2011年10月16日日曜日

ケニア:北東部ダダーブ難民キャンプにおける国際NGO関係者誘拐事件の発生に伴う注意喚起

ケニア:北東部ダダーブ難民キャンプにおける国際NGO関係者誘拐事件の発生に伴う注意喚起



本情報は2011年10月16日現在有効です。



2011年10月14日
1.現地報道等によると、13日、ソマリアとの国境に近いケニア北東部州ワジル県ダダーブの難民キャンプにおいて、武装集団が、国際NGO「国境なき医師団」で働く外国人援助従事者2名(スペイン人女性)の乗った車を襲撃し、同外国人2名をソマリア側へ連れ去る誘拐事件が発生しました。これに対し,ケニアの治安当局が被害者救出のため捜索中ですが、未だ解決に至っていません。

2.また、去る9月及び10月中には、ソマリアに隣接する沿岸州ラム県内のリゾート地において、英国人女性及びフランス人女性が,それぞれ武装集団に誘拐され、ソマリア側へ連れ去られる事件も発生しています。現地当局の捜査にもかかわらず、両事件とも未だ解決に至っていません。

3.ソマリア国境に近い地域では、以前から外国人の誘拐事件が発生していましたが、ここ1ヶ月の間は、誘拐事件が繰り返し発生しており,今後もこのような誘拐事件が発生する可能性があります。外務省は、ケニア北東部州のソマリアとの国境付近への渡航の延期をお勧めしています。この地域の危険情報




http://www.anzen.mofa.go.jp/)もご覧ください。4.また、誘拐事件に関しては、以下も御参照ください(パンフレットは、  http://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pamph.html に掲載)。(1)2011年6月9日付け広域情報「誘拐事件に関する注意喚起」(2)パンフレット「海外旅行のテロ・誘拐対策」(問い合わせ先)○外務省領事局邦人テロ対策室(テロ・誘拐に関する問い合わせ)  住所:東京都千代田区霞が関2-2-1  電話:(代表)03-3580-3311(内線)3678○外務省領事局海外邦人安全課(テロ・誘拐に関する問い合わせを除く)住所:東京都千代田区霞が関2-2-1  電話:(代表)03-3580-3311(内線)2306○外務省領事サービスセンター(海外安全担当)  住所:東京都千代田区霞が関2-2-1  電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902




○外務省 海外安全ホームページ: http://www.anzen.mofa.go.jp/              http://www.anzen.mofa.go.jp/i/




(携帯版)○在ケニア日本国大使館  住所:Mara Road, Upper Hill, Nairobi, Kenya     (P.O. Box 60202, Nairobi)  電話: (市外局番020) 2898000(代表)     国外からは (国番号254) 20-2898000(代表)  FAX : (市外局番020) 2898220     国外からは (国番号254) 20-2898220  




ホームページ: http://www.ke.emb-japan.go.jp/j-index.html





ケニア:北東部ダダーブ難民キャンプにおける国際NGO関係者誘拐事件の発生に伴う注意喚起(2011年10月14日)
ケニア:ラム県リゾート地における外国人誘拐事件発生に伴う注意喚起(2011年10月04日)
ケニア:外国人旅行者に対する誘拐・強盗殺人事件発生に伴う注意喚起(2011年09月13日)



ケニア:ラム県リゾート地における外国人誘拐事件発生に伴う注意喚起 2011年10月04日
※ 本情報は、海外に渡航・滞在される方が自分自身の判断で安全を確保するための参考情報です。本情報が発出されていないからといって、安全が保証されるというものではありません。
※ 本情報は、法令上の強制力をもって、個人の渡航や旅行会社による主催旅行を禁止したり、退避を命令するものでもありません。
※ 海外では「自分の身は自分で守る」との心構えをもって、渡航・滞在の目的に合わせた情報収集や安全対策に努めてください。
1 現地報道等によると,10月1日(土)未明(現地時間),フランス人女性が,ソマリア国境から約100km南方に当たるケニア沿岸州ラム県のリゾート地であるマンダ島沖Ras Kitau湾に面する自宅から,モーターボートでやってきたと見られる武装集団によって誘拐されました。これに対し,ケニアの沿岸警備隊が犯人グループを一度は包囲したものの,同女性を救出できず,同女性は武装集団によってソマリア側に連れ去られた模様です。

