【ヒゲの隊長・佐藤正久議員が語る】
「自衛隊はスーパーマンじゃない」被災地で活躍する自衛隊員の知られざる苦労
(日刊サイゾー - 06月26日 08:30)
『ありがとう自衛隊 ~ヒゲの隊長が綴る日本再興奮闘記~』(ワニブックスPLUS新書)
参議院議員・佐藤正久
――今回の震災における自衛隊の活動で、一番印象に残っているものはどのようなものですか?
「行方不明者の捜索ですね。この任務は、生存率が大きく下がる最初の72時間が勝負と言われます。震災発生当初はガソリンも供給できず、水や食料も届かないという状況の中で自衛隊が活躍をしました。自衛隊は自己完結性を持った組織のため、食事も風呂もガソリンもすべて自ら賄うことができ、備蓄もある。ただ、今回の震災では被災地域が広範囲に渡り、当初は自衛隊でも物資が足りませんでした。ご遺体を発見してもそれを運ぶ担架すら不足しており、ご遺体を背中に背負って運んだり、ゴム長などもないので、カッパを上から着ただけの状態で海水の中に入っていったりしていました。瓦礫で傷んでしまったご遺体の中には手足がなかったり顔がつぶれていたり、とくに津波では服が脱げてしまうため、裸のご遺体もたくさんありました。そのため、泥だらけになったご遺体を洗ったりすることもあったんです。とても厳しい状況でしたが、そういったご遺体の回収作業ができるのは自衛隊しかいないわけですから、やるしかないんです」
――自衛隊の災害派遣部隊の活動というのは、まず行方不明者の捜索から始まるんですか?
「はい。最初は人命救助、捜索ですね。その際、ご遺体も見つかるわけですから、一番優先順位が高い。同時に後方部隊は食事や水の支援を行います。今回は東北地方に住んでいる500人以上の隊員に出動命令が出ましたが、自分の家族と連絡も取れないまま現地へ向かい、行方不明者の捜索、あるいは孤立者の救出といった任務にあたった隊員も数多くいました。実際に家族が亡くなったり、家が流された隊員もいます。でも、自衛隊員は自分の身内よりも一人でも多くの被災者を救い出し、少しでも早くご遺体を家族の元に戻す、という使命感を持っているんです」
――自衛隊では行方不明者の捜索や瓦礫撤去など、災害派遣のための特殊な訓練もされているのでしょうか?
「あくまで国防のための訓練であり、災害用の特別な訓練をしているわけではありません。訓練には精神面、肉体面、スキル面の3つがあります。まず、精神面は日ごろから鍛えておかないと、いざ任務にあたる時に心が折れてしまいますよね。今回、若い隊員の中にはご遺体を見たことがなかった者も多く、本当につらい状況だったと思います。さらに雪や雨が降る中、かん水しているところに入り捜索活動を行い、戦闘服は2着しかないので次の日もまた濡れた服を着ていかなければならない。食事も被災者の前で食べるわけにはいかないので、場合によってはご遺体を運んだ車の中で食べなければなりません。精神的な強さというのは、現状よりももっとつらい訓練の中で培っておかなけえれば絶対に耐えられるものではありません。
肉体的な強さについてもそうです。例えば30~50キロの重い荷物を背負いながら、100キロの道のりを歩くという訓練があります。実際の戦場では体力温存のため、そのような長距離を歩くことはありません。しかし、日ごろから訓練を行っていれば、いざという時に無理が利くようになるんです。
スキル面もすべて応用です。日ごろから組織として動くという訓練をしておくことによって現場でバラバラにならず、指揮官の命令一つでどのようにでも動ける。自衛隊というのは人数が十分ではないので、駐屯地ごとにそれぞれ専門部隊が分かれています。任務があると、それぞれの駐屯地から必要な隊員をつまみ出してプロジェクトチームをつくるんです。"ミッション・オリエンティッド"とよく言いますが、日ごろからそういう訓練をしておかないと、現場現場のニーズに対応できないんです」
――スキルといえば、今回は原子力災害派遣も行われましたが、原子力についても専門的な知識が必要とされると思います。そういった訓練もされているのでしょうか?
