2011年6月24日金曜日
アンダルシア州(Andalucía)
アンダルシア州(Andalucía)
州都は、セビリア。自治州政府はフンタ・デ・アンダルシーア(Junta de Andalucía)。
気候は典型的な地中海性気候で、夏はまばゆい太陽が輝き暑い。雨はあまり降らない。
歴史
グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼる。この都市は強大なタルテッソス文明を築き、聖書では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られている。紀元前2世紀、古代ローマに支配され、属州ヒスパニア・バエティカが置かれた。
5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配し、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となった[2]。
西ゴート王国による支配のあと、711年にウマイヤ朝に征服され、アラビア語でアル・アンダルスと呼ばれるようになった。後ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄した。アンダルシアの文化は、8世紀にわたるイスラム支配の影響を色濃く残している。
13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進み、グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残った。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一された。
16世紀から17世紀にかけて、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったため、現在アメリカに住むスペイン語話者は、標準的なスペイン語であるカスティーリャ語ではなく、アンダルシア方言を話す人が多い。
アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域であった。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方の一つとなった。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによりてこ入れが図られている[2]。
観光と世界遺産
アンダルシア州にはイスラム支配期の文化を伝える史跡が数多く残り、観光名所となっている。グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータやメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔などがある。
マラガ県の地中海沿岸コスタ・デル・ソルは一大リゾート地となっており、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部から多くの観光客を集めている。
アンダルシア州でユネスコの世界遺産に登録されている物件には次のものがある。
コルドバ歴史地区
グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン
セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
ドニャーナ国立公園
ウベダとバエサのルネサンス建築
州都は、セビリア。自治州政府はフンタ・デ・アンダルシーア(Junta de Andalucía)。
気候は典型的な地中海性気候で、夏はまばゆい太陽が輝き暑い。雨はあまり降らない。
歴史
グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼる。この都市は強大なタルテッソス文明を築き、聖書では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られている。紀元前2世紀、古代ローマに支配され、属州ヒスパニア・バエティカが置かれた。
5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配し、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となった[2]。
