【NEWSポストセブン】 01月11日 07:10
ワリヤーグはウクライナから引き渡された当初からエンジンが積載されていなかった。本来ならば、蒸気タービンエンジンを2基積載。中国は船舶用ディーゼルエンジンを装備
■主機 TV12-4 蒸気タービン 4基(8万馬力)
1985年、中国はオーストラリア海軍の退役空母メルボルン(旧英空母マジェスティック、排水量2万t)をスクラップとして購入した。メルボルンは中国海軍当局の手で構造や設備が仔細に調査され、9年後の1994年になってからようやく解体された。
同艦に装備されていた蒸気カタパルトは特に念入りに調査され、現在でも中国国内に保管されているという。
1990年代中頃にはロシアからキエフ級空母(Project1143、排水量43,500t)の1番艦キエフと2番艦ミンスクをスクラップ名義で購入し、これも徹底的に調査が行われた。また中国は海外から完成した空母を購入する方法も模索した。キエフ級空母をロシアから購入した時、ロシアはキエフ級を改修して売却する事を提案したが、中国はその中途半端な性能に満足せず、この話はそれで終わった。
フランスはクレマンソー級空母(排水量32,780t)の改造プランを中国に持ちかけたが、中国側はシャルル・ド・ゴール級原子力空母(排水量40,550t)の設計資料と建造支援を要求し、結局商談は纏まらなかった。
その後中国は前述のメルボルンやキエフ、ミンスクから得たデータを基に排水量48,000tクラス(搭載機24機)の国産空母の設計に着手したが、1998年にウクライナから有力な空母である改クズネツォフ級ワリヤーグ(Project11436型、排水量58,900t)をスクラップとして購入するメドが立ったためその作業は中止された。
ワリヤーグは旧ソ連初の全通飛行甲板型空母アドミラル・クズネツォフに続く艦として建造されたもので、1988年11月にニコライエフ造船所で進水した。進水までは極めて順調に進んだワリヤーグだが、ニコライエフ造船所はソ連崩壊後に独立したウクライナの国営造船所になったためワリヤーグの所有権をめぐって混乱、1992年に完成度75%の状態で建造は完全にストップしてしまった。その後ロシア政府とウクライナ政府の間で交渉が繰り返されワリヤーグはウクライナの所有になったが、ウクライナは同艦をスクラップとして海外に売却する事にし、1998年4月に中国軍と情報機関が設立したマカオの観光会社(社長は中国情報機関の退役大佐)が2,600万ドルで購入した。購入の目的は船内にカジノや劇場などを持つ洋上の5つ星ホテルに改装する事とされており、契約項目にも同艦を軍事目的で再生する事を禁じる旨が書かれていたが、ワリヤーグを購入した観光会社は同艦が中国の大連に到着した後に煙のように消えてしまったため、この契約事項もまるで意味の無いものになってしまった。現在ワリヤーグを所有しているのは大連造船所の系列会社だが、大連造船所は中国海軍用の国営企業のため、同艦は事実上中国海軍の管理化にあると言える。
ワリヤーグはクズネツォフと同型艦だがかなり設計が異なっており、格納庫が拡大されて搭載機が47機から67機に増加している。1992年に建造が中止された時点では同艦の完成度は75%だったが、空母に詳しいロシア高官によれば「実際は装備品の取り付けや機器の調整、塗装などが残されているだけで、艦全体としてはほぼ完成に近い」状況だったという。またニコライエフ造船所は中国に売却する際に、ホテルには不要な設備や機器を解体・撤去したが、作業に関わった造船所の関係者は「主機(エンジン)とそれに関連する設備、電気系統はそのままそっくり残っており、切断されたパイプやケーブルなども簡単に再生できる状態だった」と説明している[3]。
■2002年に大連に到着したワリヤーグは、中国海軍の造船官をはじめとするあらゆる部門の専門家に徹底的に調査された。2005年2月に調査作業が終了すると、同年4月から再生作業が開始された。この再生作業を分析したロシア海軍の関係者は「作業を見る限り、中国はワリヤーグの復活を目的に改造を施しているようだ。おそらく実験艦を兼ねた第一線空母として再生し、国産空母建造への土台にするのだろう」と述べている[3]。中国はワリヤーグ開発を担当したネブスコエ設計局やニコライエフ造船所の技師達を多数招いており、またロシアから同艦の設計図面や技術図、資料を全て購入していた[3]。しかし、実際の改装作業は見通し通りには進まなかったようで、大連で行われていたワリヤーグの改装工事は船体の再塗装と艦橋部分の修繕が終了した段階で停滞することになった。2007年には、中国海軍はワリヤーグの正規空母としての再建を断念し、訓練用艦艇として2008年に再就役させるとの報道が何度か流れたが[9]、改装作業の詳細は伝わらないままであった
ワリヤーグは、船体や機関に関してはほぼ完成していたが、レーダーなどの電子装備、戦闘システムや各種兵装、着艦拘束装置などの航空機運用に関する装備は未搭載の状態であり、ロシアの協力を得られない場合は、これらの装置を独自に開発して搭載する必要があった。この内、着艦拘束装置に関しては2006年にロシアから輸入が行われた事が報じられている[17]。しかし、そのほかの装備についての導入は順調には進まなかった。ChineseDefenceTodayでは、中国海軍の情報提供者からの情報として、「ロシアとの対立」により修復に必要な装備(兵装、電子装備、機関部品)などの入手がままならないため、改装工事自体が停止状態にあることを明らかにしていた[10]。
■2009年4月27日、永らく大連の埠頭に停泊していたワリヤーグが、タグボートや哨戒艇に同航されて5km西側にある造船会社「大連船舶重工」の専用ドックに入渠したのが確認された。中国軍関係者によると、ワリヤーグの機関や電気系統などの主要部分の改装工事は終了し、ドックへの移動もタグボートなどは使用せず自力航行を行ったとの事。今後、レーダーや電気系統を整備した上で中国海軍に就役する見通しと報じられた[11]。2009年9月には、艦橋構造物のかなりの部分が撤去され、船体各部にも開口部が設けられるなど、規模の大きな改装作業が行われている様子が伝えられている[12]。
ジェーン軍艦年鑑では、ワリヤーグについて「施琅」という艦名を提示している[13]。施琅(1621年-1696年)とは、清朝の福建水帥提督として台湾の鄭氏政権攻略の指揮をとった人物である[14]。中国海軍の艦名命名基準では、航空母艦や巡洋艦といった大形水上艦艇には省や特別市といった大行政区の地名が付与される事になっており、人名が使用されるのは練習艦や試験艦といった艦艇に限られている[15]。一説には改修が完了したワリヤーグは、練習空母として使用されるのではないかと考えられているが[16]、「施琅」という人名が実際に艦名として採用されるのであれば、ワリヤーグが練習空母として運用されることを裏付ける証拠になるとみなす事ができる。ワリヤーグの改装が行われている大連には、中国海軍の教育機関である大連艦艇学院があり、練習艦「鄭和」、「世昌」、フリゲイト「四平」が同学院所属の練習艦として海軍将兵の訓練に当たっており、ワリヤーグも同学院の所属となる可能性が高いと思われる。
ワリヤーグの改装作業が終了していない現時点では、同艦が伝えられているように練習空母として運用されるのか、それとも本格的な空母として再就役するのか判断するのは困難であり、今後の展開が注目される。
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