サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill, 1874年11月30日 - 1965年1月24日 享年90歳
【毎日の本棚】
今週の本棚:五百旗頭真・評 『危機の指導者 チャーチル』=冨田浩司・著
◇五百旗頭 真・評
(新潮選書・1365円)
◇客観性の土台から「英雄」の実像に迫る
「チャーチルほど書き尽くされた政治家は稀有(けう)」と本書が言う通り、英本国を中心にチャーチル評伝や研究書が年ごとに今なお新たに積み上げられている。日本においても、その人気は衰えを見せない。それどころか、民主主義社会が危機を迎え、政治的リーダーシップの欠如が痛感される程に、チャーチルへの想(おも)いがつのる感がある。
気になるのは、日本における認識がかつてチャーチル自伝が描き出した説明をいくらも出ない点である。なにしろノーベル文学賞を受けたチャーチル自伝の雄弁さである。「世界史を装った素晴らしい自伝」に魅了されるのも無理からぬ所である。本書の特長の一つは、公開された公文書を用いての英米の新しい研究成果をとり入れて、チャーチルの主観的説明に対する批判と修正を随所に繰り広げていることにある。
ならば、本書は英雄チャーチルを地に引き降ろす試みなのか。そうではない、むしろ逆である。客観性のより堅固な土台に据え直しつつ、「危機の指導者」チャーチルの実像を本書は浮かび上らせようとする。著者は現職外交官であり、若き日のオックスフォード大学での研修留学に始まる計7年に及ぶ英国滞在の中で、チャーチルに吸い寄せられた。国際関係の中の英国(日本)や外交指導を考えるうえで、チャーチルほど良質の教材は少ないであろう。
「私は、この世で何らかのことを成し遂げるという運命を信じているのです」と母親に書き送る若者には、それにふさわしい勇気ある冒険とともに愚行、蛮行をも辞さない所があった。若者は他方で猛然と読書する知力にも恵まれた。1900年に26歳で下院に初当選した政治家としての立場は、意外にも国民福祉の充実を求める改革派であった。それが大英帝国の偉大さを求める国家論と両立するのが、ディズレイリに代表される英国保守政党の本領であると本書は指摘する。
さて37歳で海軍大臣となり、第一次大戦を迎えたチャーチルは、闘志をみなぎらせた戦争指導を試みる。しかし膠着(こうちゃく)した西部戦線以外の場を求めて彼が推進したダーダネルス作戦は悲惨な失敗に終わる。国家指導者としてのチャーチルにとり、額に刻印された原初の傷となった。しかし彼は屈しない。とりわけナチスドイツの急速な軍拡に対して、彼はその危険性を鋭く指摘し、空軍力強化を中心に強い対応を説いた。それは第一次大戦の悲惨な犠牲を経験した英仏にあって著しく不評判な議論であった。チェンバレン首相の「ミュンヘンの宥和(ゆうわ)」に対するチャーチルの批判の方が、議会と世論からむしろ批判を浴びた。だが不遇と受難をあえてしての議論が正しかったことは、ほどなく明らかになった。
ドイツの西部戦線での電撃戦が開始された1940年5月10日、その日にチャーチルは首相となった。「私は運命と共に歩んでいる」と彼は感慨を表現した。オランダは降伏し、英仏軍はダンケルクに追いつめられた。が、3万人の犠牲を出したとはいえ、参集した英国内の漁船やヨットを含む860隻によって30万人の将兵が英本土に無事帰還した。6月4日、下院で「我々は野原で闘い、街で闘い、山々で闘う。我々は決して降伏しない」と演説するチャーチル首相は英国民と結ばれた。冷静沈着な英国の公僕たちが廊下を走って仕事をするように変わり、英本土上空で英空軍は殺到するドイツ空軍を食い止めた。それが第二次大戦の流れを変えた。政党政治も10年間総選挙を行わず、戦時協力を続けた。危機の政治的リーダーシップとは何かを語る好著である。
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