現在;9勝3負
あと3勝1負=通算12勝4負で「初段」に昇格
次は8月08日
2011年7月31日日曜日
左近允 尚敏
『ミッドウェー海戦 「運命の5分間」の真実』
2011.7.31 07:14
■左近允尚敏(さこんじょうなおとし)著
昭和17年6月、日本海軍はミッドウェーで、主力空母4隻、搭載戦闘機、ベテラン搭乗員を一挙に失う大敗を喫する。以後、太平洋における主導権は米軍に移り、回復することなく、敗戦に至る。
この海戦に関しては、これまで数多くの著書が出されてきたが、著者は「日米戦は負けるべくして負けたが、ミッドウェー海戦はそうではない」と断言する。理由は一つではない。暗号、技術格差、連絡不備、搭載爆弾など。作戦思想から、微細な部隊行動まで、時間軸を正確に追いつつ、日本海軍の致命的欠陥を検証する。日米双方の資料を駆使した決定版といっていい。(新人物往来社・1890円)
1925年鹿児島生まれ。
横須賀中学
1943年海軍兵学校卒(72期)。
重巡「熊野」航海士、駆逐艦「梨」、「初桜」航海長を経て(「熊野」、「梨」は乗艦中に沈没)
1945年終戦(海軍大尉)。
1952年から海上自衛隊に勤務
1979年退官(海将)。
産経新聞客員論説委員、
(財)平和・安全保障研究所研究委員
現在(財)平和・安全保障研究所評議員、
(財)日本国際フォーラム政策委員
2011.7.31 07:14
■左近允尚敏(さこんじょうなおとし)著
昭和17年6月、日本海軍はミッドウェーで、主力空母4隻、搭載戦闘機、ベテラン搭乗員を一挙に失う大敗を喫する。以後、太平洋における主導権は米軍に移り、回復することなく、敗戦に至る。
この海戦に関しては、これまで数多くの著書が出されてきたが、著者は「日米戦は負けるべくして負けたが、ミッドウェー海戦はそうではない」と断言する。理由は一つではない。暗号、技術格差、連絡不備、搭載爆弾など。作戦思想から、微細な部隊行動まで、時間軸を正確に追いつつ、日本海軍の致命的欠陥を検証する。日米双方の資料を駆使した決定版といっていい。(新人物往来社・1890円)
1925年鹿児島生まれ。
横須賀中学
1943年海軍兵学校卒(72期)。
重巡「熊野」航海士、駆逐艦「梨」、「初桜」航海長を経て(「熊野」、「梨」は乗艦中に沈没)
1945年終戦(海軍大尉)。
1952年から海上自衛隊に勤務
1979年退官(海将)。
産経新聞客員論説委員、
(財)平和・安全保障研究所研究委員
現在(財)平和・安全保障研究所評議員、
(財)日本国際フォーラム政策委員
SAPIO
SAPIO
1989年 - 現在
SAPIO(サピオ)は、小学館から発行されている隔週刊「国際情報誌」。
小学館が1987年、創業65周年を迎えたのを機に1989年(平成元年)創刊。発売日は毎月第2・第4水曜日。
誌名の由来
毎号目次の脇に誌名の由来が説明されている。
誌名の「サピオ」とはラテン語で"味わう"という直接的意味から"物事の真理を探る"という抽象的意味まで含んでいます。
「知恵のある人」をラテン語でホモ・サピエンスと言いますが、この語源もサピオから来ており、サピオは「知恵を探る本」という意味で名付けました。
記事の内容は国際問題が主体だが、日本国内の政治問題(教育、憲法、食料、自然災害、治安など)や歴史、軍事、皇室、メディアなどといった幅広い分野をも扱う。
執筆陣の主な論調は僚誌の週刊ポスト同様、保守の傾向にある。
中華人民共和国・大韓民国の現状(人権、ネット検閲、軍備強化など)や反日運動などに批判的な姿勢をとる。
特に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)関連の記事(金日成・金正日父子の“伝説”など)についての特集記事が多い。
一方で、この雑誌の主力記事の一つとなっている「新・ゴーマニズム宣言」を小林よしのりが1995年から連載していることや、落合信彦、大前研一等が連載を持っているため、保守系といっても一般的な「親米財界寄り」の『諸君!』や『正論』などとはかなり論調・主張が異なっており、アメリカ合衆国を批判する要素もかなりの部分で持つ雑誌と言える(小林はSAPIOのこの点を高く評価している)が、それと同時に左翼・左派に見られるようなイデオロギー的な反米思想・反米感情とも距離を置く。
1989年 - 現在
SAPIO(サピオ)は、小学館から発行されている隔週刊「国際情報誌」。
小学館が1987年、創業65周年を迎えたのを機に1989年(平成元年)創刊。発売日は毎月第2・第4水曜日。
誌名の由来
毎号目次の脇に誌名の由来が説明されている。
誌名の「サピオ」とはラテン語で"味わう"という直接的意味から"物事の真理を探る"という抽象的意味まで含んでいます。
「知恵のある人」をラテン語でホモ・サピエンスと言いますが、この語源もサピオから来ており、サピオは「知恵を探る本」という意味で名付けました。
記事の内容は国際問題が主体だが、日本国内の政治問題(教育、憲法、食料、自然災害、治安など)や歴史、軍事、皇室、メディアなどといった幅広い分野をも扱う。
執筆陣の主な論調は僚誌の週刊ポスト同様、保守の傾向にある。
中華人民共和国・大韓民国の現状(人権、ネット検閲、軍備強化など)や反日運動などに批判的な姿勢をとる。
特に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)関連の記事(金日成・金正日父子の“伝説”など)についての特集記事が多い。
一方で、この雑誌の主力記事の一つとなっている「新・ゴーマニズム宣言」を小林よしのりが1995年から連載していることや、落合信彦、大前研一等が連載を持っているため、保守系といっても一般的な「親米財界寄り」の『諸君!』や『正論』などとはかなり論調・主張が異なっており、アメリカ合衆国を批判する要素もかなりの部分で持つ雑誌と言える(小林はSAPIOのこの点を高く評価している)が、それと同時に左翼・左派に見られるようなイデオロギー的な反米思想・反米感情とも距離を置く。
原発の立地には過疎地
池田道大 報告
「東京に造れないものを造る。造ってどんどん東京からカネを送らせるんだ」 地元・柏崎刈羽原発についてこう熱弁を振るったのは田中角栄
中曽根康弘が原子力関連の予算を初めて提出・成立させた1954年。
翌年、原子力基本法が成立
1960年代には電力会社が相次いで立地を計画
1970年代初頭に原発反対の声が高まり、立地計画は頓挫
閉塞状況を打破したのが時の首相・田中
1974年に「電源三法」(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法の総称)
法律により、電力会社は販売電力量に応じて1kW時あたり37.5銭の「電源開発促進税」を電気料金に上乗せして国に納付する。
標準家庭で年間1400円ほど。主に都市部で徴収した税金を特別会計に繰り入れ、交付金として過疎地の原発自治体に還元する仕組み。
今年度予算案では一般会計、特別会計合わせて4000億円を原子力分野に投下される。
出力135万kWの原発(建設期間7年)を新設する場合、
環境影響評価が始まった翌年度から3年間、年5.2億円の交付金が支払われる。
交付金は4年目の着工年度に79.2億円まで一気に跳ね上がり、
その後40億~80億円で推移。運転開始までの10年間で約481億円
50年間の総計は約1359億円
運転開始後は固定資産税収がプラスされる。
静岡県御前崎市の浜岡原発。旧浜岡町(2004年に御前崎町と合併)に原発誘致が持ち上がったのは1967年だった。
地元は1975年度以降、2005年度までに231億円もの交付金を使い、豪勢な市立図書館「アスパル」や屋内・屋外利用の市民プール「ぷるる」などの大型施設を建設。
御前崎市の今年度の一般会計当初予算167億8000万円のうち原発関連の交付金や固定資産税は総額71億2100万円
福島第一原発と第二原発は地元で1万1000人を雇用
地元優遇は徹底される。設備の拡張工事や花壇の整備、機材の納入などを地元の業者に発注。お中元など贈答品は地元デパートに大量注文し、商店街や町内会の小さなイベントにも電力会社から“心づけ”が届く。
電力会社が大量のカネを投下できるのは、電気料金がかかったコストに一定の報酬を上乗せする「総括原価」方式で決まるからだ。このため、電力会社はそれらの費用をユーザーの払う電気料金に転嫁できるのである。
※SAPIO2011年8月3日号
「東京に造れないものを造る。造ってどんどん東京からカネを送らせるんだ」 地元・柏崎刈羽原発についてこう熱弁を振るったのは田中角栄
中曽根康弘が原子力関連の予算を初めて提出・成立させた1954年。
翌年、原子力基本法が成立
1960年代には電力会社が相次いで立地を計画
1970年代初頭に原発反対の声が高まり、立地計画は頓挫
閉塞状況を打破したのが時の首相・田中
1974年に「電源三法」(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法の総称)
法律により、電力会社は販売電力量に応じて1kW時あたり37.5銭の「電源開発促進税」を電気料金に上乗せして国に納付する。
標準家庭で年間1400円ほど。主に都市部で徴収した税金を特別会計に繰り入れ、交付金として過疎地の原発自治体に還元する仕組み。
今年度予算案では一般会計、特別会計合わせて4000億円を原子力分野に投下される。
出力135万kWの原発(建設期間7年)を新設する場合、
環境影響評価が始まった翌年度から3年間、年5.2億円の交付金が支払われる。
交付金は4年目の着工年度に79.2億円まで一気に跳ね上がり、
その後40億~80億円で推移。運転開始までの10年間で約481億円
50年間の総計は約1359億円
運転開始後は固定資産税収がプラスされる。
静岡県御前崎市の浜岡原発。旧浜岡町(2004年に御前崎町と合併)に原発誘致が持ち上がったのは1967年だった。
地元は1975年度以降、2005年度までに231億円もの交付金を使い、豪勢な市立図書館「アスパル」や屋内・屋外利用の市民プール「ぷるる」などの大型施設を建設。
御前崎市の今年度の一般会計当初予算167億8000万円のうち原発関連の交付金や固定資産税は総額71億2100万円
福島第一原発と第二原発は地元で1万1000人を雇用
地元優遇は徹底される。設備の拡張工事や花壇の整備、機材の納入などを地元の業者に発注。お中元など贈答品は地元デパートに大量注文し、商店街や町内会の小さなイベントにも電力会社から“心づけ”が届く。
電力会社が大量のカネを投下できるのは、電気料金がかかったコストに一定の報酬を上乗せする「総括原価」方式で決まるからだ。このため、電力会社はそれらの費用をユーザーの払う電気料金に転嫁できるのである。
※SAPIO2011年8月3日号
2011年7月27日水曜日
個室で性的マッサージ、日本最大規模の「デリヘル王」逮捕
【産経】2011年07月27日12時54分
風俗営業が禁止された地域で、デリバリーヘルス(デリヘル)を装って個室型の性的マッサージ店を営んだとして、警視庁保安課は風営法違反(禁止地域営業)の疑いで、東京都港区高輪、韓国籍でコンサルタント会社社長、金昌宏容疑者(47)を逮捕した。
同課によると、金容疑者は1都4県で、デリヘル計62店を経営。女性従業員計1800人を雇い、経営店舗数が日本最多であることから、業界内で「デリヘル王」と呼ばれていた。調べに対して、容疑を認めているという。
逮捕容疑は、7月6日午後3時ごろ、風俗営業が禁止されている品川区東五反田の雑居ビル内で個室マッサージ店を営み、男性客を相手に、女性従業員に性的マッサージをさせたなどとしている。
同課によると、同店は雑居ビルに入る風俗店紹介所を訪れた客の男性が自分でレンタルルームを借りて、風俗嬢を呼んだように装っていた。
しかし、実際には、金容疑者が紹介所とレンタルルームの両方を管理。実質的に個室マッサージ店となっていた。
同課によると、金容疑者はデリヘルとは別に、広告宣伝会社やホテル経営会社など計33法人を経営。少なくとも今年1~7月に計約2億7000万円を売上げていた。同課は金容疑者がほかにも、デリヘルを装って個室マッサージ店を経営していたとみて詳しく調べる。
風俗営業が禁止された地域で、デリバリーヘルス(デリヘル)を装って個室型の性的マッサージ店を営んだとして、警視庁保安課は風営法違反(禁止地域営業)の疑いで、東京都港区高輪、韓国籍でコンサルタント会社社長、金昌宏容疑者(47)を逮捕した。
同課によると、金容疑者は1都4県で、デリヘル計62店を経営。女性従業員計1800人を雇い、経営店舗数が日本最多であることから、業界内で「デリヘル王」と呼ばれていた。調べに対して、容疑を認めているという。
逮捕容疑は、7月6日午後3時ごろ、風俗営業が禁止されている品川区東五反田の雑居ビル内で個室マッサージ店を営み、男性客を相手に、女性従業員に性的マッサージをさせたなどとしている。
同課によると、同店は雑居ビルに入る風俗店紹介所を訪れた客の男性が自分でレンタルルームを借りて、風俗嬢を呼んだように装っていた。
しかし、実際には、金容疑者が紹介所とレンタルルームの両方を管理。実質的に個室マッサージ店となっていた。
同課によると、金容疑者はデリヘルとは別に、広告宣伝会社やホテル経営会社など計33法人を経営。少なくとも今年1~7月に計約2億7000万円を売上げていた。同課は金容疑者がほかにも、デリヘルを装って個室マッサージ店を経営していたとみて詳しく調べる。
2011年7月26日火曜日
『公益財団法人 東日本大震災復興支援財団』の事業計画の概要
孫正義は25日、会見を開き、自ら会長・発起人として発足した『公益財団法人 東日本大震災復興支援財団』の事業計画の概要を発表した。
『子どもたちが夢と希望を育む環境を実現する』を念頭に置き、被災した子どもたちや支援活動を行う団体への継続的な助成、被災した子どもたちへの直接的な支援を行う。
孫会長は「10年以上にわたって支援できるよう、寄付された基金は100%被災地の子どもたちを中心とした支援のみに使われる
震災で片親、両親を亡くした孤児、遺児がいる。その皆さんには、特に義援金の支援以外にも必要な支援があるのではないか」と
精神的に追い込まれやすい子どもたちを救済すべく、個人で寄付した被災地向けの義援金・支援金100億円の寄付先のうち、40億円を財団設立費用にあてた。
本来なら半年から1年以上かかるという許認可も、政府が未曽有の大震災ということを考慮し、短期間での許認可取得となった。
孫会長は「ライフラインを提供する立場として、(震災時)もう少し電波がつながっていれば、一人でも助かった命があったのではと思うと、非常に申し訳ない。自分自身が悔しく、当事者としての罪の意識を持った」と複雑な胸中を吐露。
「本来ならば、支援活動は黙って静かにやっていくものだと思う」と前置きした上で「一部誤解や批判を受けることがあったとしても、被災で苦しんでおられる方々のため、名乗りを上げ、少しでも支援の輪が広がることほうが、今の日本にとって望ましいこと」と大々的にやる意義を語った。
発起人には王貞治ソフトバンク球団会長、SMAPも名を連ね、
王氏は被災地を訪れた際「このようなことが実際にあるのかという惨状でした」と被害の大きさを目の当たりにしたという。今回の財団に発起人として加わることで「この財団の運動が一人でも多くの方にご支援いただけるよう、微力ながらスポーツを通して役立たせていただきます」とコメントした。
SMAPを代表し中居正広は、自身でも義援金寄付や極秘で被災地訪問、ジャニーズの復興支援プロジェクト『Marching J』を通し、長期的な支援を継続中だが「もっともっと、やらなければならない意識は日を増すごとに増えている」と神妙な面持ち。震災から4ヶ月以上が経過した現在、「皆さんの意識が薄れてきているのでは」と危惧し「意識を持ち続けること、関心を示し続けることが大事。この財団をきっかけに、ぜひ皆さんにご協力していただけたら」と呼びかけていた。
今後の事業計画として、8月1日より総額1億6000万円の支援金を想定した『子どもたちサポート基金』をスタートさせる。
NPO団体やボランティア団体などから要望を募り、内容などを考慮して支援金の分配を行う。また今夏より18歳未満の震災孤児を対象に、ソフトバンクだけでなく全携帯事業者の料金など総額1億6000万円分をサポートする。
原発事故を受けた福島県の子どもらには、今夏より一時避難、子育て相談会、サマースクール、健康相談などを開催し、資金支援を行う。
【日経】
ソフトバンク孫社長、震災復興支援財団設立を発表
2011/7/25 17:57
ソフトバンクの孫正義社長は25日、東日本大震災の震災遺児や孤児の支援、被災地での非営利組織(NPO)活動などへの支援を行う公益財団法人「東日本大震災復興支援財団」を私財で設立したと発表した。
孫氏は4月に個人で100億円を震災の被災地域などに寄付すると発表したが、うち40億円を同財団に投じる。
被災地の子どもたちを支援する団体への助成を8月から行う
今冬からは「被災地チャレンジ基金」として1件1000万円を上限に遺児らに経済支援も行う。
今夏から18歳までの孤児全員に携帯電話の料金をサポートする。ソフトバンク以外の事業者の携帯料金も対象。10年以上の長期の支援を予定している。
孫氏が会長を務め、発起人には王貞治氏と人気アイドルグループのSMAPが加わる。記者会見した孫氏は「孤児・遺児たちや彼らを支援する小さなNPOの活動を長期にわたって応援したい」と話した
『子どもたちが夢と希望を育む環境を実現する』を念頭に置き、被災した子どもたちや支援活動を行う団体への継続的な助成、被災した子どもたちへの直接的な支援を行う。
孫会長は「10年以上にわたって支援できるよう、寄付された基金は100%被災地の子どもたちを中心とした支援のみに使われる
震災で片親、両親を亡くした孤児、遺児がいる。その皆さんには、特に義援金の支援以外にも必要な支援があるのではないか」と
精神的に追い込まれやすい子どもたちを救済すべく、個人で寄付した被災地向けの義援金・支援金100億円の寄付先のうち、40億円を財団設立費用にあてた。
本来なら半年から1年以上かかるという許認可も、政府が未曽有の大震災ということを考慮し、短期間での許認可取得となった。
孫会長は「ライフラインを提供する立場として、(震災時)もう少し電波がつながっていれば、一人でも助かった命があったのではと思うと、非常に申し訳ない。自分自身が悔しく、当事者としての罪の意識を持った」と複雑な胸中を吐露。
「本来ならば、支援活動は黙って静かにやっていくものだと思う」と前置きした上で「一部誤解や批判を受けることがあったとしても、被災で苦しんでおられる方々のため、名乗りを上げ、少しでも支援の輪が広がることほうが、今の日本にとって望ましいこと」と大々的にやる意義を語った。
発起人には王貞治ソフトバンク球団会長、SMAPも名を連ね、
王氏は被災地を訪れた際「このようなことが実際にあるのかという惨状でした」と被害の大きさを目の当たりにしたという。今回の財団に発起人として加わることで「この財団の運動が一人でも多くの方にご支援いただけるよう、微力ながらスポーツを通して役立たせていただきます」とコメントした。
SMAPを代表し中居正広は、自身でも義援金寄付や極秘で被災地訪問、ジャニーズの復興支援プロジェクト『Marching J』を通し、長期的な支援を継続中だが「もっともっと、やらなければならない意識は日を増すごとに増えている」と神妙な面持ち。震災から4ヶ月以上が経過した現在、「皆さんの意識が薄れてきているのでは」と危惧し「意識を持ち続けること、関心を示し続けることが大事。この財団をきっかけに、ぜひ皆さんにご協力していただけたら」と呼びかけていた。
今後の事業計画として、8月1日より総額1億6000万円の支援金を想定した『子どもたちサポート基金』をスタートさせる。
NPO団体やボランティア団体などから要望を募り、内容などを考慮して支援金の分配を行う。また今夏より18歳未満の震災孤児を対象に、ソフトバンクだけでなく全携帯事業者の料金など総額1億6000万円分をサポートする。
原発事故を受けた福島県の子どもらには、今夏より一時避難、子育て相談会、サマースクール、健康相談などを開催し、資金支援を行う。
【日経】
ソフトバンク孫社長、震災復興支援財団設立を発表
2011/7/25 17:57
ソフトバンクの孫正義社長は25日、東日本大震災の震災遺児や孤児の支援、被災地での非営利組織(NPO)活動などへの支援を行う公益財団法人「東日本大震災復興支援財団」を私財で設立したと発表した。
孫氏は4月に個人で100億円を震災の被災地域などに寄付すると発表したが、うち40億円を同財団に投じる。