西ゴート王国による支配のあと、711年にウマイヤ朝に征服され、アラビア語でアル・アンダルスと呼ばれるようになった。後ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄した。アンダルシアの文化は、8世紀にわたるイスラム支配の影響を色濃く残している。
13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進み、グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残った。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一された。
16世紀から17世紀にかけて、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったため、現在アメリカに住むスペイン語話者は、標準的なスペイン語であるカスティーリャ語ではなく、アンダルシア方言を話す人が多い。
アンダルシアは先史時代からローマ時代、イスラム時代を通じてイベリア半島の先進地域であった。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がり、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除き、スペインでも貧しい地方の一つとなった。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによりてこ入れが図られている[2]。
観光と世界遺産
アンダルシア州にはイスラム支配期の文化を伝える史跡が数多く残り、観光名所となっている。グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータやメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔などがある。
マラガ県の地中海沿岸コスタ・デル・ソルは一大リゾート地となっており、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部から多くの観光客を集めている。
アンダルシア州でユネスコの世界遺産に登録されている物件には次のものがある。
コルドバ歴史地区
グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン
セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
ドニャーナ国立公園
ウベダとバエサのルネサンス建築
アマルフィ (Amalfi)
イタリア共和国カンパニア州のコムーネ(都市)。人口5,353人(2009年1月現在)。
ソレント半島の南東、サレルノ湾に面するアマルフィ海岸の中心地
周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られた港から、断崖上に向かって形成されている街である。アマルフィ海岸は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
歴史
「アマルフィ公国」も参照
その起源は古代ローマ時代にまで遡る。海洋に面し、かつ複雑な地形に囲まれており、外敵の侵入を撃退するのに適していた。
839年、ナポリ公国から独立を宣言してアマルフィ公国となり、イスラーム勢力との抗争のなかで、徐々に勢力を拡大させていった。
872年にはサン・サルヴァトーレ島を守っていたイスラーム軍を海戦で撃破、この功績で東ローマ帝国からカプリ島を譲渡された。
ただし、イスラーム勢力と対立しただけでなく、商業上の利益から同盟を結ぶこともみられた。アマルフィは、その後も公国の首都、貿易の拠点として発展し、一時はピサやヴェネツィアやジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げた。例えば、現ウクライナの都市セヴァストポリに、アマルフィの港の跡が残されている。
アマルフィの人々は、航海に関する法典である「アマルフィ海法」を作成した。
これが様々な海洋に関する法典の雛形となり、17世紀まで影響を持った。
また、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でもたらされ、13世紀には製紙産業が勃興していた。
