2011年6月24日金曜日

アマルフィ (Amalfi)

イタリア共和国カンパニア州コムーネ(都市)。人口5,353人(2009年1月現在)。

ソレント半島の南東、サレルノ湾に面するアマルフィ海岸の中心地

周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られたから、断崖上に向かって形成されている街である。アマルフィ海岸は、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている。


歴史
アマルフィ公国」も参照
その起源は古代ローマ時代にまで遡る。海洋に面し、かつ複雑な地形に囲まれており、外敵の侵入を撃退するのに適していた。

839年、ナポリ公国から独立を宣言してアマルフィ公国となり、イスラーム勢力との抗争のなかで、徐々に勢力を拡大させていった。

872年にはサン・サルヴァトーレ島を守っていたイスラーム軍を海戦で撃破、この功績で東ローマ帝国からカプリ島を譲渡された。

ただし、イスラーム勢力と対立しただけでなく、商業上の利益から同盟を結ぶこともみられた。アマルフィは、その後も公国の首都貿易の拠点として発展し、一時はピサヴェネツィアジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げた。例えば、現ウクライナの都市セヴァストポリに、アマルフィの港の跡が残されている。

アマルフィの人々は、航海に関する法典である「アマルフィ海法」を作成した。

これが様々な海洋に関する法典の雛形となり、17世紀まで影響を持った。

また、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でもたらされ、13世紀には製紙産業が勃興していた。

アマルフィの最盛期は11世紀に達成され、その後急速に衰退した。

1131年にはノルマン人による征服、1135年1137年はピサによる略奪、そして1343年での嵐によって都市の大部分が破壊された。

観光
狭い土地を有効活用するため、アーチの上に家を建て、上へ上へと建て増したため、断崖にへばりつくように建物が密集している。外敵の侵入を妨げる為もあって階段で出来た路地が複雑に入り組んでいる。

アマルフィの代表的な建造物として、アラブ=シチリア様式の大聖堂がある。

11世紀に建造が始まり、雄大な正面(ファサード)、1066年にコンスタンティノープルで作られた青銅製の扉、そして13世紀の美しい「天国の回廊(Chiostro del Paradiso)」など、特徴的な多くの追加工事が継続して行われた。

特産品はリモンチェッロと手漉き。リモンチェッロの原料にはこの地方特産のレモンが用いられる。今でもアマルフィの急斜面にはところどころレモン畑がある。手漉き紙はイタリア半島で最初に製紙法が伝わった場所であり、紙漉きに必要な清流が存在したことから発達した。

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