被災地の子どもたちを支援する団体への助成を8月から行う
今冬からは「被災地チャレンジ基金」として1件1000万円を上限に遺児らに経済支援も行う。
今夏から18歳までの孤児全員に携帯電話の料金をサポートする。ソフトバンク以外の事業者の携帯料金も対象。10年以上の長期の支援を予定している。
孫氏が会長を務め、発起人には王貞治氏と人気アイドルグループのSMAPが加わる。記者会見した孫氏は「孤児・遺児たちや彼らを支援する小さなNPOの活動を長期にわたって応援したい」と話した
救助要請の中国船を発見、海保が救助へ 機関室浸水し航行不能
救助要請の中国船を発見、海保が救助へ 機関室浸水し航行不能
【産経】2011.7.25 18:51
中国の運輸当局から第3管区海上保安本部(横浜市)へ25日午前8時20分ごろ、「沖縄の東約500キロの海上で33人乗りの漁船が沈没しそうだ」と通報があった。
第5管区海上保安本部(神戸市)の管轄とみられたことから、同海保が現場海域を捜索したが発見できなかった。
その後、中国当局が「小笠原諸島の南鳥島の北約330キロ」と訂正して連絡してきた。
このため、3管が航空機で捜索したところ、同日午後2時45分ごろ、機関室が浸水して自力航行が不能となっている漁船を南鳥島北方310kmで発見した。
漁船は中国の水産会社が所有するイカ釣り漁船「LU RONG YU 2682」で、甲板上では救命胴衣を着た乗組員が助けを求めているという。
3管は巡視艇を現場海域に向かわせており、26日午後に到着次第、救助活動を行うという。
【産経】2011.7.25 18:51
中国の運輸当局から第3管区海上保安本部(横浜市)へ25日午前8時20分ごろ、「沖縄の東約500キロの海上で33人乗りの漁船が沈没しそうだ」と通報があった。
第5管区海上保安本部(神戸市)の管轄とみられたことから、同海保が現場海域を捜索したが発見できなかった。
その後、中国当局が「小笠原諸島の南鳥島の北約330キロ」と訂正して連絡してきた。
このため、3管が航空機で捜索したところ、同日午後2時45分ごろ、機関室が浸水して自力航行が不能となっている漁船を南鳥島北方310kmで発見した。
漁船は中国の水産会社が所有するイカ釣り漁船「LU RONG YU 2682」で、甲板上では救命胴衣を着た乗組員が助けを求めているという。
3管は巡視艇を現場海域に向かわせており、26日午後に到着次第、救助活動を行うという。
2011年7月24日日曜日
<ノルウェーテロ>「寛容な社会」憎悪か
(ロイター - 07月24日 11:00)
逮捕されたアンネシュ・ブレイビク容疑者が、「行動は残忍だと認識しているが、必要だったと考えている」と語っていることが明らかに。
[SUNDVOLLEN(ノルウェー) 23日 ロイター] ブレイビク容疑者の弁護士は、現地テレビ局TV2に対し、同容疑者が「行動は残忍だと認識しているが、必要だったと考えている」と
同容疑者は、移民制限を主張する進歩党に所属していたことがあり、ブログ上では多文化主義やイスラム教徒への攻撃に関する書き込みを行っていたが、警察の捜査線上に浮上したことはなかったという。
ユーチューブに投稿された反イスラムを呼び掛ける映像では、ウェットスーツを着込んだ同容疑者が自動小銃を持つ姿がはっきりと映っている。
午後7時に警察の特殊部隊が島に到着して容疑者の身柄を確保するまで、銃乱射は約1時間半に及んだ。現在行方不明となっている人の死亡が確認されれば、犠牲者の数は最大98人になるとの見方を示した。
警察幹部は小型潜水艇も使って行方不明者を探していることを明らかにした。
(毎日新聞 - 07月24日 11:00)
「平和の国」ノルウェーを襲った22日の連続テロ事件は、欧州で増加するイスラム系移民に反発する極右思想の青年だった。事件の動機と背景を探った。【ロンドン笠原敏彦、前田英司】
◇容疑者は極右青年 アンネシュ・ブレイビク容疑者(32)。
ネットへの投稿や地元メディアの報道から浮かび上がる人物像は、移民に寛容な北欧型の「開かれた社会」に反発を増幅させていった姿だ。自らを「愛国主義者」などと評し、その言動には自己陶酔の世界さえ垣間見える。
「信念ある1人の人間は(自らの)利益しか考えない10万人分もの力に値する」。
ブレイビク容疑者が簡易型ブログ「ツイッター」に18日残した犯行予告とも読めるつぶやきは、19世紀の英国人哲学者ジョン・スチュワート・ミルの名言をまねたものだった。
地元紙ベルデンスガングが伝えた友人の証言によれば、ブレイビク容疑者は20代後半から極右思想に染まっていった。
政治問題に強い関心を示し、イスラム批判のネットサイトに熱心に投稿しては「現在の政策は社会主義と資本主義の争いではなく、愛国主義と国際主義の戦いだ」などと主張していた。
投稿の一つでは、日本と韓国について「多文化主義を拒否している国」と言及。日本などを反移民、非多文化社会の模範のようにたたえていた。
中道左派の労働党
ブレイビク容疑者の思考形態から見て、「左派=移民に寛容」の一点から将来の労働党指導者候補の若者らを憎悪し、標的とした可能性は排除できない。
ブレイビク容疑者に事件以前、目立った右翼活動の記録はないという。
拳銃やライフル、ショットガンは合法的に所持していた。菜園を営んでいたとの情報があり、09年に肥料会社を設立したという経歴から、爆薬に使える化学肥料の知識があったとの指摘も出ている。
ノルウェーでは80~90年代にネオナチが社会問題化したが、近年は沈静化している。極右勢力は細分化しているとされるが、「反イスラム、移民排斥」では結束する。
ブレイビク容疑者も投稿の中で「穏健なイスラム」という表現に反論し、「(彼らも)排除された瞬間に過激化する」と憎悪をあらわにしていた。
捜査当局者は容疑者を「キリスト教原理主義者」と呼んでいる。
ストルテンベルグ首相は23日の会見で「他国に比べ、ノルウェーの極右過激派の問題は大きくはない」と述べ、連続テロが、「開かれた社会」を自任してきたノルウェーの意表をついた事件だったことを言外ににじませた。
◇移民排斥論、欧州で台頭
欧州諸国では近年、長引く経済の低迷で社会や政治が右傾化している。背景にあるのは、移民排斥の思想だ。
移民は70年代、発展を支える「労働力」として歓迎された。だが、経済が失速すると、安い賃金で働く移民は欧州白人の職を奪う「重荷」に変貌した。
極右勢力が唱える移民排斥は失業にあえぐ市民の不満の受け皿にもなっている。
欧州連合(EU)の統計によると全加盟27カ国で08年、中東やアフリカ系など計380万人の移民を受け入れた。この流入が加盟国の人口増につながり、労働力人口を支えた。欧州社会の発展・維持に移民は「不可欠」だ。
問題は、欧州が移民をいわば「出稼ぎ労働者」として受け入れてきたことだ。だが、移民は生活の場を欧州に移して定住するようになった。母国から家族を呼び寄せ、独自のコミュニティーを形成するに連れて文化的、宗教的な摩擦が顕在化。経済の悪化やイスラム過激派によるテロなどが追い打ちをかけ、キリスト教を伝統とする欧州社会とイスラム系移民の摩擦や移民排斥論に結びついた。
反移民のうねりは「寛容」が伝統の北欧とて例外ではない。
4月のフィンランド総選挙では民族主義政党が議席を6倍に増やした。キャメロン英首相やメルケル独首相も最近、自国の多文化主義を「失敗」と言及した。
オランダでは6月末、動物愛護を名目に、食肉処理する家畜を事前に失神させることを義務付ける法案が、賛成多数で下院を通過した。
イスラム教やユダヤ教では、意識のある家畜を処理しなければならず、「移民排斥につながる」と両教徒は反発している。
◇ノルウェー
面積は日本とほぼ同じ。人口486万人の11%が移民系。
立憲君主制で男女平等や福祉政策の先進国。1人あたり国民総所得(10年)8万5380ドルは世界4位。ノーベル平和賞を選ぶ委員会はノルウェー議会が任命する。09年はソマリアなどから欧州で3番目に多い1万7200件の難民申請があった。
逮捕されたアンネシュ・ブレイビク容疑者が、「行動は残忍だと認識しているが、必要だったと考えている」と語っていることが明らかに。
[SUNDVOLLEN(ノルウェー) 23日 ロイター] ブレイビク容疑者の弁護士は、現地テレビ局TV2に対し、同容疑者が「行動は残忍だと認識しているが、必要だったと考えている」と
同容疑者は、移民制限を主張する進歩党に所属していたことがあり、ブログ上では多文化主義やイスラム教徒への攻撃に関する書き込みを行っていたが、警察の捜査線上に浮上したことはなかったという。
ユーチューブに投稿された反イスラムを呼び掛ける映像では、ウェットスーツを着込んだ同容疑者が自動小銃を持つ姿がはっきりと映っている。
午後7時に警察の特殊部隊が島に到着して容疑者の身柄を確保するまで、銃乱射は約1時間半に及んだ。現在行方不明となっている人の死亡が確認されれば、犠牲者の数は最大98人になるとの見方を示した。
警察幹部は小型潜水艇も使って行方不明者を探していることを明らかにした。
(毎日新聞 - 07月24日 11:00)
「平和の国」ノルウェーを襲った22日の連続テロ事件は、欧州で増加するイスラム系移民に反発する極右思想の青年だった。事件の動機と背景を探った。【ロンドン笠原敏彦、前田英司】
◇容疑者は極右青年 アンネシュ・ブレイビク容疑者(32)。
ネットへの投稿や地元メディアの報道から浮かび上がる人物像は、移民に寛容な北欧型の「開かれた社会」に反発を増幅させていった姿だ。自らを「愛国主義者」などと評し、その言動には自己陶酔の世界さえ垣間見える。
「信念ある1人の人間は(自らの)利益しか考えない10万人分もの力に値する」。
ブレイビク容疑者が簡易型ブログ「ツイッター」に18日残した犯行予告とも読めるつぶやきは、19世紀の英国人哲学者ジョン・スチュワート・ミルの名言をまねたものだった。
地元紙ベルデンスガングが伝えた友人の証言によれば、ブレイビク容疑者は20代後半から極右思想に染まっていった。
政治問題に強い関心を示し、イスラム批判のネットサイトに熱心に投稿しては「現在の政策は社会主義と資本主義の争いではなく、愛国主義と国際主義の戦いだ」などと主張していた。
投稿の一つでは、日本と韓国について「多文化主義を拒否している国」と言及。日本などを反移民、非多文化社会の模範のようにたたえていた。
中道左派の労働党
ブレイビク容疑者の思考形態から見て、「左派=移民に寛容」の一点から将来の労働党指導者候補の若者らを憎悪し、標的とした可能性は排除できない。
ブレイビク容疑者に事件以前、目立った右翼活動の記録はないという。
拳銃やライフル、ショットガンは合法的に所持していた。菜園を営んでいたとの情報があり、09年に肥料会社を設立したという経歴から、爆薬に使える化学肥料の知識があったとの指摘も出ている。
ノルウェーでは80~90年代にネオナチが社会問題化したが、近年は沈静化している。極右勢力は細分化しているとされるが、「反イスラム、移民排斥」では結束する。
ブレイビク容疑者も投稿の中で「穏健なイスラム」という表現に反論し、「(彼らも)排除された瞬間に過激化する」と憎悪をあらわにしていた。
捜査当局者は容疑者を「キリスト教原理主義者」と呼んでいる。
ストルテンベルグ首相は23日の会見で「他国に比べ、ノルウェーの極右過激派の問題は大きくはない」と述べ、連続テロが、「開かれた社会」を自任してきたノルウェーの意表をついた事件だったことを言外ににじませた。
◇移民排斥論、欧州で台頭
欧州諸国では近年、長引く経済の低迷で社会や政治が右傾化している。背景にあるのは、移民排斥の思想だ。
移民は70年代、発展を支える「労働力」として歓迎された。だが、経済が失速すると、安い賃金で働く移民は欧州白人の職を奪う「重荷」に変貌した。
極右勢力が唱える移民排斥は失業にあえぐ市民の不満の受け皿にもなっている。
欧州連合(EU)の統計によると全加盟27カ国で08年、中東やアフリカ系など計380万人の移民を受け入れた。この流入が加盟国の人口増につながり、労働力人口を支えた。欧州社会の発展・維持に移民は「不可欠」だ。
問題は、欧州が移民をいわば「出稼ぎ労働者」として受け入れてきたことだ。だが、移民は生活の場を欧州に移して定住するようになった。母国から家族を呼び寄せ、独自のコミュニティーを形成するに連れて文化的、宗教的な摩擦が顕在化。経済の悪化やイスラム過激派によるテロなどが追い打ちをかけ、キリスト教を伝統とする欧州社会とイスラム系移民の摩擦や移民排斥論に結びついた。
反移民のうねりは「寛容」が伝統の北欧とて例外ではない。
4月のフィンランド総選挙では民族主義政党が議席を6倍に増やした。キャメロン英首相やメルケル独首相も最近、自国の多文化主義を「失敗」と言及した。
オランダでは6月末、動物愛護を名目に、食肉処理する家畜を事前に失神させることを義務付ける法案が、賛成多数で下院を通過した。
イスラム教やユダヤ教では、意識のある家畜を処理しなければならず、「移民排斥につながる」と両教徒は反発している。
◇ノルウェー
面積は日本とほぼ同じ。人口486万人の11%が移民系。
立憲君主制で男女平等や福祉政策の先進国。1人あたり国民総所得(10年)8万5380ドルは世界4位。ノーベル平和賞を選ぶ委員会はノルウェー議会が任命する。09年はソマリアなどから欧州で3番目に多い1万7200件の難民申請があった。
2011年7月23日土曜日
キリスト教原理主義
米国キリスト教右派、キリスト教根本主義、福音主義キリスト教会とその教派に対して多くの場合、非難、侮蔑の意味合いを持って使用される語である。
常に他者の信仰態度を指して使用され、自らの信仰的立場を表す時に「キリスト教原理主義」の語を用いるキリスト教会、団体、神学者は存在しない。
「ファンダメンタリストという名称ぐらい敵意に満ちた侮蔑的な差別用語は、おそらくキリスト教界には見当たらないのではなかろうか。」[1]と言われている。
おもにキリスト教会外のマスコミや、この立場の教派に対して思想的に批判的なキリスト教内での立場から保守的キリスト教を指して使用されることが多く、蔑称としての意味合いも強いので使用には注意が必要である。
日本基督教団においては、神社参拝をしないクリスチャンをファンダメンタリスト、その立場をファンダメンタリズムと呼んだ[2]。
「神社非宗教論」を唱え神社参拝を容認する立場では、美濃ミッション事件から神社参拝拒否をファンダメンタリズムとする合意が形成されたという [3]。いずれもFundamentalist Christianity、Christian Fundamentalismの訳語であるが、キリスト教原理主義と訳される場合とキリスト教根本主義と訳される場合では、意味合いが異なる。
植村正久は根本主義のウェストミンスター信仰告白や代償的贖罪の教理に批判的であったが、1924年、『宣言若しくは信条』の中で英語のファンダメンタリズムの訳語としてキリスト教根本主義の語をあてている。以来、キリスト教界では批判的立場からも根本主義の訳語が使われていたが、イスラム原理主義の台頭以降、蔑称の意味合いをもって原理主義の語が使用されるようになった。
日本基督教団の井門富二夫は、ファンダメンタリズムを、「負け犬の宗教」「反動形成」「新興宗教が萌芽状態において発生した直後の、情緒的ないしまだ結晶しない精神状況」「産業社会のじゃま者」「社会の発展に追随できない層の敗北自認から生じたもの」とする[4]。
W.フートは、「カトリック原理主義」「ギリシャ正教原理主義」があるとしている[5]。[6]
常に他者の信仰態度を指して使用され、自らの信仰的立場を表す時に「キリスト教原理主義」の語を用いるキリスト教会、団体、神学者は存在しない。
「ファンダメンタリストという名称ぐらい敵意に満ちた侮蔑的な差別用語は、おそらくキリスト教界には見当たらないのではなかろうか。」[1]と言われている。
おもにキリスト教会外のマスコミや、この立場の教派に対して思想的に批判的なキリスト教内での立場から保守的キリスト教を指して使用されることが多く、蔑称としての意味合いも強いので使用には注意が必要である。
日本基督教団においては、神社参拝をしないクリスチャンをファンダメンタリスト、その立場をファンダメンタリズムと呼んだ[2]。
「神社非宗教論」を唱え神社参拝を容認する立場では、美濃ミッション事件から神社参拝拒否をファンダメンタリズムとする合意が形成されたという [3]。いずれもFundamentalist Christianity、Christian Fundamentalismの訳語であるが、キリスト教原理主義と訳される場合とキリスト教根本主義と訳される場合では、意味合いが異なる。
植村正久は根本主義のウェストミンスター信仰告白や代償的贖罪の教理に批判的であったが、1924年、『宣言若しくは信条』の中で英語のファンダメンタリズムの訳語としてキリスト教根本主義の語をあてている。以来、キリスト教界では批判的立場からも根本主義の訳語が使われていたが、イスラム原理主義の台頭以降、蔑称の意味合いをもって原理主義の語が使用されるようになった。
日本基督教団の井門富二夫は、ファンダメンタリズムを、「負け犬の宗教」「反動形成」「新興宗教が萌芽状態において発生した直後の、情緒的ないしまだ結晶しない精神状況」「産業社会のじゃま者」「社会の発展に追随できない層の敗北自認から生じたもの」とする[4]。
W.フートは、「カトリック原理主義」「ギリシャ正教原理主義」があるとしている[5]。[6]
2011年7月21日木曜日
【青島】 パキスタン海軍艦隊が寄港 /7月19-22日
〇_パキスタン海軍
・補給艦「ナスル」 A47 1987年に中国から購入した福清型補給艦
・フリゲート「シャムシーア」(F252 )
7月06日 ブルネイ観艦式典に参加
19日 青島 北海艦隊司令部に寄港
パキスタン海軍の船が青島を訪問して
http://news.xinhuanet.com/mil/2011-07/19/c_121690603.htm
2011年7月19日午後5時50分41秒
港 にパキスタン海軍補給艦"ナセル"ようこそ。
【新華青島】、7月19日、パキスタン海軍ミサイルフリゲート艦"シャルムシェール"艦隊の包括的な補給艦が青島に到着した
今年は中国とパキスタンの外交関係と、"中国とパキスタンの友好の年"の60周年であり、パキスタンの船が青島、お祝いの一連の活動を訪れている。
訪問は、私はパキスタンの方管ビングと海軍の潜水艦学校の海軍の船を訪問する、
青島ビール博物館、オリンピックセーリングセンター等、およびスポーツイベントでの私の将校と水兵との友情をご覧ください。
訪問の出発の終了後、中国とパキスタンは合同海軍演習を開催します。
北海艦隊副司令Sundeら忠ターミナルを訪問するバス車両を満たすために
スタッフアシフのパキスタン軍の副主任、サンウ拉鉱は北海艦隊の司令官田中
・補給艦「ナスル」 A47 1987年に中国から購入した福清型補給艦
・フリゲート「シャムシーア」(F252 )
7月06日 ブルネイ観艦式典に参加
19日 青島 北海艦隊司令部に寄港
パキスタン海軍の船が青島を訪問して
http://news.xinhuanet.com/mil/2011-07/19/c_121690603.htm
2011年7月19日午後5時50分41秒
港 にパキスタン海軍補給艦"ナセル"ようこそ。
【新華青島】、7月19日、パキスタン海軍ミサイルフリゲート艦"シャルムシェール"艦隊の包括的な補給艦が青島に到着した
今年は中国とパキスタンの外交関係と、"中国とパキスタンの友好の年"の60周年であり、パキスタンの船が青島、お祝いの一連の活動を訪れている。
訪問は、私はパキスタンの方管ビングと海軍の潜水艦学校の海軍の船を訪問する、
青島ビール博物館、オリンピックセーリングセンター等、およびスポーツイベントでの私の将校と水兵との友情をご覧ください。
訪問の出発の終了後、中国とパキスタンは合同海軍演習を開催します。
北海艦隊副司令Sundeら忠ターミナルを訪問するバス車両を満たすために
スタッフアシフのパキスタン軍の副主任、サンウ拉鉱は北海艦隊の司令官田中
我々は、島国人である
慶応、明治、大正、昭和、平成
平成の時代も、すでに23年間が過ぎ去ろーとしている
日本国の人口は、約1億2751万人
その内、四分の1が65歳以上の高齢者である
ドイツ連邦 8175万人
フランス共和国 6544万人
英国 6156万人
イタリア共和国 5987万人
世界の人口等は、小学校の社会科教育で誰もが学ぶが、再度、認識学習することはほとんどない
日本国の産業経済基盤の基幹・石油は中近東から遥々、1万数千kmを航海して日本国へ到着する
しかしながら、一般国民の脳裏には、そんな認識は全くない。簡単に言えば、「島」に住んでいながら「島民」の意識が全く無い
なぜなんだろー?
