2011/05/23 09:00山田泰司
上海の大型書店には、Appleのスティーブ・ジョブズCEOの名言集の隣に、郭氏の経営指南書や飛び降り事件の内幕を描いた本が並ぶ
もしもこの世にフォックスコンが存在しなければ、私たちはiPhoneも、iPadも、iPodも、プレイステーションも、ノートPCも、薄型テレビも存在しない世界に生きなければならなかった——。
中国のネット上で昨年来、「如果没有富士康——(もしもフォックスコンがなかったら——)」という枕詞を付けて文章を作る言葉遊びが流行した。
「富士康」とは、電子機器の受託製造(EMS)で世界最大の台湾企業、鴻海精密工業(ホンハイ)のブランド名であるフォックスコン(FOXCONN)の中国語名。冒頭の文章は、数多く作られたものの中で最も有名になったものだ。
フォックスコンは具体的な顧客の名前や情報を明かさないことで知られる。しかし、Appleやソニーをはじめ、Nokiaの携帯電話、HPのPC、Microsoftのゲーム機Xboxなど、挙げていけばキリがないほどありとあらゆるブランドのアッセンブリーを手がけているといわれる。
上海に隣接する江蘇省昆山に製造拠点を置く日系のある電子メーカー幹部は、「進出する土地を決める際、フォックスコンが昆山に工場を出していることが決め手の一つになった。フォックスコン出身のエンジニアを引き抜けば人材集めがラクだから」と笑う。電子関係の製造業者の間では、優秀なエンジニアを輩出する企業としても、フォックスコンは名が通っている。
ただ一般的に「EMS」と言われても、日本でまず頭に浮かぶのは郵政公社の手がけるスピード郵便のことだろうし、フォックスコンという名前を聞いて、ソニーやAppleと同じぐらいすぐにピンとくる人は、少ないに違いない。
本コラムでは、EMSにまつわる話題をランダムに取り上げていく予定だが、連載初回の今回と次回はまず、EMSの代名詞的存在であるフォックスコンと、その創設者、郭台銘董事長(会長)の人となりについて、駆け足で触れてみることにしたい。
フォックスコンを一躍有名にしたのは、日本はもとより筆者の住む上海や中国全土においても、2010年春、広東省深センにある同社の工場で、3カ月あまりの間に連続で12人もの若い行員が飛び降り自殺を計った事件だった。そしてその工場で、世界中でヒットしているスマートフォンiPhoneなどのApple製品を作っているということや、ブランドメーカーからの委託でそれら電子機器を生産する工場のことを「EMS」と呼ぶのだということが、一般にも広く知られるようになった。
一連の飛び降り自殺が起きるまで、フォックスコンは企業そのものよりも、同社を一代で築き上げた創業者の郭台銘氏が億万長者として注目されることのほうが、中国でも圧倒的に多かった。
郭氏は、米誌『フォーブス』が毎年発表する世界億万長者ランキングの常連。2011年は資産57億ドルで179位(台湾3位)という、世界でも有数の大富豪だ。
そして、郭氏の経営するフォックスコンは、「フォーチュン・グローバル500」で、2011年のランキングは売上高約543億ドルで第112位。Nokia(120位)、Dell(131位)、Apple(197位)、Cisco(200位)、Intel(209位)など、自らの顧客である世界的な有名企業よりも軒並み上位にいるのである。
台湾の経済誌が主催する「理想の経営者」を選ぶ調査で、半導体のTSMC創設者の張忠謀董事長や、PCのAcer創設者の王振堂董事長と並び、郭氏は上位の常連。一方、中国でも、中国の工場を舞台に一代で巨万の富を築いた「チャイニーズドリーム」を体現した人物として認識されており、書店には郭氏の一代記や経営書が並んでいる。
ところが一連の事件後、一つの工場に40万人もの工員が集められ働いているという一種異様な状況や、世界的人気を誇るAppleの製品を作っていること、そして工員たちは連日15時間も働いた上、数カ月分の給料をためてようやく、自分たちの作っているiPadを買うことができるといった状況が報じられるにつれ、フォックスコンは「血と汗の工場」という異名で呼ばれることになった。台湾では180人の学者が連名で、郭氏を「台湾の恥」と批判するに至ったのである。
