2011年11月22日火曜日

旅順に見た中国海軍の新しい姿勢

【産経BIZ】2011.11.22 05:00
【専欄】旅順に見た中国海軍の新しい姿勢 拓殖大学名誉教授・茅原郁生

 9月の歴史の深層を探るツアーで最後に訪れたのは、遼東半島の大連・旅順であった。

 遼東半島は黄海を制する要衝の地であり、日清戦争後の割譲と3国干渉、その後のロシアの租借、ソ連軍の占領など海軍基地としての曲折を経てきた。特に旅順は古い軍港で、日露戦争時代にはバルチック艦隊来援を前に激しい争奪戦が繰り広げられた。

 軍事的には、旅順港内のロシア艦隊の各個撃破を急ぐ日本軍が軍港を眼下に制する203高地の奪取を追求し、乃木軍が多大な損害を出しながら陥落させた戦史があった。

 100年を経ても強度を失わない陣地、乃木将軍とステッセル将軍と終戦交渉の場・水師営の農家跡などを含めて、今では観光地として開放されている。

 203高地は草木が生い茂って往時の面影を留めないが、「坂の上の雲」を追う時代に日本の若者が国家の存亡をかけて異国の地に散ったことに想いを巡らせ、合掌をしてきた。

 203高地の頂上から旅順港が望見できる。今日でも旅順は北海艦隊の重要基地であり、一般開放後も規制は厳しかった。しかし今回の旅では旅順市内を廻り、後背にある白玉山公園にはケーブルで登れ、そこからは軍港が一望できた。公園には日本語で日露戦時代の戦闘を語る土産物売りの老人がいる程で、中国の変化の早さに驚嘆した。

公園からは眼下の軍港に係留される駆逐艦や補給艦などが見え、日露戦争時代に旅順港封鎖作戦を敢行した狭まった軍港入り口を形成する岬の内側には潜水艦基地があり、数隻の潜水艦の係留を確認できた。

 また軍港東部の造船所近くの基地には10隻近い新鋭のミサイル艇が係留されていた。まさに横須賀駅付近から日米艦艇が望見できる状況と同じであった。

 旅順駅では、海軍軍人による軍需物資らしきものの発送で駅の荷物係と交渉をしており、X線検査まで受ける光景は、軍権の優先が抑えられてきた新時代の中国社会を垣間見た思いであった。その延長で、本夏に試験航海で話題となった空母ワリヤーグ号の改修が市民の目に触れる中で続けられる光景も、同じ事象と見ることができよう。

 この海軍の開放ぶりは、軍の機密保持より経済発展を優先する昨今の風潮の反映なのか、中国海軍の自信の現れか、定かではない。しかし中国で急速に進む改革開放政策の影響であろうし、それに伴う中国社会の変化の実態に触れた思いであった。

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