新幹線や航空機に乗る経験があっても、フェリーや漁船に乗る体験者は圧倒的に少ない
今回、世界遺産に認定された小笠原諸島の父島までの片道海路より、欧州便に乗れば往復できる時間である
戦後、交通機関は速ければ速いほど、いいと賞賛されてきた
船は遅い。15ktとしても時速28km/h程度。自転車よりも遅いのである
しかし、360°見渡す限り海原の水平線は、一見の価値はある
最近、南西諸島が注目を浴びている。宮古島、石垣島、西表島、与那国島
自分たちは「島国人」の認識を考えれば、これからの将来の政策は従来を追従する政策と根本的に変ってくるのではないだろーか
平成の時代も、すでに23年間が過ぎ去ろーとしている
日本国の人口は、約1億2751万人
その内、四分の1が65歳以上の高齢者である
ドイツ連邦 8175万人
フランス共和国 6544万人
英国 6156万人
イタリア共和国 5987万人
世界の人口等は、小学校の社会科教育で誰もが学ぶが、再度、認識学習することはほとんどない
日本国の産業経済基盤の基幹・石油は中近東から遥々、1万数千kmを航海して日本国へ到着する
しかしながら、一般国民の脳裏には、そんな認識は全くない。簡単に言えば、「島」に住んでいながら「島民」の意識が全く無い
なぜなんだろー?
新幹線や航空機に乗る経験があっても、フェリーや漁船に乗る体験者は圧倒的に少ない
今回、世界遺産に認定された小笠原諸島の父島までの片道海路より、欧州便に乗れば往復できる時間である
戦後、交通機関は速ければ速いほど、いいと賞賛されてきた
船は遅い。15ktとしても時速28km/h程度。自転車よりも遅いのである
しかし、360°見渡す限り海原の水平線は、一見の価値はある
最近、南西諸島が注目を浴びている。宮古島、石垣島、西表島、与那国島
自分たちは「島国人」の認識を考えれば、これからの将来の政策は従来を追従する政策と根本的に変ってくるのではないだろーか
2011年7月20日水曜日
「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹
「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く
2011年5月15日12時3分
放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影
4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影
震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。
翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。
コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。
3月11日午後2時46分。
瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」
家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」
体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。
親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」
市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。
「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。
2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。
身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。
最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。
「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」
参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。
将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」
コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)
「負けないで」岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
2011年5月20日22時40分
【動画】岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
「負けないで」を吹き終え、会場の拍手に涙する佐々木瑠璃さん=20日午後8時31分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
トランペットを持ちながら、会場にいる家族を紹介する佐々木瑠璃さん。左はコンサート進行役の加藤タキさん=20日午後8時12分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
東日本大震災から1カ月後、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってトランペットを吹いていた少女がいた。震災から70日たった20日、少女は東京オペラシティの舞台に立った。聴衆約1500人に披露したのは、あの時、天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
被災地で演奏する姿が朝日新聞(東京本社発行)に掲載された縁で招待された慈善コンサート「故郷(ふるさと)」。被災地出身のプロの音楽家らが企画した。
制服姿で舞台に立った岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さん(17)は「負けないで」の後に「威風堂々」、そしてアンコールの「故郷」を吹いた。
父の隆道(たかみち)さん(48)、弟の証道(しょうどう)さん(15)も見守った舞台。「故郷」では演奏に聴衆の合唱が加わり、被災地や天国へ届ける歌が会場を包み込んだ。
2011年5月15日12時3分
放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影
4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影
震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。
翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。
コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。
3月11日午後2時46分。
瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」
家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」
体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。
親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」
市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。
「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。
2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。
身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。
最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。
「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」
参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。
将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」
コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)
「負けないで」岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
2011年5月20日22時40分
【動画】岩手の少女、天国の母へ涙のトランペット
「負けないで」を吹き終え、会場の拍手に涙する佐々木瑠璃さん=20日午後8時31分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
トランペットを持ちながら、会場にいる家族を紹介する佐々木瑠璃さん。左はコンサート進行役の加藤タキさん=20日午後8時12分、東京都新宿区、森井英二郎撮影
東日本大震災から1カ月後、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってトランペットを吹いていた少女がいた。震災から70日たった20日、少女は東京オペラシティの舞台に立った。聴衆約1500人に披露したのは、あの時、天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
被災地で演奏する姿が朝日新聞(東京本社発行)に掲載された縁で招待された慈善コンサート「故郷(ふるさと)」。被災地出身のプロの音楽家らが企画した。
制服姿で舞台に立った岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さん(17)は「負けないで」の後に「威風堂々」、そしてアンコールの「故郷」を吹いた。
父の隆道(たかみち)さん(48)、弟の証道(しょうどう)さん(15)も見守った舞台。「故郷」では演奏に聴衆の合唱が加わり、被災地や天国へ届ける歌が会場を包み込んだ。
「秋以降もやるつもりか」に首相、険しい表情
(読売新聞 - 07月19日 21:08)
衆議院・予算委員会7月19日
「2011年度・第2次補正予算案」の基本的質疑
自民党は東日本大震災の復旧・復興策が遅れているとして、菅首相らを厳しく追及した。 政府側には対策の遅れや、調整不足を認める場面が相次ぎ、本格的な復興策を盛り込む第3次補正予算案の編成に向け、政府の態勢立て直しが急務となっていることが浮き彫りとなった。
「『復興プラン』などと言う前に、当然やるべき当たり前の作業が遅れている」
自民党の茂木敏充氏は、政府の震災対応の現状を強い口調で非難した。
茂木氏がまず指摘したのは、5月に成立した第1次補正予算に盛り込まれながら、予算の執行が進んでいない事業の存在だ。
茂木氏によると、1次補正にはがれき処理に3500億円超、壊れた公立学校施設の補修費に950億円超が計上されたが、すでに被災自治体に予算が付けられたのは、がれき処理費が208億円、補修費が9億7000万円にとどまっているという。
さらに茂木氏は、がれき処理では16市町村からの要望に対し、11件が差し戻されていたことを指摘し、「請求の乱発を防ぐための意図的な措置ではないか」とただした。
政府は、枝野官房長官が「事務処理の扱いとして適切ではない」と陳謝したほか、首相も「執行が進むように強く指示したい」と答弁するなど、対応の遅れを認めざるを得なかった。
政府内の調整不足は、被災地のがれき置き場などで大量発生しているハエや蚊などの害虫駆除で露呈した。
5月24日に松本環境相(当時)は、害虫駆除対策を、災害廃棄物処理事業の補助対象にする意向を示したが、茂木氏は「3日後に(補助事業の)対象外とも取れる課長通達が出されていた」と、江田環境相を追及。江田氏は「就任したばかりで事情はつまびらかでない」と答弁に窮し、善処を約束した。
さらに、茂木氏は、河川・道路・下水道、全半壊した学校や病院などの復旧を列挙し、「なぜ2次補正に計上しないのか」と迫った。
首相は「本格復興は3次補正での対応になる」と答えたが、「あなたから3次補正の話は聞きたくない。秋以降も首相をやるつもりか」と切り返され、険しい表情を浮かべた。
衆議院・予算委員会7月19日
「2011年度・第2次補正予算案」の基本的質疑
自民党は東日本大震災の復旧・復興策が遅れているとして、菅首相らを厳しく追及した。 政府側には対策の遅れや、調整不足を認める場面が相次ぎ、本格的な復興策を盛り込む第3次補正予算案の編成に向け、政府の態勢立て直しが急務となっていることが浮き彫りとなった。
「『復興プラン』などと言う前に、当然やるべき当たり前の作業が遅れている」
自民党の茂木敏充氏は、政府の震災対応の現状を強い口調で非難した。
茂木氏がまず指摘したのは、5月に成立した第1次補正予算に盛り込まれながら、予算の執行が進んでいない事業の存在だ。
茂木氏によると、1次補正にはがれき処理に3500億円超、壊れた公立学校施設の補修費に950億円超が計上されたが、すでに被災自治体に予算が付けられたのは、がれき処理費が208億円、補修費が9億7000万円にとどまっているという。
さらに茂木氏は、がれき処理では16市町村からの要望に対し、11件が差し戻されていたことを指摘し、「請求の乱発を防ぐための意図的な措置ではないか」とただした。
政府は、枝野官房長官が「事務処理の扱いとして適切ではない」と陳謝したほか、首相も「執行が進むように強く指示したい」と答弁するなど、対応の遅れを認めざるを得なかった。
政府内の調整不足は、被災地のがれき置き場などで大量発生しているハエや蚊などの害虫駆除で露呈した。
5月24日に松本環境相(当時)は、害虫駆除対策を、災害廃棄物処理事業の補助対象にする意向を示したが、茂木氏は「3日後に(補助事業の)対象外とも取れる課長通達が出されていた」と、江田環境相を追及。江田氏は「就任したばかりで事情はつまびらかでない」と答弁に窮し、善処を約束した。
さらに、茂木氏は、河川・道路・下水道、全半壊した学校や病院などの復旧を列挙し、「なぜ2次補正に計上しないのか」と迫った。
首相は「本格復興は3次補正での対応になる」と答えたが、「あなたから3次補正の話は聞きたくない。秋以降も首相をやるつもりか」と切り返され、険しい表情を浮かべた。
2011年7月19日火曜日
台風第6号 (マーゴン)
2011年7月18日月曜日
【古賀茂明】 官僚の責任
■要領が悪い人…審議官止り(部長級)
『官僚の責任』の刊行 古賀茂明(こが・しげあき)56歳
経済産業省大臣官房付き
1955年、長崎県に生まれ
1980年、東京大学法学部を卒業
通商産業省(現・経済産業省)に入省。
大臣官房会計課法令審査委員、
産業組織課長、
OECDプリンシパル・アドミニストレーター、
産業再生機構執行役員
経済産業政策課長、
中小企業庁経営支援部長など
2008年、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官
2009年末に審議官を退任
■要領が良い場合
小川洋(61)
1949年5月17日
福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校
京都大学法学部
通商産業省に入省。同期入省には、通商産業事務次官の望月晴文、後に同じく特許庁長官となった鈴木隆史
『官僚の責任』の刊行 古賀茂明(こが・しげあき)56歳
経済産業省大臣官房付き
1955年、長崎県に生まれ
1980年、東京大学法学部を卒業
通商産業省(現・経済産業省)に入省。
大臣官房会計課法令審査委員、
産業組織課長、
OECDプリンシパル・アドミニストレーター、
産業再生機構執行役員
経済産業政策課長、
中小企業庁経営支援部長など
2008年、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官
2009年末に審議官を退任
■要領が良い場合
小川洋(61)
1949年5月17日
福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校
京都大学法学部
通商産業省に入省。同期入省には、通商産業事務次官の望月晴文、後に同じく特許庁長官となった鈴木隆史
台風第6号 (マーゴン)
2011年7月17日日曜日
台風第6号 (マーゴン)
2011年7月15日金曜日
著者が語る隠された福島原発事故の恐怖
2011年07月15日10時00分
●作業をしているのはロボットじゃない
福島原発の事故以来、現場作業で被曝した労働者は何十人何百人に上るのか?
東電は「特例上限の250ミリシーベルトを超えたのは6人だけ」と発表しているが、本当のところは誰にも分からない。いくらでも隠し事やゴマカシのきく世界が原発労働者なのである。
世間から隔離され、隠されてきた原発労働者の実態を37年間追いかけてきたルポルタージュ問題作が復刊された。「闇に消される原発被曝者」(八月書館)だ。写真家の樋口健二氏が嫌がらせや妨害の中、体当たりで原発内部と被曝者に直接取材してきたものである。
あらためて樋口氏に聞いた。
「原発労働者の過酷な実態は、37年前から変わっていませんよ。東電協力企業社員といったやさしい言葉に置き換えられたけど、30万円とか50万円というカネで原発労働者が全国から福島に集められ、大量被曝が確実の原発に送り込まれている。テレビなどの報道では、高濃度の建屋内はロボットが作業していることになっている。あれはウソです。原発内はパイプが縦横に走り、高い場所での作業も必要。ロボットでは手に負えない。修理修復や放射能除去の掃除は人海戦術でやるしかない。人間であれば、息をする。こうしている間にも、次々と労働者は内部被曝しているのです」
与えられた作業のノルマを達成しないと、労働者は賃金をもらえない。だから、線量計のアラームが鳴ろうと無視して作業を続ける。暑いし苦しいし見えづらいから、防毒マスクをはずして作業する労働者も少なくない。その結果、体が動かなくなり、やがてがん死。そんな人を樋口氏は何人も見てきた。
「それでも昔は、上限が50ミリシーベルトだった。それが100に緩和され、今回の福島では250に上げられた。250という数字は死に直結するものです。労働者の声を聞こうと、私は福島に行った。でもJヴィレッジに隔離され、取材は禁止。取材したら罰則が待っている。なぜ、そこまで隠すのか。大変なことが起きているからでしょう。あと5年、10年したら、がんで死ぬ被曝労働者がどれだけ出ることか」
闇に消される原発労働者は、いま現在も生み続けられている。それが現実なのだ。
(日刊ゲンダイ2011年7月12日掲載)
●作業をしているのはロボットじゃない
福島原発の事故以来、現場作業で被曝した労働者は何十人何百人に上るのか?
東電は「特例上限の250ミリシーベルトを超えたのは6人だけ」と発表しているが、本当のところは誰にも分からない。いくらでも隠し事やゴマカシのきく世界が原発労働者なのである。
世間から隔離され、隠されてきた原発労働者の実態を37年間追いかけてきたルポルタージュ問題作が復刊された。「闇に消される原発被曝者」(八月書館)だ。写真家の樋口健二氏が嫌がらせや妨害の中、体当たりで原発内部と被曝者に直接取材してきたものである。
あらためて樋口氏に聞いた。
「原発労働者の過酷な実態は、37年前から変わっていませんよ。東電協力企業社員といったやさしい言葉に置き換えられたけど、30万円とか50万円というカネで原発労働者が全国から福島に集められ、大量被曝が確実の原発に送り込まれている。テレビなどの報道では、高濃度の建屋内はロボットが作業していることになっている。あれはウソです。原発内はパイプが縦横に走り、高い場所での作業も必要。ロボットでは手に負えない。修理修復や放射能除去の掃除は人海戦術でやるしかない。人間であれば、息をする。こうしている間にも、次々と労働者は内部被曝しているのです」
与えられた作業のノルマを達成しないと、労働者は賃金をもらえない。だから、線量計のアラームが鳴ろうと無視して作業を続ける。暑いし苦しいし見えづらいから、防毒マスクをはずして作業する労働者も少なくない。その結果、体が動かなくなり、やがてがん死。そんな人を樋口氏は何人も見てきた。
「それでも昔は、上限が50ミリシーベルトだった。それが100に緩和され、今回の福島では250に上げられた。250という数字は死に直結するものです。労働者の声を聞こうと、私は福島に行った。でもJヴィレッジに隔離され、取材は禁止。取材したら罰則が待っている。なぜ、そこまで隠すのか。大変なことが起きているからでしょう。あと5年、10年したら、がんで死ぬ被曝労働者がどれだけ出ることか」
闇に消される原発労働者は、いま現在も生み続けられている。それが現実なのだ。
(日刊ゲンダイ2011年7月12日掲載)
2011年7月12日火曜日
山本太郎 佐賀県庁突入「知事出てこい」
(日刊スポーツ - 07月12日 10:30)
佐賀県庁に突入後、県職員に行く手を阻まれる山本太郎(中央)
福島第1原発事故後、放射能汚染の危険を訴えている俳優山本太郎(36)が11日、佐賀県庁で行われた反原発デモに参加し、九州電力のやらせメールなどで揺れる玄海原発(佐賀県玄海町)の廃炉化を訴えた。
佐賀は映画のロケや友人が被災地から避難している地。
ネット上でデモの情報を集め、恩に報いたいと仕事先の四国から駆けつけた。
熱い思いは“庁内乱入”に発展し、県庁史上初の大騒動となった。
反原発の熱意を抑えられなかった。山本はしばらく約150人の市民団体メンバーらの動向を見守っていたが、1時間後に自ら拡声器を持った。
「原発はいらない」「子供を守れ」「知事は出てこい」と叫びながらデモ隊を先導して佐賀県庁に乗り込んだ。
だが、県庁職員やガードマンが玄関や通路を封鎖して行く手を阻もうとしたため、1時間ほどもみ合いに。それでも必死に食い下がり、古川康知事に玄海原発再稼働中止の請願書を渡そうとした。
知事が出てこず目的は達せられなかったが、山本は「佐賀に来て、みんなどれだけ追い詰められている状況か分かった。来て良かった。交渉を続ければ、きっと(廃炉の)扉は開かれるはず」と希望を口にした。国のストレステストについて「疑わしい。すぐ稼働させるための単なるアクション」、九電のやらせメール問題を「失望した」とぶった切った。
佐賀は05年に映画「佐賀のがばいばあちゃん」のロケで訪れて以来だが、当時は日本の原風景が残るのどかな町並みに心を洗われたという。
しかも、被災地の宮城から避難してきた友人も住んでいる。
身近な存在だけに、ツイッターでデモ情報を知って仕事先の徳島から恩返しの意味もあり駆けつけた。
「福島の件で原発をコントロールできないことがはっきりした。安全が保証されないのに、(原発を)再稼働してはいけない」と熱っぽく語った。
山本は5月25日にツイッターで反原発発言が原因でドラマを降板になったとコメントし、同27日に事務所を自主退社している。
原発の是非を問う国民投票を訴える団体の呼び掛け人でもあるが、今後も全国各地で反原発デモがあれば参加する意向だ。【菊川光一】
佐賀県庁に突入後、県職員に行く手を阻まれる山本太郎(中央)
福島第1原発事故後、放射能汚染の危険を訴えている俳優山本太郎(36)が11日、佐賀県庁で行われた反原発デモに参加し、九州電力のやらせメールなどで揺れる玄海原発(佐賀県玄海町)の廃炉化を訴えた。
佐賀は映画のロケや友人が被災地から避難している地。
ネット上でデモの情報を集め、恩に報いたいと仕事先の四国から駆けつけた。
熱い思いは“庁内乱入”に発展し、県庁史上初の大騒動となった。
反原発の熱意を抑えられなかった。山本はしばらく約150人の市民団体メンバーらの動向を見守っていたが、1時間後に自ら拡声器を持った。
「原発はいらない」「子供を守れ」「知事は出てこい」と叫びながらデモ隊を先導して佐賀県庁に乗り込んだ。
だが、県庁職員やガードマンが玄関や通路を封鎖して行く手を阻もうとしたため、1時間ほどもみ合いに。それでも必死に食い下がり、古川康知事に玄海原発再稼働中止の請願書を渡そうとした。
知事が出てこず目的は達せられなかったが、山本は「佐賀に来て、みんなどれだけ追い詰められている状況か分かった。来て良かった。交渉を続ければ、きっと(廃炉の)扉は開かれるはず」と希望を口にした。国のストレステストについて「疑わしい。すぐ稼働させるための単なるアクション」、九電のやらせメール問題を「失望した」とぶった切った。
佐賀は05年に映画「佐賀のがばいばあちゃん」のロケで訪れて以来だが、当時は日本の原風景が残るのどかな町並みに心を洗われたという。
しかも、被災地の宮城から避難してきた友人も住んでいる。
身近な存在だけに、ツイッターでデモ情報を知って仕事先の徳島から恩返しの意味もあり駆けつけた。
「福島の件で原発をコントロールできないことがはっきりした。安全が保証されないのに、(原発を)再稼働してはいけない」と熱っぽく語った。
山本は5月25日にツイッターで反原発発言が原因でドラマを降板になったとコメントし、同27日に事務所を自主退社している。
原発の是非を問う国民投票を訴える団体の呼び掛け人でもあるが、今後も全国各地で反原発デモがあれば参加する意向だ。【菊川光一】
2011年7月11日月曜日
【玄海町長】 岸本英雄
岸本 英雄 (きしもと ひでお)
佐賀県会議員 3期。唐津市・東松浦郡(定数7)11年五ヶ月
玄海町長 2期 五年目
昭和28年7月 玄海町生まれ。
県立唐津東高等学校
久留米大学
会社役員、唐津青年会議所 理事長、佐賀県総合開発審議会 委員などを経て、
平成7年4月 佐賀県議会議員に当選、
産業常任委員長、
議会運営委員長など
平成18年8月 玄海町長に就任、
平成22年8月より第2期目を務める。
佐賀県会議員 3期。唐津市・東松浦郡(定数7)11年五ヶ月
玄海町長 2期 五年目
昭和28年7月 玄海町生まれ。
県立唐津東高等学校
久留米大学
会社役員、唐津青年会議所 理事長、佐賀県総合開発審議会 委員などを経て、
平成7年4月 佐賀県議会議員に当選、
産業常任委員長、
議会運営委員長など
平成18年8月 玄海町長に就任、
平成22年8月より第2期目を務める。
目標貫徹シリーズ(14)~詐欺をしても原発を防衛する九電(2)
HUNTER 玄海町長に強烈な一撃~原発マネーまみれの構図を詳報
社会
2011年7月 7日 13:20
玄海原発再稼動で時の人となった佐賀県玄海町の岸本英雄町長の疑惑を追っていた福岡市の調査報道サイト「HUNTER」が、玄海町の利権構造を解き明かす記事を報じた。 関係方面では早くも話題となっており、玄海町に原発再稼動の判断を任せた国や九電への批判が強まりそうだ。
「やらせメール」事件で揺れる九電や、周辺自治体を無視して再稼動を容認した岸本町長にとっては、とどめの一撃となるかもしれない。
玄海町・原発マネー還流のカラクリファミリー企業ゼネコンから現金
~町長一族支配の実態~
玄海原発の再稼動をめぐり、全国の注目を集めてきた岸本英雄玄海町長が、同町発注の公共事業の多くを受注する町長のファミリー企業「岸本組」を利用して、公金を還流させ自身の所得を増やしている実態が明らかとなった。 識者からは「世界の恥」とする厳しい批判の声が上がっている。
見過ごされた町政トップの能力・資格
今月4日、岸本英雄玄海町長が九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)で休止中の2号機、3号機の運転再開について、九電側に「同意」を与えた。焦点は古川康佐賀県知事の決断に移っているが、この一連の動きで見過ごされてきたのが岸本玄海町長の人物像である。 国や九電が勝手に決めた「再稼動」への過程では、立地自治体である玄海町に判断権限を与えたが、そもそも岸本英雄という人物に、世界中の原発の行方を左右しかねない重い判断をするだけの能力や資格があるのか、検証されるべきだ。 そうした観点から、岸本町長に関する選挙違反まがいの町議への現金供与や、不動産にからむ疑惑を報じてきたが、カネにまつわるさらに醜い実態が明らかとなった。 これでも岸本玄海町長の「同意」に意味があると言うのだろうか。
「配当所得」4,915,900円の謎
岸本町長が「玄海町長の資産等の公開に関する条例」に従って町に提出した平成21年分の所得報告書には、「配当所得」として「4,915,900円」が記載されている。
一方、資産等報告書にある保有する有価証券は、「岸本組」の株式が7,520株、佐賀銀行の株が6,417株である。「岸本組」(本社:佐賀県唐津市)は、岸本町長の実弟が社長を務める地場ゼネコンである。
ところが、佐賀銀行の1株あたりの配当は5円にも満たず、岸本組はここ数期にわたって無配を続けている。「4,915,900円」もの株式配当などありえない。
「売却益」と言い出した町長 先月30日、たまたま町長室にいた岸本町長をHUNTERの記者が問いただした。
記者:あなたの平成21年分の資産報告では、岸本組の株式を7,520株、佐賀銀行の株を6,417株保有していたことになっているが、所得報告書には4,915,900円の配当所得があったと記されている。本当か?
