田中直紀(旧名;鈴木)
生年月日 1940年6月19日(71歳)
出生地 石川県金沢市
出身校 慶應義塾大学
前職 日本鋼管社員(現・JFEスチール)
現職 越後交通代表取締役社長
所属政党 (自由民主党→)
(無所属→)
民主党
称号 法学士
親族 父・鈴木直人
義父・田中角栄
配偶者 妻・田中眞紀子
国会 外交防衛委員長
党内 民主党総務委員長
平成元年外務政務次官
平成13年農林水産副大臣
参議院議員
選挙区 新潟県選挙区
当選回数 3回
任期 1998年7月26日 - 現職
議員会館 参・議員会館322号室
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衆議院議員
選挙区 (福島県第3区→)
福島県第5区
当選回数 4回
任期 1983年12月19日 - 1996年9月27日
慶應義塾大学卒業。学位は法学士(慶應義塾大学)。父の鈴木直人は元熊本県知事で、衆議院、参議院の元議員。妻は田中眞紀子衆議院議員、岳父は田中角栄元首相。また、越後交通の代表取締役社長を務めている。
石川県金沢市に生まれる。武蔵中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日本鋼管に勤務。1969年に田中眞紀子と結婚して田中家に婿入り、鈴木姓から田中姓になる。
1983年に菅波茂の地盤を引き継いで、旧・福島3区より自由民主党公認で第37回衆議院議員総選挙に出て初当選。外務政務次官、党総務を歴任するが、1996年の総選挙で坂本剛二(新進党)に僅差で敗北、重複立候補していなかった事が災いし落選。
1998年の参議院議員選挙では妻・眞紀子や白川勝彦の支援を受けて新潟県選挙区より無所属で出馬し、当選。選挙後に自由民主党の追加公認を受ける。
1999年より、自由民主党「青少年を取り巻く有害な環境対策の推進に関する小委員会」において小委員長を務め、青少年有害社会環境対策基本法案を起草。2002年の第154通常国会への同法案提出を目指したが「表現の自由を侵害する」という世論の反対が強く、提出を断念した。
妻・真紀子が野党となって与党を徹底批判するようになってからは、党の方針に逆らって真紀子を応援したり、またその応援を受けたりしたため党内での立場は微妙となり、2004年の参院選で再選されたものの、この時党県連に独自候補の擁立を行われたりした。2005年には郵政国会で郵政民営化法案に反対したためさらに苦しい立場に追い込まれ、そのためか「適齢期」と言われながら自民党時代は入閣出来なかった。
2004年6月、フジテレビが、新潟県長岡市にある田中直紀選挙事務所前の民家を借り、事務所の様子を密かに撮影していたことが発覚し、田中議員と後援会が選挙妨害と盗撮だとしてフジテレビに損害賠償と謝罪をもとめて新潟地方裁判所に訴状を提出した。2007年2月7日、新潟地裁で判決が下り、「撮影の目的自体は不当ではないが、正当な取材範囲を逸脱する違法なもの」としてフジテレビ側に36万円の賠償を命じた。
2008年9月26日、自由民主党に離党届を提出し無所属となった後、総選挙を目前に控えた2009年8月15日に新潟県長岡市内で記者会見し、妻の田中眞紀子衆議院議員とともに民主党入りを表明した。記者会見の場で鳩山由紀夫民主党代表は「夫婦そろっての民主党入党を心から歓迎する」と述べた[1][2]。 2010年、参院選において民主党議員となってから初の再選を果たした。2011年9月、民主党の総務委員長に就任。
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