(NEWSポストセブン - 06月04日 07:12)
戦後の日本でも、瀬戸内海で海賊が跳梁跋扈した時期があった。
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GHQ統治下、瀬戸内海では海賊が跋扈していた。機銃を据えた機帆船に乗った彼らは日本刀やピストル、ダイナマイトなどで武装して船舶を襲撃し、沿岸地域を荒らし回った。
中でも派手に暴れ回ったのが、昭和24年3月3日に逮捕された青果商・丸山秀義(29)らの一味。彼らは一般民家を襲うことは少なく、主に闇ブローカーや企業、官庁などを標的としていた。
丸山の自供によれば、海賊団の構成員は実に2000人。高松、丸亀、観音寺に拠点が置かれ、5人の貸元(頭目)が陣頭指揮を執っていたという。
構成員には会社員、漁師、博徒まで様々な職業の人間がおり、貸元の号令で集結していたが、構成員同士は互いに名前さえ知らなかった。そのため、警察は丸山を取り調べたものの、黒幕には辿り着けなかった。
※週刊ポスト2011年6月10日号
瀬戸内海は海賊の海
昭和24年2月4日夕方、岡山県邑久郡牛窓町沖の瀬戸内海で石炭輸送船第10和気丸(300トン)が遭難した事件で、船長(52)ら7人が海賊によって縛り上げられて船が漂流しているのを3日後に発見された。
当時、瀬戸内海は無警察状態で敗戦この方、海賊の海と化していたのである。
昨12月19日には香川県仲多度郡高見島
昨12月21日には岡山県児島市味野町専売局出張所を海賊が襲撃していた。
1月20日には宇野港外の香川県香川郡の喜兵衛島を
1月29日には三豊郡の粟島
2月1日には岡山県児島郡の石島をそれぞれ海賊が襲撃していた。
3月3日、香川県丸亀市新町の青果物商、丸山秀義(24)ら3人が宇野線の茶屋町駅で逮捕された。
海賊一味は大阪に本拠を持ち、香川県香川郡仏生山町にも拠点があったという。
そして高松、丸亀、観音寺と支部があり5人の貸元が指揮、およそ2000人のメンバーがいて昼は会社員、夜は海賊という者までいたが、縦のつながりで徹底していて丸山を逮捕したところで横のつながりがまったくわからずじまいであった。
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