岸本:佐銀(佐賀銀行)の配当はそんなにない。たしか、何万円かにしかならんもんね。
記者:岸本組は無配だったはずだが?
岸本:県議時代は、ずいぶん配当をもらったですがね。
記者:500万もの配当はあり得ない。これは何のカネか?
岸本:あ、株を売ったやつかな?300くらい株を売った記憶がある。
記者:岸本組の株を売ったということか?
岸本:たしか、そうだったような・・・。会社に引き取らせたか・・・。
記者:岸本組は玄海町の公共事業を受注している。結果的にあなたの懐に公金が戻る仕組みとなり、極めて不適切ではないか。岸本:土地のことやらなにやら、調査してますから・・・。
記者:株の配当か、売却益か、はっきりすべきだ。いまハッキリしないのなら、総務課を通じてでも回答をいただきたい。岸本:そうさせましょうかね。
5日に報じた土地に関する岸本町長とのやり取りの、これが後半部分なのだが、役場をあとにした5分後、玄海町総務課から電話が入った。「町長は、株を売ったものだった、と言っておられます」。これが正式回答だという。 株の配当としていた「4,915,900円」は、実際には岸本組株の売却益だったということだ。
岸本組から現金 玄海町が定めた「玄海町長の資産等の公開に関する条例」および同施行規則では、株に関して配当所得とその他の所得についてきちんと区分しており、「譲渡所得」とすべきものと見られる。
岸本町長の所得報告の杜撰さが浮き彫りになった形だが、問題は株の配当にせよ売却益にせよ、町長が岸本組から多額のカネを受け取っている点だ。
報じてきたとおり、玄海町が発注する公共工事は、電源3法による交付金の恩恵を受け、同規模の自治体とは比べものにならない件数となる。
岸本組は玄海町発注の公共工事を数多く受注しており、その岸本組の株を利用して現金を得ることは不適切。株の売却益が岸本組からのものだったとすれば、なお性質(たち)が悪く、犯罪性が疑われる事態と言っても過言ではない。
それでは、岸本町長は株をどこに売ったのか?答えは、岸本町長が保有する岸本組株と、岸本組本社の保有株式数の推移をみれば明らかだ。
平成20年 岸本町長保有株8,790株 ― 会社保有株8,080株
平成21年 岸本町長保有株8,120株 ― 会社保有株8,750株
平成22年 岸本町長保有株7,520株 ― 会社保有株9,350株
平成20年から21年にかけて岸本町長の持ち株は670株減っているが、会社保有株はちょうど670株増えている。同様に平成21年から22年にかけて町長の持ち株が600株減っているのに対し、会社保有株は600株増加。
この間、筆頭株主(岸本剛・岸本組社長)をはじめその他の大株主の持ち株数にまったく変化はなく、岸本町長の持ち株は、岸本組本体に引き取られていた可能性が高い。 公共工事発注権者の岸本町長が、受注業者に株を引き取らせて現金を得るという構図だ。
岸本町長の所得報告書に記された株に関する所得金額は4,915,900円。佐賀銀行株の配当金は3万円にも満たないと見られ、岸本組から町長に渡ったカネは490万円あまりということになる。
先月30日に公開された岸本町長の平成22年の資産公開資料では、保有する岸本組株が300株減って7,220株となっており、前年同様「配当所得」として3,448,500円の記載があった。これも株の売却益であり、2年間での株売却益は800万円を超える。
なお、町長サイドは、所得報告書の訂正はしないことを総務課を通じて明らかにしており、完全に開き直った形だ。
町発注工事、岸本組が15%受注 同町は、入札関係書類を公表から1年で廃棄することを可能とする内規を定めているうえ、町民以外の情報開示請求を受け付けておらず、公共事業の実態解明は容易ではなかったが、平成21年度から先月までに「岸本組」が受注した同町発注工事に関するデータをまとめた。
(注:受注金額の数字は税抜き)
【平成21年度】町発注工事128件→岸本組受注件数19件(計5億6,576万円)
【平成22年度】町発注工事 99件→岸本組受注件数15件(計5億5,493万7,239円)
【平成23年度】町発注工事 17件→岸本組受注件数3件(計6,055万円)
玄海町発注公共工事の15%を、岸本町長のファミリー企業である「岸本組」が受注しているという異常な状況だ。
原発マネー還流のカラクリ
これまで報じてきた内容と、カネの流れを合わせて見ると、原発交付金 → 玄海町 → 岸本組 → 岸本町長 → 玄海町議といった原発利権の図式が出来上がる。 公共事業を独占し、原発交付金を主とした公金を還流させ自身の所得を増やし、町長選挙ごとに自派の議員に現金を配って手なずけているということだ。 岸本町長一族による玄海町支配のこれが実態なのだ。
市民オンブズマン福岡・児嶋代表幹事「世界の恥だ」 こうした玄海町の実態について、市民オンブズマン福岡の児嶋研二代表幹事は次のようにコメントしている。「玄海原発については、もはや玄海町だけの問題ではなくなっている。再稼動の行方は世界が注目しており、いわば『世界的な問題』だ。
そうしたなか、玄海町は政治倫理条例も作らず、情報公開も町民だけにしか許そうとせず、事実上門戸を閉ざした状態。説明責任を果すどころか、いかに情報を隠すかに懸命になっているとしか言いようがない。これは『世界の恥』だ」。
玄海原発の行方は、日本だけでなく、世界の原子力行政に影響を与えることが予想される。 疑惑まみれの玄海町長に、原発の是非を判断する資格はないのだ。
目標貫徹シリーズ(13)~詐欺をしても原発を防衛する九電(1)
コダマの核心
2011年7月 7日 11:24
<根底から組直し=首都遷都から>
東日本大震災は、日本国家危機の走りである。今回の災害復旧に対する日本政府の指導力のなさが各方面から非難・批判を受けている。別に菅首相をかばう筋合いはないが、民主党の誰に顔がチェンジされても一緒。ましてや自民党に政権が戻ったとしても最悪の事態になる。一番の極悪人は高級官僚たちだ。こいつらは日本国家を食い物にしている。国家が転覆されても「高級官僚=ハイエナたかり集団」は我だけが存続するための画策をする。さらにマスコミが、こいつらを糾弾するキャンペーンを打つ能力を失っているから始末が悪い。
決して不安を増長させるつもりはない。ただ事実だけを述べる。東日本大震災は、日本列島崩壊の第一章である。次は必ず東京首都圏の直下型地震が起きる。このときが日本国家存亡の事態になるであろう。被災者の数、被害総額の額がまるで違う。あまりにも便利優先の東京に膨大な権力を集中させてしまった。過密マンモス都市になってしまった東京に自然の制裁が下るのは時間の問題であろう。
この東京直下型地震が想定されるのに誰一人として『遷都プロジェクト』を叫ぼうとしない。「天皇と皇太子の東京・京都での分離」というリスク対策も講じられていないのには呆れる。「よくぞまー、日本民族は呑気なものだ」とあきらめの心境になってしまう。日本国家の根本的な再生への道は首都の震災以降になるであろう。だからこそ首都遷都を急ぐ必要が求められているのだ。要は過去から解放された発想で物事に対処しなければ一歩も前進できない。既成の枠内でしか行動できない役人たちに頼っていたら日本沈没は間違いない。
<脱・原発からスタートすればビジネスチャンスは宝の山>
「過去の縛りから脱却」でしか生き残れない局面であることは認識しているはずなのに『ダニ集団・高級官僚たち』と電力会社、そして、そのお抱えの学者・政治家たちは国家を滅亡させる「原発」の延命に躍起になっている。非常事態になれば天文学的保証金額が必要になることは立証されたではないか。何が『低コスト・エネルギー=原発』か! 結果的には太陽光発電などの自然エネルギーよりも高くなってしまうではないか!!
ソフトバンク社の孫正義氏の偉さは過去の頸木(くびき)から決別してビジネスを構築することだ。「原発に頼った生活、産業生産スタイルを断ち切ろう!!いまや再生可能な自然エネルギーを創出して新しい文明、産業、ライフスタイルを樹立していこう」とアジテーションを叫ぶ。孫氏のすごさは20年、30年後でなく4、5年という短期間でニュービジネスを創出することである。
孫氏の呼びかけを真剣に受けとめてみると未来が拓けてくる。「俺ならばこういう分野で勝負してみよう」という確信が湧いてくるはずだ。激変時代だからこそビックビジネスの果実を得る可能性が高まってくる。「東日本大震災の未曽有の危機こそニュービジネスを着手する絶好の機会」と察知して、10万人の若い世代が事業を起こす行動に踏み切るならば日本の再生は可能である。
<詐欺師集団=九電が騙くらかしても原発を守る>
「根底から世のなかが変わる、仕組みを創り直す」となれば旧体制側はあらゆる姑息な手段を使っても既得権益を防衛する。その一端が九電の『やらせメール事件』である。こうなると「原発も必要かな。自然再生エネルギーとの両立が無難だろう」という「過渡期原発必要」穏健派の方々も不信感を抱かせ、一挙に「反・原発派」に追い込んでしまった。「詐欺師集団=九電」さん、ありがとう!! 自ら墓穴を掘るなんて!
目標貫徹シリーズ(14)~詐欺をしても原発を防衛する九電(2)
コダマの核心
2011年7月 7日 16:33
「菅首相!!原発解散で九電力体制を打破したら?」
<玄海町支配の構図は全国共通>
「原発粉砕」の括りで特別キャンペーンを『NET-IBチャンネル』で打つ。6日掲載の2本の記事を読んで怒りを感じない市民はいないのではないか!!(1)「原子力マネーの甘い汁を吸って資産を増やした(株)岸本組」と(2)「HUNTER 玄海町長に強烈な一撃~原発マネーまみれの構図を詳報」をよーく読んでいただきたい。30年前の話ではない、現在の話だ。岸本兄弟、かたや玄海町長、こなた土建屋の社長として地域を支配してきた。九電はこの二人を利用して原子力発電の秩序を保ってきた。玄海町民には「いい加減、ねとぼけるな!!しっかりしろ」と喝破したい。
しかし、これは玄海町だけのことではない。全国津々浦々同一だ。そしてこの支配構造の根っこは国家中枢にある。東電を頭にした九電力と経済産業省の両巨頭を頂点として「原発利権」に群がる政治家・学者・評論家・マスコミ・地域ボスたちが甘い汁を吸ってきた。だからこそ『原発エネルギー終焉』の流れが大河になれば死活問題になる。あるゆる手段を使って、いや手段を選ばずに自己防衛に走ってくる。
今回はたまたま九電が、ひとり相撲で扱(こ)けてくれたことで助かった。九電・真部社長自身が「やらせメール」を指示したとか、しなかったという問題ではない。労使・関係取引者とも運命共同体の堅固な意志で統一されている。「原発スットプされたならば、われわれの生活はなくなる」という不安に駆られているからこそ、今後の妨害工作は巧妙かつ悪辣になることが予想される。ここまで書いていたら「眞部社長が辞意を固める」(いずれは辞めるが最終決定は松尾会長に)というニュースが流れてきた。
<頼りになるのは菅首相のみ>
詐欺師・九電グループが、国家中枢と絡んでいることは再三、述べてきた。この反動勢力の動きを封殺して「自然再生エネルギー活用で21世紀の社会システムの創り換え」の流れを固めるには菅首相の信念パワーにすがるしかない。菅首相が青年時代に市民運動に加わっていたのは承知のことだ。政治家としては風見鶏の立ち回りをしてきた。だが市民運動に参画してきた人たちの99%は「原発反対」である。「浜岡原発稼働ストップ」の決定を『だしぬけに』という批判もあるが、この決定こそが菅氏の本音なのである。「もう少し首相の思想と行動パターンを分析して批判しろ」と助言する。
首相官邸内でも路線論争、権力闘争が激烈だ。海江田万里 経産相は『詐欺師集団・九電』の意向を踏まえて手堅く原発稼働の路線の手立てを講じてきた。鼻っ柱が強い菅首相が『原発利権集団』に飼い殺しされた海江田氏の動きを黙って見守るはずはない。ここにきて菅首相は動いた。全国の原発に対して新たな安全性評価(ストレステスト)をすることを発表した。原発の再開は順調にいっても年末になる。「菅首相の本性が見えた」ということだ。「原発論争は譲れない」という強い意志表明である。戦いの頂点にあった6日、『詐欺師集団・九電』の若い将校たちは「やらせメール事件」で自爆したのである。
(つづく)
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目標貫徹シリーズ(15)~詐欺をしても原発を防衛する九電(3)
コダマの核心
2011年7月 8日 09:55
「菅首相!!原発解散で九電力体制を打破したら?」
<何が低コストの原発か>
福島原発の被害補償、後始末には最低10兆円を超える金がいる。わかりきったことだ。東電1社で賄えるはずもない。九電力が復興・補償債を共同で引き受けることになったが、最終的には莫大な税金投入が予想される。こうなると国有化されたのに等しい。それでも『詐欺師集団・九電』(原発利権に食いつく集団)は、国家が壊れても必死で生きながらえよとうしている。この費用を含めれば原発コストは膨大になる。
また、原発電力の新規計画はまずは無理。既存の原発は新しくて20年、福島に至っては40年を経過している。1年1年、老朽化していく。そのメンテナンス費用、使用済み核燃料の処理、そして老朽化に伴って発生する事故と想定できるトラブルを含めれば天文学的コストがかさんでくる。福島原発の事故を起点にして1から出直しの総点検、電力エネルギー創出の再構築が必要になってきている。誰がみても原発コストは高いしリスクが多い。
菅さん!!いまや死に体政権だ。貴方が望む「ノン原発社会のあり方」を問い直して解散総選挙に踏み切ったらいかがかな!!もともと原発偏重の電力政策の舵取りを行なってきたのは自民党政権であったのだ。一番の責任を取る立場にあるのは自民党だ。「緊急事態における指導能力の無能さ」を批判されるのはやむをえないだろう。だが、自民党政権の長きに渡る原発政策の責任が不問にされ、一方的に追及されるのは理不尽だ。ここは一挙に菅さんの思うままに「原発賛成か、自然再生エネルギーか」を掲げて国民の審判を仰いだらどうか。貴方の胆力にすべてがかかっている。小泉さんにできて貴方にできないことはない。
<誰もが被災者のことを考えていない>
「大震災の復興で解散どころではないだろうが」という反対の声をあげる輩がいる。この連中が果たして真剣に被災者のことを考えたことがあるのか。国会においてはようやく復興策に着手する法案、予算がつき復興組織本部も発足された。しかし、ここに至る過程では党利党略優先、民主党派閥抗争など、目に余ることばかりであった。「被災者への速やかな支援」を錦の御旗にするものの真剣に活動する政治家は皆無。御旗を人質にして権力闘争に明け暮れてきた。首相に誰が就こうが事態は停滞するばかりであることは明白だ。権力の空白期間中には『詐欺師集団・九電』はゴキブリ同様の姑息な画策を練ることを許してしまう。だからいっそのこと、国民に信を問うべきである。
「選挙どころではない」という指摘は一面では当たっている。被災地の岩手県、宮城県、福島県でどうしても選挙できない一部のところでは超法規的に選挙中止という処置も重要であろう。「原発賛成か、自然再生エネルギーか」の論点については、次回、解説するとして、「無能呼ばわり」の菅さんよ!!最後は潔い戦いに挑んだらどうだ。『詐欺師集団・九電』たぐいの組織をのさばらすか、潰すかの選択を国民に委ねれば良いではないか!!