2 去る9月11日(未明)にも,同県Kiunga(キウンガ)の沿岸のリゾートホテルに宿泊中の英国人夫婦が武装グループによって襲撃され,夫が射殺されたほか,夫人がモーターボートで連れ去られるという誘拐・強盗殺人事件が発生しています。犯人グループは、ソマリア方面から来たと見られており,現地当局の捜査にもかかわらず,事件はまだ解決されていません。なお,2008年には,ラム島東側沿岸のケニア領海内において,中国漁船(邦人船長)がソマリアから来たとみられる海賊に乗っ取られるという事件が発生しています。

3 今回の誘拐事件では,犯人グループは,特に外国人を捜して犯行に及んだとの情報もあります。3週間の間に,ソマリアに近いラム県の著名なリゾート地から外国人が誘拐されるという事件が繰り返され,今後もこのような誘拐事件が発生する可能性があります。

4 ついては,同県沿岸部リゾート地への渡航・滞在の是非を検討してください。


ケニア:外国人旅行者に対する誘拐・強盗殺人事件発生に伴う注意喚起
2011年09月13日
※ 本情報は、海外に渡航・滞在される方が自分自身の判断で安全を確保するための参考情報です。本情報が発出されていないからといって、安全が保証されるというものではありません。
※ 本情報は、法令上の強制力をもって、個人の渡航や旅行会社による主催旅行を禁止したり、退避を命令するものでもありません。
※ 海外では「自分の身は自分で守る」との心構えをもって、渡航・滞在の目的に合わせた情報収集や安全対策に努めてください。
1 現地報道によると、9月11日(日)午前2時頃(現地時間)、ソマリア国境から約50km南方に当たるケニア沿岸州ラム県Kiunga(キウンガ)の沿岸に位置するリゾートホテルにおいて、宿泊中の英国人夫婦のコテージ式の部屋に何者かが押し入り、金品類を強奪したうえ、英国人夫を銃器で射殺後、妻を連れ去る誘拐・強盗殺人事件が発生しました。犯人グループは海岸からモーターボートを使って犯行に及んだ模様で、被害者妻をモーターボートで連れ去りました。犯人グループは、ソマリア方面から来た可能性があり、現地当局が捜査中です。2 2008年、ソマリアとの国境沿い北東部州においては、ソマリアから越境してきた武装集団が外国人を誘拐する事件が発生しています(ケニアとソマリアは、約1,300kmに渡り国境を接しており、ケニア政府の国境警備は万全とは言えない状況です)。また、同年、ラム島東側沿岸のケニア領海内において、中国漁船がソマリアから来たとみられる海賊に乗っ取られるという事件も発生しています。

【白熱教室JAPAN】 小笠原 泰  明治大学国際日本学部





白熱教室JAPAN

毎週日曜 教育 午後6時から午後6時58分

2011年10月2日~10月23日


小笠原 泰教授の「白熱教室」
明治大学国際日本学部、小笠原泰教授の「日本のビジネス文化」の講義を取り上げます。
能動的にグローバル環境に適応する人材が求められる今、グローバルに通用する人材とは何か。小笠原教授は、「日本人としての自らのアイデンティティを理解した上で、差異を認識し、グローバルな共通を模索する努力を放棄しないことが必要だ」と考えます。そこで、この4回の講義を通じて、自分たちがどのような色眼鏡をかけているのかを知るために、「日本的」「日本型」とはいったい何かを理解していきます。
教室の中を縦横無尽に歩き回り、学生たちにマイクを突き付けて対話を促す小笠原教授。即応力を求められ、学生たちの頭脳は休む間もなく動き続けます。これまであまり自覚せずにいた「日本的」とは何かを深く考えさせられる、刺激に満ちた講義です。


第1回「“僕はウナギだ”を訳せますか?」
10月2日(日) Eテレ 午後6時

日本語特有の表現を例に挙げ、高度文脈依存の言語の背景にある日本人の自己構造を探ります。また、他の言語にはない複数の一人称の使い分け(相手に応じて「オレ」「ボク」「ワタクシ」「オトウサン」「センセイ」など)は何故なのか、また、「場の空気、場違い」など日本人が大切にする「場」とは何なのかなど、意識せずにいた特異な点を明らかにしていきます。
第2回「あなたの選択は?“就職”or“就社”」
10月9日(日) Eテレ 午後6時

