2012年8月12日日曜日

【練習船こじま】 8月10日配信

8月11日(土)海上保安大学校桟橋 練習船こじま(2950トン)帰国

 本科実習生37人
 選抜された海上保安官4人
 乗組員43人

 航海は97日間、約4万7千キロ

2013年4月 海上保安庁の初級幹部として各地に配属


シンガポール~呉 航海記
2012/08/03 第31号 MMEA士官乗船  
平成24年8月3日(金曜日)
場所 北緯05度43.7分 東経107度24.9分
天候 晴れ   気温 30.5 ℃  湿度 78 %  風向 南南西  風速 10.0m/s

シンガポールを出港し。シンガポール出港時、MMEA(マレーシア海上法令執行庁)の士官4名が交流プログラムの一環として乗船。 
 
イスタンブール~シンガポール 航海記  
2012/08/01 第30号 シンガポール寄港特別号   
 平成24年8月1日(水曜日)
場所 北緯01度15.4分 東経103度50.3分
天候 晴れ   気温 27.0 ℃  湿度 80 %  風向 南南東  風速 1.5m/s

シンガポールに入港。 今回初めてシンガポールの海上警察機関である、PCG(Police Coast Guard)のブラニ基地岸壁に接岸。 

ブラニ基地はPCGのベースとなる基地であり、施設が新しく、設備も充実していました。実習生は基地施設内の設備(ジムやプールなど)を利用させて頂き、日頃の運動不足を解消していました。 

シンガポール寄港中は、PCG施設の見学、在シンガポール日本大使館の鈴木大使による業務講話、船上レセプションなど様々な行事が催され

2012/07/28 第29号 燃料搭載  
平成24年7月28日(土曜日)
場所 北緯01度14.2分 東経103度53.2分
候 晴れ   気温 29.5 ℃  湿度 82 %  風向 南東  風速 1.5m/s

バージ船の乗組員と作業を行う実習生

燃料のサンプルを確認する実習生

本日、シンガポール沖錨地にて燃料搭載を行いました。 燃料搭載は、機関科だけで行うものでなく、他科の者も見張り等の作業につき、船全体で進められますが、通常バージ船という、燃料を供給するための船舶が、こじまに横付けし、燃料をこじまに補給します。 今回も同様の方法で、燃料搭載を行いました。 こじまでの燃料搭載は、実習生が燃料搭載の方法を学ぶだけでなく、各寄港地で搭載した燃料の色や粘度の違いを確認することで、燃料の特性を学び、燃料に関する知識を深める機会となっており、各寄港地での燃料搭載を通じて多くの貴重な経験ができたと思います。 

2012/07/24 第28号 防火部署訓練Ⅱ   
2012/07/23 第27号 主計科転科実習

【韓国】 大統領候補・朴 槿惠(60)