「一部の部隊はそういう知識を持っていますが、ほとんどの隊員は持っていません。ですから、今回も専門的な教育を受けた隊員がみんなに教育をしながら活動を行っています。自衛隊員と言っても、大多数の人は放射能や原子力のことまでは分かりませんから。ただやること自体は日ごろの国防の応用です。ヘリから原子炉への散水や、放射能除染もそうです」
――すべての訓練が応用として現場で生かされているんですね。しかし、そんな自衛隊員でも、精神的にまいってしまうこともあるともあるんじゃないですか?
先日、仙台に行ったときに、自衛隊員の人が「もうつらい」と漏らしていたという話を聞いたんですが。 「今までにないような経験をしていますからね。たとえば、ご遺体にまつわる話ですが、ご遺族の方から探してほしいと頼まれて沼地などにボートや、あるいは胸まで沼に浸かりながら自衛隊員が捜索します。ご遺族はその様子を周りで見ているわけです。ようやく見つかったときに、ご遺体が想像していない状態であっても、自衛隊員はご遺族との対面に立ち会うわけですよね。あるところでは、行方不明だった3歳の男の子のご遺体が自衛隊の捜索で見つかったんですが、ご遺体の状態は直視できるものではなかった。そのご遺体を遺体袋に入れて引き渡すときに、お母さんが『よかったね、自衛隊の人たちが助けてくれたよ。今度生まれ変わって大きくなったら自衛隊に入れてもらおうね』と泣きながら語りかけたそうです。自衛隊員たちはみんなで線香をあげて合掌し、見送ったりするわけですが、そういう場面に何度も立ち会わなければならない。自衛隊員たちにも家族がいるわけですから、やはりつらいものがあります」
――本書では災害現場での口内炎や便秘といった、自衛隊員の身体的な苦労も語られていますが、他にも病気などに罹ることはあるのでしょうか?
「自衛隊は大"痔"主と言われています。野外で用を足す場合が多いので、痔になりやすいんです。それと、水虫も多いですね。瓦礫を踏み抜かないようなブーツを履いているので足がやすいんです」
――佐藤議員も自衛官の時代はそういった悩みを抱えていたんですか?
「私は痔は大丈夫だったんですが、水虫は今でもダメですね(笑)。あんな水浸しのところを歩くんだから、直るはずがないですよ」
――自衛隊に対する特別手当が。わずか1,620円ということにも驚かされました。 「そこは言っても仕方がないことですが......。ただ、自衛隊員が一番求めているものは名誉と誇りです。被災者からの感謝の気持ちや、『生まれ変わったら自衛官になりたい』という言葉、それに天皇陛下からの頂いた感謝のお言葉......。自分の身を犠牲にしてでも国のためにというのが自衛隊員の精神的な軸になっています。その見返りはお金ではなく、名誉と誇りなんです」
――震災から3カ月が経過しました。今後、自衛隊はどのような活動を行っていくのでしょうか?
「災害派遣の現場では、行方不明者の捜索は一段落するでしょう。しかし、仮設住宅ができるまでは引き続き生活支援、つまり水と食事の支援が求められます。また、いまだに続く福島第一原発事故でもモニタリングや除染などの活動が続いていきます。現場から離れたところでは、今回の災害派遣を踏まえた教訓づくりが行われます。今回の教訓事項を洗い出し、次に反映させる。首都直下型地震や東海、東南海地震などが発生した場合に備え、準備を進めていきます」
――復旧活動を通して、あらためて自衛隊の活躍がクローズアップされています。この状況をどのようにご覧になりますか?
「震災の直後から多くの方々を救出し、ご遺体の捜索にあたるなど大活躍する自衛隊の姿は誇らしく感じています。しかし一方で、自衛隊に対して間違ったイメージを持っている人も多くなっていると思いますね。自衛隊を『災害派遣部隊』と見ている人や、災害派遣専用の部隊として強化すべきじゃないかという議論も出てきています」 ――「自衛隊の本来の活動」とはどのようなものでしょう? 「自衛隊の任務には国際貢献や災害派遣もありますが、あくまでも『国防』が中心の軸です。その応用で国際貢献や災害派遣などが可能になるわけで、そちらが中心になってしまったら間違いなく"弱い"自衛隊になってしまうでしょうね」
――最後に、現地で活躍する自衛隊員にメッセージはありますか?
「参加されている隊員の方々の汗と想いが被災者の希望になり、安心の糧になります。だから最後まで力と汗を振り絞って活動していただきたいですね」 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])
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