大学で何か研究・発表する“チーム”を組む時、あるいは会社で業務を遂行する時、その組織に「帰属」するのか「参加」するのか。求められるのは「役割」なのか、「機能」なのか。
その相違点を明らかにしながら、マニュアルやジョブ・デスクリプション(職務記述書)に書かれたことだけをするのが当然の欧米と、気配りと運用的解釈が必要な日本の、思考メカニズムや組織との関わりの違いを探ります。

第3回「「安全」と言ってくれ、「安心」するから」
10月16日(日) Eテレ 午後6時

原発事故を受けての経産省幹部の新聞発言を例に挙げ、「安心」と「安全」の意味を明らかにした上で、その根幹にある「リスクをとる」ことへの意識の違いを考えます。さらに、アングロサクソン社会で重用視される社会価値規範と、それを支える行動規範はどういうものなのか、日本とどう違うのかを探ります。

この授業のポイントは「主体と客体の分化」と「主体と客体の未分化」
〇「モノ(名)」と「こと(述)」の違い
〇「信頼」と「信用」の違い
〇「説得」と「納得」の違い
〇「安全」と「安心」の違い

アングロサクソン社会と日本社会の違い

アグロサクソン社会で重要なのは: 公平である。我慢強い。 パニックにならない。
日本ではリスクテイクでなくリスク排除である。主体客体が未分化。
「安全」でなく「安心」が重要。
「信頼(社会的関係)」より「信用(2体関係)」。

アングロサクソン価値観とあわない
公平(Is this fair?)

ディベートに説得を求められるが、日本人は納得を求められる。
ディベートの基本は「主張を否定しない、根拠や証拠を否定する」。

欧米:摩擦回避、姿勢 

◆求められる徳:
公正、
前向きな心の広さ、
責任(コミット)、
リスペクト、
サポート、
インテグリティー、
コントリビューション、
実体的…。

「信頼」の社会(社会全体でなりたってる)と「信用」の社会。 
私の「安心」。。 私の「信用」

科学はものを制御すること(科学、モノ、主体による客体のコントロール。設計と再現性)。 
「木からリンゴがおちること」→もののあわれ(主観的、コト、主体と客体の未分化、時間的関係、プロセスの重視)。 

安全は、客体(モノ)、安心(コト、主観)。

トルコ人学生「手でさわれる「もの」。手でさわれないのが「こと」と日本語学校でならった」

モノ:客観的、時間的に変動なし、安定的固定的、名詞的
コト:主観的、時間的にへんどうする。動詞的。

車の説明:名詞的な教えられ方(パーツ)、動詞的に教えられ方(使い方?関係性)

リスクを回避するためのコスト
「グランドキャニオンには柵が無い。日本は柵が無くて池に落ちたら、池の所有者の責任になる。」
「安全だといってくれれば、安心するから」
リスクテイクとリスク回避。「 安全は客観的に益をえるために制御されたリスクの範囲と安心は主観的にリスクを回避すること。。」

死を覚悟したら、安全じゃないかもしれないけど、安心することはあるかもしれない。

安全と安心との違いは?

子供の懲罰: 日本「でてけ」 欧米「外出禁止」
学生「日本:共同体から排除が悲しい。欧米:自由を奪う。」。
欧米のカギは外からカギかけられる。


第4回「日本におけるリーダーシップとは」
10月23日(日) Eテレ 午後6時

日本では、なぜリーダー不在でもどうにかなるのか。「日本人はリーダーに不向き」とよく言われますが、そもそも「リーダーシップ」は日本と欧米で同じなのか? 東日本大震災と福島原発事故という天災と人災を被った日本社会を、組織行動的に見て感じたことを学生たちに問いながら、典型的な日本型組織に求められるスキルとは何か、その強みと弱さは何なのかを考えます。