冒頭で紹介した「もしもフォックスコンがなかったら」という言葉遊びも、こうした状況の中で浮上したものだった。
その後、フォックスコンが深セン工場の工員の基本給を900元から最高で2000元へと大幅に引き上げた際には、「人の心や命は金で買えない」との批判が起こった。
この時点で中国や台湾のメディアや業界筋では、郭氏が安い労働力を使った規模の経営を方針転換するのではないかとの憶測が広がった。ところが郭氏の採った行動は違った。
労働コストの高い深センなど華南沿海地区に集中していた生産拠点を四川省成都、湖北省武漢、河南省、山東省など中国内陸へと拡大。従業員数は減るどころか2010年5月時点の80万人から、同10月には92万人、同12月末にはついに100万人を突破した。
こうした郭氏の行動に圧倒されたのか、このころになるとフォックスコンや郭氏に対する批判はすっかり鳴りを潜めた。メディアは再び、フォックスコンの成都工場から出荷されたiPad 2やホワイトバーションのiPhone 4のことばかりを報じるように
なっている。
■「人材は4流、管理は3流、設備は2流、しかし顧客は1流」
電子機器受託生産(EMS)の世界最大手、フォックスコンの創業者である郭台銘董事長が、自らの経営哲学を説明する際、好んで話すといわれる言葉だ。ビジネスを発展させるカギは、いかに一流の顧客をつかむかにかかっているということなのだろう。
上海郊外松江区にあるフォックスコングループの工場
そのフォックスコンの顧客の代表格に挙げられるのがAppleとMicrosoft。iPhoneやiPadの世界的ヒットでいまをときめくスティーブ・ジョブズ氏がAppleを創業したのは1976年。Windowsで世界を席巻したビル・ゲイツ氏がMicrosoftを創業したのは1975年。そして後年、AppleとMicrosoftを顧客に抱えることになる郭台銘氏が、フォックスコンの前身となる鴻海工業を立ち上げたのは1974年のこと。パソコン時代の申し子とも言える3人が、ほぼ同時期に創業していたという事実は興味深い。
その郭氏は1950年、台湾の台北県板橋(当時)で、4人姉弟の長男として生まれた。父親は中国山西省出身で国民党の警察官。母親も中国山東省の出身で、2人は1948年、台湾に渡った。
16歳で海運学校に入学し貿易実務などを学んだ郭氏は、兵役を経て、復興航運公司という海運会社に就職した。担当した仕事は船のスケジュール管理と荷為替手形の管理。当時「台湾のウォール街」と呼ばれた台北の館前路にあるオフィスにスーツにネクタイ姿で出勤する郭氏は、傍から見ればサラリーマンの道を順調に歩み始めたように見えたことだろう。しかし郭氏本人の思いは違った。「貿易で扱う商品を作る工場を持たなければ、貿易をする意味がない」。
そう考えた郭氏は1974年、数人の友人と共同で、台北に白黒テレビのチャンネルのつまみを作るプラスチック成形の工場を設立する。ところが創業から間もなくして、オイルショックが発生。大きな打撃を受けたことですっかりやる気を無くした共同経営者から株を買い取り、郭氏は一人で経営を続けた。
その甲斐あって、会社は数年で軌道に乗るのだが、郭氏は「これ以上の飛躍を遂げるためには、優れた金型が無ければ無理だ」と思い至るようになる。当時の郭氏を知る人たちは、郭氏が寝ても覚めても「金型、金型」と、うわごとのようにつぶやいていたのを覚えているという。
本格的な高度成長期に入る前夜の当時の台湾で、中小企業の経営者たちは、多少の蓄えができると不動産を購入するケースが圧倒的に多かったという。しかし郭氏は1977年、工場が黒字転換を果たして手にした蓄えを手に日本を訪れ、金型製造の設備購入に注ぎ込み、念願の金型工場を設立する。