≪ (2) | (4) ≫
目標貫徹シリーズ(16)~詐欺しても原発を防衛する九電(4)
コダマの核心
2011年7月 9日 10:11
恥ずかしい『無知』
<菅首相では勝負できず>
菅氏に対しては昨日までは「愚図でもよい、場当たり的でも良い、何でも批判しなさい、結構な指摘です。開き流しなさい」と助言してきたが、「貴方は無能だ、胆力がない、政治センスがまるでゼロ、だから即刻、辞めなさい」と勧告することにした。 玄海原発の再開を巡る戦いは『原発利権派』と『自然再生エネルギー派』との関ヶ原の戦いと位置づけられていた。玄海町には「再開の要請」の根回しが済み、古川佐賀県知事が攻略され「再開OK」の意志表明をする。『詐欺師集団』の司令塔・経済産業省の巧みな布石は功を奏すると見られていた。菅氏はその権力闘争の敗北感を味わい、焦燥感に駆られていた。
だから敗北の流れを食い止めようと6日に菅首相は「ストレステスト(安全性評価)を導入する」と発表した。得意の『出しぬき場当たり』作戦だ。普通ならば玉砕戦術になる。ところが幸か不幸か焦る必要もない『詐欺師集団・九電』が「ニセメール」という自爆テロに踏みきったことで形勢逆転の流れができた。元小泉首相ならここで大博打を挑んでいた。解散という強権を振るっていた。だが、しかし残念ながら菅氏にはその「勝負時期」に決断を下す政治センスがない、決断力がない。きのう(8日)の政局を眺めると「立ち往生し、腐って終り」の菅政権の成れの果てが確定したようだ。
<プロは誰でも3月11日の夜に、メルトダウンを確信>
8日の昼、新日本製鉄のOBを取材した。研究所在籍した技術者である。「マスコミの端くれのコダマさんを目の前にして嫌味をいうのも恐縮だが、今の記者たちはまったく無知だね。騙くらかすのはわけがないね」と吹聴するのだ。こちらとしても思い当たる節があるので反論できない。この猛々しい姿勢はまだ崩さないのだ。「私だけでない。同僚の仲間たちも同様の見解に至った。『3月11日の夜にはもうメトルダウンが起きていたな』とメールで確認し合ったのだ」。こちらとしては「えー」と大声を発するしか術がなかった。
研究所では長い期間をかけて「特殊鋼板で原発の底を支える限度について」を議論し研究してきたそうだ。溶鉱炉では1,400度で鉱石類はすべて溶ける。耐熱最強の特殊鋼でも1,800度で溶け、鉄の原子機能まで消滅されるそうな。あの3月11日、原発の爆発によって到達した温度が2,800度であったことは発表された。結論、この計測された温度=2,800度を耳にすれば、「OBの仲間たち、誰もが『原発の底は抜けた=メトルダウンの発生』を察知するのが常識であった」となる。あらー、赤面の思い。
熱血漢OBはさらに鉄槌を下す。「マスコミの記者の馬鹿さ加減には呆れる。東電の関係者の隠蔽報道に翻弄された『著しい損失状態』としか表現しかできないのだから。われわれ、専門家に取材を求めれば核心情報を提供できたのに」。この罵倒に対して一言も反論の余地もできない。取材対象者のボロがでたときだけ「これでもか」と叩きまわすマスコミの報道姿勢には同業者として違和感を抱く。
筆者もわが無知を恥じる。他社のことは関心がないと言えば嘘になる。A社のB記者(名前を明かしても構わないが、経済担当としておく)はどうしているのだろうか懐かしい。九電社長宅の貴賓室で接待を受けたから提灯記事を書いたわけでもなかろうが、「玄海原発安全」報道記事は、もはや10年前のものであるかのように長い時間が経過した気分だ。それだけ連日、『詐欺師集団・九電』の原発再開画策ドラマが展開されているのである。
目標貫徹シリーズ(17)~詐欺しても原発を防衛する九電(5)―「詐欺師集団」の全貌
コダマの核心
2011年7月 9日 11:51
<わが生活防衛には手段を選ばず>
「やらせメール事件」は事の本質を赤裸々にしてくれた。まずこの偽装賛成メール工作は、九電組織ぐるみであることが見えてきた。前副社長(原発事業担当)が司令塔であったようだ。「玄海原発の再開が1日でも遅れると火力発電の費用が毎日飛んでいく。これは大事だ2012年3月期は赤字になる」と、世論操作の禁じ手を行なった。一般人は「市民を愚弄して」と怒るが、もともと九電には「市民を尊敬する」という気持ちがまったくない。
九電組織は組織ぐるみで世論誘導に奔走した。2,000本におよぶメールで指示伝達がなされた。考えてみたらお粗末な限りだ。九電部長クラスのやり取りならば公になるはずがない。九電関連会社の若い社員にまでメールが届けば告発者がでることも予測できなかったものか?(次号で触れる)(1)九電組織は上から下まで滅私奉公。生活のためには結束をして手段を選ばない組織。市民に対しては軽蔑の念で固まっている。ただし若手世代にはそういう風土を嫌がる存在もいることが判明したのはせめての救いだ。「やらせメール」自爆テロ!! ありがとう。本質が赤裸々になったから市民も考え直すだろう。
原発の地元には国家の予算と九電の地元飼い馴らし対策資金をばらまく。玄海町を支配してきたのは岸本町長と岸本組社長の兄弟である。この二人の兄弟に対して九電は「至せり尽くせり」接待を繰り返してきた。30年前以上の昔であれば、全国各地に一族が地域社会を牛耳っていたところがあったかもしれない。ところが現在、玄海町のように二人の兄弟で町を制圧しているところがあろうか!!
岸本町長は大見えを切る。「原発がストップになれば玄海町は佐賀県一の貧困地域に転落する」。一見、傍若無人に見られる岸本町長の立ち振る舞いに町民たちは大賛同の姿勢を示す。「そうだ!!われわれ町民は原発様のお陰で飯が食えているのだ」。(2)町民たちの行動原理には「隣の唐津市、伊万里市がどうなろうと知ったことか」という特異性がある。現代世界において宗教戦争、民族戦争、エネルギー収奪戦争と数多くある。この日本国内において玄海町民のエゴで「安全を巡る戦争」が勃発する可能性があるとは信じられない。
<佐賀支店長の最大の役割は知事対策>
玄海町を懐柔できたとしてもやはり知事の権力は絶大だ。九電佐賀支店長の最大の役割は佐賀県知事を「原発推進派」に押しこめることである。今朝(9日)のある朝刊に「古川佐賀県知事に九電佐賀支店長が献金」と報じられていた。過去の支店長たちは「個人的に支援した」というコメントをなしていたが、どなたも信用しない。(3)九電という組織が原発推進のためにはあらゆる策動をなして県知事をたぶらかすことも白日に照らされた。佐賀支店長も知事対策に実績を残さないとその後の出世の道が閉じられる。それはもう必死だ。
余談だが、「やらせメール事件」の発覚がなければ、8日前後に古川知事は「玄海原発の再開はやむをえないかな」と公的見解を述べる予定であった。そこから玄海原発再開の流れが決まっていたものを!!(4)そして最大のあと押し勢力は経済産業省と国会議員たちである。経済産業省からの天下り、引き受け先の役目もこなしている。各方面と対策を打ち、腐れ縁・癒着関係が明白になった。「やらせメール事件」が一挙に根元的な変革を求める効果を担ったとは皮肉。今は、「経済産業省の顔をつぶしたことでどう九電側が修復するか」を興味本位でみている。
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目標貫徹シリーズ(18)~詐欺しても原発を防衛する九電(6)
コダマの核心
2011年7月11日 09:35
<九電若手社員も詐欺師集団と運命共同体ではない>
もう一度、繰り返すが、「やらせメール」は危機感に駆られて画策したものではない。原発担当前副社長が当然の如く指示をしたのである。住民を愚弄するのは「詐欺師集団・九電」の発想である。いつものように6月26日の「原発再開を巡る公開討論会」(主催・経済産業省・実質的にお国の主催)に原発賛成偽装の策を講じたに過ぎない。悪そびれた気持の欠片をひとつも持ち合わせていないのである。ところが、便宜なツール=ネットに頼っていたことで落とし穴に嵌(ハマ)った。内部告発をされたのである。
便宜なツールには致命的な問題が孕まれている。2,000件からのメール指示をすれば悪意工作に怒りを感ずる若者が現れてくる。責任司令塔の極悪人=前副社長の信念は下記の通りである。「九電および九電関連会社の社員は会社防衛のために忠誠心を尽くす」と。時代錯誤も甚だしい。「市民正義に反する企業活動は許さない」という価値基準が若者の思考のなかに浸透していることにまったく頓着がないのである。わが詐欺師集団の倫理が「優先=すべてである」から脇が甘くなるのも当然だ。
この前副社長は憮然としてこう吐き捨てるかもしれない。「あいつ(告発した青年)は関連会社の社員だ。九電の社員はこんな犯罪行為はしない」。そうでしょうかね。 中堅にさしかかっている40歳の九電正社員と話し合った。「コダマさん!!われわれ世代から下の社員たちは何を目標して働くか悩んでいるところです。要するに上を向いて事を穏便に済ましていけば世間並みを超えた保証はされるでしょう。しかし、絶対服従して得る対価が魅力あるものとは思えません。上層部がやるこんな法破りの破廉恥なことをわれわれが賛成するはずがありませんよ。ますます白けますね。何より小学校に行っている子ども二人が可哀そうです」。感情を押さえているが腸が煮えたぎっているのは間違いない。
<原発反対運動者にとっては便利なツール>
九電本店前で原発反対の座り込みをしているAさんは元気が良い。10年前まで、本店前で座り込み、街頭デモで歩いても孤独感に苛まされることが度々であったそうだ。「市民の安全のために体を張って運動してきたのに真剣に考えてくれない。一体、運動の拡大が可能であろうか」と自問自答をよくしたものだ。たしかに支援の輪は徐々に広がりがあるが、顔馴染みのサークル活動のレベルでしかなかった。訴える強力な武器がなかったのだ。
ところが今は比較にならない強力な宣伝ツールを武装できるようになった。それは「ネットメール」である。いろいろな集会、勉強会で知り合う人たちと名刺を交換してメールアドレスを得る。その積み重ねで2,000人へメルマガを送り届けられるようになった。定期的にメルマガを送ると様々な御意見が返ってくる。集会の呼び掛けも便利になったという。「2,000人にメルマガで呼びかければ最低1万人に伝わる」ことは間違いない。
いまや「ネットメール」には、「携帯メール」も付加されている。九電本社前に座り込みでいるAさんは愉快でたまらないだろう。この4カ日間の正門前での九電関係者の狼狽ぶりを目の当たりにして「これが、あの巨大企業・九電か。なんと脆いものよ。蜂のひと刺しならぬ自爆で墓穴を掘るのだから」と内心、高笑いをしているだろう。
社会
2011年7月 7日 13:20
玄海原発再稼動で時の人となった佐賀県玄海町の岸本英雄町長の疑惑を追っていた福岡市の調査報道サイト「HUNTER」が、玄海町の利権構造を解き明かす記事を報じた。 関係方面では早くも話題となっており、玄海町に原発再稼動の判断を任せた国や九電への批判が強まりそうだ。
「やらせメール」事件で揺れる九電や、周辺自治体を無視して再稼動を容認した岸本町長にとっては、とどめの一撃となるかもしれない。
玄海町・原発マネー還流のカラクリファミリー企業ゼネコンから現金
~町長一族支配の実態~
玄海原発の再稼動をめぐり、全国の注目を集めてきた岸本英雄玄海町長が、同町発注の公共事業の多くを受注する町長のファミリー企業「岸本組」を利用して、公金を還流させ自身の所得を増やしている実態が明らかとなった。 識者からは「世界の恥」とする厳しい批判の声が上がっている。
見過ごされた町政トップの能力・資格
今月4日、岸本英雄玄海町長が九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)で休止中の2号機、3号機の運転再開について、九電側に「同意」を与えた。焦点は古川康佐賀県知事の決断に移っているが、この一連の動きで見過ごされてきたのが岸本玄海町長の人物像である。 国や九電が勝手に決めた「再稼動」への過程では、立地自治体である玄海町に判断権限を与えたが、そもそも岸本英雄という人物に、世界中の原発の行方を左右しかねない重い判断をするだけの能力や資格があるのか、検証されるべきだ。 そうした観点から、岸本町長に関する選挙違反まがいの町議への現金供与や、不動産にからむ疑惑を報じてきたが、カネにまつわるさらに醜い実態が明らかとなった。 これでも岸本玄海町長の「同意」に意味があると言うのだろうか。
「配当所得」4,915,900円の謎
岸本町長が「玄海町長の資産等の公開に関する条例」に従って町に提出した平成21年分の所得報告書には、「配当所得」として「4,915,900円」が記載されている。
一方、資産等報告書にある保有する有価証券は、「岸本組」の株式が7,520株、佐賀銀行の株が6,417株である。「岸本組」(本社:佐賀県唐津市)は、岸本町長の実弟が社長を務める地場ゼネコンである。
ところが、佐賀銀行の1株あたりの配当は5円にも満たず、岸本組はここ数期にわたって無配を続けている。「4,915,900円」もの株式配当などありえない。
「売却益」と言い出した町長 先月30日、たまたま町長室にいた岸本町長をHUNTERの記者が問いただした。
記者:あなたの平成21年分の資産報告では、岸本組の株式を7,520株、佐賀銀行の株を6,417株保有していたことになっているが、所得報告書には4,915,900円の配当所得があったと記されている。本当か?
岸本:佐銀(佐賀銀行)の配当はそんなにない。たしか、何万円かにしかならんもんね。
記者:岸本組は無配だったはずだが?
岸本:県議時代は、ずいぶん配当をもらったですがね。
記者:500万もの配当はあり得ない。これは何のカネか?
岸本:あ、株を売ったやつかな?300くらい株を売った記憶がある。
記者:岸本組の株を売ったということか?
岸本:たしか、そうだったような・・・。会社に引き取らせたか・・・。
記者:岸本組は玄海町の公共事業を受注している。結果的にあなたの懐に公金が戻る仕組みとなり、極めて不適切ではないか。岸本:土地のことやらなにやら、調査してますから・・・。
記者:株の配当か、売却益か、はっきりすべきだ。いまハッキリしないのなら、総務課を通じてでも回答をいただきたい。岸本:そうさせましょうかね。
5日に報じた土地に関する岸本町長とのやり取りの、これが後半部分なのだが、役場をあとにした5分後、玄海町総務課から電話が入った。「町長は、株を売ったものだった、と言っておられます」。これが正式回答だという。 株の配当としていた「4,915,900円」は、実際には岸本組株の売却益だったということだ。
岸本組から現金 玄海町が定めた「玄海町長の資産等の公開に関する条例」および同施行規則では、株に関して配当所得とその他の所得についてきちんと区分しており、「譲渡所得」とすべきものと見られる。
岸本町長の所得報告の杜撰さが浮き彫りになった形だが、問題は株の配当にせよ売却益にせよ、町長が岸本組から多額のカネを受け取っている点だ。
報じてきたとおり、玄海町が発注する公共工事は、電源3法による交付金の恩恵を受け、同規模の自治体とは比べものにならない件数となる。
岸本組は玄海町発注の公共工事を数多く受注しており、その岸本組の株を利用して現金を得ることは不適切。株の売却益が岸本組からのものだったとすれば、なお性質(たち)が悪く、犯罪性が疑われる事態と言っても過言ではない。
それでは、岸本町長は株をどこに売ったのか?答えは、岸本町長が保有する岸本組株と、岸本組本社の保有株式数の推移をみれば明らかだ。
平成20年 岸本町長保有株8,790株 ― 会社保有株8,080株
平成21年 岸本町長保有株8,120株 ― 会社保有株8,750株
平成22年 岸本町長保有株7,520株 ― 会社保有株9,350株
平成20年から21年にかけて岸本町長の持ち株は670株減っているが、会社保有株はちょうど670株増えている。同様に平成21年から22年にかけて町長の持ち株が600株減っているのに対し、会社保有株は600株増加。
この間、筆頭株主(岸本剛・岸本組社長)をはじめその他の大株主の持ち株数にまったく変化はなく、岸本町長の持ち株は、岸本組本体に引き取られていた可能性が高い。 公共工事発注権者の岸本町長が、受注業者に株を引き取らせて現金を得るという構図だ。
岸本町長の所得報告書に記された株に関する所得金額は4,915,900円。佐賀銀行株の配当金は3万円にも満たないと見られ、岸本組から町長に渡ったカネは490万円あまりということになる。
先月30日に公開された岸本町長の平成22年の資産公開資料では、保有する岸本組株が300株減って7,220株となっており、前年同様「配当所得」として3,448,500円の記載があった。これも株の売却益であり、2年間での株売却益は800万円を超える。
なお、町長サイドは、所得報告書の訂正はしないことを総務課を通じて明らかにしており、完全に開き直った形だ。
町発注工事、岸本組が15%受注 同町は、入札関係書類を公表から1年で廃棄することを可能とする内規を定めているうえ、町民以外の情報開示請求を受け付けておらず、公共事業の実態解明は容易ではなかったが、平成21年度から先月までに「岸本組」が受注した同町発注工事に関するデータをまとめた。
(注:受注金額の数字は税抜き)
【平成21年度】町発注工事128件→岸本組受注件数19件(計5億6,576万円)
【平成22年度】町発注工事 99件→岸本組受注件数15件(計5億5,493万7,239円)
【平成23年度】町発注工事 17件→岸本組受注件数3件(計6,055万円)
玄海町発注公共工事の15%を、岸本町長のファミリー企業である「岸本組」が受注しているという異常な状況だ。
原発マネー還流のカラクリ
これまで報じてきた内容と、カネの流れを合わせて見ると、原発交付金 → 玄海町 → 岸本組 → 岸本町長 → 玄海町議といった原発利権の図式が出来上がる。 公共事業を独占し、原発交付金を主とした公金を還流させ自身の所得を増やし、町長選挙ごとに自派の議員に現金を配って手なずけているということだ。 岸本町長一族による玄海町支配のこれが実態なのだ。
市民オンブズマン福岡・児嶋代表幹事「世界の恥だ」 こうした玄海町の実態について、市民オンブズマン福岡の児嶋研二代表幹事は次のようにコメントしている。「玄海原発については、もはや玄海町だけの問題ではなくなっている。再稼動の行方は世界が注目しており、いわば『世界的な問題』だ。
そうしたなか、玄海町は政治倫理条例も作らず、情報公開も町民だけにしか許そうとせず、事実上門戸を閉ざした状態。説明責任を果すどころか、いかに情報を隠すかに懸命になっているとしか言いようがない。これは『世界の恥』だ」。
玄海原発の行方は、日本だけでなく、世界の原子力行政に影響を与えることが予想される。 疑惑まみれの玄海町長に、原発の是非を判断する資格はないのだ。
目標貫徹シリーズ(13)~詐欺をしても原発を防衛する九電(1)
コダマの核心
2011年7月 7日 11:24
<根底から組直し=首都遷都から>
東日本大震災は、日本国家危機の走りである。今回の災害復旧に対する日本政府の指導力のなさが各方面から非難・批判を受けている。別に菅首相をかばう筋合いはないが、民主党の誰に顔がチェンジされても一緒。ましてや自民党に政権が戻ったとしても最悪の事態になる。一番の極悪人は高級官僚たちだ。こいつらは日本国家を食い物にしている。国家が転覆されても「高級官僚=ハイエナたかり集団」は我だけが存続するための画策をする。さらにマスコミが、こいつらを糾弾するキャンペーンを打つ能力を失っているから始末が悪い。
決して不安を増長させるつもりはない。ただ事実だけを述べる。東日本大震災は、日本列島崩壊の第一章である。次は必ず東京首都圏の直下型地震が起きる。このときが日本国家存亡の事態になるであろう。被災者の数、被害総額の額がまるで違う。あまりにも便利優先の東京に膨大な権力を集中させてしまった。過密マンモス都市になってしまった東京に自然の制裁が下るのは時間の問題であろう。
この東京直下型地震が想定されるのに誰一人として『遷都プロジェクト』を叫ぼうとしない。「天皇と皇太子の東京・京都での分離」というリスク対策も講じられていないのには呆れる。「よくぞまー、日本民族は呑気なものだ」とあきらめの心境になってしまう。日本国家の根本的な再生への道は首都の震災以降になるであろう。だからこそ首都遷都を急ぐ必要が求められているのだ。要は過去から解放された発想で物事に対処しなければ一歩も前進できない。既成の枠内でしか行動できない役人たちに頼っていたら日本沈没は間違いない。
<脱・原発からスタートすればビジネスチャンスは宝の山>
「過去の縛りから脱却」でしか生き残れない局面であることは認識しているはずなのに『ダニ集団・高級官僚たち』と電力会社、そして、そのお抱えの学者・政治家たちは国家を滅亡させる「原発」の延命に躍起になっている。非常事態になれば天文学的保証金額が必要になることは立証されたではないか。何が『低コスト・エネルギー=原発』か! 結果的には太陽光発電などの自然エネルギーよりも高くなってしまうではないか!!
ソフトバンク社の孫正義氏の偉さは過去の頸木(くびき)から決別してビジネスを構築することだ。「原発に頼った生活、産業生産スタイルを断ち切ろう!!いまや再生可能な自然エネルギーを創出して新しい文明、産業、ライフスタイルを樹立していこう」とアジテーションを叫ぶ。孫氏のすごさは20年、30年後でなく4、5年という短期間でニュービジネスを創出することである。
孫氏の呼びかけを真剣に受けとめてみると未来が拓けてくる。「俺ならばこういう分野で勝負してみよう」という確信が湧いてくるはずだ。激変時代だからこそビックビジネスの果実を得る可能性が高まってくる。「東日本大震災の未曽有の危機こそニュービジネスを着手する絶好の機会」と察知して、10万人の若い世代が事業を起こす行動に踏み切るならば日本の再生は可能である。
<詐欺師集団=九電が騙くらかしても原発を守る>
「根底から世のなかが変わる、仕組みを創り直す」となれば旧体制側はあらゆる姑息な手段を使っても既得権益を防衛する。その一端が九電の『やらせメール事件』である。こうなると「原発も必要かな。自然再生エネルギーとの両立が無難だろう」という「過渡期原発必要」穏健派の方々も不信感を抱かせ、一挙に「反・原発派」に追い込んでしまった。「詐欺師集団=九電」さん、ありがとう!! 自ら墓穴を掘るなんて!