アマルフィの最盛期は11世紀に達成され、その後急速に衰退した。
1131年にはノルマン人による征服、1135年、1137年はピサによる略奪、そして1343年での嵐によって都市の大部分が破壊された。
観光
狭い土地を有効活用するため、アーチの上に家を建て、上へ上へと建て増したため、断崖にへばりつくように建物が密集している。外敵の侵入を妨げる為もあって階段で出来た路地が複雑に入り組んでいる。
アマルフィの代表的な建造物として、アラブ=シチリア様式の大聖堂がある。
11世紀に建造が始まり、雄大な正面(ファサード)、1066年にコンスタンティノープルで作られた青銅製の扉、そして13世紀の美しい「天国の回廊(Chiostro del Paradiso)」など、特徴的な多くの追加工事が継続して行われた。
特産品はリモンチェッロと手漉き紙。リモンチェッロの原料にはこの地方特産のレモンが用いられる。今でもアマルフィの急斜面にはところどころレモン畑がある。手漉き紙はイタリア半島で最初に製紙法が伝わった場所であり、紙漉きに必要な清流が存在したことから発達した。
ソレント半島の南東、サレルノ湾に面するアマルフィ海岸の中心地
周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られた港から、断崖上に向かって形成されている街である。アマルフィ海岸は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
歴史
「アマルフィ公国」も参照
その起源は古代ローマ時代にまで遡る。海洋に面し、かつ複雑な地形に囲まれており、外敵の侵入を撃退するのに適していた。
839年、ナポリ公国から独立を宣言してアマルフィ公国となり、イスラーム勢力との抗争のなかで、徐々に勢力を拡大させていった。
872年にはサン・サルヴァトーレ島を守っていたイスラーム軍を海戦で撃破、この功績で東ローマ帝国からカプリ島を譲渡された。
ただし、イスラーム勢力と対立しただけでなく、商業上の利益から同盟を結ぶこともみられた。アマルフィは、その後も公国の首都、貿易の拠点として発展し、一時はピサやヴェネツィアやジェノヴァと地中海の覇権を争い、黒海にも商業活動を広げた。例えば、現ウクライナの都市セヴァストポリに、アマルフィの港の跡が残されている。
アマルフィの人々は、航海に関する法典である「アマルフィ海法」を作成した。
これが様々な海洋に関する法典の雛形となり、17世紀まで影響を持った。
また、中国からイスラーム世界に伝わった製紙法がシチリア島経由でもたらされ、13世紀には製紙産業が勃興していた。
アマルフィの最盛期は11世紀に達成され、その後急速に衰退した。
1131年にはノルマン人による征服、1135年、1137年はピサによる略奪、そして1343年での嵐によって都市の大部分が破壊された。
観光
狭い土地を有効活用するため、アーチの上に家を建て、上へ上へと建て増したため、断崖にへばりつくように建物が密集している。外敵の侵入を妨げる為もあって階段で出来た路地が複雑に入り組んでいる。
アマルフィの代表的な建造物として、アラブ=シチリア様式の大聖堂がある。
11世紀に建造が始まり、雄大な正面(ファサード)、1066年にコンスタンティノープルで作られた青銅製の扉、そして13世紀の美しい「天国の回廊(Chiostro del Paradiso)」など、特徴的な多くの追加工事が継続して行われた。
特産品はリモンチェッロと手漉き紙。リモンチェッロの原料にはこの地方特産のレモンが用いられる。今でもアマルフィの急斜面にはところどころレモン畑がある。手漉き紙はイタリア半島で最初に製紙法が伝わった場所であり、紙漉きに必要な清流が存在したことから発達した。
中国共産党政権はどこまで腐敗しているか(7)―官僚の「愛人囲み」で見る
中国共産党政権はどこまで腐敗しているか(7)―官僚の「愛人囲み」で見る
【コラム】 2011/06/24(金) 08:16
中国ではかなり昔から、「男人有銭就変壊、女人変壊就有銭」という諺が流行っている。その意味は、男性はカネがあれば悪い男になるが、女性は悪い女になればカネがあるといったところだ。いずれもカネと男女関係との関連性を皮肉っている表現である。