「これからはコンピュータの時代が到来する」と読んだ郭氏が選んだのは、パソコンのコネクタ製造だった。
1985年、海外市場開拓のため、郭氏は訪米する。節約するため食事は1日ハンバーガー2個までと決め、自らレンタカーのハンドルを握り、1泊15ドル前後のモーテルを泊まり歩きながら、飛び込みでセールスをし、顧客を増やしていったという。
1988年には中国に初進出し、従業員150人のコネクタ工場を経済特区の深センに設立する。1992年には、「なれる者から先に豊かになれ」という当時の最高実力者、?小平氏の「南巡講話」で経済の改革開放路線が決定的になると、深センに「見える範囲全部」の広大な敷地を購入。そこで原材料から部品、アッセンブリーまで一貫した垂直統合のサプライチェーンを構築して時間、費用などコストを徹底的に抑えるとともに、大量の人員で大量生産することで圧倒的な価格競争力を打ち出すという現在につながる体制を整えた。
こうして築き上げてきたフォックスコンの売上高は2010年、前年比53%増の2兆9900億NTドル(約8兆3720億円、1NTドル=約2.8円)、税引後純利益は前年比1.9%増の771億5400万NTドルにまで成長。前回の冒頭で紹介したように「もしもこの世にフォックスコンが存在しなければ、私たちはiPhoneも、iPadも、iPodも、プレイステーションも、ノートPCも、薄型テレビも存在しない世界に生きなければならなかった――」と言われるほど、ありとあらゆるメーカーが、電子製品の製造をフォックスコンに生産委託するに至っている。
さて、この「もしもフォックスコンがこの世に存在しなければ……」という言葉が流行るきっかけになったのは、2010年の5カ月あまりの間に、フォックスコン深セン工場で働く工員12人が相次いで飛び降り自殺を図るという痛ましい事件が発端だったことは前回書いた。安い賃金と1日15時間にも及ぶ過酷な労働条件が招いた悲劇だとされ、郭氏は非難の集中砲火を浴びた。
さらに2011年5月20日には、iPad 2を製造している中国四川省成都にあるフォックスコンの工場で爆発事故が発生、18人の死傷者を出した。この原稿を書いている段階(5月26日現在)で事故原因はなお調査中だが、作業場に設置された除塵用のパイプに粉塵が詰まり、これが加熱して爆発を誘引したとの見方が強い。中国や台湾のメディアは、機器のメンテナンスや清掃を十分に行わなかったために粉塵詰まりが起こったとした上で、生産拡大を急ぐあまり管理がずさんになったことや、従業員のトレーニングを怠ったことが遠因になったとして、フォックスコンと郭氏を非難している。
フォックスコングループ上海工場の近くにある職業紹介所の掲示板に張り出されていた求人。「上海フォックスコン、今申し込んで試験に合格すれば即決、明朝8時から勤務可。(宿舎、食事等)全部込み」「フォックスコン、男女の臨時工急募。17~28歳まで、日当90~100元、保健有り・なし、いずれも可」などと書いてある こうして若い工員たちが自殺するという事実がある一方で、中国のネットには、フォックスコンの生産ラインで働いている従業員らと同じような若いワーカーと思しき人たちによる、こんな書き込みが相次いだということを、ここで紹介しておきたい。
「フォックスコンが無かったら、おれたちを雇ってくれた中国企業はあっただろうか?」
「フォックスコンが無かったら、メディアはおれたち労働者の声を聞いてくれただろうか?」
「フォックスコンのような労働集約型の企業がなかったとしたら、我々中国の膨大な労働力は一体どこへ行けばいいのか」
13億4000万人にまで膨れ上がった人口に、いかに働き口を創出するかは、中国にとって最重要の課題だ。こうした中、100万人という圧倒的な雇用を創出するフォックスコン、そして郭氏を、「低賃金でこき使われている」と見なされている若い労働者たち自身が評価しているのも、また事実なのだ。
「成功するためにはどうすればいいかなんてことは分からないが、おれたち人間がゴキブリのようにしぶとく生き抜いていけるということは知っている」
