「柳の下にいつも泥鰌はいない」
たまたま柳の下でドジョウを捕ったからといって、次も同じ柳の下でドジョウを捕ることなどできない、ということから、偶然手に入れた幸運を再び得ようとしてもむだである、というたとえ。類 「株を守りて兎を待つ」
民主党
・政策調整会長 前原誠司(49) 松下8期(当選6期)
・幹事長代理 樽床伸二(52) 松下3期(当選 5期)
松下1期(2011年8月31日現在 )
衆議院議員
野田佳彦(54) 内閣総理大臣 千葉4区 民主党代表 当選5期
妻 仁実(ひとみ)(48) 東京都江戸川区出身。実家は町工場を営んでいた。高校卒業後、都内の大学で声楽を専攻し、卒業後は都内で働いた。
2人が知り合ったのは野田が千葉県議だった1980年代後半。地元の支援者による紹介だった。野田氏がほれ込み、ガイドブックで調べた東京・六本木の焼き肉店に仁実さんを連れて行ったこともあるという。
長男 19歳 大学校医学部
次男 16歳 都内の高校生
実父 義信(80) 昭和5年生まれ 警察予備隊1期生からの陸上自衛官、定年退官
逢沢 一郎 自民党 岡山1区 当選8期
都県議会議員
内山 登 自民党 岡山県議(備前市和気郡) 当選5期
平 浩介 自民党 広島県議(福山市) 当選8期
市区町村議会議員
吉田 謙治 公明党 神戸市議 (西区) 当選6期
市長・区長
横尾 俊彦 無所属 佐賀県多久市長 当選4期
鈴木 康友 無所属 静岡県浜松市長 当選2期
【日経】
「思い秘め、とことんやり抜く」 佐賀県多久市長 横尾俊彦氏
2011/8/29 23:03
松下政経塾の1期生で同期だった佐賀県多久市長の横尾俊彦氏(55)に、当時からの野田佳彦新代表との交友を語ってもらった。
松下政経塾では寮も同室だった。入塾当時は言葉数も少なく、まったく派手じゃない人間だったが、秘めたる思いを持っていた。首相になりたいというより「日本の政治をクリーンにしたい、国家の経営を正していきたい」と熱く語っていたことを思い出す。
塾では岩手県田野畑村で、雪の中で寝袋だけを持って目的地まで行くというハードな訓練をやったこともある。彼はその時「血尿を出した」というくらい無理もいとわずに頑張っていた。やり出したらやり抜く人間だった。
私も彼も日本新党の結党に参加した。地図を買い込んで細川護熙さんらの全国の遊説計画を一緒につくったこともある。私や彼が前座で演説をやり、小池百合子さんにつないで細川さんがトリの演説をやっていた。
財務相就任が決まった時に政経塾の1期生で会合を開いた。その時、彼は「高橋是清の思いでやっていきたい」と話していたことが印象に残っている。「少々嫌われても、日本の財政赤字の危機を脱するために努力したい」とかみしめるように語っていた。
今月中旬に大臣室で会った時は「厳しい時代だがこの国のかじ取りをやりたい」と民主党代表選への意欲を示していた。「反論も多いが、財政の問題はきちんと言っていきたい。財政の立て直しをやりながら、国の立て直しをやりたい」と言っていた。
政治がまともにやらなければいけないテーマが放置されている。国家ビジョンの議論や憲法のあり方とか、財政や社会保障の問題についても目の前の選挙を意識せず、国民につまびらかに話し、逃げずにぶれずにやってほしい。体形は堂々としているので、堂々と議論し、新しい政治をつくっていってほしい。
【日経】
野田氏「ドジョウの政治やり抜く」 政経塾出身者で初の首相に
2011/8/30 1:45
ともに農家出身の両親のもとで育った。派手さはない自身の外見を「選挙区は都市部だが、なぜかシティーボーイに見えない理由はそこにあるかもしれない」と、投開票直前の政見演説でも笑いを誘った。新人時代から閣僚に就任した昨年まで、地元での街頭演説をほぼ欠かさず続けた。
「金魚のまねをしても仕方がない。泥臭く国民のために汗をかいて働き、政治を前進させる。『ドジョウの政治』をとことんやり抜いていきたい」。29日の両院議員総会では、詩人の相田みつをさんの言葉を用いながら自身をドジョウに例えて決意を訴えた。
松下政経塾の出身者としては、初の首相に就任することになる。入塾1期生の野田氏は、政経塾出身の前原誠司前外相や樽床伸二氏らの先輩にあたり、自民党の逢沢一郎国会対策委員長と同期にあたる。
千葉県議を経て、1993年に自民党が初めて野党に転落した衆院選で日本新党から初当選。国会議員としては前原氏や枝野幸男官房長官と同期で、当選1回から非自民連立政権の与党議員となった。その後、小沢一郎元代表が結党した新進党に加わり、前原氏や枝野氏とは別の道を選んだ。
日本新党の創立者である細川護熙元首相とは今も親交が深く、藤村修幹事長代理ら側近も日本新党出身だ。
96年衆院選で敗北し、2000年に民主党から再起を果たす。主宰する議員グループ「花斉会」は30人規模で、今回までに代表選には1度、出馬した。党務は前原代表の下で国対委員長の経験がある。
政権交代後は財務副大臣になり、菅直人氏が首相に就任後、財務相に昇格した。財務相から首相への就任は菅氏に次いで2代連続でもある。