この諺は近年、その信ぴょう性が新たな事実に裏付けられている。というのは、腐敗汚職に手を染めた官僚はほとんど「愛人」問題を抱える。贅沢に愛人を囲う費用を捻出するため、賄賂や公金に手をつけることが背景にあるが、逆に「愛人」に逆襲され、政治生命や自分の命を葬られてしまう官僚も多くいた。腐敗汚職の摘発が愛人からの告発が多いということから「金の切れ目は縁の切れ目」ということだろうか。誠に恐ろしい現実である。
2010年2月、新華通信社傘下の「瞭望新聞週刊」は、「最近の政府高官の失脚は、大部分が“生活腐敗”であり、高官の私生活がすでに中国政府の汚職撲滅の重要な監視対象の一つになった」などを趣旨とする論説を発表、中国新聞社が24日、これをウェブサイトに転載し配信した。
それによれば、中国は建国以来、正しい「生活スタイル」が高官に求められる基本素養だった、と指摘。「しかし、ここ数年、多くの政府高官は“政治的成績を求めて英雄を語る”ようになっており、私生活面では有効な監督機能が失われ、一部高官は愛人を囲う、重婚、女遊び、芸者遊びなどなど自堕落な生活に陥っている」とした。
また、中国政府系メディアによると、調査・処分を受けた「腐敗幹部」の95%に「愛人」がいる(『人民論壇』2010年8月23日付)。なぜ「95%」か。一説によると、残りの5%は女性幹部ではないかとされ、男性の貪官には100%愛人がいたということになる。
ある弁護士が関与した20人あまりの腐敗案件では愛人を囲っていないケースはなかったという。官僚のなかには、公然と愛人を宴会や公共の場所に同行させる者もいる。
20数人の愛人を一同に集めた宴会を開いていたケース、140人余もの愛人をMBA(経営学修士号)の知識を使った方法で“管理”していた腐敗官僚もいたとインターネットでは指摘されている。
関係筋によると、2006年上海市大型汚職事件の渦中の人物、前市共産党委員会書記・陳良宇にも複数の愛人がいたとされるほか、北京市の前副市長・劉志華、前国家統計局長・邱暁華も愛人がいた。
劉志華の「悲劇」は2006年に発生したもの。
劉はオリンピックがらみで多くの建設計画があった北京市のインフラ整備の責任者で、地位を利用して工事の発注に絡み600万元もの巨額のカネを不正に受け取った。劉には多くの愛人がおり、うち一人は建設会社の法定代表人だった。この建設会社が国家テニスセンターや、ホッケーやアーチェリーの会場建設の工事を受注したことも、劉の地位を利用したものだったとされている。これらの不祥事が明るみに出たのは、愛人が政府当局に送った1本のビデオテープが発端だったという。
その後の調べで、劉が北京市郊外に豪華な別荘を建てていたことも分かった。全部でなんと150部屋あり、内部の装飾などは高級ホテル並みの豪華なものだったという。劉は愛人の一人を「支配人」にして、別荘の切り盛りを任せていた。
劉の「恥部」を暴露したあの1本のビデオテープでは、劉が愛人の一人に「サービス」をさせる様子が約60分にわたり記録されていた。愛人は約束の「報酬」がもらえないことで腹を立て、密かに撮影したテープを当局に送りつけたという。
2006年6月、劉は生活上の堕落などで共産党員の資格を剥奪、公職を解任された。同年12月、劉は汚職で逮捕され、09年1月に死刑、執行猶予2年の判決を受けた。
官僚が不正に集めたカネで愛人を囲み、愛人の欲求を十分に満たせなかったことで愛人に裏切られてしまう。このようなパターンはすでに一般化しており、劉の前にもあったし、その後も数多く発生している。
日本でもごく稀なケースだが女性問題のスキャンダルによって短期間で辞職した首相がいたが、中国では日本のようにマスコミの力が強くなく、内部告発で発覚するようである。
ここで言っている内部告発とは、愛人からの告発もあれば、正妻(場合によって子女)からの告発もある。
江蘇省徐州市泉山区の元共産党委員会書記・董峰は多くの愛人がいたことから、「一夫多妻書記」などと呼ばれていた。しかし、この「一夫多妻書記」は08年11月28日に収賄の容疑で徐州市中級人民法院(地裁)から起訴された。
董には5人の愛人がおり、うち少なくとも2人との間には子をもうけていたとされる。董には、本人と愛人の名義で282万元の賄賂を受け取っていた疑いが持たれている。また、地位を利用してマンション3軒を不正に安く購入した疑いもあるという。董の愛人問題と収賄が発覚したのは、妻の告発だった。
共産党・政府の幹部に対する「反腐敗運動」を推進している中国鉱業大学の王培栄副教授が董妻の協力者となり08年7月、個人ブログに「全国で最も荒淫無恥な区委員会書記、全国で最も猛々しい暗黒勢力」などと題する記事の連載を始めた。同ブログでは、董が長年にわたり妻と愛人一人と同居させ、「3人が同ベッドを使うことを強要し続けた」などとして私生活も暴露した。
