2011年11月5日土曜日

【野田政権】 外務省と防衛省がガチ喧嘩

【産経】2011.11.5 12:00
【防衛オフレコ放談】防衛相が外務省に激怒 副大臣の暗躍握りつぶす

 野田政権発足から2カ月がたち、各省庁の権力バランスが変わった。顕著なのは外務省と防衛省の主導権争い

攻勢に出たのは外務省だ。菅直人政権では北沢俊美前防衛相の存在感の前に劣勢だった外務省が、北沢氏の退任を機に首相官邸への発言力を急回復させた。ただ、防衛省も巻き返しに動き、「外務vs防衛」という積年の対立が再燃しそうだ。


外務副大臣が暗躍


 「外務省と防衛省がバチバチらしい」

 10月初旬、首相官邸に不穏な情報が入った。事の発端は、山根隆治外務副大臣によるアフリカ訪問にあった。

 山根氏は10月9日から12日にかけ、「官民合同ミッション」の団長としてアフリカを訪れた。訪問国はスーダンと同国から7月に分離独立した南スーダン、ケニアの3カ国。日本とアフリカの貿易・投資促進を目的としていた。

 実は、山根氏は「極秘会談」も計画していた。会談の相手は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)である「UNMISS(国連南スーダンミッション)」を率いるヒルデ・ジョンソン国連事務総長特別代表だったという。


防衛省に渦巻く不満


 これは明らかに南スーダンPKOへの陸上自衛隊施設部隊の派遣に向けた地ならしを意味していた。だが結局、会談は実現しなかった。防衛省から横やりが入ったためだ。

 「現場で汗をかくのは自衛官だ」「外務省がわがもの顔で主導するのは認められない」。そのころ防衛省内には山根氏の暗躍に不満が渦巻いていた。PKOの当事者はあくまで防衛省・自衛隊であるとの自負からだろう。


とりわけ一川保夫防衛相が激怒したとされる。就任早々、「安全保障の素人」と公言したこともアダとなり、外務省に野田首相を取り込まれ、「あれよあれよという間に陸自派遣の外堀を埋められた」(政府高官)ことへの怨念もあったに違いない。

 一川氏が反撃に出て、山根氏と特別代表の会談を握りつぶした構図が浮かび上がる。


普天間問題にも波及?


 ただ、外務省と防衛省のさやあてが続けば、深刻な事態を招きかねない。最も懸念されるのが米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題への影響だ。

 普天間問題では、自民党政権下の平成18年に現行案となる名護市辺野古にV字形滑走路を建設する計画を決定した。振り返れば、この「V字案」策定に至ったころが防衛省にとって「わが世の春」だった。

 その権力の源泉は、「天皇」として君臨した守屋武昌次官(当時)と小泉純一郎首相(同)の距離の近さで、当時、外務省は普天間問題で官邸から遠ざけられがちだった。

 政権交代後も、北沢氏の威光が防衛省には大きな強みだった。しかし、野田政権で一川氏の存在感はゼロに等しい。

 「おれがいなくなったとたん、外務省は好き勝手やりはじめた」。北沢氏は政権内の発言力の変化を敏感に察し、周囲にそうぼやいているという。

 権力者なき防衛省は冬の時代を迎えつつあるが、普天間問題を外務省に牛耳られれば、米政府の要求に耳を傾けるあまり地元の沖縄県に冷たくあたり、さらなる関係悪化につながる恐れもある。防衛省は「冬眠」している場合ではない。

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