2011年11月30日水曜日

【ネパール】 青蔵鉄道をネパールまで延伸調査合意




 〇_中国政府の外交
2006年7月01日 青蔵鉄道(西寧ーラサ)が全通

2011年
 3月23・24日 中国軍総参謀長・陳炳徳上将がネパールを訪問。中国軍将官によるネパール訪問としては10年ぶり。

10月30日-11月06日 ダライラマ来日(8日間)奈良高野山、仙台等

11月03日(木)午後 甘孜蔵族自治州で焼身自殺を図る。今年3月以来、11人目の佛教僧侶・尼僧の焼身自殺者

11月07日     ダライラマ モンゴル

11月15-20日午前 ブータン王国のワンチュク夫妻が来日、六日間 
           日本国外務省、ブータンへODA2億円の無償資金協力をする

11月23-28日 北京市 ネパール外相シュレスタが訪中(六日間) 温家宝首相らと会談
       
   24日   インド インド毛派のコテシュワル・ラオが死亡


【朝日】2011年11月30日1時57分
 中国の鉄道、ヒマラヤ越え延伸 ネパールと調査に合意

 ネパール紙レパブリカ(11月29日付)によると、中国チベット自治区を走る青蔵鉄道をヒマラヤ山脈を越えてネパールまで延ばすため、両国政府が調査を始めることで合意した。28日まで訪中していたネパール外相シュレスタが明らかにした。

 シュレスタ氏は、年内に予定される中国首相温家宝のネパール訪問の準備のため、23日から北京などを訪れ、温首相らと会談していた。

 中国青海省西寧とチベット自治区ラサを結ぶ青蔵鉄道は2006年7月01日に全線開通した。今回の調査はまず、ネパールの首都カトマンズまでの区間で実施するが、中国側はさらにインド国境に近いブッダの生誕地ルンビニまで鉄道を延ばす意向を示しているという。ルンビニでは、中国系の団体が総額30億ドル(約2340億円)を投資して大規模観光開発する計画を提唱しており、中国政府としても後押しする姿勢を鮮明にしたことになる。



チャイナ・ウォッチャーの視点»
中国がネパールを呑み込む?
2011年09月28日(Wed) 有本 香

中国とネパールとの関係
中国の陸続きの14の隣国

チベット難民の送還は免れたが……

 中国とネパールの関係の、最近の2つのニュースを紹介しよう。

一つは、9月11日と13日、ネパール当局がチベットからの亡命者23人を拘束、中国政府からの圧力によって中国側へ送還か、との事態に陥った出来事。

もう一つは、同じ頃、現地メディアが報じた、ネパール南部の仏教の聖地ルンビニが、北京の投資集団の資本によって、「仏教テーマパーク」へと開発され、中国からの観光客で溢れかえるチャイナタウンに変貌するか、との情報である。

 いずれのニュースも、昨今、周辺諸国に対し拡張的な野望を露わにする中国の姿と、ここ数年、ネパール政界の主流派となったマオイスト(毛沢東主義派)勢力との接近が背景にある。

 軍事・経済両面で強大化する一方の中国が、マオイストと結びつき、ネパールを呑み込もうとしている一端、との読み筋で正しいのだろうか?

 2つのニュースの詳細を見ることにしよう。

 チベット難民のニュース。従来、中国政府による圧政と弾圧を逃れ、決死のヒマラヤ超えを敢行しネパールにたどり着いたチベット人の難民は、ネパール当局の保護を得て、チベット亡命政府のあるインドへ移送されるのが通例であった。それは、ネパール政府とUNHCRの間の暗黙の了解に基づく計らいだった、と伝えた一文もあったが、一方、「長い歴史の中でさまざまな交流を続けてきた、ネパール人とチベット人との間の『紳士協定』による計らい」だという亡命チベット人の声もある。

 しかし、今回は事なきを得たものの、10日以上も難民が拘束されたことで、その紳士協定はなきものとなりつつある、とチベット人は顔を曇らせた。これは、1959年のダライ・ラマ14世の亡命に端を発し、チベットからの亡命者が恒常的にネパールに流入するようになって半世紀がたつ間に、中国が著しく力をつけ、周辺地域の勢力図が変化した結果にほかならない。

 実はこうした事態への危惧は、数年前から話題にされてきた。

 2008年と09年の2度、筆者が、チベット亡命政府のあるインドのダラム・サラを訪問した際には、亡命政府関係者も、「年々、中国がネパールへの圧力を強めている。いつ、亡命者がネパールから中国へ強制送還される事態となるか」と懸念を語っていた。北京五輪の開かれた08年頃からは、「国境付近のネパール領内の町に、中国の武装警察が堂々と入り込んでチベットからの難民を捜索している」との話も聞かれた。

国土の18%を失った国、金で操られる国

 この背景には、近年のネパールの政治的混迷と共産化、そしてブータンの民主化といったヒマラヤ諸国の政治体制の変化がある。これを見透かしつつ、中国がこれらの国々に対し、武力と経済力の硬軟を織り交ぜた「静かなる侵攻」を進めている、という話はインド政府関係者からも聞かれた。