愛人を家に連れ込み、妻に同ベッドの使用を強要することでもっと痛い目に遭わされた男もいた。
2009年7月28日付「広州日報」によると、広東省東莞市第一法院(地裁)は27日、「夫の局部をはさみで切断し、障害が残る傷を負わせた」として37歳の女性に懲役10年の有罪判決を言い渡した。
夫は08年12月、「好きな女性ができた。彼女は結婚にこだわっていない。この家で一緒に住みたいと言っている」と妻に告げた。言い争いになったが、夫は強引に愛人を家に連れてきた。中国の家庭では、夫婦がダブルベッドを使うことが一般的だが、夫は愛人も同じベッドを使わせた。妻がいる場で、性行為をすることもしばしばだったという。
たまりかねた妻はたびたび離婚を申し出たが、夫は受けつけず妻に暴力をふるった。26日午前、妻は雑貨店ではさみを購入し、夜になり熟睡していた夫の局部を一気に切り落とした。大量の血を見て恐くなり、姉の家に逃げた。逃げる際、夫の局部は家の前の池に投げ捨てた。妻は翌日、警察に逮捕された。夫の命は助かったが、法医学鑑定で5級の障害が残ると判断された。
同記事を転載したインターネットメディア環球網のコメント欄では「死亡事故を起こしても懲役3年。判決は重すぎる」、「夫はけだものだ。当然の報い」、「男は罰せられないのか。有罪に決まっている」など、女性に同情する書き込みが多い。
このように愛人を囲むのは時には大きな代償を払う。官僚その人物をほんとうに愛する人もいるかもしれないが、たいてい官僚の権力や立場、金銭を目当てで近付くほうが多い。ある識者が指摘するように、愛人を囲んでしまうと、まるで暴れる馬の背中に乗ってしまった同然だ。馬の勢いに任せるか、馬の背中から落ちて大けがを被るか、選択肢は非常に限られている。そしていずれその先に破滅の運命が待っている。
官僚の愛人囲みと破滅との因果関係についてインターネットメディア南方報網の論説は次のように分析している。
まず、官僚は政府機関などに勤めて、「不正をしようと思えばできる」地位になるまでには少なくとも10年、または20年かかることが多い。すでに、かなりの年齢になっている。その時、若い女性が近づいてくれば、つい、「男としての自信」が蘇り、青春が戻ってきたような気分になるという。
一方、そのような男性に個人的に接近する女には、なんらかの「下心」があると考えてよい。双方がそれぞれの「欲望」により、あっという間に結びつくことになる。
腐敗汚職が発覚する官僚の多くは、年齢から言っても既婚者であることが一般的だ。若い愛人は経済面での欲望をむき出しにし始め、断ると怒る。せっかく手に入れた女を手放すのは、感情的にも難しい。妻以外の女性と関係を持ったことで、相手の女の出方によっては、汚職に手を染めなくとも、地位を失う可能性が高い。結局は、官僚が犯罪者に一転する(南方報網2010年1月28日付)。
事実、近年、愛人にせがまれてどんどん腐敗汚職の闇に飲まれていき、最終的に逮捕、懲役など処罰を受ける身になるようなケースは数多く報道されている。
2010年1月27日、広東省広州市中級法院(地裁)では増城市人民代表大会副主任(議会副議長相当)などを務めた邱カ勝被告に対する裁判が行われていた。邱は1950年生まれの59歳。地位を利用して、105万元を不正に入手したとして、収賄の疑いで逮捕された。
一方、自分にかけられた嫌疑について邱は、「もともと、不正などするつもりはなかった。愛人に迫られてやった。手に入れた105万元のうち、98万元はすべて愛人のものになった」と涙ながらに主張した(南方報網2010年1月28日付)。もちろん、愛人のせいとするのはただの言い訳。法廷で泣き叫んでも、女を罵倒しても、結局はすべて自分の責任。邱は懲役7年の判決を受けた。
「欲望横流」の中国。高度経済成長の恩恵に誰よりも浴している官僚たちはこれほどまでに人間の本能をむき出しにして政治や社会を汚す姿はまことに醜い。(執筆者:王文亮 金城学院大学教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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中国ではかなり昔から、「男人有銭就変壊、女人変壊就有銭」という諺が流行っている。その意味は、男性はカネがあれば悪い男になるが、女性は悪い女になればカネがあるといったところだ。いずれもカネと男女関係との関連性を皮肉っている表現である。