これは1980年代、ハンバーガーをかじりながらアメリカで飛び込み営業をしていた郭氏が、夜毎モーテルで自分に言い聞かせていたという言葉だ。
郭氏自身、この言葉を体現することで、100万人もの従業員を抱える巨大企業を築き上げたのだろう。今でも1日15時間働くハードワーカーだという。
「若者よ、懸命に働け。そしてもっとしぶとく生きろ」。心の中で郭氏は、若い工員たちに呼びかけているのかもしれない。
上海はもう古い! 若者もEMSも四川を目指す
2011/06/13 00:00山田 泰司
5月20日、四川省の省都成都市にある電子機器の受託製造(EMS)大手、フォックスコン(FOXCONN=鴻海精密工業)の工場で爆発事故が発生した。従業員3人が死亡、15人が重軽傷を負う惨事となったが、この事故を中国はもとより海外の主要メディアも一斉に報じたのは、同工場で生産しているのが、世界的ヒットを飛ばすAppleのタブレット端末「iPad 2」だったためだろう。
フォックスコンは昨年まで、香港に隣接する中国深センの拠点でiPadを製造していた。ところが、深センを含む華南地区における人件費高騰や、深セン工場で従業員の飛び降り自殺が頻発するという事件が起きたこと(飛び降り事件の詳細は本連載の第1回目、第2回目参照)から、生産拠点の中国内陸へのシフトを加速。成都の生産拠点も、こうした流れの中で設立が決まったものだ。
フォックスコンは2010年7月、成都でiPadを生産する計画を決定。同年10月22日に生産開始を宣言した。当時の中国メディアの報道によると、着工から生産開始までに要した時間はわずか76日間。そのあまりの速さに業界には衝撃が走った。フォックスコンの郭台銘董事長は、「成都工場の建設スピードこそ、フォックスコンのビジネスのスピードを象徴するものだ」と自賛していたという。
今回の事故原因についてはこの原稿を書いている時点で中国当局がなお調査中だが、初歩的な見解として、爆発の起こった研磨施設で出る可燃性のゴミが導管内に詰まったことが爆発を誘引したとの見方が強い。こうしたことから今回の事故後、フォックスコンがスピードを重視するあまり、従業員教育や設備のメンテナンスを怠ったことが事故を誘因したと批判する声も挙がっている。
ところで日本の読者の中には、今回の事故の報道を通じて初めて、iPadが成都で生産されていることを知ったという人も多いのではないだろうか。
成都がある中国の四川省、といって、日本人の頭に浮かぶのはどのようなイメージだろうか。東日本大震災の影響で公開が遅れたが、上野動物園にレンタルされたパンダかもしれないし、9万人弱もの死傷者を出した2008年5月の四川大地震も記憶に新しい。麻婆豆腐や回鍋肉など、中国四大料理の一つである四川料理を思い浮かべる人もいるだろう。
これに対してEMS業界では昨年来、成都と、1997年に四川省から分離して上海や北京と同格の直轄市に昇格した重慶が、ノートPCの世界的な生産拠点として注目を集めている。そして、中国の20代、30代の若者たち、とりわけITエンジニアの間では最近、有望な就職の地として重慶、成都の人気が急上昇しているのである。
中国政府は国家の大方針として、広東省や上海など、沿海地区との格差解消を目的に、内陸である中西部地区の開発を進行。同地区の中核となる直轄市の重慶と、四川省の省都・成都では、自らの土地を世界有数のノートPC産業基地に育成すべく、安い人件費や豊富な労働力をウリに、ブランドメーカーやEMS/ODMの誘致合戦を展開した。
13億超の人口を抱える中国の中でも、四川省は人口の多い省として知られる。重慶が直轄市に昇格し四川から分離するまで、四川省の人口は1億人を超えていた。現在の人口は重慶が約2900万人、成都が約1400万人。四川省全体の人口も約9000万人と、再び1億人に迫りつつある。近年、沿海地区の人件費高騰や人手不足に悩んできたPCブランドメーカーやEMS/ODMメーカーにとって、豊富な労働力は魅力だ。さらに、中国と欧州をつなぐ物流ネットワーク「新ユーラシアランドブリッジ」を利用すれは、重慶や成都からドイツまでの所要時間がわずか13日と短く、欧州市場向けの拠点にもなるなどインフラの充実ぶりにも目を見張るものがある。