 中国が、他国への影響力強化を図る際の流儀は、世界中で共通して見られ、おもに二通りある。

 第一は、武力をチラつかせながらじりじりと他国の領土や海への侵入を繰り返し、既成事実を積み上げるやり方。昨今、わが国の尖閣諸島周辺や南シナ海での行動でも“お馴染み”のこのやり方で、近年、ブータンは実に18%もの国土を奪われた、とインドメディアは喧しく伝えている。

 インドの北東部と、ブータンの西部と国境を接しているチベットのチュンビ渓谷から、ブータン側へ毎年数キロずつ人民解放軍が入り込み、勝手に建設物を建てるなどして実効支配してしまった、というのだ。

 中国による「静かなる侵攻」にはもうひとつの典型的な手法がある。金の力と、数において圧倒的に豊富な人力をもって、相手国の経済に影響を与え、権益を握っていく、あるいはそう見せかけて心理的に優位に立つというやり方だ。

 むろん、新興国相手の際と、日本を含む先進国相手の際では、実施の風景に少々の違いはあるが、基本は同一の戦術といえる。新興国相手の場合、援助金とともにインフラ整備等の工事を請け負い、自国から大勢の労働者を送り込むことが多い。その数、万人単位という例も珍しくなく、結果、現地人の雇用はさほど拡大されないため、世界各地ですこぶる評判が悪い。ネパールも近年このターゲットになっているというのだ。

 多くの開発工事が中国系の企業によって落札され、中国から工人が来る。一方、首都のカトマンドゥのほか各地の観光名所では、日本でもお馴染みとなった中国人観光客の姿が多く見かけられるようになった。つまり、金持ち観光客という「上流」と、労働者という「下流」の双方から漢人がなだれ込んでいるのである。

 こうした「静かなる侵攻」の波が、とうとう中国との国境からは遠く離れた、ネパール南部のルンビニに至ったというのが、件のニュースだ。ルンビニは釈迦生誕の地。仏教の聖地である。ここに巨費を投じて、高さ100mの巨大仏像や、釈迦の生誕当時を再現した庭園、5つ星ホテルなどを建造し、世界から観光客を呼べる「仏教のテーマパーク」としよう、と北京の投資集団が持ちかけ、ネパール側が内諾したと報道された。

真珠の首飾りの留めか、それとも……

 こともあろうに、チベット仏教への弾圧で世界に悪名を轟かす中国の資本で、釈迦生誕の聖地を再開発しようとは、何ともブラックな話ではある。

 一方、ルンビニは、観光マネー以外の理由でも、中国側にとって重要な意味をもつ場所と思われる。村は、ネパールとインドとの国境の町スナウリからわずか30kmにある。ここに中国人で賑わう町が出現すれば、インドへの無言の大きな圧力となる。

 中国は、2006年に北京からラサまで通したチベット鉄道を、将来はカトマンドゥまで延長したいとの構想もすでに発表している。そもそも、観光列車としての姿は見せかけで、その実、兵站など軍事での用途こそ主眼では、と国際社会から疑いの目を向けられてきたチベット鉄道が、ネパールまで延びるとなれば、「中国のネパール併呑」への疑いもますます濃厚となろう。

すでに、パキスタンやスリランカ、ミャンマー、バングラデシュといったインドの周辺国は中国に取り込まれている。各国の領内に、人民解放軍の拠点となり得る港湾等の施設が中国の援助によって整備され、それらが「真珠の首飾り」と称されるインド包囲網となりつつあることは以前、当コラムに書いた。軍事施設ではないが、ルンビニの開発計画もインドにとっては気が気でないはず。中国の拡張野望恐るべし、と結論づけたくなるところだが、これには「異論」も聞こえてくる。

 宮原巍さんは、ネパール在住40年余の実業家だが、2005年にネパール国籍を取得、「ネパール国土開発党」という政党を立ち上げて現地で政治活動をも行っている人物だ。宮原さんは、例の「北京の資本によるルンビニ開発」の話は内諾などしていない、という。中国の「ネパール併呑か」という論調に対しても否定的だ。

 「観光地には中国人が多く見られますし、建設工事なども中国企業が落札している。しかし、それでネパールが中国に呑まれるかのような話は筋違い。そもそもネパールはインドへの依存度が極めて高い国です。石油から何からすべてインド経由ですから。それは今後も否応なく続きます」

 たしかに、外国からの輸入品は大半がインドの港に水揚げされ、ネパールへ運ばれる。インドとの関係を損ねれば、ネパールは石油すら手に入れることができない。インドにネパールの生命線を握られているといっても過言でない。内陸国ならではの悩ましい事情だ。

 ネパールの貿易数値を見ると、輸出65.8%、輸入57%と、対インド貿易のシェアは圧倒的だ。ちなみに対中貿易はというと、輸出2.3%、輸入11.6%と大きな開きがある。これを縮めるのは相当困難と見られ、そもそも地の利の点で圧倒的に不利だから、今後、中国側が現地生産拠点の建設等でネパールへの投資を加速させることは間違いない。

ネパールの駆け引きは功を奏すか?