この諺は近年、その信ぴょう性が新たな事実に裏付けられている。というのは、腐敗汚職に手を染めた官僚はほとんど「愛人」問題を抱える。贅沢に愛人を囲う費用を捻出するため、賄賂や公金に手をつけることが背景にあるが、逆に「愛人」に逆襲され、政治生命や自分の命を葬られてしまう官僚も多くいた。腐敗汚職の摘発が愛人からの告発が多いということから「金の切れ目は縁の切れ目」ということだろうか。誠に恐ろしい現実である。
2010年2月、新華通信社傘下の「瞭望新聞週刊」は、「最近の政府高官の失脚は、大部分が“生活腐敗”であり、高官の私生活がすでに中国政府の汚職撲滅の重要な監視対象の一つになった」などを趣旨とする論説を発表、中国新聞社が24日、これをウェブサイトに転載し配信した。
それによれば、中国は建国以来、正しい「生活スタイル」が高官に求められる基本素養だった、と指摘。「しかし、ここ数年、多くの政府高官は“政治的成績を求めて英雄を語る”ようになっており、私生活面では有効な監督機能が失われ、一部高官は愛人を囲う、重婚、女遊び、芸者遊びなどなど自堕落な生活に陥っている」とした。
また、中国政府系メディアによると、調査・処分を受けた「腐敗幹部」の95%に「愛人」がいる(『人民論壇』2010年8月23日付)。なぜ「95%」か。一説によると、残りの5%は女性幹部ではないかとされ、男性の貪官には100%愛人がいたということになる。
ある弁護士が関与した20人あまりの腐敗案件では愛人を囲っていないケースはなかったという。官僚のなかには、公然と愛人を宴会や公共の場所に同行させる者もいる。
20数人の愛人を一同に集めた宴会を開いていたケース、140人余もの愛人をMBA(経営学修士号)の知識を使った方法で“管理”していた腐敗官僚もいたとインターネットでは指摘されている。
関係筋によると、2006年上海市大型汚職事件の渦中の人物、前市共産党委員会書記・陳良宇にも複数の愛人がいたとされるほか、北京市の前副市長・劉志華、前国家統計局長・邱暁華も愛人がいた。
劉志華の「悲劇」は2006年に発生したもの。
劉はオリンピックがらみで多くの建設計画があった北京市のインフラ整備の責任者で、地位を利用して工事の発注に絡み600万元もの巨額のカネを不正に受け取った。劉には多くの愛人がおり、うち一人は建設会社の法定代表人だった。この建設会社が国家テニスセンターや、ホッケーやアーチェリーの会場建設の工事を受注したことも、劉の地位を利用したものだったとされている。これらの不祥事が明るみに出たのは、愛人が政府当局に送った1本のビデオテープが発端だったという。
その後の調べで、劉が北京市郊外に豪華な別荘を建てていたことも分かった。全部でなんと150部屋あり、内部の装飾などは高級ホテル並みの豪華なものだったという。劉は愛人の一人を「支配人」にして、別荘の切り盛りを任せていた。
劉の「恥部」を暴露したあの1本のビデオテープでは、劉が愛人の一人に「サービス」をさせる様子が約60分にわたり記録されていた。愛人は約束の「報酬」がもらえないことで腹を立て、密かに撮影したテープを当局に送りつけたという。
2006年6月、劉は生活上の堕落などで共産党員の資格を剥奪、公職を解任された。同年12月、劉は汚職で逮捕され、09年1月に死刑、執行猶予2年の判決を受けた。
官僚が不正に集めたカネで愛人を囲み、愛人の欲求を十分に満たせなかったことで愛人に裏切られてしまう。このようなパターンはすでに一般化しており、劉の前にもあったし、その後も数多く発生している。
日本でもごく稀なケースだが女性問題のスキャンダルによって短期間で辞職した首相がいたが、中国では日本のようにマスコミの力が強くなく、内部告発で発覚するようである。
ここで言っている内部告発とは、愛人からの告発もあれば、正妻(場合によって子女)からの告発もある。
江蘇省徐州市泉山区の元共産党委員会書記・董峰は多くの愛人がいたことから、「一夫多妻書記」などと呼ばれていた。しかし、この「一夫多妻書記」は08年11月28日に収賄の容疑で徐州市中級人民法院(地裁)から起訴された。
董には5人の愛人がおり、うち少なくとも2人との間には子をもうけていたとされる。董には、本人と愛人の名義で282万元の賄賂を受け取っていた疑いが持たれている。また、地位を利用してマンション3軒を不正に安く購入した疑いもあるという。董の愛人問題と収賄が発覚したのは、妻の告発だった。