朴 槿惠

(パク・クネ、1952年2月2日 - )60歳

軍事政権の流れを汲む保守派ハンナラ党前代表。朴正煕元大統領の長女。


1952年2月20日 - 大邱生まれ。
1967年 - 聖心女子中学校(ソウル)卒業。
1970年 - 聖心高等学校(ソウル)卒業。
1974年 - 西江大学校電子工学科卒業、フランスへ留学するが、母が射殺され帰国(文世光事件)。
1979年 - 父が殺害される(朴正煕暗殺事件)。
1982年 - 嶺南大学校理事長就任。
1998年 - 国会議員初当選、ハンナラ党副総裁就任(~2002年)。
2000年 - 第16代総選挙で再選を果たす。
2002年
2月28日:ハンナラ党離党
5月12日:平壌を訪問し金正日と会見、板門店経由で帰国。
5月17日:韓国未来連合を結成
11月:ハンナラ党に復帰。
2004年
3月23日 - ハンナラ党代表就任、盧武鉉大統領に対する弾劾訴追で逆風で厳しい状況にあったハンナラ党を率いて総選挙を戦った。
4月15日 - 第17代総選挙で3回目の当選。
7月5日 - 党代表最高委員選挙に対等な立場で臨むためとして代表辞任。
7月19日 - 党代表最高委員に再選。
2005年 - 北京を訪問し胡錦濤国家主席と会見。
2006年
5月17日 - 日本を訪問し小泉純一郎首相と会談。訪韓した北朝鮮による拉致被害者家族会・横田滋代表らと会見。
5月20日 - ソウル市長選応援の際に暴漢に顔面を切り付けられ負傷。
6月18日 - 次期大統領選挙の準備のため、ハンナラ党代表を辞任した。
10月1日 - 次期大統領候補選出のための党内選挙への出馬を正式に表明。
2007年
8月20日 - ハンナラ党全党大会、同時に行なわれたハンナラ党の大統領候補予備選挙で敗北。
2008年
4月9日 - 第18代総選挙、大邱広域市達城郡において4度目の当選(ハンナラ党、得票率88.6%)。
2010年
12月27日 - 政策シンクタンク「国家未来研究院」を設立
2011年
4月28日 - 大統領特使として欧州3カ国(オランダ・ポルトガル・ギリシャ)を歴訪(5月6日まで)[23]。
5月20日 - 7月に行われるハンナラ党新代表を決める党内選挙への不出馬を表明。
12月20日 - 非常対策委員長に選出。実質的な党代表への復帰。
2012年
2月13日 - 党全国委員会でハンナラ党からセヌリ党に党名改称。引き続き党非常対策委員長に
4月11日 - 第19代総選挙。比例代表において5度目の当選(セヌリ党)。
5月19日 - 大統領選挙への出馬意志を表明。

【政局】 8~9月

野田佳彦

 8月11-14日 首相公邸 夏休み 四日間

   15日   戦没者式典

   20日(月) 国会 再開

 9月02日   野田内閣 発足一周年

   08日   国会 閉幕

   21日   民主党 代表選挙
         自由民主党 総裁選挙

【オリンピック】 夏季

1960 XVII ローマ(イタリア)

1964 XVIII 東京

1968 XIX メキシコシティ(メキシコ)

1972 XX ミュンヘン(西ドイツ)

1976 XXI モントリオール(カナダ)

1980 XXII モスクワ(ソビエト連邦)

1984 XXIII ロサンゼルス

1988 XXIV ソウル(韓国)

1992 XXV バルセロナ(スペイン)

1996 XXVI アトランタ(アメリカ)

2000 XXVII シドニー(オーストラリア)

2004 XXVIII アテネ(ギリシャ)

2008 XXIX 北京(中国)

2012 XXX ロンドン(英国)三回目

2016 XXXI リオデジャネイロ(ブラジル)

自衛隊は「サイレント・マジョリティー」の信頼に応えろ

自衛隊は「サイレント・マジョリティー」の信頼に応えろ

2012.8.11 18:00 (1/5ページ)[名言か迷言か

 陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊(東京都)が7月16、17の両日、首都直下地震を想定し、練馬駐屯地から都内各区役所まで迷彩服で駆けつける訓練を実施した。今後も続発するかもしれない震災に備え、必要不可欠と思われるその訓練に対する一部の新聞の事前報道に強い違和感を覚えた。
 「迷彩服姿で区役所『宿営地化』」「自衛隊 首都制圧?」
 こんな旧態依然でステレオタイプな自衛隊悪玉論に基づく見出しが躍ったのだ。陸自幹部もこれには「首都制圧なんて…。とてもそんな考えはないのに」と肩を落とした。
 新聞だけではない。練馬駐屯地では市民団体を名乗る数十人が出発する隊員に「人殺しの訓練をやめろ」「自衛隊は基地に帰れ!」などと罵声を浴びせた。
 第1普通科連隊は6月にも隊員約20人が迷彩服姿で都内市街地で歩行訓練を行ったが、このときにも隊員たちは同じようなシュプレヒコールを受けた。だが、これらの新聞や「市民団体」は大多数の国民の声を代弁しているとは思えない。
 内閣府が3月に公表した世論調査では、自衛隊に好印象を持つ人は91・7%と過去最高だった。自衛隊による東日本大震災の被災地での奮闘は、ほとんどの国民に感銘を与えている。訓練に批判的なのは、いわば「ノイジー・マイノリティー」(うるさい少数派)にすぎないはずだ。