羽生 善治 1157 勝

羽生 善治 1607 1157 449 0.7204
谷川 浩司 1917 1207 707 0.6306  50勝差

【陸上自衛隊】 西部方面隊イベント

陸上自衛隊・駐屯地イベント

10月16日(日) 対馬、湯布院※〇74式戦車に同乗済

10月23日(日) 小倉※、竹松※〇

10月30日(日) 健軍※〇軽装甲車輛に同乗済

11月06日(日) 飯塚※〇、久留米※〇装甲車に同乗済

11月13日(日) 玖珠※〇

11月27日(日) 別府※

12月04日(日) 国分

12月11日(日) 高遊原※〇


(注意)
※標;過去に訪問済
〇標;同伴者あり

歴代防衛大臣

警察予備隊本部長官
- 增原惠吉 1950年8月14日 - 1952年7月31日 認証官。国務大臣ではない。

国務大臣(警察予備隊担当)
- 大橋武夫 1951年12月26日 - 1952年7月31日 警察予備隊令第9条に基づく。

海上保安庁長官
- 柳沢米吉 1952年4月26日 - 1952年7月31日 海上警備隊の指揮監督。国務大臣ではない。

国務大臣保安庁長官(総理府の外局)
- 吉田茂 1952年8月1日 - 1952年10月30日 内閣総理大臣による事務取扱

1 木村篤太郎 1952年10月30日 - 1953年5月21日
2 1953年5月21日 - 1954年6月30日

国務大臣防衛庁長官(総理府の外局)
1 木村篤太郎 1954年7月1日 - 1954年12月10日 民間人
2 大村清一 1954年12月10日 - 1955年3月19日 日本民主党
3 杉原荒太 1955年3月19日 - 1955年7月31日
4 砂田重政 1955年7月31日 - 1955年11月22日
5 船田中 1955年11月22日 - 1956年12月23日 自由民主党
- 石橋湛山 1956年12月23日 - 1957年1月31日 内閣総理大臣による事務取扱
- 岸信介 1957年1月31日 - 1957年2月2日 国務大臣(外務大臣)による事務代理
6 小瀧彬 1957年2月2日 - 1957年2月25日
7 1957年2月25日 - 1957年7月10日
8 津島壽一 1957年7月10日 - 1958年6月12日
9 左藤義詮 1958年6月12日 - 1959年1月12日
10 伊能繁次郎 1959年1月12日 - 1959年6月18日
11 赤城宗徳 1959年6月18日 - 1960年7月19日
12 江崎真澄 1960年7月19日 - 1960年12月8日
13 西村直己 1960年12月8日 - 1961年7月18日

14 藤枝泉介 1961年7月18日 - 1962年7月18日
15 志賀健次郎 1962年7月18日 - 1963年7月18日
16 福田篤泰 1963年7月18日 - 1963年12月9日
17     1963年12月9日 - 1964年7月18日
18 小泉純也 1964年7月18日 - 1964年11月9日
19      1964年11月9日 - 1965年6月3日
20 松野頼三 1965年6月3日 - 1966年8月1日
21 上林山栄吉 1966年8月1日 - 1966年12月3日
22 増田甲子七 1966年12月3日 - 1967年2月17日
23      1967年2月17日 - 1968年11月30日
24 有田喜一 1968年11月30日 - 1970年1月14日
25 中曽根康弘 1970年1月14日 - 1971年7月5日
26 增原惠吉 1971年7月5日 - 1971年8月2日
27 西村直己 1971年8月2日 - 1971年12月3日
28 江崎真澄 1971年12月3日 - 1972年7月7日
29 增原惠吉 1972年7月7日 - 1972年12月22日
30 1972年12月22日 - 1973年5月29日
31 山中貞則 1973年5月29日 - 1974年11月11日
32 宇野宗佑 1974年11月11日 - 1974年12月9日
33 坂田道太 1974年12月9日 - 1976年12月24日
34 三原朝雄 1976年12月24日 - 1977年11月28日
35 金丸信 1977年11月28日 - 1978年12月7日
36 山下元利 1978年12月7日 - 1979年11月9日
37 久保田円次 1979年11月9日 - 1980年2月4日
38 細田吉蔵 1980年2月4日 - 1980年7月17日
39 大村襄治 1980年7月17日 - 1981年11月30日
40 伊藤宗一郎 1981年11月30日 - 1982年11月27日
41 谷川和穗 1982年11月27日 - 1983年12月27日
42 栗原祐幸 1983年12月27日 - 1984年11月1日
43 加藤紘一 1984年11月1日 - 1986年7月22日
44 栗原祐幸 1986年7月22日 - 1987年11月6日
45 瓦力 1987年11月6日 - 1988年8月24日
46 田澤吉郎 1988年8月24日 - 1989年6月3日
47 山崎拓 1989年6月3日 - 1989年8月10日
48 松本十郎 1989年8月10日 - 1990年2月28日
49 石川要三 1990年2月28日 - 1990年12月29日
50 池田行彦 1990年12月29日 - 1991年11月5日
51 宮下創平 1991年11月5日 - 1992年12月12日
52 中山利生 1992年12月12日 - 1993年8月9日
53 中西啓介 1993年8月9日 - 1993年12月2日 新生党
54 愛知和男 1993年12月2日 - 1994年4月28日
- 羽田孜 1994年4月28日 内閣総理大臣による事務取扱
55 神田厚 1994年4月28日 - 1994年6月30日 民社党
56 玉澤徳一郎 1994年6月30日 - 1995年8月8日 自由民主党
57 衛藤征士郎 1995年8月8日 - 1996年1月11日
58 臼井日出男 1996年1月11日 - 1996年11月7日
59 久間章生 1996年11月7日 - 1998年7月30日
60 額賀福志郎 1998年7月30日 - 1998年11月20日 参議院本会議で問責決議可決
61 野呂田芳成 1998年11月20日 - 1999年10月5日
62 瓦力 1999年10月5日 - 2000年4月5日
63 2000年4月5日 - 2000年7月4日
64 虎島和夫 2000年7月4日 - 2000年12月5日
65 斉藤斗志二 2000年12月5日 - 2001年1月5日