共産党・政府の幹部に対する「反腐敗運動」を推進している中国鉱業大学の王培栄副教授が董妻の協力者となり08年7月、個人ブログに「全国で最も荒淫無恥な区委員会書記、全国で最も猛々しい暗黒勢力」などと題する記事の連載を始めた。同ブログでは、董が長年にわたり妻と愛人一人と同居させ、「3人が同ベッドを使うことを強要し続けた」などとして私生活も暴露した。
愛人を家に連れ込み、妻に同ベッドの使用を強要することでもっと痛い目に遭わされた男もいた。
2009年7月28日付「広州日報」によると、広東省東莞市第一法院(地裁)は27日、「夫の局部をはさみで切断し、障害が残る傷を負わせた」として37歳の女性に懲役10年の有罪判決を言い渡した。
夫は08年12月、「好きな女性ができた。彼女は結婚にこだわっていない。この家で一緒に住みたいと言っている」と妻に告げた。言い争いになったが、夫は強引に愛人を家に連れてきた。中国の家庭では、夫婦がダブルベッドを使うことが一般的だが、夫は愛人も同じベッドを使わせた。妻がいる場で、性行為をすることもしばしばだったという。
たまりかねた妻はたびたび離婚を申し出たが、夫は受けつけず妻に暴力をふるった。26日午前、妻は雑貨店ではさみを購入し、夜になり熟睡していた夫の局部を一気に切り落とした。大量の血を見て恐くなり、姉の家に逃げた。逃げる際、夫の局部は家の前の池に投げ捨てた。妻は翌日、警察に逮捕された。夫の命は助かったが、法医学鑑定で5級の障害が残ると判断された。
同記事を転載したインターネットメディア環球網のコメント欄では「死亡事故を起こしても懲役3年。判決は重すぎる」、「夫はけだものだ。当然の報い」、「男は罰せられないのか。有罪に決まっている」など、女性に同情する書き込みが多い。
このように愛人を囲むのは時には大きな代償を払う。官僚その人物をほんとうに愛する人もいるかもしれないが、たいてい官僚の権力や立場、金銭を目当てで近付くほうが多い。ある識者が指摘するように、愛人を囲んでしまうと、まるで暴れる馬の背中に乗ってしまった同然だ。馬の勢いに任せるか、馬の背中から落ちて大けがを被るか、選択肢は非常に限られている。そしていずれその先に破滅の運命が待っている。
官僚の愛人囲みと破滅との因果関係についてインターネットメディア南方報網の論説は次のように分析している。
まず、官僚は政府機関などに勤めて、「不正をしようと思えばできる」地位になるまでには少なくとも10年、または20年かかることが多い。すでに、かなりの年齢になっている。その時、若い女性が近づいてくれば、つい、「男としての自信」が蘇り、青春が戻ってきたような気分になるという。
一方、そのような男性に個人的に接近する女には、なんらかの「下心」があると考えてよい。双方がそれぞれの「欲望」により、あっという間に結びつくことになる。
腐敗汚職が発覚する官僚の多くは、年齢から言っても既婚者であることが一般的だ。若い愛人は経済面での欲望をむき出しにし始め、断ると怒る。せっかく手に入れた女を手放すのは、感情的にも難しい。妻以外の女性と関係を持ったことで、相手の女の出方によっては、汚職に手を染めなくとも、地位を失う可能性が高い。結局は、官僚が犯罪者に一転する(南方報網2010年1月28日付)。
事実、近年、愛人にせがまれてどんどん腐敗汚職の闇に飲まれていき、最終的に逮捕、懲役など処罰を受ける身になるようなケースは数多く報道されている。
2010年1月27日、広東省広州市中級法院(地裁)では増城市人民代表大会副主任(議会副議長相当)などを務めた邱カ勝被告に対する裁判が行われていた。邱は1950年生まれの59歳。地位を利用して、105万元を不正に入手したとして、収賄の疑いで逮捕された。
一方、自分にかけられた嫌疑について邱は、「もともと、不正などするつもりはなかった。愛人に迫られてやった。手に入れた105万元のうち、98万元はすべて愛人のものになった」と涙ながらに主張した(南方報網2010年1月28日付)。もちろん、愛人のせいとするのはただの言い訳。法廷で泣き叫んでも、女を罵倒しても、結局はすべて自分の責任。邱は懲役7年の判決を受けた。
「欲望横流」の中国。高度経済成長の恩恵に誰よりも浴している官僚たちはこれほどまでに人間の本能をむき出しにして政治や社会を汚す姿はまことに醜い。(執筆者:王文亮 金城学院大学教授 編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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