 にもかかわらず、いろんな場面で自衛隊は萎縮しすぎていると感じる。

 4月に北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射した際、政府は沖縄に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備した。ミサイル落下から沖縄県民を守るためだったが、沖縄の地元紙は「軍事優先色が濃い対応は沖縄社会にとってマイナス面が多い」「心穏やかでない気持ちを抱いている」などと報じ、自衛隊への警戒感ばかりを強調した。

 長年、日本社会の「鬼っ子」扱いを受けてきた自衛隊側がこれを意識しなかったわけがない。自衛隊は発射当日に早速、撤収計画を手際よく発表した。陸自幹部は「自衛隊増強の地ならしとか思われないための措置だった」と振り返る。

 また、部隊派遣の際の対応も極めて抑制的だった。陸自が住民救助のための隊員派遣を当初案の約750人から約400人に削減したのは、沖縄の意向を忖度(そんたく)したからだ。途中ではさらなる圧縮案も示され、これに君塚栄治陸上幕僚長が「任務に必要な人数にしろ」と指示したのは、ミサイル落下から県民を守る万全の態勢を敷くためだ。

とはいえ、陸自幹部はこう本音を漏らす。

 「750人は決して多すぎるわけではない。400人で運用するにはギリギリの人数だった」

 今回、各区役所に展開した第1普通科連隊は東京23区の災害派遣や防衛を担う部隊だ。いざ首都直下地震が起きれば彼らが大いに力を発揮し、国民の生命・財産を守ってくれることを国民は期待している。自衛隊は騒音に惑わされず、「サイレント・マジョリティー」(静かな多数派)が寄せる信頼にこたえ自衛隊の正義を堂々と貫いてほしい。(峯匡孝)

◇…先週の永田町語録…◇

(6日)

 ▽臨戦態勢

 玄葉光一郎外相 衆院選は遠くない時期にある。地元で自分のポスターをずっと張っていないが、さすがにお盆の時に時間を取って、ポスター用の写真を撮ろうかなと思っている。(衆院解散の時期について講演で)

 ▽二兎を追う

 山本一太自民党前参院政審会長 二兎(にと)を追っている。消費税増税法案をすんなり通し、衆院解散もせずに長期政権を目指す。これは決してうまくいかない。(野田佳彦首相に対し会見で)





(7日)

 ▽邪道

 一川保夫民主党参院幹事長 邪道だ。確約してくれだとか、はっきりしてくれという言い方で迫ること自体が理解できない。(野田佳彦首相に衆院解散を確約するよう求める自民党について記者会見で)

 ▽無駄な時間

 江田憲司みんなの党幹事長 よく「衆院解散・総選挙をすることで政治空白が生まれる」と言うが、野田政権が続いていること自体が政治空白だ。無駄な時間だ。(記者会見で)

(8日)

 ▽それはそれ

 自見庄三郎国民新党代表 政策は政策、解散は解散。それはそれ、これはこれだ。自民党は野党といえども長い間、責任政党だったのだから、憲政の常道に従って行動してほしい。(党会合で)

 ▽席を用意

 内山晃新党きづな代表 野田政権が自民、公明両党と手を組むとは予想できなかった。民主党はさらに分裂含みになる。(離党者受け入れのため)うちも席を多めに用意しておかないといけない。(記者会見で)



(9日)