国務大臣防衛庁長官(内閣府の外局)
66 斉藤斗志二 2001年1月6日 - 2001年4月26日 自由民主党
67 中谷元 2001年4月26日 - 2002年9月30日 初の自衛官出身防衛庁長官
68 石破茂 2002年9月30日 - 2003年11月19日
69     2003年11月19日 - 2004年9月27日
70 大野功統 2004年9月27日 - 2005年9月21日
71      2005年9月21日 - 2005年10月31日
72 額賀福志郎 2005年10月31日 - 2006年9月26日
73 久間章生 2006年9月26日 - 2007年1月8日

防衛大臣(防衛省)
1 久間章生 2007年1月9日 - 2007年7月4日 自由民主党
2 小池百合子 2007年7月4日 - 2007年8月27日
3 高村正彦 2007年8月27日 - 2007年9月26日
4 石破茂 2007年9月26日 - 2008年8月2日
5 林芳正 2008年8月2日 - 2008年9月24日
6 浜田靖一 2008年9月24日 - 2009年9月16日 防衛会議を設置

7 北澤俊美 2009年9月16日 - 2010年6月8日 民主党
8     2010年6月8日 - 2011年9月2日
9 一川保夫 2011年9月2日

【空自小松】 F-15 増槽タンク、墜落事故

【航空幕僚監部】

お知らせ 平成23年10月7日
小松基地所属F-15の機外タンク落下について(第2報)
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1 事案の概要
 本日10月7日08時45分頃、小松基地所属のF-15Jが小松飛行場へ着陸進入中、機体から物体が落下したことが確認されました。
 着陸した当該機を目視点検したところ、左翼側機外燃料タンク及び一部部品が無くなっていることが確認されました。


2 推定原因
確認中

3 当該タンク等の落下地点
能美市山口町翠ヶ丘浄化センター付近

4 落ちていた場所及び物
場所 物
能美市山口町翠ヶ丘浄化センター敷地内 ・機外燃料タンクの先端部分
・空対空模擬ミサイルの後翼部分等
翠ヶ丘浄化センターと高速道路の間 ・機外燃料タンク後方4分の1部分等


5 機外タンクの概要
(1) 長さ約6.6m、幅約0.8m
(2) 重さ約155kg

6 その他
現在のところ人的被害は確認されていない。
翠ヶ丘浄化センター外柵に損傷あり。



〇_航空自衛隊小松航空基地 /F-15
10月07日(金)
午前8時06分 4機編隊を組んで離陸

       日本海上空での戦闘訓練

       訓練を終える

  同46分 着陸する直前

      1機から、燃料タンク1本と、タンク上部に装着していた模擬空対空ミサイルの尾翼4枚のうち2枚が、小松基地の北北東約4キロの地上に落下する


 操縦士が落下直前に「ボン」という音や、機体外部に炎を確認しており、小松基地管制官も、機体から火が出たのを目撃している。

 左主翼下側の燃料は入っていなかった増槽タンク(長さ660cm、直径80cm、重さ155キロ)などは石川県能美市の下水道施設など約10カ所で発見。
 高速道路の近くでも見つかった。