【日経】
(政界人脈図)松下政経塾、出身の国会議員38人 「反小沢」勢力ズラリ
2011/1/13付
野田佳彦財務相(53)、前原誠司外相(48)、玄葉光一郎国家戦略相(46)……。菅内閣の主要閣僚で、民主党では小沢一郎元代表と距離を置く勢力の代表格だが、もう一つの共通点が松下政経塾出身ということだ。
1979年、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、故松下幸之助氏が「新しい国家経営を推進していく指導者を育成したい」と私財を投じて創設。政経塾出身の国会議員は38人。うち民主党が28人で自民党の10人を大きく上回る。民主党のある出身議員は「目的は地盤(支持組織)、看板(知名度)、カバン(選挙資金)がなくても当選できる人材の育成。自民党に挑んできた民主党の議員が多いのは必然だ」と解説する。
卒塾生の主な枠組みは
(1)OB全員による「塾員会」
(2)国会議員による超党派の「未来政治研究会」
(3)国会議員と地方議員の有志メンバーからなる「青年政治機構」。
塾員会は年2回、6月と松下氏の誕生日である11月27日前後に開催。未来政治研究会は3カ月に1回程度、酒を酌み交わしながら情報交換する。現役塾生への指導も担う。「携帯電話で連絡を取り合って、突発的に集まることもある」(民主党中堅議員)という。
「同志であり友人でありライバル。心情は複雑だ」と語るのは、3期生で、2010年6月に菅直人首相と党代表選を争った樽床伸二前国対委員長だ。
一方で「青臭さが抜けず世間知らず」(自民党幹部)との評価も政経塾出身議員につきまとう。鳩山由紀夫前首相は「菅・小沢対決」となった昨年9月の党代表選時、自身のツイッターで「菅首相側には官僚、アナウンサー、政経塾、弁護士出身が多い。小沢氏側には一匹おおかみ的な議員が多い。覚悟の差のような気がしてならない」とつぶやき、政経塾をやゆした。
【日経】
(小菅の御輿を担ぐ人)(5)政経塾出身 次を狙う 樽床氏、「挙党」実現で存在示す 前原氏、「続投の功労者」に活路
2010/9/11付
「強いリーダーシップを期待できるのは小沢さんだ」「改革の旗を降ろしてはダメだ。菅さんをしっかり支えたい」。民主党国会対策委員長の樽床伸二(51)と国土交通相の前原誠司(48)。1993年に日本新党から初当選した2人が今、小沢一郎(68)、菅直人(63)両陣営に分かれ、激しくしのぎを削る。
「政策は感覚的に一番近い」。8日、議員会館で小沢の記者会見をのぞいた樽床は、靖国神社のA級戦犯分祀(ぶんし)論などに共感、小沢支持の気持ちを新たにした。6月の代表選に出馬した自分を支えてくれたのは小沢グループ。恩義からいっても支持は当然だ。樽床は告示の2日後、菅を支える党三役でありながら小沢支持を表明した。
初当選は同期
樽床氏は激突回避を独自に模索
初当選は同期だが、当選回数は前原6回、樽床5回。松下政経塾では樽床が3期生、前原が8期生で樽床が先輩だっただけに前原への思いは複雑だ。
樽床は2005年衆院選で落選。09年衆院選で国政に復帰するまでの浪人期間中に前原は党代表に就き、政権交代後も首相候補の一人に数えられる。樽床は党三役の一角を占めるが、知名度、経験とも前原にまだ追い付かない。周囲に「代表を目指し続ける」と漏らす樽床が前原らライバルとの差を縮めるには、前原の「反小沢」とは異なる路線で台頭するしかない。
樽床が選んだのは、小沢を含む「挙党態勢」を実現する道だ。代表選前は官房長官の仙谷由人(64)と接触し、菅と小沢の激突回避を独自に模索した。参院選後、幹事長の枝野幸男(46)を参院議員会長の輿石東(74)に交代させるよう菅に直談判したこともある。
一方、前原は反小沢を加速させる。「トロイカ重視にかじを切るなら、私が代表選に出てもいい」。人事で妥協し無投票で再選する誘惑に駆られた菅に小沢との対決を選択させたのは、前原のこの一言だった。
偽メールの記憶
前原氏は対決を菅首相に迫った
菅は前原グループの会合で「みなさんを後悔させることは絶対にしない」と頭を下げた。首相続投の功労者となり、次の首相の座をうかがうのが前原の基本戦略だ。9日、国交省の大臣室に陳情に訪れた態度未定の若手には「代表選の方もよろしくね」と声をかけた。
前原が注目を浴びるのは小沢という仮想敵の存在あればこそだ。代表選後、本当に挙党態勢が実現し、小沢という対立軸が消えてしまえば存在感は薄れてしまう。代表時代に党が窮地に陥った偽メール事件の記憶も中堅議員以上に残る。
似た経歴ながら路線をたがえた2人は最近、言葉を交わしていない。最後に勝つのは先行する前原か、追う樽床か。次をにらんでレースは続く。
仁実(ひとみ)夫人(48)
東京・江戸川区の町工場の家に生まれた、音大で声楽を専攻。都内企業で社長秘書を務めていた1988年ごろ、野田氏と共通の知人のパーティーで知り合った。
千葉県議2期目で結婚。直後に国政に進出
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