 巷に目を移すと、インドの都市部の飲食店等ではウエイターとして働くネパール人を大勢見かける。インド、ネパール両国の間では、人の行き来がほぼ完全に自由なためだが、では、民間人同士はよき隣人関係か、というとそうともいえないようだ。

 「従来インドがネパールの政治を左右してきたし、政治的な嫌がらせのようなこともありました。民間人レベルでも、ネパール人のインド人への感情は複雑ですよ」

 よく考えてみれば、今では、中国の手先のようにも言われるマオイスト(毛沢東主義派)も、そもそもはインドが「育ての親」であったともいえるのだ。

90年代半ば、「清貧」を掲げて登場した毛派は、次第に武力闘争も辞さずといった方向へと転換し、ネパール政界をかき回し始める。この頃、毛派の幹部は事あるごとにインドへ逃げていたが、インド当局は彼らをすすんで庇護していた。当時むしろ中国政府は、「彼らがマオ(毛沢東)と名乗ることは迷惑」と言ってインドをけん制していた。

 時が移り、その毛派が政権を取り、首相が就任後最初の外遊先にインドではなく、中国を選ぶという「事件」が起きた08年あたりから、外国のメディアがしきりと「毛派を操る中国」と喧伝するようになった。

 この種の情報の多くが、インド発だということを見逃すべきでない。インドは実は、英国譲りの高いインテリジェンス能力を持つ国である。今日、そのインドが、中国と自らの周辺諸国との関係をネタに、世界に向かって壮大な情報戦を仕掛けている、と見ることもできなくはない。そしてその2大国の間で、両者を天秤にかけ、けん制材料に使いつつ、したたかに生き抜こうとしているのがネパールだ。国際政治とはまさに謀略の場であり、さまざまなニュースは、そうしたハカリゴトのなかからこぼれ出てくるものだということを、私たち日本人は十分に承知しておく必要がある。

 中国とインドという2大国が今も、半世紀前の戦争の休戦状態にあり、つば迫り合いを繰り返しつつ、両者ともに経済力をつけ、軍拡への道をひた走っていることも以前、当コラムに書いた。日本では最近、中国脅威論がますます高まり、それへの対抗上、インドとの関係をもっと密にすべきだとの声が高まりつつある。私も繰り返し、そう述べてきたつもりではあるが、一方で、日本の世論が、「中国=悪玉」「インド=善玉」という方向へ短絡していくことへの危惧もある。

 今後も、中国、ネパール、インドの関係、動静に注目し続け、日本の読者に対してはむしろこれを単純化せず、その複雑さをこそ伝えていきたいと思うのである。


2011年/03/26 08:02
中国、ネパールに1900万ドル相当支援 チベット独立派牽制への布石か

【大紀元日本3月26日】中国軍総参謀長・陳炳徳上将(大将)は24日、2日間のネパール訪問を終えた。中国武装警察部隊司令・王建平中将、チベット軍区司令・楊金山少将も同行した今回の訪問は、中国軍の将官によるネパール訪問としては10年ぶり。

この訪問を通じて、中国がネパールを懐柔するため1900万ドル(約16億円)相当の援助を提供しようとしていることは、ネパール国内のチベット独立派を牽制するための布石とも見られる。BBC中国語版が伝えた。

 ヒマラヤ山脈の中に位置するネパールは、北はチベットに隣接し、他の三方をインドに囲まれている。

 今回の訪問で中国側は、ネパールのラムバラン・ヤーダブ大統領、マダブ・クマル・ネパール首相、ネパール軍のクーロン参謀長らと会談し、中国がネパールに対して1900万ドル(約16億円)相当の援助を提供し、ネパール軍の基礎的建設に中国が寄与するという内容の協議を結んだ。

 また陳上将は、中国軍の将官がネパールを訪問したことに対して疑念を抱かせないため、今回の訪問の目的はあくまでも中国とネパール二国間の軍事交流と協力にあり、それが相互利益をもたらすものとして、その他の国を指す意図はないと表明した。

 中国官製メディアは、今回の訪問の中で、中国の主張する「一つの中国」政策をネパールは支持するとともに、「ネパール領内にいるチベット独立分子を取り締まり、ネパールにおいて中国を分裂させる活動はさせない」ことをクーロン参謀長が表明したと伝えた。

 これに先立ち昨年10月には、ネパールの首都カトマンズで亡命チベット人らによって行われたチベット亡命政府の首相選挙および議会選挙の際、その投票箱がネパールの武装警察に没収されている。


【ロイター】2011年11月25日
 インド毛沢東主義派の最高指導者、治安部隊との交戦で死亡か

[ニューデリー 24日 ロイター] インド政府は24日、極左組織のインド共産党毛沢東主義派の最高指導者が、同国東部のジャングル地帯で治安部隊の攻撃により死亡した可能性が高いと発表した。

 死亡したとみられるのはインド毛派のコテシュワル・ラオ氏で、同氏の拘束作戦で銃撃を受けたという。シン内務相は現地の当局者の話として、死亡したのは99%の確率でラオ氏だったと、PTI通信に述べた。

 インド毛派は同国の炭鉱地帯を支配しており、政府は国内で最も大きな安全保障上の脅威だとしている。

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