目標貫徹シリーズ(14)~詐欺をしても原発を防衛する九電(2)
コダマの核心
2011年7月 7日 16:33
「菅首相!!原発解散で九電力体制を打破したら?」
<玄海町支配の構図は全国共通>
「原発粉砕」の括りで特別キャンペーンを『NET-IBチャンネル』で打つ。6日掲載の2本の記事を読んで怒りを感じない市民はいないのではないか!!(1)「原子力マネーの甘い汁を吸って資産を増やした(株)岸本組」と(2)「HUNTER 玄海町長に強烈な一撃~原発マネーまみれの構図を詳報」をよーく読んでいただきたい。30年前の話ではない、現在の話だ。岸本兄弟、かたや玄海町長、こなた土建屋の社長として地域を支配してきた。九電はこの二人を利用して原子力発電の秩序を保ってきた。玄海町民には「いい加減、ねとぼけるな!!しっかりしろ」と喝破したい。
しかし、これは玄海町だけのことではない。全国津々浦々同一だ。そしてこの支配構造の根っこは国家中枢にある。東電を頭にした九電力と経済産業省の両巨頭を頂点として「原発利権」に群がる政治家・学者・評論家・マスコミ・地域ボスたちが甘い汁を吸ってきた。だからこそ『原発エネルギー終焉』の流れが大河になれば死活問題になる。あるゆる手段を使って、いや手段を選ばずに自己防衛に走ってくる。
今回はたまたま九電が、ひとり相撲で扱(こ)けてくれたことで助かった。九電・真部社長自身が「やらせメール」を指示したとか、しなかったという問題ではない。労使・関係取引者とも運命共同体の堅固な意志で統一されている。「原発スットプされたならば、われわれの生活はなくなる」という不安に駆られているからこそ、今後の妨害工作は巧妙かつ悪辣になることが予想される。ここまで書いていたら「眞部社長が辞意を固める」(いずれは辞めるが最終決定は松尾会長に)というニュースが流れてきた。
<頼りになるのは菅首相のみ>
詐欺師・九電グループが、国家中枢と絡んでいることは再三、述べてきた。この反動勢力の動きを封殺して「自然再生エネルギー活用で21世紀の社会システムの創り換え」の流れを固めるには菅首相の信念パワーにすがるしかない。菅首相が青年時代に市民運動に加わっていたのは承知のことだ。政治家としては風見鶏の立ち回りをしてきた。だが市民運動に参画してきた人たちの99%は「原発反対」である。「浜岡原発稼働ストップ」の決定を『だしぬけに』という批判もあるが、この決定こそが菅氏の本音なのである。「もう少し首相の思想と行動パターンを分析して批判しろ」と助言する。
首相官邸内でも路線論争、権力闘争が激烈だ。海江田万里 経産相は『詐欺師集団・九電』の意向を踏まえて手堅く原発稼働の路線の手立てを講じてきた。鼻っ柱が強い菅首相が『原発利権集団』に飼い殺しされた海江田氏の動きを黙って見守るはずはない。ここにきて菅首相は動いた。全国の原発に対して新たな安全性評価(ストレステスト)をすることを発表した。原発の再開は順調にいっても年末になる。「菅首相の本性が見えた」ということだ。「原発論争は譲れない」という強い意志表明である。戦いの頂点にあった6日、『詐欺師集団・九電』の若い将校たちは「やらせメール事件」で自爆したのである。
(つづく)
≪ (1) | (3) ≫
目標貫徹シリーズ(15)~詐欺をしても原発を防衛する九電(3)
コダマの核心
2011年7月 8日 09:55
「菅首相!!原発解散で九電力体制を打破したら?」
<何が低コストの原発か>
福島原発の被害補償、後始末には最低10兆円を超える金がいる。わかりきったことだ。東電1社で賄えるはずもない。九電力が復興・補償債を共同で引き受けることになったが、最終的には莫大な税金投入が予想される。こうなると国有化されたのに等しい。それでも『詐欺師集団・九電』(原発利権に食いつく集団)は、国家が壊れても必死で生きながらえよとうしている。この費用を含めれば原発コストは膨大になる。
また、原発電力の新規計画はまずは無理。既存の原発は新しくて20年、福島に至っては40年を経過している。1年1年、老朽化していく。そのメンテナンス費用、使用済み核燃料の処理、そして老朽化に伴って発生する事故と想定できるトラブルを含めれば天文学的コストがかさんでくる。福島原発の事故を起点にして1から出直しの総点検、電力エネルギー創出の再構築が必要になってきている。誰がみても原発コストは高いしリスクが多い。
菅さん!!いまや死に体政権だ。貴方が望む「ノン原発社会のあり方」を問い直して解散総選挙に踏み切ったらいかがかな!!もともと原発偏重の電力政策の舵取りを行なってきたのは自民党政権であったのだ。一番の責任を取る立場にあるのは自民党だ。「緊急事態における指導能力の無能さ」を批判されるのはやむをえないだろう。だが、自民党政権の長きに渡る原発政策の責任が不問にされ、一方的に追及されるのは理不尽だ。ここは一挙に菅さんの思うままに「原発賛成か、自然再生エネルギーか」を掲げて国民の審判を仰いだらどうか。貴方の胆力にすべてがかかっている。小泉さんにできて貴方にできないことはない。
<誰もが被災者のことを考えていない>
「大震災の復興で解散どころではないだろうが」という反対の声をあげる輩がいる。この連中が果たして真剣に被災者のことを考えたことがあるのか。国会においてはようやく復興策に着手する法案、予算がつき復興組織本部も発足された。しかし、ここに至る過程では党利党略優先、民主党派閥抗争など、目に余ることばかりであった。「被災者への速やかな支援」を錦の御旗にするものの真剣に活動する政治家は皆無。御旗を人質にして権力闘争に明け暮れてきた。首相に誰が就こうが事態は停滞するばかりであることは明白だ。権力の空白期間中には『詐欺師集団・九電』はゴキブリ同様の姑息な画策を練ることを許してしまう。だからいっそのこと、国民に信を問うべきである。
「選挙どころではない」という指摘は一面では当たっている。被災地の岩手県、宮城県、福島県でどうしても選挙できない一部のところでは超法規的に選挙中止という処置も重要であろう。「原発賛成か、自然再生エネルギーか」の論点については、次回、解説するとして、「無能呼ばわり」の菅さんよ!!最後は潔い戦いに挑んだらどうだ。『詐欺師集団・九電』たぐいの組織をのさばらすか、潰すかの選択を国民に委ねれば良いではないか!!
≪ (2) | (4) ≫
目標貫徹シリーズ(16)~詐欺しても原発を防衛する九電(4)
コダマの核心
2011年7月 9日 10:11
恥ずかしい『無知』
<菅首相では勝負できず>
菅氏に対しては昨日までは「愚図でもよい、場当たり的でも良い、何でも批判しなさい、結構な指摘です。開き流しなさい」と助言してきたが、「貴方は無能だ、胆力がない、政治センスがまるでゼロ、だから即刻、辞めなさい」と勧告することにした。 玄海原発の再開を巡る戦いは『原発利権派』と『自然再生エネルギー派』との関ヶ原の戦いと位置づけられていた。玄海町には「再開の要請」の根回しが済み、古川佐賀県知事が攻略され「再開OK」の意志表明をする。『詐欺師集団』の司令塔・経済産業省の巧みな布石は功を奏すると見られていた。菅氏はその権力闘争の敗北感を味わい、焦燥感に駆られていた。
だから敗北の流れを食い止めようと6日に菅首相は「ストレステスト(安全性評価)を導入する」と発表した。得意の『出しぬき場当たり』作戦だ。普通ならば玉砕戦術になる。ところが幸か不幸か焦る必要もない『詐欺師集団・九電』が「ニセメール」という自爆テロに踏みきったことで形勢逆転の流れができた。元小泉首相ならここで大博打を挑んでいた。解散という強権を振るっていた。だが、しかし残念ながら菅氏にはその「勝負時期」に決断を下す政治センスがない、決断力がない。きのう(8日)の政局を眺めると「立ち往生し、腐って終り」の菅政権の成れの果てが確定したようだ。
<プロは誰でも3月11日の夜に、メルトダウンを確信>
8日の昼、新日本製鉄のOBを取材した。研究所在籍した技術者である。「マスコミの端くれのコダマさんを目の前にして嫌味をいうのも恐縮だが、今の記者たちはまったく無知だね。騙くらかすのはわけがないね」と吹聴するのだ。こちらとしても思い当たる節があるので反論できない。この猛々しい姿勢はまだ崩さないのだ。「私だけでない。同僚の仲間たちも同様の見解に至った。『3月11日の夜にはもうメトルダウンが起きていたな』とメールで確認し合ったのだ」。こちらとしては「えー」と大声を発するしか術がなかった。
研究所では長い期間をかけて「特殊鋼板で原発の底を支える限度について」を議論し研究してきたそうだ。溶鉱炉では1,400度で鉱石類はすべて溶ける。耐熱最強の特殊鋼でも1,800度で溶け、鉄の原子機能まで消滅されるそうな。あの3月11日、原発の爆発によって到達した温度が2,800度であったことは発表された。結論、この計測された温度=2,800度を耳にすれば、「OBの仲間たち、誰もが『原発の底は抜けた=メトルダウンの発生』を察知するのが常識であった」となる。あらー、赤面の思い。
熱血漢OBはさらに鉄槌を下す。「マスコミの記者の馬鹿さ加減には呆れる。東電の関係者の隠蔽報道に翻弄された『著しい損失状態』としか表現しかできないのだから。われわれ、専門家に取材を求めれば核心情報を提供できたのに」。この罵倒に対して一言も反論の余地もできない。取材対象者のボロがでたときだけ「これでもか」と叩きまわすマスコミの報道姿勢には同業者として違和感を抱く。
筆者もわが無知を恥じる。他社のことは関心がないと言えば嘘になる。A社のB記者(名前を明かしても構わないが、経済担当としておく)はどうしているのだろうか懐かしい。九電社長宅の貴賓室で接待を受けたから提灯記事を書いたわけでもなかろうが、「玄海原発安全」報道記事は、もはや10年前のものであるかのように長い時間が経過した気分だ。それだけ連日、『詐欺師集団・九電』の原発再開画策ドラマが展開されているのである。
目標貫徹シリーズ(17)~詐欺しても原発を防衛する九電(5)―「詐欺師集団」の全貌
コダマの核心
2011年7月 9日 11:51
<わが生活防衛には手段を選ばず>
「やらせメール事件」は事の本質を赤裸々にしてくれた。まずこの偽装賛成メール工作は、九電組織ぐるみであることが見えてきた。前副社長(原発事業担当)が司令塔であったようだ。「玄海原発の再開が1日でも遅れると火力発電の費用が毎日飛んでいく。これは大事だ2012年3月期は赤字になる」と、世論操作の禁じ手を行なった。一般人は「市民を愚弄して」と怒るが、もともと九電には「市民を尊敬する」という気持ちがまったくない。
九電組織は組織ぐるみで世論誘導に奔走した。2,000本におよぶメールで指示伝達がなされた。考えてみたらお粗末な限りだ。九電部長クラスのやり取りならば公になるはずがない。九電関連会社の若い社員にまでメールが届けば告発者がでることも予測できなかったものか?(次号で触れる)(1)九電組織は上から下まで滅私奉公。生活のためには結束をして手段を選ばない組織。市民に対しては軽蔑の念で固まっている。ただし若手世代にはそういう風土を嫌がる存在もいることが判明したのはせめての救いだ。「やらせメール」自爆テロ!! ありがとう。本質が赤裸々になったから市民も考え直すだろう。
原発の地元には国家の予算と九電の地元飼い馴らし対策資金をばらまく。玄海町を支配してきたのは岸本町長と岸本組社長の兄弟である。この二人の兄弟に対して九電は「至せり尽くせり」接待を繰り返してきた。30年前以上の昔であれば、全国各地に一族が地域社会を牛耳っていたところがあったかもしれない。ところが現在、玄海町のように二人の兄弟で町を制圧しているところがあろうか!!
岸本町長は大見えを切る。「原発がストップになれば玄海町は佐賀県一の貧困地域に転落する」。一見、傍若無人に見られる岸本町長の立ち振る舞いに町民たちは大賛同の姿勢を示す。「そうだ!!われわれ町民は原発様のお陰で飯が食えているのだ」。(2)町民たちの行動原理には「隣の唐津市、伊万里市がどうなろうと知ったことか」という特異性がある。現代世界において宗教戦争、民族戦争、エネルギー収奪戦争と数多くある。この日本国内において玄海町民のエゴで「安全を巡る戦争」が勃発する可能性があるとは信じられない。
<佐賀支店長の最大の役割は知事対策>
玄海町を懐柔できたとしてもやはり知事の権力は絶大だ。九電佐賀支店長の最大の役割は佐賀県知事を「原発推進派」に押しこめることである。今朝(9日)のある朝刊に「古川佐賀県知事に九電佐賀支店長が献金」と報じられていた。過去の支店長たちは「個人的に支援した」というコメントをなしていたが、どなたも信用しない。(3)九電という組織が原発推進のためにはあらゆる策動をなして県知事をたぶらかすことも白日に照らされた。佐賀支店長も知事対策に実績を残さないとその後の出世の道が閉じられる。それはもう必死だ。
余談だが、「やらせメール事件」の発覚がなければ、8日前後に古川知事は「玄海原発の再開はやむをえないかな」と公的見解を述べる予定であった。そこから玄海原発再開の流れが決まっていたものを!!(4)そして最大のあと押し勢力は経済産業省と国会議員たちである。経済産業省からの天下り、引き受け先の役目もこなしている。各方面と対策を打ち、腐れ縁・癒着関係が明白になった。「やらせメール事件」が一挙に根元的な変革を求める効果を担ったとは皮肉。今は、「経済産業省の顔をつぶしたことでどう九電側が修復するか」を興味本位でみている。
≪ (4) | (6) ≫
目標貫徹シリーズ(18)~詐欺しても原発を防衛する九電(6)
コダマの核心
2011年7月11日 09:35
<九電若手社員も詐欺師集団と運命共同体ではない>
もう一度、繰り返すが、「やらせメール」は危機感に駆られて画策したものではない。原発担当前副社長が当然の如く指示をしたのである。住民を愚弄するのは「詐欺師集団・九電」の発想である。いつものように6月26日の「原発再開を巡る公開討論会」(主催・経済産業省・実質的にお国の主催)に原発賛成偽装の策を講じたに過ぎない。悪そびれた気持の欠片をひとつも持ち合わせていないのである。ところが、便宜なツール=ネットに頼っていたことで落とし穴に嵌(ハマ)った。内部告発をされたのである。
便宜なツールには致命的な問題が孕まれている。2,000件からのメール指示をすれば悪意工作に怒りを感ずる若者が現れてくる。責任司令塔の極悪人=前副社長の信念は下記の通りである。「九電および九電関連会社の社員は会社防衛のために忠誠心を尽くす」と。時代錯誤も甚だしい。「市民正義に反する企業活動は許さない」という価値基準が若者の思考のなかに浸透していることにまったく頓着がないのである。わが詐欺師集団の倫理が「優先=すべてである」から脇が甘くなるのも当然だ。
この前副社長は憮然としてこう吐き捨てるかもしれない。「あいつ(告発した青年)は関連会社の社員だ。九電の社員はこんな犯罪行為はしない」。そうでしょうかね。 中堅にさしかかっている40歳の九電正社員と話し合った。「コダマさん!!われわれ世代から下の社員たちは何を目標して働くか悩んでいるところです。要するに上を向いて事を穏便に済ましていけば世間並みを超えた保証はされるでしょう。しかし、絶対服従して得る対価が魅力あるものとは思えません。上層部がやるこんな法破りの破廉恥なことをわれわれが賛成するはずがありませんよ。ますます白けますね。何より小学校に行っている子ども二人が可哀そうです」。感情を押さえているが腸が煮えたぎっているのは間違いない。
<原発反対運動者にとっては便利なツール>
九電本店前で原発反対の座り込みをしているAさんは元気が良い。10年前まで、本店前で座り込み、街頭デモで歩いても孤独感に苛まされることが度々であったそうだ。「市民の安全のために体を張って運動してきたのに真剣に考えてくれない。一体、運動の拡大が可能であろうか」と自問自答をよくしたものだ。たしかに支援の輪は徐々に広がりがあるが、顔馴染みのサークル活動のレベルでしかなかった。訴える強力な武器がなかったのだ。
ところが今は比較にならない強力な宣伝ツールを武装できるようになった。それは「ネットメール」である。いろいろな集会、勉強会で知り合う人たちと名刺を交換してメールアドレスを得る。その積み重ねで2,000人へメルマガを送り届けられるようになった。定期的にメルマガを送ると様々な御意見が返ってくる。集会の呼び掛けも便利になったという。「2,000人にメルマガで呼びかければ最低1万人に伝わる」ことは間違いない。
いまや「ネットメール」には、「携帯メール」も付加されている。九電本社前に座り込みでいるAさんは愉快でたまらないだろう。この4カ日間の正門前での九電関係者の狼狽ぶりを目の当たりにして「これが、あの巨大企業・九電か。なんと脆いものよ。蜂のひと刺しならぬ自爆で墓穴を掘るのだから」と内心、高笑いをしているだろう。
【唐津市】 岸本組 代表取締役 岸本剛
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(1)
2011年6月28日 07:00
<過去、売上高100億円を超えた地場有数の建設業者>
(株)岸本組(唐津市)の業歴は古く、唐津地区において創業者の岸本八十吉氏が土木工事業を目的に事業を開始したのが1911年6月(明治44年)。それから約40年後の52年5月に法人化をし、現在の商号となる。初代代表に創業者の岸本八十吉氏が就任、同社の基礎を固めた。
この時期から同社の販路拡大路線が開始される。63年3月の壱岐営業所開設を皮切りに76年5月に福岡営業所、80年4月に熊本営業所、83年3月唐津営業所、86年2月鹿島出張所、89年8月武雄営業所、94年9月には長崎県の鷹島出張所などを開設し、唐津地区内だけでなく長崎、福岡、熊本県にまたがるなど北部九州を中心に営業基盤を拡大。土木工事での官庁からの公共工事をベースとしてマンション関連などの建築工事を手掛けるなど業容も拡大した。
手元の資料によると、97年4月期には売上高127億7,871万円、経常利益6億1,730万円、当期利益は3億2,206万円を確保、佐賀県を代表する建設工事業者となった。しかし、その躍進も長続きはしなかった。
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(2)
企業
2011年6月29日 17:10
<エリアと事業規模の縮小へ>
1997年4月期には、売上高127億7,871万円、経常利益6億1,730万円、当期利益は3億2,206万円を確保するなど、佐賀県の有数の建設業者となった(株)岸本組だが、バブル崩壊の影響などから市場が悪化、徐々に事業規模が収縮していく。翌98年4月期には売上高は103億193万円、99年には100億円を割る86億8,210万円となっていく。この頃は3~4億円の当期利益を確保しており、減収しても高い利益面は確立されていたようだ。
しかし、近年3期分の数字を見てみると、2008年4月期で売上高28億5,052万円、営業損益段階で赤字に転落して▲1億7,027万円。09年4月期も売上高31億8,904万円、営業損益段階で▲1億3,589万円と2期連続して赤字を露呈。100億円を越えていた同社の過去の威光はすでにない。ただ、過去に蓄えた内部留保は厚く、未だに無借金経営はなされている。
規模縮小と平行して事業拠点も撤退を行ない、各拠点に構えていたほとんど営業の出先も撤退し、現在では本社と佐賀市支店と玄海町支店のみとなる。ただ玄海町の営業拠点だけは08年12月に玄海町営業所を支店に昇格させるなど、玄海町にはさらなる営業強化を図るものとみられる。
裏を返せば、玄海町からの原子力事業の恩恵の比率をもっと高めるためとも考えられる。09年7月には建設業許可も大臣許可から佐賀県知事許可に変更しており、今後も公共工事、とくに原発マネーの恩恵を受けようとの算段なのか。民間からの大口受注は九州電力とその関係会社から。なおさら原発関連事業の岸本組というイメージは強まった。
3月11日以降の福島第一原発事故で原発に対する風当たりが増加した。そのため玄海原子力発電2、3号機の運転再開が論争を呼んでいる。玄海町の岸本英雄町長はメディアで度々目にするようになり、それに伴い同社に関してNET-IBへの問い合せが多くなってきた。
(つづく)
≪ (1) |
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(3)
企業
2011年7月 5日 12:19
<高い公共工事の受注比率>