こうして、これまでに進出を決めた主要メーカーは重慶が8社。ブランドメーカーではHP、Acer、ASUSが顔を揃えたほか、EMS/ODMではフォックスコンに、ノートPC出荷量で2010年、世界第1、2位を占めたQuanta ComputerとCompal Electronics、Appleのスマートフォン「iPhone 4」のCDMAバージョンの生産を手がけることで知られるPegatron、さらに米書店大手Barnes & Nobleの電子ブックリーダー「Nook Color」の生産を受注したことで注目を集めたInventecもある。HPを除く7社はすべて台湾系だ。
一方の成都は、ブランドメーカーがDellとLenovo。EMS/ODMでは重慶にも進出しているフォックスコンとCompal Electronicsに加え、Research In Motion(RIM)のスマートフォン「BlackBerry」の受託生産で知られるWistronの合わせて5社。ノートPCの受託製造からの撤退がうわさされるFlextronicsを除き、ノートPCの製造を手がけるEMS/ODMの主力が揃って重慶、成都に進出を決めている。
台湾当局系のシンクタンク、台湾資訊工業策進会の産業情報研究所は2010年12月、2011年の世界のノートPC出荷量全体に中国西部地区生産分の占める割合が6~7%にとどまるとの予測を発表した。またNBの出荷規模が少量にとどまることから、部品サプライヤーの西部進出はかなり遅れるとの見解を示した。重慶や成都など中国西部地区が本格的に「世界のNB生産基地」になるには、一定の時間を要することになりそうだ。
しかし一方で、中国の若い人材は既に、これまで人気だった上海や深セン、広州から重慶、成都に流れ始めている。とりわけ地方出身者にその傾向が強い。
中国では独特の戸籍制度の影響で、例えば地方出身者が上海の企業で働く場合、企業から養老、医療、失業などの福利厚生を受けられないケースが極めて多い。さらに中国一の商業都市である上海には世界中から有力企業が集まる半面、競争も激しく、物価も高い。地方出身者にとっては、決して暮らしやすい土地だとは言えないのである。
重慶や成都で働く場合でも、その土地の出身でなければ福利厚生の条件が悪いのは上海同様。しかし、上海に比べれば家賃をはじめ基本的な生活費が格段に安い。なにより開発に沸く新興の成都や重慶が、若者たちの目には魅力的に映っているようである。
ネット上では、日本のYahoo!知恵袋やOKWaveに相当するQ&Aコミュニティでも「男、30歳、既婚。現在上海の外資系電子機器メーカーで中堅技術者として働き、給料は手取りで6000元(7万5000円、1元=約12.5円)あります。重慶か成都での転職を考えていますが、待遇はどうでしょうか?」という質問に対し、「手取りは4000~4500元程度に下がるでしょうが、物価を考えれば生活水準はむしろ上がるでしょう」という答えがベストアンサーに選ばれていたりする。
筆者の周囲でも、中国人たちが「重慶」「成都」と口にするのを本当によく聞くようになった。つい先週も、親しくしているIT系企業を訪問した際、30そこそこの男性社員2人が喫煙所で、「お前、重慶か成都で仕事を探す気はないの?」「話はあるけど家族がいるし家のローンもあるから……」「単身赴任すればいいじゃないか。チャンスがあればオレはいつでも行くよ」といった会話を交わしているのを小耳に挟んだ。今後、上海や深センなど沿海地区と、重慶、成都など内陸部の人材を巡る綱引きはますます激しくなることだろう。
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