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福島第1原発:地震16時間後、燃料の大半溶融 1号機
毎日新聞 2011年5月16日 東京朝刊
【東京新聞】
【社会】
1号機東電分析 16時間後メルトダウン
2011年5月16日 07時02分
福島第一原発の事故で、東京電力は15日、1号機の燃料損傷は大震災の発生約5時間後から始まり、16時間後には燃料が溶けて底部に落下(メルトダウン)していたとの見方を示した。
震災直後の1号機の原子炉水位や温度から分析。津波による電源喪失で冷却機能を失った圧力容器内では、水位が急激に低下していた。
東電は中央制御室の計算機などから回収した原子炉温度や圧力の記録を基に、震災発生と同時に原子炉が停止した時点からの状態の変化を分析。
震災から45分後の津波により電源が喪失し、すべての冷却機能は失われていたと仮定した。(午後3時31分)
燃料より五メートル上にあった冷却水は、三時間後(午後5時46分)に燃料の上端まで低下。五〇〇度を下回っていた炉心の温度は急上昇し始め、さらに約二時間後(午後7時46分)、燃料が溶融する二八〇〇度に達した。この時点では燃料全体が露出し、その後も水位は下がり続けた。
燃料の損傷は、地震発生から4時間50分後の3月11日午後七時半ごろから始まった。間もなく温度が高い燃料の中心部の被覆管が溶け、溶融した燃料が圧力容器の底部へと落下。損傷範囲は周辺部へと広がり、16時間後の12日午前六時五十分ごろには、燃料の大部分が落ちたとみられる。
同日午前5時50分ごろに炉心への真水の注水が始まり、同日午後8時に海水に切り替えて継続。しかし、水位は通常の燃料下端の位置からさらに四メートルほど下回った状態が続いた。圧力容器の底は溶けた燃料で配管の溶接部などが複数破損し、穴が開いている可能性が高い。
圧力容器の水位は低かったが、燃料が底に落ちたため結果的に冷却できたとみられる。東電は現在の燃料の状態について、圧力容器上部の温度が下部より高いことから「燃料の一部は底で水没せずに露出している」とみている。
(東京新聞)
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