過去の高い収益面をもっていたことで厚い内部留保をもつ同社だが、2008、09年4月期の業績は落ち込み2期連続の赤字となった。しかし、老舗の意地か、はたまた原子力関連事業に傾注したのか10年4月期の売上高は回復基調となり41億5,775万円となった。役員報酬などの削減などによるコストの圧縮も進み、営業損益段階で3,320万円を計上。6,109万円などの家賃収入も寄与してからか、経常損益段階で8,154万円の利益を確保するなど黒字に転換した。
受注比率を見ると、10年4月期における土木工事の受注上位は「佐賀県東松浦郡玄海町発注の平成20・21年度 北部浄化センター建設工事」(1億7,321万円)、「九州電力(株)玄海原子力発電所の温室熱供給設備設置工事のうちの土木工事」(1億5,765万円)であった。そのほかの受注先として国土交通省、唐津市などの名があがっている。建築工事の受注は「唐津農業協同組合(玄海町)のJAからつのいちご共同選果施設建築(3億3,800万円)」となっている。
10年4月期の完工高においては、公共工事受注金額は23億0547万円、民間元請受注金額は18億0352万円、合計41億5,638万円となり、元請受注の比率は約98%となり、かない高い数値を誇っている。では、赤字となった08、09年の4月期の2期はどうなっていたのか―。
(つづく)
≪ (2)
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(4)
企業
2011年7月 6日 16:23
<営業の強化先は>
前回は2010年4月期において高い元請率について触れた。では大赤字に見舞われた08、09年4月期においての比率はどうなっているのだろう。下の表を見て頂きたい。10年4月期と明らかに違うのは、民間元請の比率は低く、下請受注の比率が高いことがわかる。
08年4月期では、発注者の都合と営業不足で約18億円の受注を取りこぼし、随意契約などの受注約10億円ができなかったとしている。09年4月期は民間受注の大型案件となるマンションの約6億円、唐津警察署からの約3億円、厳木工業団地の工事約2億5,000万円が取れなかったようだ。同社としては「民間の受注が課題」を掲げていたが、裏を返せば九州電力などからの民間受注は得意であるが、競争が激しい一般からの受注はあまり得意ではないとの表れだろう。
その後、同社の営業戦略は「最重要顧客=玄海町、九電、JA、唐津市への営業強化」へと代わっているのだ。つまり、10年4月期では、得意分野からの公共工事、民間元請の受注が増えたのではないだろうか。
同社は赤字経営を連続して味わっている。過去に蓄えた厚い内部留保に支えられているとしても、限界はある。早急に結果を求めることと、効率の悪い一般の受注を省くとなれば、原子力政策を推進してきた玄海町や九州電力に受注先として求めていくのは必然。ひいては原子力マネー頼みの事業展開を加速してもおかしくはない。
(つづく)
≪ (3) |
2011年6月28日 07:00
<過去、売上高100億円を超えた地場有数の建設業者>
(株)岸本組(唐津市)の業歴は古く、唐津地区において創業者の岸本八十吉氏が土木工事業を目的に事業を開始したのが1911年6月(明治44年)。それから約40年後の52年5月に法人化をし、現在の商号となる。初代代表に創業者の岸本八十吉氏が就任、同社の基礎を固めた。
この時期から同社の販路拡大路線が開始される。63年3月の壱岐営業所開設を皮切りに76年5月に福岡営業所、80年4月に熊本営業所、83年3月唐津営業所、86年2月鹿島出張所、89年8月武雄営業所、94年9月には長崎県の鷹島出張所などを開設し、唐津地区内だけでなく長崎、福岡、熊本県にまたがるなど北部九州を中心に営業基盤を拡大。土木工事での官庁からの公共工事をベースとしてマンション関連などの建築工事を手掛けるなど業容も拡大した。
手元の資料によると、97年4月期には売上高127億7,871万円、経常利益6億1,730万円、当期利益は3億2,206万円を確保、佐賀県を代表する建設工事業者となった。しかし、その躍進も長続きはしなかった。
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(2)
企業
2011年6月29日 17:10
<エリアと事業規模の縮小へ>
1997年4月期には、売上高127億7,871万円、経常利益6億1,730万円、当期利益は3億2,206万円を確保するなど、佐賀県の有数の建設業者となった(株)岸本組だが、バブル崩壊の影響などから市場が悪化、徐々に事業規模が収縮していく。翌98年4月期には売上高は103億193万円、99年には100億円を割る86億8,210万円となっていく。この頃は3~4億円の当期利益を確保しており、減収しても高い利益面は確立されていたようだ。
しかし、近年3期分の数字を見てみると、2008年4月期で売上高28億5,052万円、営業損益段階で赤字に転落して▲1億7,027万円。09年4月期も売上高31億8,904万円、営業損益段階で▲1億3,589万円と2期連続して赤字を露呈。100億円を越えていた同社の過去の威光はすでにない。ただ、過去に蓄えた内部留保は厚く、未だに無借金経営はなされている。
規模縮小と平行して事業拠点も撤退を行ない、各拠点に構えていたほとんど営業の出先も撤退し、現在では本社と佐賀市支店と玄海町支店のみとなる。ただ玄海町の営業拠点だけは08年12月に玄海町営業所を支店に昇格させるなど、玄海町にはさらなる営業強化を図るものとみられる。
裏を返せば、玄海町からの原子力事業の恩恵の比率をもっと高めるためとも考えられる。09年7月には建設業許可も大臣許可から佐賀県知事許可に変更しており、今後も公共工事、とくに原発マネーの恩恵を受けようとの算段なのか。民間からの大口受注は九州電力とその関係会社から。なおさら原発関連事業の岸本組というイメージは強まった。
3月11日以降の福島第一原発事故で原発に対する風当たりが増加した。そのため玄海原子力発電2、3号機の運転再開が論争を呼んでいる。玄海町の岸本英雄町長はメディアで度々目にするようになり、それに伴い同社に関してNET-IBへの問い合せが多くなってきた。
(つづく)
≪ (1) |
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(3)
企業
2011年7月 5日 12:19
<高い公共工事の受注比率>
過去の高い収益面をもっていたことで厚い内部留保をもつ同社だが、2008、09年4月期の業績は落ち込み2期連続の赤字となった。しかし、老舗の意地か、はたまた原子力関連事業に傾注したのか10年4月期の売上高は回復基調となり41億5,775万円となった。役員報酬などの削減などによるコストの圧縮も進み、営業損益段階で3,320万円を計上。6,109万円などの家賃収入も寄与してからか、経常損益段階で8,154万円の利益を確保するなど黒字に転換した。
受注比率を見ると、10年4月期における土木工事の受注上位は「佐賀県東松浦郡玄海町発注の平成20・21年度 北部浄化センター建設工事」(1億7,321万円)、「九州電力(株)玄海原子力発電所の温室熱供給設備設置工事のうちの土木工事」(1億5,765万円)であった。そのほかの受注先として国土交通省、唐津市などの名があがっている。建築工事の受注は「唐津農業協同組合(玄海町)のJAからつのいちご共同選果施設建築(3億3,800万円)」となっている。
10年4月期の完工高においては、公共工事受注金額は23億0547万円、民間元請受注金額は18億0352万円、合計41億5,638万円となり、元請受注の比率は約98%となり、かない高い数値を誇っている。では、赤字となった08、09年の4月期の2期はどうなっていたのか―。
(つづく)
≪ (2)
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(4)
企業
2011年7月 6日 16:23
<営業の強化先は>
前回は2010年4月期において高い元請率について触れた。では大赤字に見舞われた08、09年4月期においての比率はどうなっているのだろう。下の表を見て頂きたい。10年4月期と明らかに違うのは、民間元請の比率は低く、下請受注の比率が高いことがわかる。
08年4月期では、発注者の都合と営業不足で約18億円の受注を取りこぼし、随意契約などの受注約10億円ができなかったとしている。09年4月期は民間受注の大型案件となるマンションの約6億円、唐津警察署からの約3億円、厳木工業団地の工事約2億5,000万円が取れなかったようだ。同社としては「民間の受注が課題」を掲げていたが、裏を返せば九州電力などからの民間受注は得意であるが、競争が激しい一般からの受注はあまり得意ではないとの表れだろう。
その後、同社の営業戦略は「最重要顧客=玄海町、九電、JA、唐津市への営業強化」へと代わっているのだ。つまり、10年4月期では、得意分野からの公共工事、民間元請の受注が増えたのではないだろうか。
同社は赤字経営を連続して味わっている。過去に蓄えた厚い内部留保に支えられているとしても、限界はある。早急に結果を求めることと、効率の悪い一般の受注を省くとなれば、原子力政策を推進してきた玄海町や九州電力に受注先として求めていくのは必然。ひいては原子力マネー頼みの事業展開を加速してもおかしくはない。
(つづく)
≪ (3) |
(株)岸本組 玄海原発に依存した企業の実態(5)
企業
2011年7月11日 09:17
<ツケがまわってきた>
3月11日に起こった東北大震災に伴う福島第一原発事故は、人類が制御できると過信した原子力発電に対する考え方を改める機会となった。同事故に関する報道が連日行なわれ、日本中に放射能汚染への不安が広がっている。
このため、玄海原子力発電2、3号機の再稼動に世論は慎重になっている。玄海町長の岸本英雄氏は、早々とメディアに対して稼動同意の立場を表明していた。だが、6日に九州電力の「やらせメール」事件が発覚。その直後岸本氏は稼動同意を「一旦撤回」した。現在、国会を始め論議を呼んでいるが、このまま稼動できないと潤沢な原子力マネーが地元に流れなくなる可能性が高く、原発利権組や玄海町は厳しい立場に立たされることになる。
このままでは玄海町を始めとした官庁関係や、九電や関係会社の西日本プラントを重点的な営業先に挙げていた岸本組は原発関連の利権に携わることが出来なくなる。無借金経営、自己資本比率約70%、約24億円を有し月商約7カ月分の現金預金をもつなど固い経営基盤を持つ同社だが、玄海町や九電などからの原子力マネーが縮小傾向となると同社の屋台骨は揺らいでいくだろう。
また、玄海町長との癒着構造が取り出されているのに加えて、九電以外の民間受注が不得意な同社にとっては、今後ますます逆風に晒されていくだろう。言い換えれば、過去に甘い利権を吸い続けたツケがまわってきたといえる。
(了)
≪ (4) |
企業
2011年7月11日 09:17
<ツケがまわってきた>
3月11日に起こった東北大震災に伴う福島第一原発事故は、人類が制御できると過信した原子力発電に対する考え方を改める機会となった。同事故に関する報道が連日行なわれ、日本中に放射能汚染への不安が広がっている。
このため、玄海原子力発電2、3号機の再稼動に世論は慎重になっている。玄海町長の岸本英雄氏は、早々とメディアに対して稼動同意の立場を表明していた。だが、6日に九州電力の「やらせメール」事件が発覚。その直後岸本氏は稼動同意を「一旦撤回」した。現在、国会を始め論議を呼んでいるが、このまま稼動できないと潤沢な原子力マネーが地元に流れなくなる可能性が高く、原発利権組や玄海町は厳しい立場に立たされることになる。
このままでは玄海町を始めとした官庁関係や、九電や関係会社の西日本プラントを重点的な営業先に挙げていた岸本組は原発関連の利権に携わることが出来なくなる。無借金経営、自己資本比率約70%、約24億円を有し月商約7カ月分の現金預金をもつなど固い経営基盤を持つ同社だが、玄海町や九電などからの原子力マネーが縮小傾向となると同社の屋台骨は揺らいでいくだろう。
また、玄海町長との癒着構造が取り出されているのに加えて、九電以外の民間受注が不得意な同社にとっては、今後ますます逆風に晒されていくだろう。言い換えれば、過去に甘い利権を吸い続けたツケがまわってきたといえる。
(了)
≪ (4) |
麻友美の「教えて中国」…家を建てればセメント屋が儲かる(前編)
(サーチナ - 07月11日 12:10)
中国株アナリスト田代尚機
インフラ建設大手の中国鉄建(01186)
ペトロチャイナ傘下の石油開発会社である崑崙能源(00135)
本土最大規模の婦人靴専門店である百麗国際(01880)
国内最大電力会社の華能国際電力(00902)
総合建材メーカーの中国建材(03323)
中国建材はセメントを作っている会社
■企業概要・百麗国際(01880)/メインボード
【概要】中国、香港、マカオ、米国などで靴およびスポーツ衣料の製造・販売を行う。主要業務は婦人靴。自社ブランドでは設計開発から生産、販売まで一貫して手掛け、代理ブランドでは販売が主要業務。スポーツ衣料では有名ブランドの代理店販売を行い、代理店販売収入ではNikeとAdidasによる収入が80%以上を占める。09年末までの直営販売店舗は東北、華北、西北、魯豫、華東、華中、華南、南西、広州、雲南、貴州の中国国内に約9000軒、香港とマカオに約200軒。深セン、東莞、江蘇、湖北に生産基地があり、年2000万組以上を生産。・崑崙能源(00135)/レッドチップ【概要】中国石油天然気集団の香港上場子会社の1つで、石油、天然ガスの探査、開発、生産、販売を手がける。香港に総事務所を設立。中国本土、カザフスタン、オマーン首長国、ペルー、アゼルバイジャン共和国、タイ、インドネシアで原油・天然ガスの生産を手掛ける。96年の石油資産買収を皮切りに、現在7カ国で11件のプロジェクトを保有、うち4件が探査プロジェクト。09年より天然ガスの小売販売・総合利用を展開。天然ガス販売と総合利用業務を主力事業とする国際的新エネルギー集団を目指す。・中国鉄建(01186)/H株【概要】鉄道建設に強みを持つ建設会社。鉄道を中心に、道路、オフィス・住宅、都市鉄道、水利・水力発電、橋、トンネル、空港などの請負工事を行う。また、建設案件のフィジビリティ・スタディやコンサルティングサービス、道路補修用機械、トンネル建設用機械、鉄道・橋など軌道システムの部品などの製造も行う。2010年12月期業績における部門別売上では、請負工事は91.0%、コンサルティングサービスなどは1.8%、工業製品製造は2.0%、その他不動産などは5.2%。また、海外業務は4.9%。
田代 尚機
1958年愛知県出身。
1984年東京工業大学大学院理工学専攻修了。
1984年から2003年まで(株)大和総研に勤務。入社後、ベンチャー企業に関する投資審査、中堅企業への経営コンサルティング、某官庁でのマクロ調査などを経験。
1991年から1994年まで、日本株アナリストとして小売、金融を担当。
1994年から2003年にかけて、大和総研の代表として北京に駐在。引受リサーチ、中国経済担当エコノミスト、中国株担当アナリストとして活動。
2003年10月から2007年2月まで、内藤証券(株)に勤務。中国部長としてプロモーションを中心に中国ビジネス全般を担当。
2007年3月、出資者の一人としてリード・リサーチ・アンド・プロダクツ(株)を設立。証券会社向けに中国株ビジネスに関するコンサルティングを行う。
2008年5月、独立、現職。社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。
中国では、セメントの原料になる石灰石がどこでも採れるので、至る所にセメント会社がある
日本で上場しているセメント会社は3社
・中国建材(03323)/H株【概況】総合建材メーカー。セメント生産では中国最大。石膏ボードではアジア最大。ガラス繊維生産では世界最大。また、風力プロペラは欧州2位の独NOI社を傘下に納め、1.5~2.0MW用のプロペラ製造では中国最大。そのほか、ガラス、セメントなどの工場設備の設計、施工などのエンジニアリングサービスも行っている。2010年12月期における部門別売上では、セメントが73.0%、軽質建材が8.4%、エンジニアリングサービスが7.4%、ガラス繊維・複合材が5.7%。その他が5.5%。
中国株アナリスト田代尚機
インフラ建設大手の中国鉄建(01186)
ペトロチャイナ傘下の石油開発会社である崑崙能源(00135)
本土最大規模の婦人靴専門店である百麗国際(01880)
国内最大電力会社の華能国際電力(00902)
総合建材メーカーの中国建材(03323)
中国建材はセメントを作っている会社
■企業概要・百麗国際(01880)/メインボード
【概要】中国、香港、マカオ、米国などで靴およびスポーツ衣料の製造・販売を行う。主要業務は婦人靴。自社ブランドでは設計開発から生産、販売まで一貫して手掛け、代理ブランドでは販売が主要業務。スポーツ衣料では有名ブランドの代理店販売を行い、代理店販売収入ではNikeとAdidasによる収入が80%以上を占める。09年末までの直営販売店舗は東北、華北、西北、魯豫、華東、華中、華南、南西、広州、雲南、貴州の中国国内に約9000軒、香港とマカオに約200軒。深セン、東莞、江蘇、湖北に生産基地があり、年2000万組以上を生産。・崑崙能源(00135)/レッドチップ【概要】中国石油天然気集団の香港上場子会社の1つで、石油、天然ガスの探査、開発、生産、販売を手がける。香港に総事務所を設立。中国本土、カザフスタン、オマーン首長国、ペルー、アゼルバイジャン共和国、タイ、インドネシアで原油・天然ガスの生産を手掛ける。96年の石油資産買収を皮切りに、現在7カ国で11件のプロジェクトを保有、うち4件が探査プロジェクト。09年より天然ガスの小売販売・総合利用を展開。天然ガス販売と総合利用業務を主力事業とする国際的新エネルギー集団を目指す。・中国鉄建(01186)/H株【概要】鉄道建設に強みを持つ建設会社。鉄道を中心に、道路、オフィス・住宅、都市鉄道、水利・水力発電、橋、トンネル、空港などの請負工事を行う。また、建設案件のフィジビリティ・スタディやコンサルティングサービス、道路補修用機械、トンネル建設用機械、鉄道・橋など軌道システムの部品などの製造も行う。2010年12月期業績における部門別売上では、請負工事は91.0%、コンサルティングサービスなどは1.8%、工業製品製造は2.0%、その他不動産などは5.2%。また、海外業務は4.9%。
田代 尚機
1958年愛知県出身。
1984年東京工業大学大学院理工学専攻修了。
1984年から2003年まで(株)大和総研に勤務。入社後、ベンチャー企業に関する投資審査、中堅企業への経営コンサルティング、某官庁でのマクロ調査などを経験。
1991年から1994年まで、日本株アナリストとして小売、金融を担当。
1994年から2003年にかけて、大和総研の代表として北京に駐在。引受リサーチ、中国経済担当エコノミスト、中国株担当アナリストとして活動。
2003年10月から2007年2月まで、内藤証券(株)に勤務。中国部長としてプロモーションを中心に中国ビジネス全般を担当。
2007年3月、出資者の一人としてリード・リサーチ・アンド・プロダクツ(株)を設立。証券会社向けに中国株ビジネスに関するコンサルティングを行う。
2008年5月、独立、現職。社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。
中国では、セメントの原料になる石灰石がどこでも採れるので、至る所にセメント会社がある
日本で上場しているセメント会社は3社
・中国建材(03323)/H株【概況】総合建材メーカー。セメント生産では中国最大。石膏ボードではアジア最大。ガラス繊維生産では世界最大。また、風力プロペラは欧州2位の独NOI社を傘下に納め、1.5~2.0MW用のプロペラ製造では中国最大。そのほか、ガラス、セメントなどの工場設備の設計、施工などのエンジニアリングサービスも行っている。2010年12月期における部門別売上では、セメントが73.0%、軽質建材が8.4%、エンジニアリングサービスが7.4%、ガラス繊維・複合材が5.7%。その他が5.5%。
2011年7月10日日曜日
バラク・フセイン・オバマ・ジュニア
Barack Hussein Obama, Jr.