 飛行前点検で故障は見つかっておらず、操縦士が操作してタンクを投下した形跡もない
 何らかの原因でタンクが破裂し、落下した可能性がある

 タンクの先端部分や模擬ミサイルの後翼部分などは、能美市にある県の下水道施設「石川県翠ケ丘浄化センター」敷地内に落下し、外柵を破損。

長さ約4メートルや同2・5メートルのタンクの一部が敷地内で発見された。
タンクの後ろ部分は同施設と高速道路の間で見つかった。

 ※航空自衛隊
10月08日(土) 全基地へ点検を指示

 〇_航空自衛隊小松航空基地
10月09日(日) F15 40機 タンクの加圧システムなどの点検を始めた

 整備中以外の87%の機体を点検した

今回の事故では、タンクの内部圧力が高まって上空で破裂した可能性が指摘されている。タンクには、燃料を機体に送り込むため、機体から常に空気を送り圧力を一定に保つ仕組みが備わっている。圧力に異常がおきた場合は、圧力を逃すバルブなどが働くようになっている。

 今回の点検では、タンク内の圧力を調整するため機体から燃料タンクに空気を送るシステムや、タンク内の燃料量をコックピットに表示する燃料計の電気系統が適正に機能するかを調べた。

同基地では9日も110人態勢で落下物の捜索を行い、飛行経路周辺の幅1キロ、長さ2キロにわたる能美市内でタンクの部品6点を発見した。最も大きいのは、約13センチのゴム製の部品だった。

10日も同じ地域を同様の規模で捜索する。

小松地方警務隊が「航空危険行為処罰法」違反の疑いで捜査


【読売】2011年10月9日
F15部品落下30日の航空祭中止

航空自衛隊小松基地では8日朝から、応援部隊も含め600人の隊員を投入し、落下物の捜索を行った。同基地は当面、事故原因究明と捜索に専念するとし、30日に開催予定の航空祭を中止する方針を発表した。

 隊員は、7日に多くの落下物が発見された能美市の県翠ヶ丘浄化センターを中心に幅3キロ、長さ6キロの範囲を捜索。落下物とみられる部品28点を発見、1点がタンクの一部と確認された。

同基地では04年6月にも、T4練習機にトラブルがあり、両翼下のタンク2基が北西約50キロの日本海に落下する事故が発生。この時は、タンクの装着を感知するセンサーの故障が原因で、センサーが右翼側タンクが落下したと誤感知、機体のバランスを取るため、自動的に左翼側、右翼側のタンクを相次いで落下させたとみられている。

 同基地では隊員が捜索に専念するため、T4練習機の訓練も自粛する方針。

航空祭の中止は米同時多発テロが発生した2001年以来となる。29日の基地開庁50周年記念式典は延期して実施する


【NHK】10月7日 10時11分
 石川 自衛隊戦闘機の部品落下

 航空自衛隊小松基地によりますと、7日午前8時45分ごろ、訓練中のF-15戦闘機から部品が落下してきたという情報が、能美市民などから寄せられたということです。小松基地では、自衛隊員を能美市の現地に向かわせるなどして詳しい状況を調べています。

 能美市消防によりますと、落下した物は戦闘機の部品とみられ、能美市山口町の下水道施設の敷地内や施設の向かいにある空き地など、3か所に点在して落ちているということです。そのうち、最も大きな落下物は、長さが2メートルほどの大きさだということです。この落下物によるけが人や建物の被害などの情報は、消防には入っていないということです。

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【大阪の20世紀】(26)軽三輪ミゼット “街のヘリコプター”高度成長期を快走


修理された軽三輪ミゼット。デビュー半世紀、なお現役で使われている=2007年、大阪府八尾市


【産経関西】2011.10.15 10:00 [westピックアップ]

【大阪の20世紀】
(26)軽三輪ミゼット “街のヘリコプター”高度成長期を快走

修理された軽三輪ミゼット。デビュー半世紀、なお現役で使われている=2007年、大阪府八尾市
■産経新聞アーカイブ(2000年02月27日 大阪府下版に掲載)

大卒初任給の10倍…格安

 昭和三十二年八月。高度経済成長期を迎え、活気づき出した日本のあちこちの街角で、小気味良いエンジン音を響かせる小型自動車が行き交い始めた。

 自動車といっても現在のものとはかなり違う。前のタイヤが一つしかない三輪タイプで一人乗り。ハンドルはバイクと同じバー型。運転席にはドアもなく、まるでバイクにほろをかぶせたような形だった。