 ▽聞くだけやぼ

 輿石東民主党幹事長 2人だけでやった会談の中身を「何を話したのですか」なんて聞くだけやぼだ。私どもは野田佳彦首相を信じている。(民主、自民党首会談の内容について記者会見で)

 ▽飛び入り参加

 岸田文雄自民党国対委員長 民主党の内紛、夫婦げんかの結果である内閣不信任決議案に飛び入り参加し、ドタバタ騒ぎに加担するのはいかがなものか。(不信任案の採決に棄権した自民党の対応について派閥会合で)

(10日)

 ▽切ないテーマ

 野田佳彦首相 国民に負担をお願いすることは、政治家としてはなるべく避けたい、逃げたい、先送りしたい切ないテーマだ。(社会保障と税の一体改革関連法成立について記者会見で)

 ▽反射神経

 渡辺喜美みんなの党代表 見えたら即やる態勢は整っている。反射神経の問題だ。ずれて遅くなればなるほど準備万端整えられるが、国民から見たら早期解散が正しいやり方だ。(衆院解散・総選挙について記者団に)

自衛隊は「サイレント・マジョリティー」の信頼に応えろ

自衛隊は「サイレント・マジョリティー」の信頼に応えろ
2012.8.11 18:00 (1/5ページ)[名言か迷言か

 陸上自衛隊第1師団第1普通科連隊(東京都)が7月16、17の両日、首都直下地震を想定し、練馬駐屯地から都内各区役所まで迷彩服で駆けつける訓練を実施した。今後も続発するかもしれない震災に備え、必要不可欠と思われるその訓練に対する一部の新聞の事前報道に強い違和感を覚えた。
 「迷彩服姿で区役所『宿営地化』」「自衛隊 首都制圧?」
 こんな旧態依然でステレオタイプな自衛隊悪玉論に基づく見出しが躍ったのだ。陸自幹部もこれには「首都制圧なんて…。とてもそんな考えはないのに」と肩を落とした。
 新聞だけではない。練馬駐屯地では市民団体を名乗る数十人が出発する隊員に「人殺しの訓練をやめろ」「自衛隊は基地に帰れ!」などと罵声を浴びせた。
 第1普通科連隊は6月にも隊員約20人が迷彩服姿で都内市街地で歩行訓練を行ったが、このときにも隊員たちは同じようなシュプレヒコールを受けた。だが、これらの新聞や「市民団体」は大多数の国民の声を代弁しているとは思えない。
 内閣府が3月に公表した世論調査では、自衛隊に好印象を持つ人は91・7%と過去最高だった。自衛隊による東日本大震災の被災地での奮闘は、ほとんどの国民に感銘を与えている。訓練に批判的なのは、いわば「ノイジー・マイノリティー」(うるさい少数派)にすぎないはずだ。

 にもかかわらず、いろんな場面で自衛隊は萎縮しすぎていると感じる。

 4月に北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射した際、政府は沖縄に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備した。ミサイル落下から沖縄県民を守るためだったが、沖縄の地元紙は「軍事優先色が濃い対応は沖縄社会にとってマイナス面が多い」「心穏やかでない気持ちを抱いている」などと報じ、自衛隊への警戒感ばかりを強調した。

 長年、日本社会の「鬼っ子」扱いを受けてきた自衛隊側がこれを意識しなかったわけがない。自衛隊は発射当日に早速、撤収計画を手際よく発表した。陸自幹部は「自衛隊増強の地ならしとか思われないための措置だった」と振り返る。

 また、部隊派遣の際の対応も極めて抑制的だった。陸自が住民救助のための隊員派遣を当初案の約750人から約400人に削減したのは、沖縄の意向を忖度(そんたく)したからだ。途中ではさらなる圧縮案も示され、これに君塚栄治陸上幕僚長が「任務に必要な人数にしろ」と指示したのは、ミサイル落下から県民を守る万全の態勢を敷くためだ。