1961年8月4日 187cm
1961年8月4日に、ハワイ州ホノルルにある病院[7]で生まれる。実父のバラク・オバマ・シニア(1936年 - 1982年)はケニアのニャンゴマ・コゲロ出身(生まれはニャンザ州ラチュオニョ県Kanyadhiang村[6])のルオ族、
母親はカンザス州ウィチタ出身[7][8][9]の白人、アン・ダナム[10]である。父のオバマ・シニアは奨学金を受給していた外国人留学生であった[11][12]。2人はハワイ大学のロシア語の授業で知り合い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚[13]、アンは妊娠しており、半年後にオバマ・ジュニアを出産する。
父オバマ・シニアはムスリム(イスラム教徒)であり、イスラム教の戒律(イスラム法)では「ムスリムの子は自動的にムスリムになる」とされており、イスラム法が適用される国では現在でも脱教は死刑とされているが、オバマ自身は現在プロテスタントのキリスト教徒[14]、キリスト合同教会[15][16]である。オバマは自伝で、「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と述べている。
またオバマは自身の幼年期を、「僕の父は、僕の周りの人たちとは全然違う人に見えた。父は真っ黒で、母はミルクのように白く、そのことが、心の中ではわずかに抵抗があった」と回想している[17]。彼は自身のヤングアダルト闘争を、「自身の混血という立場についての社会的認識の調和のため」と表現した[18]。
両親は1963年に別居し、1964年に離婚した[12]。父は1965年にケニアへ帰国し、政府のエコノミストとなる。彼はハワイ大学からハーバード大学を出て将来を嘱望されていた。オバマの両親は結婚歴が複数回あるため、彼は後述の異母妹が1人、異母兄弟が8人[19]いる(うち、4人死没)。オバマ・シニアは1971年に息子と再会し、1982年に自動車事故が原因で亡くなった(46歳)[20]。
なおオバマは1967年に母親とともに初来日し、東京に滞在したほか、神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏殿高徳院を訪問し、抹茶アイスクリームを食べたと語っている[21][22]。
[編集] インドネシアへ
オバマ・シニアと離婚後に人類学者となった母は、その後ハワイ大学で知り合ったインドネシア人の留学生でのちに地質学者となったロロ・ストロ(Lolo Soetoro。1987年没)と再婚する。
1967年に、ストロの母国であるインドネシアにて、軍事指導者のスハルトによる軍事クーデター(9月30日事件)が勃発すると、留学していた全てのインドネシア人が国に呼び戻されたことで、一家はジャカルタに移住した[23]。オバマ・ジュニアは6歳から10歳までジャカルタの公立のメンテン第1小学校に通った[24]。1970年には、母と継父のあいだに異父妹のマヤ・ストロが誕生する。
[編集] ハワイへの帰還
プナホウ・スクールの旧校舎
1971年、オバマ・ジュニアは母方の祖父母であるスタンリー・ダナム(1992年没)とマデリン・ダナム(2008年没)夫妻と暮らすためにホノルルへ戻り、地元の有名私立小中高一貫のプレパラトリー・スク-ルであるプナホウ・スクールに転入し、1979年に卒業するまで5年生教育を受けた[25]。在学中はバスケットボール部に所属し、高校時代に、飲酒、喫煙、大麻やコカインを使用したと自伝で告白している。
なお1972年に、母のアンがストロと一時的に別居し、実家があるハワイのホノルルへ帰国、1977年まで滞在する。同年、母はオバマ・ジュニアをハワイの両親に預け、人類学者としてフィールドワーカーの仕事をするためにインドネシアに移住し、1994年まで現地に滞在した。このあいだに、1980年にアンと継父のストロとの離婚が成立した。母のアンはハワイに戻り、1995年に卵巣癌で亡くなった[26]。以上のように、青年時代のオバマはハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母(ともに白人)によって育てられた。
[編集] 大学時代
1979年に同高校を卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学する[27]。2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し、政治学、とくに国際関係論を専攻する[28]。
1983年に同大学を卒業後、ニューヨークで出版社やNPO「ビジネスインターナショナル」社(Business International Corporation)に1年間勤務[29][30]し、その後はニューヨーク パブリック・インタレスト・リサーチグループ(New York Public Interest Research Group)で働いた[31][32]。ニューヨークでの4年間のあと、オバマはイリノイ州シカゴに転居した。オバマは1985年6月から1988年5月まで、教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として務めた[31][33]。オバマは同地域の事業所の人員を1名から13名に増員させ、年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。職業訓練事業の支援、大学予備校の教師の事業、オルトゲルトガーデン(en:Altgeld Gardens, Chicago)の設立と居住者の権限の確立に一役買った[34]。
1988年にケニアとヨーロッパを旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面している。同年秋にハーバード・ロー・スクールに入学する。初年の暮れに「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長[35]に、2年目にはプレジデント・オブ・ジャーナルの編集長に選ばれた[36]。
1991年、法務博士(Juris Doctor。日本の法務博士(専門職)に相当)の学位を取得、同ロースクールをmagna cum laudeで修了[37]しシカゴ大学の法学フェローとなる。
1961年8月4日 187cm
1961年8月4日に、ハワイ州ホノルルにある病院[7]で生まれる。実父のバラク・オバマ・シニア(1936年 - 1982年)はケニアのニャンゴマ・コゲロ出身(生まれはニャンザ州ラチュオニョ県Kanyadhiang村[6])のルオ族、
母親はカンザス州ウィチタ出身[7][8][9]の白人、アン・ダナム[10]である。父のオバマ・シニアは奨学金を受給していた外国人留学生であった[11][12]。2人はハワイ大学のロシア語の授業で知り合い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚[13]、アンは妊娠しており、半年後にオバマ・ジュニアを出産する。
父オバマ・シニアはムスリム(イスラム教徒)であり、イスラム教の戒律(イスラム法)では「ムスリムの子は自動的にムスリムになる」とされており、イスラム法が適用される国では現在でも脱教は死刑とされているが、オバマ自身は現在プロテスタントのキリスト教徒[14]、キリスト合同教会[15][16]である。オバマは自伝で、「父はムスリムだったが殆ど無宗教に近かった」と述べている。
またオバマは自身の幼年期を、「僕の父は、僕の周りの人たちとは全然違う人に見えた。父は真っ黒で、母はミルクのように白く、そのことが、心の中ではわずかに抵抗があった」と回想している[17]。彼は自身のヤングアダルト闘争を、「自身の混血という立場についての社会的認識の調和のため」と表現した[18]。
両親は1963年に別居し、1964年に離婚した[12]。父は1965年にケニアへ帰国し、政府のエコノミストとなる。彼はハワイ大学からハーバード大学を出て将来を嘱望されていた。オバマの両親は結婚歴が複数回あるため、彼は後述の異母妹が1人、異母兄弟が8人[19]いる(うち、4人死没)。オバマ・シニアは1971年に息子と再会し、1982年に自動車事故が原因で亡くなった(46歳)[20]。
なおオバマは1967年に母親とともに初来日し、東京に滞在したほか、神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏殿高徳院を訪問し、抹茶アイスクリームを食べたと語っている[21][22]。
[編集] インドネシアへ
オバマ・シニアと離婚後に人類学者となった母は、その後ハワイ大学で知り合ったインドネシア人の留学生でのちに地質学者となったロロ・ストロ(Lolo Soetoro。1987年没)と再婚する。
1967年に、ストロの母国であるインドネシアにて、軍事指導者のスハルトによる軍事クーデター(9月30日事件)が勃発すると、留学していた全てのインドネシア人が国に呼び戻されたことで、一家はジャカルタに移住した[23]。オバマ・ジュニアは6歳から10歳までジャカルタの公立のメンテン第1小学校に通った[24]。1970年には、母と継父のあいだに異父妹のマヤ・ストロが誕生する。
[編集] ハワイへの帰還
プナホウ・スクールの旧校舎
1971年、オバマ・ジュニアは母方の祖父母であるスタンリー・ダナム(1992年没)とマデリン・ダナム(2008年没)夫妻と暮らすためにホノルルへ戻り、地元の有名私立小中高一貫のプレパラトリー・スク-ルであるプナホウ・スクールに転入し、1979年に卒業するまで5年生教育を受けた[25]。在学中はバスケットボール部に所属し、高校時代に、飲酒、喫煙、大麻やコカインを使用したと自伝で告白している。
なお1972年に、母のアンがストロと一時的に別居し、実家があるハワイのホノルルへ帰国、1977年まで滞在する。同年、母はオバマ・ジュニアをハワイの両親に預け、人類学者としてフィールドワーカーの仕事をするためにインドネシアに移住し、1994年まで現地に滞在した。このあいだに、1980年にアンと継父のストロとの離婚が成立した。母のアンはハワイに戻り、1995年に卵巣癌で亡くなった[26]。以上のように、青年時代のオバマはハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母(ともに白人)によって育てられた。
[編集] 大学時代
1979年に同高校を卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学する[27]。2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し、政治学、とくに国際関係論を専攻する[28]。
1983年に同大学を卒業後、ニューヨークで出版社やNPO「ビジネスインターナショナル」社(Business International Corporation)に1年間勤務[29][30]し、その後はニューヨーク パブリック・インタレスト・リサーチグループ(New York Public Interest Research Group)で働いた[31][32]。ニューヨークでの4年間のあと、オバマはイリノイ州シカゴに転居した。オバマは1985年6月から1988年5月まで、教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として務めた[31][33]。オバマは同地域の事業所の人員を1名から13名に増員させ、年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。職業訓練事業の支援、大学予備校の教師の事業、オルトゲルトガーデン(en:Altgeld Gardens, Chicago)の設立と居住者の権限の確立に一役買った[34]。
1988年にケニアとヨーロッパを旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面している。同年秋にハーバード・ロー・スクールに入学する。初年の暮れに「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長[35]に、2年目にはプレジデント・オブ・ジャーナルの編集長に選ばれた[36]。
1991年、法務博士(Juris Doctor。日本の法務博士(専門職)に相当)の学位を取得、同ロースクールをmagna cum laudeで修了[37]しシカゴ大学の法学フェローとなる。
2011年7月8日金曜日
【玄海町】 岸本英雄
2011年7月5日火曜日
【6月】 7064PV
【月間PV】 六月 7064pv
2008年4月12日午後 新規開設
2010年 643PV
5月 0
6月 0
7月 26
8月 79
9月 86
10月 178
11月 174
12月 100
2011年 1万5761PV
1月 146
2月 277
3月 461
4月 1957
5月期 5856PV
6月期 7064PV 増1208PV
【総計】1万6404PV
2008年4月12日午後 新規開設
2010年 643PV
5月 0
6月 0
7月 26
8月 79
9月 86
10月 178
11月 174
12月 100
2011年 1万5761PV
1月 146
2月 277
3月 461
4月 1957
5月期 5856PV
6月期 7064PV 増1208PV
【総計】1万6404PV
日本の原発の本当にヤバい問題 -ためこまれる使用済み核燃料
日本の原発の本当にヤバい問題 -ためこまれる使用済み核燃料
2011年07月03日19時42分
藤沢数希 プロフィール
日本の原発には本当にヤバい問題があります。それは原子炉建屋内にためこまれている使用済み核燃料です。
逆に、この問題を考えると、最近のソーラーで脱原発とかいっている人々の、本当に許せない欺瞞が浮かび上がってきます。
次の表が、日本の原子力発電所の原子炉建屋の内部にためこまれている使用済み核燃料と、その最大容量です。tUというのは、燃料の重量の中でウランだけの重量を見る単位で、1tUだとその燃料には1トンのウランが含まれている、という意味です。出所:
原子力白書(平成21年版)福島第一原発の事故では、地震発生後、原子炉の安全装置は正常に稼動し全て臨界停止しました。その後、全電源消失により、原子炉、原子炉建屋の中のプールに貯めこまれていた使用済み核燃料が熱暴走し、その時に発生した水素気体に引火し、なんと1号機から4号機まで全てが爆発してしまったのです。そして放射能を外部に漏らしてしまいました。この時、4号機は定期点検中で原子炉の中には全く核燃料が充填されていなかったのです。それにも関わらず、行き場のない使用済み核燃料を「一時的に」保管してあるプールの水の循環が止まり、このようなシビア・アクシデントを招いているのです。
原子炉は、現代科学の粋を結集して、何重にも頑強な安全装置を作り、その安全性が追求されています。
しかし、その原子炉のすぐ横の、本来は一時的に作業をするための使用済み核燃料プールが、日本の実質的な使用済み核燃料の中間貯蔵施設になってしまっているのです。
日本では、政治的な問題もあり、中間貯蔵施設の建設が遅れに遅れました。現在は青森県のむつ市と同じく青森県の六ヶ所村に使用済み核燃料処理施設がありますが、まったくもって処理能力が足りておりません。
そのため、原子炉建屋内という、非常に大きなリスクがある場所の使用済み核燃料プールで、拡張工事に次ぐ拡張工事が行われ、その管理可能容量が増強されていきました。
僕は、テロリストなどが原子力発電所に乗り込んでも、原子炉に何らかのダメージを与えることは不可能だと思っています。それに頑強な原子炉格納容器は、少々のミサイルや飛行機の激突ぐらいは相当に耐えるでしょう。
ところが、この使用済み核燃料プールに満タンに詰まった大量の使用済み核燃料は、極めて脆弱なセキュリティだといわざるをえません。
現在、地震や津波の危険性がさんざん議論され、なぜか原発が政局に利用され、日本全国の原発が止まる、という困った自体になっていますが、日本の原発の安全性の問題は、そんなところにないのです。
一にも二にも、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設です。
原発を止めることなど、それによって低減されるリスクを考えれば、日本の国富を追加化石燃料費のために流出させ、電力不安により製造業の空洞化を加速させ、政治家が選挙のためのパフォーマンスに利用しているに過ぎないのです。
ところで最近注目を浴びる反原発運動家のリーダーたちは、原発を止めろといったり、ソーラーを推進しろというのに、なぜこの重要な問題に触れないのでしょうか?
デモに参加しているような人たちは無知な人たちで、m(ミリ)とμ(マイクロ)の違いも、原爆と原発の違いもわからいない人たちだから、罪はないでしょう。しかし、反原発運動家の一握りのリーダーたちは確信犯です。
実際のところ、彼らは日本の原発の安全性にはあまり興味がないのです。
原発は自らの政治活動やビジネスの道具でしかありません。原発を止めることにより、何人の人が熱中症で死のうとどうでもいいことなのです。また、老朽化した火力発電所を復活さえて、大気汚染を引き起こし、喘息で苦しむ子供たちを何人増やそうがどうでもいいことなのです。経済問題など二の次、三の次でしょう。彼らが、意図的にこの問題に触れないことは、理由があります。
つまり中間貯蔵施設が完成すると、日本の原子力政策の大きな弱点がなくなってしまい、核燃料サイクルがスムースに回ってしまうのです(高速増殖炉という50年先の技術は抜かして、ですが)。
将来、原発を廃止するにしても、この中間貯蔵施設は絶対に必要であるにもかかわらず、その喫緊の課題に無関心で、浜岡を止めろとか、国民負担でソーラーをやれとか主張している反原発運動家の人たちは何かおかしいと思った方がいい。彼らにとって大切な事は、国民の命でも何でもなく、自らの政治やビジネスなのですから。反原発運動家のリーダーの方々は、このままあらゆる原子力政策に反対し、日本中の原発が使用済み核燃料でいっぱいになり、日本が危険なデッドロックに落ちいることを内心願っているわけです。ある意味で革命ですね。
参考資料原子力発電がよくわかる本、榎本聰明いまさら人に聞けない核燃料サイクル、金融日記こんな状況でソーラーに莫大な補助金を注ぎ込んでいる場合か! アゴラ
【海自舞鶴】 展示訓練2011 /一般公開
【産経】
海自舞鶴地方隊の「展示訓練」 23・24・30日実施 京都
http://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/info/tenjikunren.html
2011.7.5 02:14
海上自衛隊の舞鶴地方隊(舞鶴市)が、護衛艦など艦艇の洋上での訓練を公開し、陸上、航空自衛隊も含めた防災装備品などを展示する「展示訓練」が、今月23、24日と30日に舞鶴市の海自舞鶴基地などで行われる。
艦艇などの訓練状況が見学できる「航海展示」は23日と24日に若狭湾で行われる。護衛艦や潜水艦、ミサイル艇など艦艇とヘリコプターも参加し、海難救助や飛行展示など訓練状況が見学できる。各日午前10時ごろ舞鶴港を出港し、午後3時ごろに入港する。
30日(午前9時~午後4時)には海自北吸岸壁で、陸海空自衛隊の装備品展示や、自衛隊の災害派遣活動を紹介する写真の展示などが行われる。
海自舞鶴地方隊の「展示訓練」 23・24・30日実施 京都
http://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/info/tenjikunren.html
2011.7.5 02:14
海上自衛隊の舞鶴地方隊(舞鶴市)が、護衛艦など艦艇の洋上での訓練を公開し、陸上、航空自衛隊も含めた防災装備品などを展示する「展示訓練」が、今月23、24日と30日に舞鶴市の海自舞鶴基地などで行われる。
艦艇などの訓練状況が見学できる「航海展示」は23日と24日に若狭湾で行われる。護衛艦や潜水艦、ミサイル艇など艦艇とヘリコプターも参加し、海難救助や飛行展示など訓練状況が見学できる。各日午前10時ごろ舞鶴港を出港し、午後3時ごろに入港する。
30日(午前9時~午後4時)には海自北吸岸壁で、陸海空自衛隊の装備品展示や、自衛隊の災害派遣活動を紹介する写真の展示などが行われる。
【南沙諸島】 中国軍機がフィリピン漁船上空を威嚇
中国軍機
5月11日午前 南沙諸島北東部リード礁上空 2機/フィリピン空軍が確認
6月04日 パラワン島沖240km ジェット戦闘機 漁船上空10m 1機
【産経】
国籍不明機、比漁船に接近 南沙、中国の可能性も
2011.7.4 23:57
フィリピン海軍は4日、南シナ海の南沙諸島海域で6月、漁をしていた漁船に、国籍不明のジェット戦闘機が異常接近していたことを明らかにした。海軍幹部によると、中国機の可能性があるという。
フィリピン海軍によると、6月4日、フィリピン南西部のパラワン島沖約240キロの海域で、戦闘機1機が漁船の上空約10メートルを飛行したという。
海軍幹部は「考えられない行動。警告とも受け取られる行動だったのではないか」と話した。(共同)
5月11日午前 南沙諸島北東部リード礁上空 2機/フィリピン空軍が確認
6月04日 パラワン島沖240km ジェット戦闘機 漁船上空10m 1機
【産経】
国籍不明機、比漁船に接近 南沙、中国の可能性も
2011.7.4 23:57
フィリピン海軍は4日、南シナ海の南沙諸島海域で6月、漁をしていた漁船に、国籍不明のジェット戦闘機が異常接近していたことを明らかにした。海軍幹部によると、中国機の可能性があるという。
フィリピン海軍によると、6月4日、フィリピン南西部のパラワン島沖約240キロの海域で、戦闘機1機が漁船の上空約10メートルを飛行したという。
海軍幹部は「考えられない行動。警告とも受け取られる行動だったのではないか」と話した。(共同)
2011年7月4日月曜日
松本 龍
1951年〈昭和26年〉5月17日 60歳
衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。
福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。
実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。
福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる。
政界にて
1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選。1996年、社民党を離党して旧民主党結党に参加。
部落解放同盟副委員長であり、人権擁護法案の推進派である。日韓議員連盟常任幹事。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している[1]。
2011年7月3日、復興担当相就任後に初めて被災地入りし、岩手県を訪問した際に、達増拓也知事との会談で「おれ、九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか、わからんのよ」や「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないところは助けない」[19]。などと発言。
さらに午後から訪問した宮城県庁では、数分遅れで応接室に入ってきた村井嘉浩知事に対して「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」、「長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ」と発言した。また漁業の集約や民間への開放など、村井知事が打ち出していた独自の計画案に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」と発言。さらに会談の最後には「今の最後の言葉はオフレコです。みなさん、いいですか、『絶対書いたらその社はもう終わり』だから」などと発言し、[20]、周りにいた職員や取材陣が緊張した表情で沈黙する様子と共に東北放送の「TBCニュース」[21]、TBS News-i[22]で放送された。
これら一連の発言は被災地の市区町村からも「あの態度はない」と批判の声があがっている[23]。
宮城県知事との会談動画
批判
この節の文章は、2011年4月3日付「週刊現代・永田町ディープスロート」講談社ならびに2011年7月4日付スポニチ Sponichi Annexが出典です。より信頼性の高い出典を元にした推敲が必要です。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故に際しては、防災担当相を拝命しているにもかかわらず「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。
取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(匿名の全国紙政治部記者)[24]「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない」(匿名の全国紙編集幹部)[24]「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)[24]などと批判されている。「震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが、松本氏はその"元凶"と目されている」(匿名の「週刊現代」記者)[24]ともいわれる。「防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化している」(匿名の官邸スタッフ)との指摘もある[24]。この点に関連して、松本龍自身は7月3日の岩手県知事との会談で「私はボーッとしていたけど、みんなでやってくれた」[25]と述べている。
家族
養祖父:松本治一郎(政治家・実業家)
父:松本英一(政治家・実業家)
弟:松本優三(実業家)
衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。
福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。
実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。
福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる。
政界にて
1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選。1996年、社民党を離党して旧民主党結党に参加。
部落解放同盟副委員長であり、人権擁護法案の推進派である。日韓議員連盟常任幹事。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している[1]。
2011年7月3日、復興担当相就任後に初めて被災地入りし、岩手県を訪問した際に、達増拓也知事との会談で「おれ、九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか、わからんのよ」や「知恵を出したところは助けるけれど、知恵を出さないところは助けない」[19]。などと発言。
さらに午後から訪問した宮城県庁では、数分遅れで応接室に入ってきた村井嘉浩知事に対して「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」、「長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ」と発言した。また漁業の集約や民間への開放など、村井知事が打ち出していた独自の計画案に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」と発言。さらに会談の最後には「今の最後の言葉はオフレコです。みなさん、いいですか、『絶対書いたらその社はもう終わり』だから」などと発言し、[20]、周りにいた職員や取材陣が緊張した表情で沈黙する様子と共に東北放送の「TBCニュース」[21]、TBS News-i[22]で放送された。
これら一連の発言は被災地の市区町村からも「あの態度はない」と批判の声があがっている[23]。
宮城県知事との会談動画
批判
この節の文章は、2011年4月3日付「週刊現代・永田町ディープスロート」講談社ならびに2011年7月4日付スポニチ Sponichi Annexが出典です。より信頼性の高い出典を元にした推敲が必要です。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震ならびに福島第一原子力発電所事故に際しては、防災担当相を拝命しているにもかかわらず「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。
取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(匿名の全国紙政治部記者)[24]「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない」(匿名の全国紙編集幹部)[24]「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れた」(匿名の全国紙政治部デスク)[24]などと批判されている。「震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが、松本氏はその"元凶"と目されている」(匿名の「週刊現代」記者)[24]ともいわれる。「防災担当相として松本がやるべき仕事はほとんど仙谷由人が行っており、松本は単なるお飾りと化している」(匿名の官邸スタッフ)との指摘もある[24]。この点に関連して、松本龍自身は7月3日の岩手県知事との会談で「私はボーッとしていたけど、みんなでやってくれた」[25]と述べている。
家族
養祖父:松本治一郎(政治家・実業家)
父:松本英一(政治家・実業家)
弟:松本優三(実業家)
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