 ダイハツ工業(本社・池田市)が売り出した軽三輪自動車「ミゼット」。全長二・五四メートル、幅一・二〇メートル、回転半径二・一メートル。キック式エンジンは総排気量二四九ccで、最高出力八馬力、最高速度六〇キロ。陸上輸送の主役だった貨物列車に代わって、トラック輸送が台頭し始めた時代。輸送力アップのため、他社の小型三輪トラックが次々と大型化する中で、ミゼットは異色の存在だった。

 しかし、街の商売人たちは注目した。インフラ整備が進まず、入り組んだ路地の多い当時の大都市で大型車は不要。ミゼットの抜群の機動性は魅力的だったのだ。

 十九万八千円という発売価格も評判になった。大卒の初任給が一万数千円という時代背景を考えるとやや割高にも思えるが、当時の小型三輪に比べると半値。しかも維持費が安くついた。

軽免許で乗れる手軽さも手伝って、従業員が数人という零細企業は競い合ってミゼットを買い求めた。八百屋や酒屋、クリーニング屋…。注文があった商品を荷台に載せたミゼットは各家庭を回った。農村部でも農作業や出荷のためにミゼットはあぜ道や山道を走り回った。

 発売直後は月五百台だった生産台数は一年後には千台に、ピーク時の三十五年には月八千五百台に達した。

 安全性や利便性を追求してさまざまな改良も加えられた。三十四年にはバーハンドルが丸形ハンドルに替わり、運転席にドアもついた。排気量や最大積載量もアップし、スタイリングもマイナーチェンジされたが、基本コンセプトは変わらなかった。

 「ミゼット」は軽三輪の代名詞となった。「街のヘリコプター」とも呼ばれ、ミゼットを乗り回す大阪の商売人たちは「浪速の名車」と胸を張った。

 

人気の秘密


 佐々十郎「三百キロの荷物を運んで六〇キロで走れる」

 大村崑「ミゼット!」

 佐々「世界の車」

 大村「ミゼット!」

 佐々「日本の車」

 大村「ミゼット!」

 佐々「お父さんの車」

 大村「ミゼット!」

 佐々「ミゼットばっかり言いやがって」(大村にパンチを繰り出す)

 大村(パンチをかわして)「ミゼット!。言うたった…」

 昭和三十三年四月末の日曜日午後六時半。白黒テレビが映し出す人気コメディアンの大村崑=当時(二七)=と佐々十郎(一九三〇-一九八六年)の軽妙なコントに、夕食時のお茶の間で大きな笑いがわいた。

大阪のOTV(現在の朝日放送)が放映した人情喜劇「やりくりアパート」の本編直前の約三十秒間。スポンサーのダイハツ工業が流したミゼットの生CMだった。

 効果は絶大だった。五〇%近い驚異的な視聴率も手伝い、ミゼットの名前は全国に広まった。子どもたちは小学校でこのコントの物まねをし、大村が最後に言う決めゼリフ「言うたった…」は流行語になった。

 大村、佐々はともに大阪・キタの劇場の専属コメディアンとして芸歴を積んできたが、テレビは未知の世界。それだけに本編の芝居を上回るCMの反響に驚きを禁じ得なかった。

 実はこの生CMにまつわる裏話がある。放送スタート当初のCMは、若い女性タレントが幕あいからミゼットに乗ってさっそうと登場し、性能を説明するというものだった。

 ところが、三回目の放送で女性がセリフを忘れて立ち往生。当時はすべて生放送だったため、スタジオは大混乱に陥った。

 「次回からおまえらがネタを考えてCMをやれ」。番組の演出家で大村らの師匠だった花登筐(一九二八-一九八三年)に突然CMの代打を命じられた大村らが慌てて思いついたのが前出のコントだった。

 大村は、番組終了から四十年を経た今も、あの日々の情景を克明に覚えている。「その後、タレントとして人気を得ることができたのも、あのCMのおかげ。女性タレントには気の毒だが、ミゼットとは運命的な出会いを感じる」。

世界の名車


 昭和四十七年、ミゼットは生産中止となった。総生産台数は三十一万七千百五十二台。意外に少ないと思えるかもしれないが、生産開始時点の三十二年の全国の自動車保有台数(二輪車も含む)が百七十七万台だったことを考えれば、驚異的な数字といえる。

 ミゼットの熱烈なファンで、写真集「ミゼット物語」などを出版した写真家、木村信之(五八)は「ミゼットは日本の高度成長に貢献したが、日本が豊かになったことで、もう一つ上のクラスの車を社会が求めるようになった。ミゼットとともに軽三輪の時代は終わった」と語る。

 しかし、ミゼットはその後も海外でしたたかに生き残った。

 ミゼットは海外に一万九千台以上が輸出された。米国では工場内の貨物運搬用や小口配達用に使われたが、ミゼットの機動性に熱いまなざしを注いだのは東南アジアの国々だった。

 都市部の輸送近代化政策を進めていたタイでは「サムロ・タクシー」の愛称で普及。派手な塗装や装飾を凝らして走る姿はバンコクの名物となった。日本での生産中止後も人気は根強く、改良や修理が加えられ、現地メーカーによる類似車の生産も行われた。

 大村崑は数年前、タイを旅行した際、バンコクで偶然、ミゼットのサムロを見かけた。「自分を有名にしてくれた車とこんなところで再会できるなんて」。何ともいえない懐かしさがこみ上げ、涙がとめどもなくあふれた。

ミゼットII


 ダイハツはミゼットの生産中止後、軽四自動車やトラックを中心とした生産体制にシフトした。しかし、四半世紀が経ても、ミゼットは同社関係者にとって忘れがたい存在だった。

 「もう一度ミゼットを」。平成不況の軽自動車ブームの中でその機運は一気に広がった。そうして平成八年四月に登場したのが「ミゼットII」である。

 「ミゼットII」のネーミングは企画段階の仮称に採用され、そのまま正式名称となった。これは新車の製造・販売では極めて珍しい。

 コンセプトには、同社が力を入れる軽自動車のラインアップの充実という狙いもあったが、初代ミゼットが対象としていた軽自動車とバイクの中間の車種(アンダー軽)へのニーズを満たそうという願いも込められていた。

 二十一世紀を目前に控えた今でも、大都市にはまだまだ細い路地が多い。生花店やピザ店などのデリバリーサービス業者には、軽自動車の大型化は必ずしも歓迎されていない。

 初代ミゼットの時代に入社し、ミゼットIIの製品化を担当した元製品企画部主査、八子和男(六〇)=平成十一年五月退職=は「零細企業や商店にターゲットを絞ったことが初代の成功につながった。このコンセプトが潜在需要を発掘したと思う。そのノウハウを現代に生かしたかった」。

安全性や規制上の問題もあり、「三輪」という形式は踏襲できなかったが、小ぶりなボディーに飛び出した丸形ヘッドランプ、一人乗り車内スペースなどは再び評判を呼んだ。

 生産方式もオートメーション化が進んだ現代の自動車工場としては極めて異例だ。池田市の本社工場内の「ミゼット工房」には、ベルトコンベヤーがない。塗装とプレス以外はすべて九人の作業者による手作業。生産ペースは一日二-五台にすぎない。

 これにはわけがあった。初代の生産に携わった技術者は次々に退職の時を迎えている。「手作りの技術を若い世代に継承しなければ」。その職人かたぎの伝承に「楽しみながら作れる車」としてミゼットIIは最適だったのだ。初代ミゼットが開花させた軽三輪の神髄は、今も形を変えながらも脈々と受け継がれているのである。

【一川保夫】 F-15の飛行中止の長期化を示唆

一川保夫防衛大臣の発言
(石川県参議員選出)

10月15日(土)金沢市内

民主党石川県連の行事であいさつ

10月07日(金)に燃料タンク落下事故を起こした航空自衛隊のF15戦闘機について
「事故原因の中間報告は来週にでもしたいが、国民の理解が得られない限り、訓練再開はしない方がいい」


防衛省内では中止の長期化について、「国防上支障をきたす恐れもある」との懸念も出ている。

小松基地から地元への説明が発生から約5時間後になったことなどについて
「若干脇の甘いところもあり、組織としての課題があるような気もする」


前原政調会長について
「防衛省の仕事、自衛隊の仕事というのは、私よりも前原氏の方が詳しい」

【APEC】 ハワイ・オアフ島 開催日程 (2011年)

APECハワイ 開催日程 (2011年)
11月07日(月)~09日(水) --- APECビジネス諮問委員会
11月08日(火)~09日(水) --- 最終実務者会合 (CSOM)
11月10日(木) --- 財務大臣会合 (FMM)
11月11日(金) --- 閣僚会議 (AMM)
11月12日(土)~13日(日) --- 首脳会議 (AELM